カラフルエッセイ  sojiの今日もワクワク

2019年10月 2日 (水)

もっさりとしたコミュニケーションを愁う

~ soji の今日もワクワク 255  ~

郵便受けのダイヤルロックのお話。

調子が悪くなったので、マンションの管理会社に連絡しました。すると、メーカーへの注文書を送ってくれました。直接ご注文くださいとのことです。A4判の書面にはロックが数点図解されており、該当商品を選び、納品先を書いてファックスすれば届けてくれる仕組みだそうです。

不明点があったのでメーカーに電話をしてみました。応対したのは男性。詳しくは当社のホームページを見てくださいと言いながら、説明を始めます。ところがその話、専門的過ぎて途中から全然理解出来ないのです。

後でホームページを見てみると、ロックの外し方、取り付け方が動画で分かりやすく解説されています。ここまで親切に説明しているのなら、注文書に一行、アドレスを書いておけばいいのに。

さらにホームページをよく見ると、問合せメールも送れるようです。それならファックスではなくメールで注文を受け付けてくれた方が質問も出来て当方の手間も省ける。もっと配慮してくれないものだろうか。注文書を手で書くのは結構ストレスですしね。

ファックスですが、送るたびにきちんと届いているかと不安にさせられます(我が家はファックス電話です)。再び電話を入れると出たのは女性。それもずいぶん暗い声。確認後、注文書に何か不備はありますかと質問してみると、もしあったらこちらから連絡しますとのこと。どうもこの女性、商品知識が無いようです。それならせめて明るく応対してくれればいいのに。モヤモヤ感は募るばかりです。

一週間後、ファックスが届きました。そこには、ロックのナンバーは最初右回りがいいか左回りがいいか明記してくれと手書きのメモが。それなら最初から注文書にそう書くようにしておいてくれよ。いい加減イライラしながら三回目の電話。ようやくまともな人が出てくれて、「右からでお願いします」と言って注文完了。三連休を二回挟んでロックが届いたのは何と二週間後のことでした。

後でアマゾンを調べると、この商品、立派に売られているではありませんか。送料無料で、なんとメーカーからの請求額より20パーセント以上安い。確かに問合せに応対してくれたサービス料を考えると、安いからいいとは限りません。しかし、商品知識をホームページで身に付けたら注文はアマゾンで。まさにこの図式になってしまうのは仕方ないことですね。

それにしても私がサービス料と善意に解釈しましたが、せっかくホームページ、発注書へのアドレスの記載、電話窓口の体制、メール機能と、いろいろ改善をするべき余地はたくさん見えます。

EC(電子商取引)はもちろん、電子決済技術の向上で、買い物の仕方が大きく変化している昨今。もっさりとしたコミュニケーションはどんどん見直さないと、すべてアマゾンにもっていかれると痛感した一件でした。

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2019年9月 1日 (日)

2019年夏、鈴木貫太郎記念館での話

~ soji の今日もワクワク 254 ~

エッセイ仲間、さかもっちゃんがSNSで絶賛していた鈴木貫太郎記念館に行って参りました。終戦記念日を過ぎた8月18日のことです。

千葉県野田市関宿。利根川と江戸川にはさまれた緑多いのどかな地。旧宅(現在は取り壊されてありません)に隣接された建坪60坪ほどの記念館は、なんと入場料無料です。

鈴木貫太郎は、太平洋戦争が終わった当時の総理大臣。1945(昭和20年)4月、昭和天皇から直々に依頼され、何と77歳で就任しました。そして玉音放送で戦争終結が宣言された同年8月15日に内閣は総辞職しています。

入り口には貫太郎と一緒に夫人、たかの写真が。簡単な紹介映像があるというので観せてもらいました。昭和40年に録音された、たかが目撃した2・26事件を本人が語っている、貴重な音声をもとに作成されたものです。

2・26事件とは、1936(昭和11)年、陸軍の青年将校が指揮する一隊が、政府首脳を襲撃したクーデターです。当時侍従長であった貫太郎も襲われました。2月26日早朝、麹町にある侍従長邸宅に押し掛けた多くの兵士たちの話を、たかは淡々と語ります。

「話をしよう」という貫太郎に「ヒマはないから」と取り合わない兵士たち。やがて3発の銃声。血を流して倒れる貫太郎。そこに一隊を指揮した安藤輝三大尉が現れます。とどめをさそうと軍刀を抜く安藤に対し、たかは言います。「この人は年寄りだからとどめはささないでください」と。するとうなづいた安藤。軍刀を鞘に納め「閣下に敬礼」と兵士たちに命じた後、去って行ったのでした。

