カラフルエッセイ  さかもっちゃんの知ったかぶりぶり

2017年6月18日 (日)

海外出張に持参すると意外に活躍する小物類たち

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 171~

海外出張の際、必ず持参する小物類があります。パスポートやクレジットカードなどのように絶対必須というモノではありません。無ければ無いでどうにかなりますが、あると「こりゃ便利」というシロモノです。

まずは室内用スリッパ。どんなホテルでも歯ブラシとスリッパが備わっているのが日本の常識ですが、海外では違います。特に米国のホテルには、どちらもありません。宿泊客のマイ歯ブラシ持参は常識ですし、ベッドやシャワーに入る直前まで靴を履いてる文化ですから、スリッパは不要なのです。でも、私を含め大方の日本人は、ホテル室内でスリッパがないとなんかソワソワ。

そんな時は薄っぺらな安物スリッパの出番。クルクルっと丸めればおにぎりより小さくなりますし、なにより軽い。ホテルのベッド横にスリッパがあるだけで心が落ち着きひと安心。

2つ目の小物は「耳かき棒」と「足裏マッサージ棒」。これらも生活必需品ではありませんが、仕事が終わった後、疲れた身体を癒やしてくれます。乾燥し過ぎるホテルの部屋での耳かき、そして、シャワー後の足裏マッサージは至福のひととき。明日への活力が沸いてきます。

3つ目は食事のお供。腹が減っては戦と仕事が出来ません。でも、海外での毎日の朝食はとっても単調かつ大味で、すぐに飽きてしまいます。仕事の都合などでランチを食べられないこともありますから、いくら不味い朝食でもお腹に入れておきたいもの。そんな時は醤油とふりかけ。

私がいつも持参するのは、スティック状に小分けされたキッコーマン「丸大豆醤油」と、丸美屋「おとなのふりかけ」。スクランブルエッグやソーセージには丸大豆醤油をかけて。そして、オートミールにはふりかけ。これで和風テイストに早変わり。香りと味がみるみる激変します。

さて、食事とともに極めて大事なのは睡眠。時差ボケの中、夜の睡眠の深さは出張の成功を決めると言っても過言ではありません。

熟睡のために私が持参するのは、「青森ヒバの香りエキス 小瓶スプレータイプ」。枕元にサッとひと吹きすれば、周囲は森林の香りに包まれ心からリラックス。森林浴の気分に満たされながら、深い眠りに落ちていきます。

最後は洗濯用洗剤。2週間以上の出張では洗濯が必要です。そんな時に大活躍するのは、小袋に小分けされた花王の「部屋干し用アタック」。さっと溶けて、泡立ち抜群。しかも部屋干ししても匂いません。こんなスグレモノが日本では100均で買えます。

ほんのちょっとの工夫で楽しい出張。そして仕事の成功へ。大事なことはルーチン小物類を常に持参し、アウェイ戦をホームゲームの気分にすること。私なりの勝利の方程式です。

ところで、今回のエッセイ、米国出張からの帰国便の機内で書いてます。足裏マッサージ棒で足裏をマッサージしながら。

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2017年5月17日 (水)

光あるところに影がある

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 170~

この春、人気エッセイ「soji の今日もワクワク」の著者として有名なsojiさんと、鎌倉周辺を散歩してきました。春の鎌倉は眩いばかりの陽光と、国内外からの観光客が溢れてましたが、sojiさんと歩いたのはその真逆の世界、陽の当たらない鎌倉のダークサイド。

旅のメインテーマは以下の4つ。どれも暗いものばかり。
・北条氏の陰謀
・末法思想
・鎌倉幕府の滅亡
・足利氏の残虐性

訪れたのは、護良親王が9ヶ月間も幽閉された土牢や北条一族870人が自害した東勝寺跡、そして、北条高時の腹切りやぐら、等々。歴史の暗部だけを巡る、気も滅入るようなツアーでしたが、「春の鎌倉観光」という眩しい日なたがあったからこそ、その陰に隠れた日かげの面白さとビジネスチャンスの可能性に想いを馳せることが出来た旅でもありました。

