カラフルエッセイ  sojiの今日もワクワク

2018年1月 1日 (月)

心のゆとりをプレゼントされた

~ soji の今日もワクワク 234  ~

新年、明けましておめでとうございます。

クリスマスイブのことです。

ロマンチストな私は、毎年寝る前にサンタさんにプレゼントをお願いしています。

最近、つとモノに対する執着が無くなった私。最後にはゴミになる。それならば、モノではなくコトがいい。ふと思いつきました。

「心のゆとりをプレゼントしてください」

翌朝、当然枕元には何もありませんでしたが、すっきりと目覚めることが出来ました。

年も押し詰まった、ある日の朝のことです。職場に行くため家の近くを歩いていた私。歩道は3mほどの幅があり、人通りもさほどありません。

それで私はイヤホンでラジオを聴きながら、 スマホを見て歩いていました。

すると、私の横を自転車がゆっくりと走り抜けて行くではありませんか。運転していたのは作業着を着た小太りのおじいさんです。

追い抜きざま、私に訛りのある怒声を投げかけてきました。

「まっすぐ歩けよ!」

どうも私は無意識に歩道を斜めに歩いていたようです。

「なに!」

一瞬、カッとなった私。相手の自転車、注意喚起のベルも鳴らさない。ましてここは歩道じゃないか。

しかしその一方で、「待てよ」と自分を諭す声。熱した気持ちがゆっくりと冷めて行きました。

イヤホンでラジオを聴きながら歩きスマホをしていた私。 考えてみれば非常に危険でした。

これがゆっくり走るおじいさんでなかったらどうだっただろう。あの怒声は、危険を知らせるメッセージではなかっただろうか。

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」

幸せと不幸は交互にやってくる。そんな意味です。

しかし私は思うのです。縄は縄。幸せか不幸かは人間の決めること。 たとえ不幸が訪れたとしても、それは幸せを呼ぶための必然、 と考えられれば不幸はもはや不幸でなくなるのではないか、と。

今の世の中、いいことを願ってもなかなかありません。逆に不愉快で、 腹立たしいことは日常生活に満ちています。

寒くて起きるのがツライ。満員電車はキツイ。仕事がツライ。 仕事が無いのはもっとツライ。食べた昼食がマズイ・・・

ひとつひとつは小さなことかもしれないけれど、積み重なればまさに不幸です。

朝の寒さは気持ちを引き締めてくれる。満員電車、乗客の服装を見て流行を占おうか。仕事のツラさは課題の宝庫、一度整理してみよう・・・

こんな風に考えられるゆとりを持ちたいものです。

私はサンタさんをはじめ、神様、仏様の存在を信じています。彼らは、私の心の中にあって、その都度私にメッセージを発してくれます。

しかし心にゆとりが無い時や、やましい気持ちでいる時は、そのメッセージは私に届きません。

自転車のおじいさんに怒鳴られたことはとても不愉快なことでした。しかし、おかげで危険を冒していた自分を反省することが出来た。

たくさんある嫌なことは、すべて幸せを呼ぶための種。それを理解するのに必要なのが心のゆとり。

あらためて思います。

「まっすぐ歩けよ!」は、ポリシーを持って突き進めという、サンタさんからのメッセージではなかろうかと。

こんなお目出度い話、1月ですからご容赦ください。今年一年も引き続きお付き合いをよろしくお願いします。

| | コメント (4)

2017年11月30日 (木)

見たくないものは見えない

~ soji の今日もワクワク 233  ~

JR新橋駅近くで立ち食いのうどん屋を見つけました。看板には大きく「うどん230円」と書かれています。なかなか魅力的な価格です。

小腹を空かした私は、とろろ昆布を乗せたうどん、290円也を頼みました。レジで300円を出すと「これでは足りません」と言うではありませんか。そうです。290円は税抜きの価格だったのです。

立ち食い屋はスピード優先。ですから注文前に自販機でチケットを買わせるか、税込金額が普通と思っていただけにちょっとムッとした私。

「税抜きならきちんと明記してくださいよ」と抗議をすると、意外にもこんな答えが。「ちゃんと書いてありますよ」

あらためて見ると、看板にもメニューにも、小さな文字ではありますが「(税抜)」と書かれているではありませんか。驚きました。そして私は昔聞いた、ある偉い人の言葉を思い出したのです。