「兵士の撃った拳銃は明治26年製で、鉛の玉しか出ないやつでした。安藤さんの拳銃はスチール製で、もしそれで撃たれていたら助からなかったことでしょう」

その後たかは、宮内大臣の湯浅氏に電話をかけます。やがて現れた医師。その様子をたかは他人事のように話すのです。

「貫太郎は話をするたびに眉間の傷から血が出てくるので、私が指で押さえて止めました。やがて知らない男の人が来て。あとから聞いたらその人は医師で、血だまりに足元を滑らせて転んでました。隣りの部屋に布団を敷いて貫太郎を寝かしたら、顔色が見る見る青くなっていったんです」

映像を見ながら私は思いました。このたか夫人、ただ者ではないと。録音当時、80歳を超えているのに、人の名も時系列もきわめて正確で、言葉がスラスラとよどみがない。何より感情を出さないのです。怖かったとか、不安だったとか、そんな表現は一切ありません。さらに驚いたのは、襲撃者のリーダーを「安藤さん」とさん付けで呼んでいたこと。

後日談があり、とどめをささなかった安藤大尉を、貫太郎は命の恩人とまで呼んでいたとか。事件の3年前、安藤は貫太郎と話をする機会があり、とても感銘を受けたそうです。

陸軍内で何とか襲撃を止めさせようとしたところ、臆病者とののしられたため、それなら自分が、と自ら志願したそうです。安藤はその後2度自殺未遂を起こし、やがて首謀者の一人として銃殺の刑となりました。

実はたかは貫太郎にとっては後妻です。たかは宮中で昭和天皇の教育係を務めていました。まさに親代わりとして、とても慕われていたそうです。結婚適齢期を過ぎてしまったため、本妻を亡くした、ひと回り以上も年上の貫太郎に嫁いだのだとか。宮中に入る前は、旧お茶の水女子大学付属幼稚園の教諭、まさに才媛でした。

戦争終結を図った貫太郎はその後も国粋主義者から命を狙われ、住まいを転々とした後、ようやく関宿の地に落ち着けることになったそうです。それもこれも、たかの支えがあったからにほかなりません。

記念館には二人の遺品が数多く展示されています。そして2年後、何と安藤大尉の遺品も記念館に来るのだとか。

鈴木貫太郎と安藤大尉。正反対の立場に立ってしまった二人でしたが、共に平和を祈っていたことでしょう。現在の平和は、こうした多くの人たちの上になりたっていることを忘れてはなりません。そしてたかのような、彼らを支えた妻や子どもたちの存在も。2年後もあらためて記念館を訪れたいと思います。

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2019年8月 1日 (木)

この夏のおススメ

~ soji の今日もワクワク 253 ~

私は現在、忘却と戦っております。

以前に覚えた百人一首。現在でも毎朝十首ずつ暗唱しています。十日に一度、振り返る計算となります。

最近、思い出せない部分が出てくるのです。丸々忘れるということはなく、例えば上句や下句の一部分だけが、なかなか出てきません。苦手な歌もちらほら。例えば68番三条院の下句「恋しかるべき夜半の月かな」や、82番道因法師の上句「思ひわびさても命はあるものを」には、いつも悩まされます。

ふと思います。自分はなぜこんなことをやっているのかと。特に競技に出るわけでもないし、誰かに教えるわけでもない。ただ単に楽しいのです。自分の記憶力との勝負。能力の低下への挑戦。

百人一首は、大化の改新でおなじみの天智天皇から、鎌倉時代に起きた承久の乱で佐渡に流された順徳院まで、600年近い一大スペクタクルの側面もあります。そこであらためて日本史を学びなおすことにしました。今は便利ですね。ネットでググればいろいろと出て来ますから。

面白いアプリを見つけました。学校ネットが提供している「日本史一問一答」。高校生向けの学習用アプリ。選択問題で、答えには解説も付いています。マイクロラーニングと呼ばれる、隙間時間に勉強できるよう工夫されているのがミソ。古代から現代まで、時代ごとに5問ごと出題されます。正解するまで、何度もチャレンジ出来ます。

高校生の問題は難し過ぎるというなら「中学歴史完全記憶」。こちらはズバリ、名称を答えさせる問題。名前は分かっても正確な漢字はなかなか書けないものです。完全記憶というだけあって、解答したら後日またチャレンジ。覚えきるまで付き合ってくれるのがポイントです。中学生相手とあなどるなかれ。結構手こずる問題もありますよ。

日本史は登場人物が煩雑だし、起きた事件の前後関係が混乱しがち。だから苦手なんだよ。そんな方には、歴史漫画がおススメです。現在、いろいろな出版社から出ています。私は石ノ森章太郎による中央公論社の「マンガ日本の歴史」を図書館で読んでいます。登場人物の顔は史実に合っているかは分かりませんが、識別が付くのはありがたい。それにストーリーに則って描かれていますので、人間関係や事件の起きた背景が良く理解出来ます。無味乾燥な歴史の教科書から一転、ビビッドで分かりやすいマンガは引き込まれますね。