日なたと日かげは常に裏腹の関係にあり、日が差すとそこには日なたと同時に日かげが生まれます。陽光輝く「春の鎌倉観光」の陰に、ダークサイド鎌倉。まさに、光あるところに影がありました。

そんな今回の「鎌倉ダークサイドツアー」で深く感じたのは、その時点で脚光を浴びている日なたを攻めるよりも、日差しが作る日かげの方にもっと大きな面白さやビジネスチャンスがあるかも、ということ。特に、「春の鎌倉観光」のように強く眩しい陽光ほど、日かげの面白さが増すようです。

この旅の途中で連想したのは、なんと、19世紀の米国カリフォルニアで起きたゴールドラッシュ。当時、一獲千金を夢見てカリフォルニアに殺到した人々の中で、莫大な富を得たのはほんの一握りだけ。やがて金は採り尽くされてしまい、大多数の人々は何の儲けも無いまま故郷に帰らざるを得ませんでした。

そんな中、安定的に利益を獲得したのは、金を掘り当てた人ではなく、実は、押し寄せる金鉱掘りにジーンズやスコップなどの生活必需品を売った商人でした。ゴールドラッシュという陽光で生まれた日なたを金鉱採掘とすれば、その日かげに生まれたビジネスが金鉱掘り相手のジーンズ・スコップなどの生活必需品販売だったのです。

「鎌倉ダークサイドツアー」と「金鉱掘り相手の生活必需品販売」。この2つに共通するのは、日なたを避けて日かげを扱うためライバルとの直接競争が避けられること。みんなが日なたに注目している間に、日かげに注目し、そこに面白さを見いだす。そして、あわよくば稼ぐ。ここに日かげの大きなメリットがありそうです。

多くの人は明るい日なたに殺到するため、当然、日なたの競争は激化。陽光輝く「春の鎌倉観光」はメチャ混みな一方で、日かげの「鎌倉ダークサイド」は訪れる人がほとんど無くガラガラ状態。とかく日かげは嫌われるようです。でも、嫌われる分、他の観光客(=ライバル)が少なくてゆっくりと楽しめました。これは「金鉱掘り相手の生活必需品販売」と同じ構図かも。

もう1つ気付いた点は、日かげほどユニークさ溢れるものを生み出す可能性があること。「鎌倉ダークサイドツアー」と「金鉱掘り相手の生活必需品販売」ともに、誰も目を付けないスキマを狙うようなユニークさがあります。日差しが強ければ強いほど日なたと日かげのコントラストも鮮明になり、日かげのユニークさが際立ちます。

強い日差しで生まれる日なたと日かげ。光あるところに影がある。この2つを比べてみれば、新しい発想のヒントがあるかも知れません。

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2017年4月15日 (土)

「素数」って結構素敵

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 169~

北米大陸には13年おき、17年おきに一斉に現れる「周期ゼミ」と呼ばれるセミがいます。名前の通り13年ゼミは13年に一度、そして17年ゼミは17年に一度、一斉に成虫となって地上で繁殖と産卵を行うのです。言わば、13年ごと、17年ごとの大ベビーブーム。

私も米国滞在時、この大発生に遭遇したことがありますが、言葉では言い尽くせないほどのモノ凄い大群でした。木々の幹という幹、枝という枝には小ぶりのセミがびっしり。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」などといった風情はこれっぽっちも無く、むしろ恐ろしいくらいの雰囲気でした。

さて、この「周期ゼミ」、13と17が素数であることから「素数ゼミ」とも呼ばれます。素数とは、その数自身と「1」以外では割り切れる数がない数字のこと。ちなみに、「1」は割り切れる数が「1」しかありませんので素数ではありません。

以下に、素数を少し並べてみましょう。13と17もしっかりと入ってますね。
2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47、53、59、61、67、71、73、79、83、89、97、101、103 …