「人間は、自分の見たいものだけ見える。見たくないものは見えない」と。

立ち食い屋はスピード優先。だから税込の金額表示が普通。この私の思い込みが、「(税抜)」の文字自体を見えなくさせていたのかもしれません。

人間、歳をとるにつれ、冒険を排除し、好きなものに囲まれた生活を求めるようになりがちです。そのことに疑問を感じた私は、「毎日が初体験」活動を進めてきました。一日何か一つ新しい体験をし、手帳に書き留めていこうというものです。

しかし正直、億劫になってきました。特に食事。どうしても好きなものだけに偏り、嫌いなものへのチャレンジがなかなか出来なくなりました。嫌いなものは不味い。そんな思い込みがのしかかります。

疲れているときは新しいことはしたくない。今まで培った価値観だけに頼った、だらだらした生き方に憧れてしまう自分がいます。

見たくないものを見る時、嫌な思いをします。だから見ないようにする。結果的に、見えなくなってしまう。同じシーンなのに、実は見ているものは違っていた。世の中のトラブルの大半は、ここに原因を発しているように思います。

きちんと見えるようになるためには、自分の中に芽生えた嫌な感情を排除せず、真摯に受け止めることではないでしょうか。気晴らしは大事ですが、そのことで問題点から目をそらしてしまっては、ことは深刻になるばかりです。

「毎日が初体験」活動の中に、その日体験したネガティブな感情も、敢えて書き留めていこうかと思います。思い込みが激しくなった自分に喝を入れるためにも。

今年一年、私の拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。皆さま、よいお年を。

| | コメント (2)

2017年11月 1日 (水)

郷土の偉人に出会う秋(2) 語り部の力

~ soji の今日もワクワク 232  ~

埼玉の3偉人。最後は渋沢栄一です。 歴史大好きのさかもっちゃんを助手席に乗せ、 秋晴れの体育の日にドライブしてきました。

栄一は、1840年(天保11年)武蔵国血洗島村、 現在の深谷市血洗島に農民の子として生まれました。 生家が今でも残っています。

Photo立派な門構えに池のある庭。養蚕場も兼ねた天井の高い古民家は、 さすが近代日本資本主義の父が生まれた家。500の会社を育成し、600もの 社会事業に携わった大偉人だけあります。

建物の中には入れるものの、玄関の土間止まり。 残念ながらそこからは座敷を覗き込むだけです。 解説員のおじいさん。私たちを含む6名ほどの観客に、座るように促します。

「この家は栄一が出て行ったあと、 妹の『てい』がここまで大きくしたんです。 大黒柱に使われている木材は、固くて有名なタガヤサン。 漢字で書くと鉄刀木。だからテットウボクとも言います。 解説している私はトウヘンボク。覚えて帰ってくださいね」

一同、キョトン。ああ、ここは笑うところでしたか。おじいさん、 ひるむ様子もなく、楽しそうに続けます。

幕末、尊王攘夷の影響を受けた栄一は、 高崎城の襲撃を企てるが未遂。 役人の目を逃れるため、23歳の時生家から京都に出奔、 人づてに一橋家に仕えることになる。

やがて一橋慶喜が将軍になると、慶喜の弟、昭武に従って渡仏。 近代ヨーロッパの知識を吸収して2年後、大政奉還により帰国する 。

蟄居する慶喜とともに静岡に。フランスでの知識を活かし日本初の株式会社、商法会所を設立した。そのことが新政府の目に留まり、 大蔵省にスカウトされる。

目覚ましい業績を残すものの、 予算面で大久保利通と対立、わずか3年あまりで辞職。その後、 第一国立銀行を設立するなど近代日本の発展に貢献し、 農民出身にもかかわらず子爵まで登り詰め、91歳で大往生したと。

笑顔あふれるおじいさん。話があちこち飛ぶのが欠点ですが、かえって面白く、興味は尽きません。

「『てい』の2人の息子、 栄一にとっての甥たちも立派な人だったんですよ」

長男は「元治(もとじ)」。東京帝国大学で電気工学を専攻。 家庭用に電気を供給するにあたり、 人間はどの程度の電圧まで耐えられるかを、自分や自分の妻の体をもって実験したといいます。結果、 100Vまでは大丈夫と結論を出し、 現在でもその値が基準になっているとのこと。