とにかく試験対策ではない、これをやって得をするわけでもない。知的好奇心を満足させるためだけにやる勉強の、なんと楽しいことか。

今まさに学校は夏休みです。しかし頭が痛いのが宿題。ギリギリまでためるタイプの私は、9月の新学期に近づくと憂うつになったものです。勉強をつまらなくさせる、まさに元凶ですね。

学校を卒業して数十年。この歳になって、ようやく勉強が楽しいと思えてきました。現在は学び直し、リカレント教育がブームだとか。生涯教育は、経済的にも時間も余裕がある高齢者にとっての、良きたしなみにもなるでしょう。

資格試験にチャレンジするのも一考。しかし私、もう苦しい思いはしたくありません。あくまでもマイペース。好きなことを好きな時に、好きなだけ。そんな勉強を、ぜひ皆さんにもおススメいたします。この夏、わざわざ外になんか出歩かずに、涼しい部屋の中でじっくりと取り組んでみては、いかがでしょうか。

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2019年7月 1日 (月)

ソサエティ5.0を思う

~ soji の今日もワクワク 252 ~

まずはこちらの映像をご覧ください。

政府広報が作成した動画です。主演しているのは、映画「君の名は。」のヒロイン、宮水三葉役の声を演じて大ブレーク。今ではドラマでも人気の上白石萌音(かみしらいしもね)。こんなビッグネームの女優さんが出ているのに、恥ずかしながら、私はつい先日知りました。

近未来の日本。ちょっと見ただけでは現代の田舎にしか見えない風景の中に、宅配のドローンが飛び交い、無人のトラクターが農地を耕し、無人のバスが走行する。私が子供の頃に見たSFによる未来像とは似ても似てない姿が描き出されています。そしてエンディングで、萌音ちゃんがこちらに向かって囁きます。「未来が楽しみでしょ」

その言葉を思いっきり否定するかのような発表がやはり先日ありました。金融審議会の市場ワーキング・グループ報告書です。

現在の年金だけでは、95歳まで生きるとなると、夫婦で2,000万ほど不足すると。野党は大騒ぎをし、マスコミも面白おかしく囃し立て、今でも落ち着く気配さえありません。しかしこの報告書、よく読めばそこが論点とは思えないのです。

報告書35ページにあるように『今後のライフプラン・マネープランを、遠い未来の話ではなく今現在において必要なこと、「自分ごと」として捉え、 考えられるかが重要』というのが主旨ではないでしょうか。

「狩猟」「農耕」「工業」「情報」に続く第5の社会を意味するのが「ソサエティ5.0」。内閣府の資料によると、人間中心の「超スマート」社会、と言うのだとか。

私は思います。中心となる人間、これはまさに自分であると。今までの概念では社会と自分は相反するように位置づけられてきましたが、これからは自分そのものが社会になるのではないでしょうか。大切なのは、自分は何にワクワクし、どう生きていきたいのか。そしてお互いの自分らしさを共存させられるよう、生きられる社会がソサエティ5.0であると。一方で、もうイヤだ、生きていたくないと絶望したのなら、合法的に消えていける。そんな危険性も感じます。よくも悪くも自分の意志と直結した社会がソサエティ5.0なのでしょう。

あらためて広報映像を見てみましょう。いろいろなことに気づかされます。まずなぜ朝早くにドローンで荷物を受け取らないといけないのか。集積所にストックしておけばいいのに。またパソコンを通じて遠隔診療が受けられるのなら、学校の授業だって同じように家で受講出来るはずです。なのになぜわざわざ学校に行くのか。さらに無人バスも家の前まで来てもらえれば、必死に走ることもないのに。

便利になったはずなのになぜ進んで苦労をするのか。それは萌音ちゃん、憧れの先輩と一緒に登校したかったからなんですね。先輩の履いている靴を調べてその日の朝に入手出来るように手配し、先輩がバスに乗る場所を知って一生懸命走る。どこか不便さを楽しんでいるようにさえ見えます。

平均寿命の大きな伸びで、年金機構も変わらざるを得ません。100年安心ではなかったか、などと国を責めても最後には政策に従わないといけないのです。それならば腹をくくって他に頼ること止めましょう。もう一度言います。自分のワクワク感を追究し、個性を磨いて他の人と交わり、今ある社会的課題を皆で解決していくことが大事なのではないでしょうか。

ソサエティ5.0と言いながら、人間に欲望がある限り不便さや課題は消えることはありません。それならば逆手にとって楽しんでしまおうではありませんか。さあ、みんなで言いましょう。

「未来が楽しみでしょ」

 

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2019年5月31日 (金)

ビリギャルの講演会を聴いてきた

~ soji の今日もワクワク 251 ~

小林さやか。

この名前がすぐ分かる方はあまりいないでしょう。2013年に出版され、後に映画にもなった「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」の主人公の名前です。ビックサイトで行われた展示会で特別講演をやるというので行ってきました。