周期ゼミの大発生ですが、この「素数」にこそ意味があるのだ、との説があります。もし仮に、周期ゼミの発生頻度が「素数」の13年ではなく12年だとしましょう。12年は2年、3年、4年、6年で割り切れます。セミの天敵である鳥のライフサイクルは多くが2年~6年ですから、周期ゼミはそれこそ大量発生の年ごとに、毎回必ず、鳥などの天敵に襲われて食べられてしまうリスクがあります。12年ごとの大発生が毎回、天敵のライフサイクルと重なるからです。

ところが、13年や17年といった「素数」では、そのようなリスクが大きく軽減されます。例えば、13年ゼミが3年ライフサイクルの天敵に遭遇するのは39年に一度しかありませんし、4年ライフサイクルの天敵に遭遇するのは52年に一度しかありません。

「じゃぁ、なぜ、もっと小さい素数の7年周期や11年周期じゃないの?」との疑問があるかも知れません。おそらく北米大陸には、周期ゼミの天敵となる7年や11年ライフサイクルの鳥がいたのでしょう。同じライフサイクルですからセミの大発生のたびにかち合ってしまい、やがて、そのようなセミは淘汰されてしまったのかも知れません。

また逆に、「じゃぁ、なぜ、もっと大きい素数の19年周期や23年周期じゃないの?」との質問に対しては、こう答えるしかありません。「セミにとって19年や23年は長過ぎる」と。

短過ぎず、長過ぎずの「素数」、13年と17年。自然界の素敵なバランスです。「周期ゼミ」や「素数ゼミ」への興味は尽きません。こんな素数ゼミの存在に、これまで無味乾燥だった「素数」がグッと身近になった次第です。

ところで、話は大きく変わりますが、インドネシアの人口ピラミッド(年齢ごとの人口を表したグラフ)では、5歳おきに大きな突出(=人口増加)が見られるそうです。つまり、5年ごとの大ベビーブーム。そう、まるで北米の周期ゼミのように。

ヒトのライフサイクルは5年ではありませんから、インドネシア特有の何らかの文化的背景があるものと推察されます。例えば、インドネシアのある島で5年に一度大きな祭りがあって国民が熱狂し夜は…とか、日本の丙午生まれを避けるような迷信のせいとか。諸説ありますが、答えは定かではありません。

ちなみにインドネシアのベビーブーム周期も「5年」と素数ですね。ますます「素数」が身近になりました。素数の「素」は素敵の「素」。

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2017年3月20日 (月)

あぁ、聞き違い

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 168~

あちこちで卒業式を見かける季節となりました。私には、卒業式を見るたび、赤面してしまうような恥ずかしい思い出があります。それは卒業式の定番歌「仰げば尊し」。

♪ 仰げば 尊し ワガシの恩

私が小学生だった頃、青森の卒業式ではお祝いの紅白まんじゅうが配られてました。卒業式と言えば紅白まんじゅう。子供心にとても楽しみにしていたものです。

そのため「我が師の恩」を「和菓子の恩」だと、ず~っと誤解。卒業式に配られる「まんじゅうの恩」に、私は中学校まで感謝し続けた次第。

こんな聞き違いって大きくなってから指摘されると、その衝撃たるや物凄いものがありますよね。聞き違いとは、かくもコワいものです。こんな恥ずかしい聞き違い、他にもいっぱい。

唱歌「ふるさと」の「♪ うさぎ追いし、かの山」を「うさぎ美味し、かの山」や、童謡「赤い靴」の「♪ 異人さんに連れられて」を「いい爺さんに連れられて」などは、まだまだ序の口。

極め付けは手遊び歌「アルプス一万尺」の「♪ アルプス一万尺 こやりの上でアルペン踊りをさあ踊りましょう」。「こやり」を「子ヤギ」と聞き違え、「アルプス一万尺 子ヤギの上でアルペン踊りをさあ踊りましょう」と歌ってました。