次男は「治太郎(じたろう)」。 勉強のために上京した兄に代わり、 この家に残り郷土の発展に尽くしました。 地元でよく採れるねぎを北海道や東北で販売したところ、 その味が評判になりやがて全国に。 現在「深谷ねぎ」が有名なのは、 治太郎の業績が大きいのだとか。

3偉人の記念館やゆかりの地を回って気が付いたのは、本庄、熊谷、深谷の各市がかなり力を入れていることです。映像で偉人を分かりやすく紹介したり、ゆるキャラを作ったりと展示方法にも工夫が見られます。しかしどんなに力を入れても、人が介在しなければ、単なるハードウエアの陳列で終わってしまいます。

立派な業績や、数々の困難を乗り越えたエピソードを伝えるゆかりの品々。それらに血を通わせて語ろうとする「トウヘンボク」のおじいさんの情熱。「語り部の力」を教えられた、秋の一日でした。

| | コメント (0)

2017年9月30日 (土)

郷土の偉人に出会う秋

~ soji の今日もワクワク 231  ~

荻野吟子(おぎのぎんこ)。

日本の公認女医第一号で、埼玉の3偉人の一人。長いこと埼玉に住んでいるのについ最近知りました。埼玉県熊谷市に記念館があるとのこと。秋風が吹き始めた9月の土曜日、行って参りました。

JR熊谷駅を降りてバスで30分、バス停から歩いて20分。農道を突き抜けた利根川のほとりに記念館はあります。来訪客は私一人。出来て日が浅いせいか清潔な室内ながら、手狭な印象を受けました。

作家、渡辺淳一が吟子の生涯を取材し、昭和45年に著した小説「花埋み」。そしてこの小説を原作とした舞台「命燃えて」。壁に貼られた年表には、小説の一節と舞台写真がちりばめられ、ゆかりの品々が展示されています。室内中央に展示されたドレスは、吟子役の女優、三田佳子が実際に身に付けた衣裳のようです。

後日、私は図書館で「花埋み」を読んでみました。そこには女医第一号という華やかな名声とは全く違う姿が描かれていたのです。

ペリー来航の2年前。妻沼町(現在の熊谷市)俵瀬に生まれた吟子は、10代で嫁いだ夫から淋病をうつされ、子供の産めない体となって離縁。東京で受けた男性医師からの診察が屈辱的であったため、女医を志し、苦難の末、女性で初めて公認の医師となったとのこと。

女医となった吟子はやがて、江戸時代から色濃く残っていた、男尊女卑の風潮に悩み始めます。婦人開放運動の先駆者として活躍し名声を得ながらも、13も年下の男性に求婚され、周りの反対を押し切って39歳で再婚。そしてすべての名声を捨てて、夫と共に北海道に渡るのです。しかし過酷な労働の中で夫が亡くなった後東京に戻り、医院を開業したものの、もはや彼女の知識は時代遅れ。7年後、養女に見守られ一人63歳の生涯を閉じたのでした。

東京に戻った後の吟子の様子は、小説にも詳しくは書かれていません。一度は諦めた女としての幸せ。そのために血がにじむような努力の末に手に入れた名声を捨て、愛する人を追いかけた。そんな自分を晩年、果たしてどう思ったのか。もし彼女が東京に留まっていたとしたら、どれほどの偉業を成し遂げたでしょう。でも私は思います。明治という女性に過酷な時代にあって、すべてを投げ出して愛の道を選んだ生き方こそ、荻野吟子の偉業ではなかったかと。

Photoちなみに「花埋み」の意味は、棺の中に横たわる故人のまわりを、花で埋めてあげることだそうです。記念館の横には吟子の像が建立されていますが、本当はこうして奉られることなく、静かに眠っていたいのかもしれません。

どんなに日の当たった偉人でも、その生涯の中には必ずどこかに暗い影があるものです。その影を見つけるたび、自分と変わらないじゃないかと共感したり、涙したり。そして一生懸命生きてさえ行けば、たとえ偉業を成し遂げられなくても、ちょっとくらい胸を張ってもいいかなと思ったりするのです。

荻野吟子記念館。物憂い秋に、何かとても大切なことを教えてもらった気がします。

| | コメント (0)

2017年8月31日 (木)