私がこの本を読んだのはつい最近。著者はビリギャルを合格させた塾講師、坪田信貴氏であり、本の内容も成績の悪い生徒をいかに合格させるかのノウハウ本なのですが、いかんせん彼女のキャラクターがスゴイ。

登壇した彼女は開口一番、

「わあ、おじさまがいっぱい(ハート)!」

ギャルっぽい発言。しかしそんな彼女も今年で31歳になるそうです。セミロングでシックな色のゆったりしたサマーセーターにパンツ姿。ほっそりとした体つきで、とても可愛いお嬢さんでした。

彼女曰く、実際の体験は壮絶で、本や映画に出せないことの方が多かったとか。それは単なる合格体験記ではなく、母親(ああちゃん)の、自分を含めた3人姉弟(あね、おとうと、いもうと)に対する教育記だったそうです。

彼女の経験から、独自の教育論を展開するビリギャル。

まずは自分でワクワクすることを見つけ出そう。人間は感情の生き物。その感情が大切なのだと。そして目標を設定して具体的な計画を立てましょう。自己を肯定し、根拠はなくても自信を持って夢を公言しましょう。すると、そんな自分に対して出来る訳ないとバカにする人が出てくる。親、教師、友達・・・。彼らへの憎しみを、力に変えて行きましょう。憎しみは、大きなエネルギーになるから、と。

教育論は、どうしても上から目線になりがちです。立派な学校を出た講師が勉強した難しい理論を、教える、指導する。ビリギャル、小林さやかさんは、劣等生の立場で、自分を応援してくれたああちゃん、坪田先生に対し感謝の気持ちを込めながら、まさに下から目線で話をする。時おりギャルっぽい、頭の悪そうな話を交えながら。それは多分に彼女の演出でしょうが。ですから何の嫌味も無く、頭にも心にもスーッと入ってくるのです。

彼女は、大人は信じられなかったと言います。もし合格しても、もともと頭が良かったんでしょうと言われるに違いないと。努力したプロセスは評価されず、結果だけで判断される。だから自分は実際に講演をし、本(「キラッキラの君になるために」現在発売中とか)を書いたのだと。

それは、現代社会全般に言えることだと思います。国や会社、上司や先生、さらに親まで。今までの信用が音を立てて崩れてきています。これからは、原体験に基づき、自分の頭で考え、行動しなければならない。こうした教育論の構築に向かって、なんとあのビリギャルが挑戦しようとしていたのでした。

現在、彼女は独立し、大学院で教育学を勉強しているのだとか。推測ですが、自分の体験を学問的に裏付けようとしているのではないでしょうか。そして具体的なコーチング手法まで構築することを目指しているように思われました。

講演の最後に一言。

もし神様があなたに、書けばその望みがかなえられるプラチナチケットをあげるとしたら、あなたは何て書きますか、と。

私は迷わずこう書きます。

「90歳まで働ける、気力、体力、知力をください」と。

私は彼女が目指す、教育の世界にそのカギが隠されているのではないかと、現在考えているのです。

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2019年5月 2日 (木)

IT時代のエチケットを考える

~ soji の今日もワクワク 250 ~

「ズーッ、ズーッ ・・・・」

スマホから異音が聞こえてきました。何か設定ミスでもしでかしたのでしょうか。

去る日曜日、自宅でスカイプによる授業を受けました。スカイプとはインターネットを通じてPCやスマホで電話やチャットが出来るサービス。カメラを使えばテレビ電話にもなります。(詳しくはこちら

無料でダウンロードして設定すれば、簡単に出来るのだと。講師の方はもう還暦を過ぎているのに、ITスキルはなかなかのものです。

一方、受講者は私を含めて3人。皆50代以上のオジサンたちです。あらかじめ資料はメールで送ってもらい、決められた時間にPCの設定を完了させて待機。しかし私のPCはWindows7。どうも指示された通りに動きません。仕方なくスカイプはスマホで行うことにいたしました。バージョン違いが原因のようです。

定刻となり、スタート。お一人がなかなかつながらず、20分後、ようやく全員が揃いました。皆、初体験のようです。講師と受講者の一人はスマホ画面上の小さな窓から顔が見えます。もう一人は私同様、カメラを設定していないためか、お顔は見えません。

順調に進んでいた授業が一時間経った頃でしょうか。先ほどの異音が聞こえてきたのです。

「どなたか寝られているようですね。私の内容がつまらなかったかな」

講師の方が寂しそうにつぶやきました。そうです。異音の正体はなんといびきだったのです。

IT技術の発達は、私たちの生活を大きく変えつつあります。ネットを活用すれば自宅での仕事も可能になりました。今回のスカイプによる授業。忙しい中で会場まで足を運ぶことは出来ないけれど、家で出来るのであれば参加は可能。しかしその便利さが落とし穴になったようです。