子ヤギの上でどうやったら踊れるのか、とっても不思議に思いながらも歌っていたことを思い出します。今、子ヤギの上で踊ったら動物虐待で訴えられてしまいますね。

歌詞ではありませんが、恥ずかしい聞き違いはまだまだあります。

例えば「カタメ打ち」。野球などで、1試合に3本以上のヒットを打つことを「固め打ち」と言いますが、私はバッターが片目で打つ「片目打ち」だと思ってました。「へぇ~、イチローって片目で打ってるんだ~」と。

次は、仕事場で言われた言葉。冬の寒い中、コートも着ずに外出しようとしたら、隣のオジサンが私の服装を上から下まで眺め回しながらニコニコ一言、「ウス汚ねぇ~」。

突然投げつけられた暴言にかなりムッとした私でしたが、そのオジサンは別に悪びれる様子もなく相変わらずニコニコ。オジサンの言葉、実は「薄着だねぇ~」でした。

最後は、出張帰りに最寄りの空港へ向かう際、妙齢の女性タクシー運転手さんから言われた言葉。「あなたと最後まで行きます」。

一瞬、ギョッとして自分の耳を疑った私。ドキドキしながらもう一度聞き返しました。

女性タクシー運転手さんの言葉、実は「ANAだと最後まで行きます」。私を乗せたそのタクシーは、空港敷地の一番奥のターミナルビルへと向かったのでした。

あぁ、聞き違い。

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2017年2月20日 (月)

2人のオジサンに見るサラリーマン人生の晩節

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 167~

それは、私がまだ若く20代だった頃のこと(私にもそんな頃があったのです)。職場に50代後半のオジサンが事務職として異動してきました。

元営業マンと言うその方は、少しくたびれたスーツにお腹が突き出たポッチャリ体形を包み、ポマードで髪をバッチリ決めてました。そして、何より印象的だったのはタバコのハイライトをところかまわずスパスパ。

当時、私の職場は企業の研究所でしたから、職場の主な構成員は私のような研究者かその実験補助職の方々ばかり。他は、研究所長を筆頭に研究者出身の管理職。つまり、ほとんどの方が、白衣を着て研究や実験に関わっているような地味~な職場でした。

そんな職場へ、前述のオジサンはやってきたわけです。50代後半と言っても、ウワサでは営業現場でバリバリに働く敏腕営業マンだったとか。それが、ニッポン企業の年功序列と終身雇用制にドップリ浸かり過ぎ、いつしか現場を離れ管理職へ。そして、最後の御奉公の場、研究所へと事務職として送り込まれてきたらしいのです。

そのオジサン、60歳の定年を迎えるまでの数年間、研究所で勤め続けましたが、徹底的に「企業人生の余生」を楽しんでいるようでした。毎日の会社生活パターンはほぼ同じで、典型的な1日の過ごし方は以下の通り。

- 朝9時ごろ出勤し、まずはゆっくりお茶をすする
- お茶の後、午前中は、日経新聞や朝日新聞等の全国紙、そして業界紙を隅から隅までじっくりゆっくり目を通す。これで半日終了
- 11時半から午後2時ごろまで外でランチと喫茶店でコーヒー
- 午後は研究所の図書室に籠り、昼寝と読書三昧(専門誌などではなく持参の週刊誌を読んでました)
- 午後5時過ぎ、そそくさと帰宅

一見、人畜無害のようですが、元バリバリ営業マンとしてのプライドはかなり高く、頼まれた事務仕事は一切しません。決め台詞は「そんなのオレの仕事じゃない」。研究所の人たちからは「使えないオヤジ」と陰口をたたかれながらも、定年まで逃げ切った、それはそれは見事な企業人生でした。

そんな古き良き時代から幾星霜。

次は、私が30代半ばにさしかかった頃のこと。職場に同じく50代後半のオジサンが異動してきました。この方も営業出身で、しかも元部長。50代半ばで役職定年後、ひら社員としての勤務。

高級そうなオーダーメイドスーツに、ロマンスグレイの白髪混じりなフサフサ髪。ネクタイと色調を合わせた胸のポケットチーフなど、なかなかの紳士です。

当初、周囲はやっぱり「使えないオジサン」として見る目でした。ところが、その期待はすぐに裏切られます。それも見事に。

頼まれた事務仕事をテキパキとこなすだけではなく、さりげなく改善点まで提案してくれます。それも決して押しつけがましくなく。また、周囲が困っている時には、スッと現れてサッとアドバイス。うまく回り始めたらスッと消える。