郷土の偉人に出会う夏

~ soji の今日もワクワク 230  ~

本庄市は埼玉県の北の端。私の住む和光市は南の端なので真逆に位置します。

そんな本庄市に住む方から、市民による群読劇が2017年8月11日、山の日に行われると聞いて、さかもっちゃんと行って参りました。タイトルは「塙保己一物語」。

塙保己一(はなわほきいち)と聞いても、分からない方がほとんどでしょう。江戸時代後期に活躍し「群書類従」を著した盲目の国学者。ましてや、本庄市が出身だとは私も全然知りませんでした。

会場の本庄市民文化会館は大入り満員でびっくり。1,200人の収容ながら立ち見が出るほどです。「脚本や演出はプロの人がやってくれたけど、出演者はみんな素人だから」の言葉を軽く考えていました。

ステージにはひな壇が据えられており、40人ほどでしょうか、すべての出演者が座ります。シーンごとに登場人物が中央に出て、寸劇を行うのです。語り手の女性やコーラスの女子高生は浴衣姿。当然、登場人物の衣装は江戸時代風に仕立てられていました。いえいえどうして、本格的ではないですか。

幼いころの病気がもとで盲目となってしまった辰之助。後の保己一は、延亨3(1746)年生まれ。15歳で故郷、武蔵国児玉郡保木野村から江戸に出て来ます。その後修行に励むものの鍼、按摩、音曲など何一つ上達せず、絶望して自殺未遂まで起こす始末。しかし抜群の記憶力から学問に目覚め、やがて古今東西の書物を整理、再編纂した「群書類従」の発刊に着手。国学を学べる「和学講談所」の設立を、時の老中、松平定信に認めてもらい、文政2(1819)年、群書類従666冊を完成させます。そして盲目者の最上位に位置する総検校となった文政4(1821)年、76歳で死去しました。

群読劇は、保己一の生涯を時系列で追いかけながら、多大な功績と彼の人間的な魅力を、私たちに教えてくれました。劇化実行委員会の主催で、名誉顧問は埼玉県知事。名誉会長の本庄市長は、松平定信役でステージに上がるほど。県や市、市民が一体となっての、熱い熱い劇でした。

埼玉の三偉人。一人目はこの塙保己一。二人目は、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一。そして三人目は近世における女医1号となった荻野吟子(おぎのぎんこ)。渋沢は保己一の偉業を顕彰する温故学会の設立に協力。荻野は、群書類従の中にあった令義解に女医の規定が書かれていたために、資格を取得できたといいます。

さらに。誰もが知る偉人、三重苦のヘレンケラー。彼女の心の支えになったのが、この保己一だったと初めて知りました。戦前に来日した際、真っ先に東京の温故学会を訪ねたとのこと。埼玉県では「塙保己一賞」を設立。盲目者や盲目者に対する功績のあった者をたたえ、毎年賞を贈っているそうです。また聞くところによると、この劇を演じた子供たちの中から、役者を志す者も現れたとか。現在でも影響を与え続ける保己一の魅力に、すっかり心酔いたしました。

Imag0241JR八高線児玉駅からほど近い、塙保己一記念館。リニューアルオープンしてまだ間もない、立派な施設です。8月、三連休の初日。さぞかし混んでいるだろうと思いきや、来場者は私とさかもっちゃんの2人きり。受付のおじさんに、「これからこれ(塙保己一物語)を観に行くんです」と言ったら寂しそうに笑っていました。

夏祭り、おみこし。そして夜空を彩る大花火。これらの風物詩もいいですが、夏こそ平和な今日の日本を築いてくれた、偉人たちの功績を見て回る大切さを実感した次第です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年8月 1日 (火)

インドの食文化を初体験

~ soji の今日もワクワク 229  ~

「カレーはスプーンより、素手で食べる方が美味い」

人気落語家、春風亭昇太がラジオで話していたコメントです。カレーにも造詣の深い昇太師匠、本場インドの食習慣通りに食べたところ、はまったそうです。毎日が初体験を継続中の私、早速トライすることにいたしました。

食卓に上った我が家のカレーライス。ご飯の上にかかったカレールー。横に福神漬けとラッキョウが乗っている、ごくごく定番のものです。スプーンを使わず手で食べようとしたのですが・・・無理、どうしても出来ませんでした。にぎり寿司は素手でつまめるけれど、ちらし寿司に指を突っ込む気にはなれない。そんなたとえで分かっていただけるでしょうか。

自宅のカレーライスを素手で食べるには抵抗がある。それじゃあ本場のインドカレーでチャレンジするしかありません。ネットで調べたところ、手で食べられる店を発見。早速行ってきました。