人目を気にしない自分の部屋で普段着での授業。前日までの疲れが、理解度の低下に伴って魅力的な睡魔を連れてくる。他の人がいるところでは我慢できても、心地いい自宅では抗えなくなるのも無理ありません。

いよいよ危ないとなったら、こちらのマイクを切っておけばいいのですが、何せ初めてで分からない。どうやって緊張感を保ち、相手に失礼にならないようにするか。これこそまさにエチケットでしょう。

エチケットと言えば返信の際のタイトル。つい私もやってしまうことです。タイトルを変更せず返信すると「Re:」が付きます。

例えば、タイトル「スカイプのお問合せについて」の返信は「Re:スカイプのお問合せについて」というように。お互いそのまま返信を続けていると、「Re:Re:Re:Re:」とまるでレレレのおじさんのようになってしまう。

気軽なチャットメールならいいのですが、履歴をさかのぼりたいような場合は、相手に苦労をかけてしまいます。特に質問メールの回答が簡単なら、タイトルに書いてあげるような心配りが大切でしょう。

エチケットを逆手に取ったケースもあります。  インターネットで何気なくバナーをクリックすると、

「無事会員に登録されました。入会金は10万円となります。ひと月以内にお振込みください。解約される場合はこちらにご連絡を」

こんな画面が出て来たことはありませんか。これはいけない。間違ったといえ登録されてしまったのなら解約手続きを行わないとエチケット違反だ。そんな生真面目な心に入り込む詐欺が横行しています。

こうした場合は無視するのが一番。メールで案内が来た場合も下手に返信すると、カモが引っかかったと思われ、しつこく追いかけてきます。

ここまで定着したIT。しかしなかなかエチケットやお作法をきちんと教わる機会はありません。他人の失敗も他山の石。反面教師として、自分で学んでいくしか方法がないのが現状のようです。

スカイプで寝てしまった方とは直接お会いできる日がやって来るでしょう。私は決してその方を責める気はありません。むしろ私の代わりにやらかしてくれてありがとう、と言いたいくらいです。

自宅での映像授業はまた、行われるかもしれません。その際はデスクの周りを片づけ、キレイに身支度を整えて臨むべき。そう考えさせられた体験でした。

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2019年3月31日 (日)

いそじのバースディ・再び

~ soji の今日もワクワク 249  ~

3月29日、私は50代最後となる誕生日を迎えました。

そのちょうどひと月前、満50歳になった友人がいます。そこで私は、以前書いた自分のエッセイを思い出しました。(「いそじのバースディ」~sojiの今日もワクワク142~」を参照のこと)

そうそう、当時は病院通いで、急に衰えを実感させられたっけ。一人お祓いも受け、そのためでしょうか、痛みが吹き飛んだ不思議な体験を思い出しました。

私は友人に告げました。50歳の声を聞いた途端、身体が急に変わってしまうから注意するようにと。すると連絡をして間もなく、転んで怪我をしたとの知らせが。幸い大事には至らなかったものの、顔からかなり血を流したのだと。

聞くところによると、少し前から不眠に悩まされていたそうです。結果、体調がすぐれず、気分も落ち込みがちに。転んだのもあまり眠れていない影響だったのか、とも。

振り返れば私も、50代は苦難の連続でした。50歳誕生日の2010年当時、サブプライム問題からリーマンショックと立て続けに日本を襲い、どの企業も不況の波に飲み込まれてしまいました。

そして翌2011年の東日本大震災。ちょうどそのころ肉親の死もあり、私は心身ともに疲れ果てました。それから現在。仕事では第一線を外れたため、以前の様な管理責任を追及される処遇から解放されましたが、体調をコントロールするのがきつくなった50代。身体はまるで、自分のモノではないような気さえしてきました。

最近、気がついたことがあります。毎年お参りする神社の正面に祀られているのは鏡。私は単純に三種の神器のひとつだから、としか考えていませんでした。しかしひょっとすると、崇拝している神とは、鏡に映った自分ではないのかと。

私の身体には、両親から受け継いだ血が流れています。当然両親もまた、私にとって祖父母から受け継いでいます。結果として私の中には神代からの祖先のDNAが、累々と伝わっているわけです。体調の不備は、こうした祖先からのメッセージではなかろうか。特に身体の衰えを感じ始めてから9年。そんな風に考え始めた次第です。

そして自分の身体は、自我と別なモノと考えるようになりました。自我はドライバー。身体は自動車。そして祖先の声はさながらコントロールパネルかナビゲーションシステム、とでも言えるでしょうか。言い換えれば、自分とは自我と身体、そしてナビの3つから構成されている、と言えそうです。神代からの祖先ですから、私にとってはまさに神。その声を、出来たら体調が崩れる前に聞いて、備えることはできないものか。そう考えて最近瞑想を始めたことは、以前こちらで紹介したとおりです。