更に驚いたことには、そのオジサンの周囲にはいつも誰かがいたこと。どうやら若手社員たちの困りごと相談に乗っていたようです。その際、決して自分の自慢話をせず、自らの過去の失敗談を面白おかしく語る。腰は低く、いつも御機嫌で。

このオジサン、研究所の人たちから大いに慕われながらも、60歳の定年を前に、他企業の幹部として引き抜かれて転職。それはそれは見事な企業人生でした。

そんな古き良き時代から、更に幾星霜。

不肖私も順調に年齢を重ね、当時のオジサンたちとほぼ同じ年齢になりました。でも、このオジサンたちの域に達するのはまだまだ。50代半ばを過ぎてもアクセクしてます。

2人のオジサンに見た、それぞれの見事なサラリーマン人生が羨ましいこの頃。逃げ切り人生は、夢のまた夢。

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2017年1月15日 (日)

振替輸送で楽しむバイパス発想

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 166~

通勤でJR中央線を使っているのですが、人身事故や自然災害で運転見合わせの時など、他の路線に振替輸送となります。ちょっと不謹慎な表現ですが、私はこの振替輸送が嫌いではありません。振替輸送の迂回路について、頭の中であれこれシミュレーションするのが楽しいのです。

もちろん、東京駅から私の自宅最寄り駅までは普段使っているJR中央線が最短所要時間なのですが、数回の乗り換えと少しの徒歩さえ厭わなければ、この中央線を全く使うことなく帰宅も可能です。いくつかのプランを紹介しましょう。

プラン1(京王線をメインとする経路):東京駅から山手線または京浜東北線で秋葉原駅へ → 地下鉄都営新宿線 岩本町駅まで徒歩 → 地下鉄都営新宿線へ乗り換え → 京王線へ直通運転 → 分倍河原駅でJR南武線へ乗り換え → 谷保駅から自宅まで徒歩

プラン2(西武新宿線をメインとする経路):地下鉄東西線 大手町駅から高田馬場駅へ → 西武新宿線へ乗り換え → 東村山駅で西武国分寺線へ乗り換え → 国分寺駅から自宅まで徒歩

プラン3(東武東上線をメインとする経路):地下鉄丸ノ内線 東京駅から池袋駅へ → 東武東上線へ乗り換え → 朝霞台駅からJR武蔵野線 新朝霞駅まで徒歩 → 武蔵野線へ乗り換え → 西国分寺駅から自宅まで徒歩

プラン4(JR京葉線・武蔵野線をメインとする経路):東京駅からJR京葉線・武蔵野線直通で西国分寺駅まで → 西国分寺駅から自宅まで徒歩

プラン5(JR横須賀線をメインとする経路):東京駅からJR横須賀線で武蔵小杉駅まで → JR南武線へ乗り換え → 谷保駅から自宅まで徒歩

プラン6(JR東海道線をメインとする経路):東京駅からJR東海道線で横浜駅まで → JR横浜線へ乗り換え → 橋本駅で京王線へ乗り換え → 分倍河原駅でJR南武線へ乗り換え → 谷保駅から自宅まで徒歩

以上紹介した6つのプランはあくまで代表的な経路。メイン路線前後の経路を変更したり組み合わせを変えたりすれば、更に選択肢は多くなります。

最も驚かれるのはプラン4。なんと、中央線と同様、1回も乗り換え無しで東京駅から西国分寺駅まで行くことが出来るのです。ただ、千葉県、埼玉県、東京・多摩地区をぐる~と周るため、所要時間は中央線の2倍以上もかかりますが。

さて、賢明な読者の方々は既にお気付きかも知れません。上に述べた全てのプランにおいてカギとなるのはメイン路線そのものではなく、南武線、武蔵野線、横浜線などの首都圏をぐる~りと巡る環状線であることを。