八重洲地下街にあるカレー専門店「エリックサウス」。平日の夜7時ごろに訪ねると、こじんまりとした店内はほとんど満席。一人だったので、運よくカウンターの端に通してもらえました。手で食べられるとネットで紹介されていましたが、誰もがスプーンで食べています。不安になり、店員に確認してみると大丈夫です、と。定番メニューを頼んでみました。水と一緒に出てきたのはフィンガーボール。もう後戻りはできません。

やがて出て来たのはお盆くらいの大皿。真ん中にぱさぱさしたタイ米のライス。その上にパパドと呼ばれるせんべい。横には黄色いサフランライス。そして4種の椀に入った4種類のカレールーとヨーグルト。

Imag0191










食べ方を教えてもらえると期待していましたが、店員は皆忙しく、誰も構ってくれません。しかたなく、スマホで映像を検索し、左手でスマホを眺めながら、トライしてみました。(https://www.youtube.com/watch?v=AcQKYxzVqcA)

カレールーは湯気がたっています。それをライスにかけて恐る恐る指を突っ込むと・・・熱いじゃあないですか。ガマンしながらワシワシと指でまぜていくと、いつの間にか熱さは消えました。一つまみして口に入れてみます・・・

実を言うと、味は良く覚えていないのです。なぜならば、3つの罪の意識に苛まれ、とても味わう気になれなかったからです。

まず一つ目は手づかみで食べること。カウンターの隣で食べていた女性二人組。私が手で食べ始めると、息を飲むように会話が止まりました。その後凍ったような空気が。私は恥ずかしくてとても横を見られませんでした。

二つ目。指でつまんだカレーは崩れてしまうため、口まで運ぶことができません。どうしても口から迎えに行くことになります。昔から行儀が悪いと言われた「犬食い」となってしまう。これがどうも良心をとがめるのです。

そして三つ目。インドでは左手は不浄の手。決して使ってはいけません。ですからコップの水を飲むのも右手。どうするかというとその都度フィンガーボールとおしぼりで手を洗ってからコップをつかむ。油までは落ちず、どうしても コップを 汚します。これがなかなか耐えられないのですね。

こうしたことは、実際に体験してみないと、決してわかりません。毎日は初体験活動は、実は大きなチャレンジ活動でもあるのです。

しかし、日本国内でインドと同じような食べ方が出来るとは思いませんでした。経済成長の著しいインド。これまで以上に多くのインド人がやってくる日も近いでしょう。その際、同席した食事で同じように手で食べられたら、きっと喜んでくれるに違いありません。

今度は仲間を募り、同じ店に行くことを予定しています。たった一人での私のチャレンジを、称えてくれた人たちです。皆でカレーを素手で食べるところを、他のお客に見せつけてやるつもり。あらためてインドの食文化を堪能してきます。

あ、スプーンと素手と、どちらが美味いか。これはまた別のところで実験してみます。大皿の中央にしゃもじでよく切ったライスを乗せ、同じルーをかけて食べ比べる。結果についてはしばらくお待ちを。

| | コメント (2)

2017年6月30日 (金)

嫌いなモノの魅力

~ soji の今日もワクワク 228 ~

私はピーマンが嫌いです。あの苦み、なぜ食卓に上るのか理解できません。出されれば食べますが、特別美味しいと思ったことはありません。

前回ご紹介した「毎日が初体験」活動。まずは今まで決して頼まないメニューを探すことです。よく行く立ち食いそば屋で見つけたピーマン天。今回は勇気を出して頼んでみました。

出されてびっくり。ピーマンが丸ごと、それも2個も乗っているではありませんか。私が知っているのは、タテに2つに切り、中のタネを取り出してからコロモをつけて揚げるもの。しかしこの店のは違ってました。

丸ごとですからおそらく揚げる前に湯がくのでしょう。タネの詰まった茎の付いた側からかぶりつくと、思ったよりも軟らかい。もちろんタネもそのままいただけました。味はというと、あの特有の苦みがありません。ほのかに感じるだけ。それほど不味くはないな、というのが第一印象でした。