気持ちがワクワクと高揚したり、これはヤバいぞ、といった直感もこのころは重視しています。こちらに行ったらいいことがありそうとか、この人と付き合うとメリットがありそう。そんな理屈では説明しきれない感覚もまた、祖先からのメッセージではないかと考えるわけです。

60歳は厄年。もはや42歳で終わったと思っていた厄年がまた来ます。ですから今年は前厄。確かに苦難の50代の総決算。無事乗り切れるかどうか。そう考えると60歳厄年説は理に適っていると言えそうです。

まだ災難から抜け切れていない友人には、自分の価値観を押し付けるつもりはありません。ただ言いたいのは、すべての答えは自分の中にある、ということでしょうか。自分を守ってくれる祖先と会話できるように、自我を磨いてもらいたいものです。身体的にも元気な40代では、こんな話はとても聞いてくれなかったでしょうが、心身が弱っている現在は、耳を傾けてくれるかもしれません。

苦難に満ちた50代は、言い換えれば人生のメインステージ。私はこれからも、50代に突入した友人を応援していきたいと、こう考える次第です。

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2019年3月 1日 (金)

記憶力の低下に抗(あらが)う

~ soji の今日もワクワク 248  ~

「今日もワクワク244回」で、百人一首の暗記に挑戦したことを書きました。2018年10月のことです。

その後、何度かそのことを人に自慢する機会を得ました。ところが、人前で披露しようとして番号を言ってもらうと、思ったように出て来ません。例えば57番は紫式部の歌ですが、作者は出てきても上の句がスッと思い出せないのです。

百人一首で行う競技では、上の句を読んで下の句の札を取り合います。百首あるうち、下の句の最初の字がひとつだけの歌は、上級者になると、一字目を聞いただけで身体が反応するほどです。そんな歌は七首あり、頭文字をつなげて「ムスメフサホセ」と言います。

紫式部の歌は、このうちの「メ」で始まります。そこまで思い出してようやく、

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

と出てくるのです。

残念ながらこうやって思い出すのに10秒以上かかってしまいます。それどころか、歌によっては上五句や下七句が出て来ません。番号と作者名はほぼ結び付くようになったのですが、記憶の定着は本当に難しいと痛感しています。

百人一首を話題にすると意外に食いついてくる人が多く、ちょっとした雑談のテーマになかなかいいなと思っておりました。しかしこうやってポロポロと忘れてしまっては元も子もありません。もっと正確に記憶として定着出来ないものだろうか。

そこで私は、学生が受験勉強で行っている「品詞分解」に挑戦することにいたしました。

品詞とは、名詞、動詞、形容詞、助動詞などのことです。古文を勉強するには、この品詞分解が必須になります。

競技では、とにかく意味など分からなくてもいいから耳で聞いて覚えます。私もそうやって覚えようとしたのですが、音だけでは定着しづらいのですね。

それに私は競技には出ませんのでこの覚え方は馴染まないと考え、受験生になったつもりで挑戦することにしました。

例えば先ほどの歌の上句は、このようになります。

めぐりあひ :動詞・ハ行四段活用・連用形

て     :接続助詞

見     :動詞・マ行上一段活用・連用形

し     :助動詞・過去・連体形

や     :係助詞

それ    :代名詞

と     :格助詞

も     :係助詞

わか    :動詞・カ行四段活用・未然形

ぬ     :助動詞・打消・連体形

間     :名詞

に     :格助詞

たった一文字にもきちんと意味があるのですね。これは暗記ではなく、古典文法のルール自体を理解するしかありません。一見大変そうですけどすべては慣れですし、ネットで検索すれば勉強法は山ほど出て来ます。動詞の活用方法や助詞、助動詞の種類も有限。

実は私、高校時代は国語が得意だったのです。昔、覚えさせられた格助詞や接続助詞が今になって口から出て来ました。こんなところで受験弁用で詰め込んだ知識が活用できるとは思いませんでした。

これを一日一首、一番の天智天皇の歌からノートに書いています。百日で全首書き終わる計算です。パソコンではなく、手で品詞とその意味をひとつひとつ書いて行く。こんな風にやっていれば、もっと正確に定着できると期待しています。

また古典文法が理解出来れば、他の文献も読みやすくなるのではないかと考えています。数百年を経ても愛好される作品群は、必ずやその理由があるものです。遅ればせながら、こうした分野も究明したいと思います。

それにしても頭は、動かしていないとどんどん機能が低下するようで恐ろしい。これからも記憶力の低下に抗おうと考えているのです。

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2019年1月30日 (水)

瞑想の荒川を歩いてみた

~ soji の今日もワクワク 247  ~

昨年参加したセミナーで、「川の瞑想」を教わりました。

マインドフルネスや瞑想は以前から興味があり、ネット等で調べて自分なりにトライしてみたのですが、どうもうまくいきません。雑念がどんどん浮かんで全然集中出来ないのです。