毎日が初体験。他人に話すと関心を持って聞いてくれます。ピーマン天を初体験、と聞いて、何人もの人にイヤな顔をされました。どこでもピーマンは嫌われモノのようです。

丸ごと出て来た。タネまで食べられた。2個乗っていて380円で満腹感。そんな話をしていつも質問されるのは、

「それって美味しかったですか?」

さて、どうだっただろう。さほど苦みがない。意外と不味くは無かった。その程度の感想しか持たないことに気づきました。うーん、他人に伝えるには今一つインパクトにかけるな。で、再度食べに行ったのです。

今度は前回と違い、タネのある方とは逆の、先の方から食べてみました。するとどうでしょう。あの特有の苦さがきちんと広がるではありませんか。

「ん?」

気が付いたのは、苦みの奥にほのかな甘みを感じたこと。新鮮な野菜に共通する、あの甘さです。ピーマンの先から食べ進んで、最後はタネのある茎のまわり。前に食べたとおりほとんど味はありません。そのため特有の苦みをいい感じで緩和してくれて実にウマい。これが正しい食べ方か。ピーマンは、正しく食べるとこんなに美味しいモノなのか!!!

どんな野菜でも採れたては美味しいと聞きます。食べたピーマンは採れたてだったか分かりませんが、一番味の詰まったところから食べ進めると、実に美味しくいただけることを発見しました。

誰でも嫌いなモノはあります。嫌いだから食べない。美味しいからと言われても、かたくなに食べない。でも皆が皆、嫌いというわけではありません。好きな人がいるから世の中で生き残っているのです。そこには評価されるだけの魅力が必ずある。自分では理解できない。いや、しない。それだけです。

歳をとると考え方が固定化し、視野が狭くなります。だから頭もカタくなる。新しい発想が出なくなる。今まではそれで済んだかもしれませんが、これからはダイバーシティ(多様性)が求められる時代です。意固地では生きづらくなる。火を見るよりも明らかです。

自分が嫌いだからと言って、魅力がないとは言い切れません。むしろ自分の嫌いなモノの魅力を評価し、積極的に取り込もうとすることが重要ではないでしょうか。手垢の付いたたとえで恐縮ですが、幕末、日本の夜明けを目指すために、自分を捨てた土佐藩まで取り込もうとした坂本龍馬を思い出します。

閉塞感に満ちた現代。ひょっとすると、幕末のころに似ているかもしれません。

「小さなことに、こだわってたらいかんぜよ!」

毎日が初体験。これからも続けて行きます。

| | コメント (0)

2017年5月31日 (水)

毎日が初体験

~ soji の今日もワクワク 227 ~

先日、家人と中華料理屋に行ったときのことです。

そこのメニューは、16ページはあるカラー冊子。写真を見て料理を選ぶことが出来ます。いつものように注文した後、料理が来るまで何気なくメニューを見続けていました。ふと気が向いて、家人に尋ねました。

「この中で、頼みたくない料理はある?」

家人が答えます。

「これとこれ。とても辛そうだし。あとこれ。見るからに美味しくなさそう」

ああ、確かに。この写真では自分でも注文しないでしょう。

しかし、あらためて気づきました。自分たちは頼まないけれど、他に頼んでいる人がいる。だから立派にメニューに載っているんだと。

歳をとると、冒険を好まなくなります。行きつけの店、お気に入りの席、定番の料理。ファーストフードでさえ、無意識にいつもと同じメニューを頼んでいます。外食に限りません。朝起きてから夜寝床に入るまで、いつの間にかルーティンで行動している自分に気づきます。

いろいろな情報を収集し、自分なりに取捨選択した結果、最短で最善な行動をとる。それが生活の知恵であり、自分なりに蓄積してきた生きるノウハウです。「安住」と言っていいかもしれません。

でもそれは本当に最善でしょうか。すべての選択肢を試した結果、これ、と決めたことでしょうか。試すことさえせず、自分に合わないに違いない。そう勝手に決めつけてはいないでしょうか。

「あなたの初体験はいつですか」

女性に問いかけたら、セクハラで訴えるわよ、と凄まれそうです。いや、変な意味ではありません。しかし突然質問されると、はて、そう言えばいつだったかと首をかしげてしまうのではないでしょうか。

初体験は、考え方次第で毎日行うことが可能です。例えば日々歩くルートを敢えて違えてみる。初めて歩く路地、初めて見るマンションの表札、初めて見上げるビルの上層階のテナント・・・初体験の材料は、好奇心を持ち、新発見を心がければ日常にたくさん転がっています。ルーティンの中でも、例えば行きつけの店だけど日ごろ頼まないメニューを頼んだり、日ごろ使わない香辛料を使うだけでも立派な初体験です。

別に心がけなくても、毎日のように初対面の人と会うし、初めて行く得意先も多いよ。私も以前はそんな時代がありました。ところがあらためて考えてみると、自分が望んで会ったり訪問したりすることはほとんどありませんでした。あくまでも自らの意志で体験する。忙しくなると、そんなことを忘れてしまう。そしてあるとき、ふと流されている自分に気がついたりするのです。

「安住」の日常を否定する。無意識に拒絶する自分がいます。それは悪いことだと。

5月9日付毎日新聞の「万能川柳」で、こんな句が載っていました。

悪いこと していないのに 句ができぬ    東京 ひねのり

掲載では常連のひねのりさんも、こうした境地に陥るのかと、妙に感に入ってしまいました。今まで書いてきた流れでこの句に手を加えるとすれば、

良いことを してばかりでは 句ができぬ

と言えるかもしれません。句に句をぶつける。まさに「くにく」の作。ひねのりさん、申し訳ありません。

初体験は、心がざわつきます。いつもの通りやればいいのに。でもいつもの通りでは、たくさんの魅力を見過ごしているかもしれません。ですから私は、毎日手帳に初体験を書き留めるようにしました。時には大外しするかもしれませんが、これはご愛嬌。まずは続けて行こうと思っています。

| | コメント (2)

2017年4月30日 (日)

海へ還る

~ soji の今日もワクワク 226  ~

4月15日土曜日、藤沢に住む義母が亡くなりました。

肺炎からの心不全。入院してわずか一週間、あっという間に逝ってしまいました。あまりに突然だったので、本当の身内だけの葬儀となりました。

それだけではありません。残された人たちに出来るだけ負担をかけたくない。故人の希望を叶えるために、通夜も告別式もない。お坊さんを呼んでのお経も戒名も要らない。おまけに海へ散骨して欲しいと。

喪主となった義弟から、忙しかったら無理しないでとの申し出に、私は葬儀場でのお別れ会を失礼し、火葬場から同席しました。

待合室。義父。義母の兄、姉とお子さん。義弟夫婦に私と奥さん。そして義弟の奥様のご両親。10人ほどがテーブルをはさみ、持ち込んだお菓子やサンドイッチをつまみながらおしゃべりして過ごします。

義弟の奥様のお父さんがこんな話をし始めました。

「私は80を過ぎて、死について自分なりに考えるようになりましてね。ものの本によると人の死には2種類あるそうです。一つは肉体的な死。二つ目は皆の記憶から消えてしまう死、です」

それを聞いて、義弟の奥様がかみつきます。

「それじゃあ、歴史上の人物はどうなのよ」

「忘られないうちは死なないことになるね」

「そんなの変よ、変!」

いくつになっても娘は父に反抗的なのでしょうか。ちょっと微笑ましい、和やかな時間が流れて行きました。

4月20日木曜日、江の島は快晴。散骨葬の運営会社に言わせると、これ以上の天気はないとか。義父と義弟夫婦。そして私と奥さん。5人だけの一番シンプルなプランです。

青空に飛行機雲が3筋。遠くには富士山。観光客が嫌がるので喪服の参加はNG。パーカーを着こんだ5人には、悲しさは微塵もなく、むしろワクワク感が込み上げます。

沖に出るクルーザーの中で考えました。多くの人を招いての通夜や告別式。当たり前だと思っていたこれらの儀式は本当に必要だろうか。昨今は、散骨葬が増えていると聞きます。結婚、出産が減少し、将来、墓を守ってくれる子孫もない。「花」よりも、お金のかからない「実」を選ぶのは当然かもしれない。

それになかなか墓参りに行けないと悔やむより、海に出さえすれば故人を偲ぶことが出来る。死んだ後の自分にとっても遺族にとってもずっといいことではないだろうかと。

出発してから30分。ポイントに着いたようです。江の島のヨットハーバーが見える海上で、2㎜平方以下に粉砕された骨を5人が手分けをして海に撒きます。大きな粒は揺らめきながら沈んで行き、細かいのは白く水面に漂います。その後は花びらを撒いてあげます。義母の嫌いな菊の花は入っていません。