川の瞑想。これは椅子に座って目をつむり、頭の中で海に流れ込んだ河口をイメージし、どんどん上流に遡って川沿いを歩いて行くというものです。

源流近くには白い壁があり、そこに備え付けられた扉を鍵で開けてさらに遡ると、湖が現れる。服を脱いで対岸まで泳ぎ、そこにある滝にうたれる。頭からつま先まで、もし患部があればそれをイメージして滝の水で洗い流す。すっかりきれいになったら、また湖を泳いで戻り、服を着てから川沿いを下り、スタート点の河口に戻って終了です。

身も心もすっきりするというので、セミナーの受講以来、毎朝洗顔した後に行っています。当初は雑念がイメージを邪魔して困りましたが、慣れてくると集中できるようになりました。特に湖で泳ぎ滝にうたれる時には、冷たさや痛さまで感じるほどです。

遡る川。それは私の住んでいる和光市にも流れている荒川を想定しました。地図を見ると河口である東京湾から源流のある埼玉県秩父市までおよそ180キロ。その行程を遡り、滝にうたれて戻ってくるのです。実際に歩いたら所要時間は見当もつきませんが、瞑想ではだいたい20分程度でしょうか。

毎日行ううちに、実際に荒川を見たくなりました。

スタート点の河口。エッセイ仲間のさかもっちゃんもぜひと言うので、二人で東京湾を観に行って参りました。

京葉線新木場駅から海に向かうつもりでしたが、江東区側には川沿いに道がありません。仕方なく湾岸道路で対岸の江戸川区に渡り、荒川沿いに作られた「健康の道」を歩いて、目の前に広がる東京湾を臨みました。右手には若洲海浜公園。左手には葛西臨海公園の緑が見えます。

そこを起点に実際に歩き始めました。出発したのは昼前。清砂大橋まで遡ってから対岸の江東区に渡り北上して行くと、やがて江戸川区の境にある閘門、ロックゲートが現れます。さらに遡ると墨田区に。そして野球グランド右手にを見ながら足立区へ。

北千住あたりまで歩くこと3時間半。さすがにこれでギブアップ。ちょっと休憩のつもりで入った居酒屋で根っこが生え、その日は終了。

別の日に再チャレンジ。さかもっちゃんと北千住で待ち合わせし、午後2時からスタート。ドラマ、金八先生のロケ地となった荒川土手から常磐線、千代田線、つくばエクスプレス、そして舎人ライナーの鉄橋をくぐります。

やがて左手に隅田川が現れ、右手に流れる荒川とに挟まれた足立区内を歩いて行きます。その日は年明けの1月6日。寒風吹きすさぶ土手の上は散歩する人もまばらで、枯れススキがそよぐ茶褐色の風景はもの悲しいほどです。

夕暮れ迫るころ、北区の岩淵水門に着きました。上流を流れる新河岸川と荒川がこの水門で合流し、新河岸川は隅田川となって東京湾に流れ込みます。

暴れ川として昔は何度も水害をもたらした荒川。岩淵水門をはじめ、数々の水門で水量を調節することで壊滅的な被害は無くなりました。先人の苦労を偲びながら、その日は赤羽の歓楽街で腰を落ち着けることに。

当然ですが、歩いた荒川の距離はほんの序の口。その後板橋区から埼玉県に入り、戸田市、和光市、朝霞市、さいたま市。さらに志木市、富士見市、川越市、上尾市、桶川市、北本市、鴻巣市、川島町、吉見町、熊谷市、深谷市、寄居町、長瀞町、皆野町を経てようやく秩父市に着くのです。

源流に近い秩父湖や二瀬ダムは去年の夏に見て来ました。ダムがある位ですから秩父湖は広大。そこに流れ込む渓流の一つが荒川の源流なのでしょう。近くには三峰神社があり、このあたりはまさに神域。私がイメージする湖や滝は、その神域にあるのだと実感しました。

瞑想に話を戻します。頭からつま先まで滝にうたれることをイメージします。順に髪から頭皮、脳、脳内の毛細血管。そして目、耳、鼻、口、歯、のど。さらに臓器は心臓、肺、胃、十二指腸に小腸、大腸、直腸に肛門。腎臓に膀胱、おちんちんに睾丸。肝臓に脾臓、胆嚢・・・そして両手両足も上から順にチェックして行き、滝の水でキレイに洗い流します。悪い所を金色に光らせたら終わりです。

川の瞑想を始めて9カ月。ひとつ成果が出て来ました。それは寒さが苦にならなくなったのです。なんせ毎日極寒の山中、湖を泳ぎ滝にうたれているわけですから。泳いだ後に服を着たイメージをすると、身体中がポカポカするほど。妄想のなせる技ですかね。