油絵が好きで、展覧会に出展するために入院の直前まで描いていた義母。全身全霊を傾けていたのでしょう。死に顔はかすかに笑っていたように思えました。

「安らかにお眠りください」

そう唱える私の後ろで、義弟が叫びます。

「じゃあねえ、お母さん。また来るよ~」

「人の記憶にある限り、死ぬことはない」その言葉を思い出し、私はちょっと恥ずかしくなりました。

「夢のお告げだって?ああ、気持ち悪い。いつまでもクヨクヨしていてはダメよ、sojiさん。私、暗いのは嫌いよ」

陸地に戻り、ふと義母の声が聞こえたようで私は沖を振り返りました。しかしそこには、春の日ざしを受けて、キラキラ光る水面があるだけでした。

江の島は、もうすぐお昼です。なんだかお腹が空きました。

| | コメント (2)

2017年3月25日 (土)

誰もが鑑定士 

~ soji の今日もワクワク 225  ~

sojiさんのエッセイを読み終えてしばらくしたら、「寒川神社の桜見」という神のお告げが聞こえたような……。

前々回の「夢でお会いしましょう」を読まれた、発想多彩ひろば運営者、さとうさんからメールをいただきました。不思議なことがあるものです(苦笑)。

そこで「岡田」ゆかりの地と、私が毎年訪れている江の島を合わせて巡るツアーを企画したところ、8人の申し込みがありました。

特にエッセイ仲間の坂もっちゃんからは、下見に行くならぜひ一緒に、と熱いメッセージが。ということで、去る土曜日に2人で行ってまいりました。

寒川神社を拝観してから「岡田」の交差点を経て歩くこと約40分。縄文時代の土器が多数発見された「岡田遺跡」にたどり着きます。

Photo

実は、この場所はツアーに入れるべきか迷っていたのです。大層な施設があるわけではなく、団地内の公園にプレートがポツンと立てられているだけ(下の写真、クリックすると拡大)。

Photo_10それでも私は、自分の遠い祖先たちがこの地で暮らしていたかと思うと、胸が熱くなりました。

その後江の島を下見し、ツアーの打上げ会場に設定した大船の居酒屋近くで2人。一杯やりながらの打合せです。見どころ満載の寒川神社と江の島に絞るため、岡田遺跡を割愛したい。

そう言う私に対し、日頃温厚な坂もっちゃんがその日は珍しく、強硬に異を唱えます。議論の末、私が折れたのはこの一言で した。

「誰も訪れない所に行って、その魅力を見つけ出すのが発想多彩ツアーの醍醐味ではないか」

もともとこのツアー、昨年末に私が見た夢から始まっています 。たわいもない話が広がり、結果的に何人もの人が自分も見てみたいと声をかけてくれました。しかし現実は、長々と歩かされたあげく、たどり着いたのはこんな所かと落胆させるようで、私はとても申し訳なく思ったのです。

それなのに、坂もっちゃんは楽しいと言ってくれました。遺跡、史跡の類はたいてい、昔日の面影もなく、現在ではたわいもないもの。

しかしたわいもない風景の中から自分なりに当時のイメージを広げる。遊んでみる。それが楽しいのだと。だから皆にも見せる価値があるのだと。

なるほど。人の発想は十人十色。いろいろな見方があるものだなあと、つくづく思いました。

東京12チャンネル「開運!なんでも鑑定団」。たまにしか観られませんが、私はこの番組が好きです。

陶器や掛け軸などの骨董。絵画、彫刻などの美術品。ブリキ玩具や スポーツグッズなどなど・・・プロの鑑定士に見てもらい、鑑定額を発表。

入手した金額と大きく違って歓喜に沸く者。がっくりと肩を落とす者。依頼者の表情はさまざまですが、いずれも人間臭く、観ていて飽きません。

父からの遺品が思わぬ高額で査定され、これを売って温泉に行きたいとはしゃぐ子供たちの姿も。父が大切にしていた遺品も、子供たちにとっては温泉旅行の方が勝ってしまうのですね。

貴重なものはもちろん、そうでないものにも価値を見出す人がいる。その理由を聞き理解することで、新しい発見がある。自分の価値観が広がります。

多士済々。いろいろな人がいます。自分と違う価値観を持っている他人は皆、鑑定士です。歳をとるとどうしても、気の合う仲間やYESマンをまわりに置きたくなる。しかし時には異を唱える人も必要です。それが、自分にとっての大切な鑑定士となるからです。

今回のツアー。私は、様々な鑑定士に出会いたいと思っております。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