ただ、この瞑想は特にお勧めはしません。まずは3年続けるように言われています。その上でないと、本当に効能があるかは分かりませんので。続けられた際はあらためてご紹介いたします。その代わりと言ってはなんですが、エッセイの執筆はお勧めします。何せ20年以上続けていますから。

春になったら、今度は桶川市あたりを歩いてみようと思っています。実際の荒川土手散策、これもお勧めです。

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2018年12月30日 (日)

一年の計は元旦の前にあり

~ soji の今日もワクワク 246  ~

人気番組「笑点」で、三遊亭小遊三師匠がよくやる時候のあいさつ。最後に笑いながら「さて、今はいつでしょう」。そうです。笑点は特別番組を除きすべて録画。ですからあいさつしている時点では放送日よりずっと前なのです。それを知っていてのボケですから、きっと会場ではじわっと受けているんでしょうね。

実はこの原稿を書いているのは12月30日。だからまだ明けていません。でも私の締切日は毎月30日。無理を言って締切をずらしてもらい、きちんと年明けのごあいさつをした年もありましたが、特に今年(いや来年?)は敢えてネタばらしをさせていただきます。

もう業界のウラ事情はすっかり知られてしまったようで、正月のテレビの特別番組は生中継や再放送以外、すべて年内に録画しています。姿の見えないラジオ番組でも「これは録音です」と言ってしまっている。つい時候の話をしてしまい、矛盾を指摘されるのを恐れてのことだと思いますが、とにかくこのころはどんどん季節感が無くなってきているのが実情でしょう。

最近は「年賀状を止めます」という人が増えました。「元旦に着くためには、年賀状の投かんは12月25日まで」と言ってしまっている段階で、もはや正月の特別感は薄れてしまっています。昔、年賀状は元旦に書くものだとおっしゃった方がいらっしゃいました。でもそうして投かんすると、3が日を過ぎてしまう。逆に、年賀状を書くのをサボったな、などと勘繰られてしまいそうです。それならリアルタイムのメールやラインでのあいさつの方がよっぽどいいと判断するのも仕方ないことなんでしょうね。

私は再来年、いよいよ還暦。会社も定年となります。嘱託雇用の道はありますが、給料がガクッと減ってしまうのが実際のところ。それよりも後進に道を譲れというのが会社の本音かと思います。シニアの熟練よりジュニアの新鮮。時候のあいさつにこだわる世代よりも、時代を先取りする世代を優遇していこうとするのは止むを得ないことかと存じます。

ですから私も、座して定年を待つよりも、自分にとって新たな時代の幕開けにすべく、いろいろ準備を始めました。無趣味で無粋な自分を反省して川柳を始め、自分の強みを見つけるべくセミナーや勉強会にも通いました。そして様々な人に会い、多くの貴重なアドバイスを受けて、少しずつではありますが、あらたな人生の目標を見つけるにいたりました。それは、90歳まで働こうというものです。

川柳の句会で発表された一句。

アラ古希もこき使われる高齢化  齋藤和恵

70歳=古希でこき使われるというのが面白い。人生100年の時代を迎えようとしている現代。70歳はまだハナタレ、なんでしょう。こき使われたくないなら自主的に働くべき。それも100まで生きるなら90歳まで働こう。ということで、こんなスローガンを作ってみました。

元気だから働くんじゃない

働くから元気なんだ

よし決めた!90歳まで働こう

まずは90歳まで働く気力、知力、体力を養う、ということで、2019年の目標を3つ立ててみました。

1)毎日新聞万能川柳に月2回。年24回の掲載目指そう

2017年12月から始めた川柳。2018年3月に初掲載され、12月30日現在で合計14回を重ねました。月1回ほどのペースです。2019年は、その倍を狙います。

2)男子厨房に入ろう

結婚後、料理はいっさいしなかった私。だからキッチンはまるで知りません。2019年は食生活の見直しを図るため、キッチン=厨房に入って料理をしようと思います。学生時代はアルバイトでフライパンを振っていたころもあるんです。包丁さばきも思い出せば何とかこなせるはずです。

3)かたづけ、終活を始めよう

定年後の就職活動だけではなく、終末に向けた活動も。人生100年の逆と言えるかもしれませんが、いつ何時何があるか分からない現在。死後に恥ずかしいものは見せられません。一方で、見せたくないものがあるから長生きする、そんな考え方もあるのですけどね。けれども2019年、いよいよスタートいたします。

新年にあたって毎年言って来たこと。それは、

一年の計は元旦にあり

です。一年のやることは、すべて元旦に決めるべきとのありがたいことわざ。でも先ほどからも言っている通り、時代は先行しているのです。新年のことは、元旦の前にやることが賢明かと。いや、決して生き急いでいるわけではありません。ただ普通にしているだけで「ボーっと生きているんじゃないよ!」とチコちゃんに叱られそうですから。90歳までどうやって働くか、これはまた別の機会に。ということで、

明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願いいたします

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