こんな大東京圏の環状線群を「東京メガループ」と呼ぶんだとか。「東京メガループ」は首都圏の辺縁部をぐるりと巡る路線網。JR各線や他の鉄道会社との乗り換え駅が多く、バイパスとして首都圏交通網の重要な一翼を担っているのが特徴。言わば、山手線の外環線のようなものでしょうか。

首都圏の鉄道網を考える場合、とかく都心から放射状に伸びる路線だけを中心に考えがちですが、実はこの「東京メガループ」こそがカギを握ってます。武蔵野線や南武線が持つバイパス発想を取り入れると、思わぬ遠距離の2つの地点が俄然近くなるのです。ちょうどアミダくじに太い横線を引いた感じでしょうか。

例えば、東京都八王子市と神奈川県横浜市。都心部を中心とした発想では八王子へ行くのは中央線で、横浜へは京浜東北線か東海道線と、経路がまったく異なります。両市を結び付ける発想は全くありません。

ところが実際は、八王子と横浜は横浜線一本で乗り換え無しで繋がっています。実はこの路線、かつて日本の絹輸出を支えたシルクロードでした。そのため八王子から更に、八高線で群馬県高崎市へと繋がります。

「東京メガループ」によるバイパス発想を用いると、都心を中心とする放射状発想では全く気付かないような繋がりが新たに見えてきます。こんな意外性、たまりません。振替輸送があるとバイパス発想を思いっ切り楽しんじゃう私です。

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2016年12月23日 (金)

酉年に鶏を想う

~ さかもっちゃんの知ったかぶりぶり165 ~

2017
年は酉(とり)年。そんな酉年にちなんで、鶏のコトワザや慣用句で2017年を占ってみました。

 

まずは「鶏口牛後」。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とも。大きな集団や組織の末端にいるよりも、小さな集団や組織の長として活躍する方を選べということ。

 

私はと言えば、「鶏口牛後」を目指し、日本の大企業から勇んで小さな外資系ベンチャーへ転職しましたが、最後は「鶏フン」となってしまいました。「鶏口牛後を目指すも鶏フンとなるなかれ」。

 

この「鶏口牛後」にはもう1つ別の説があります。

 

「鳥わさ」は新鮮な鶏ササミ肉を湯通しし、氷水の中にサッと漬けて冷やし、食べやすいようにカットし、ゴマや刻み海苔などと一緒にワサビ醤油をかけて食べるもの。実は、これって「牛たたき」とほとんど同じ作り方。

 

鶏はワサビとくっ付き「鳥わさ」、牛は叩かれて後ずさりして「牛たたき」。これが「鶏口牛後」のウラの意味 … とか。

 

冗談はさて置き、2つ目は「鶏群の一鶴」。多くの凡人の中に1人だけ抜きん出て優秀な人が混じっていることの例え。最初に挙げた「鶏口」になっても集団に埋没し「鶏群」になっちゃいけません。「鶏群」はインフルエンザにも弱いですし。

 

「鶏群」に似た言葉に「鶏サッカー」があります。決してフランス代表選手たちのユニフォームに付いている雄鶏マークのことではありません。ボールの周りに選手全員が群がってしまい、全体を見ずに統制が全くとれていないサッカーの例えです。

 

う~ん、なんか、鶏にまつわるコトワザにはあまり良いイメージがありませんねぇ。統制のとれない小者集団のようなネガティブなコトワザや慣用句ばかり。これでは2017年がちょっと心配。

 

ここで本エッセイを締めようかとも思いましたが、鶏の名誉のためにエピローグを急遽追加します。

 

「とり」は「とりこむ」と言われ、商売などでは縁起の良い干支とされています。また、「酉騒ぐ」は干支にちなんだ株式相場の格言で、酉年は株価の上下が激しく値動きの荒い年になるということを意味しています。変化こそ好機。

 

2017年も前向きに生きたいと思います。木鶏の如く。

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2016年11月19日 (土)

月島 - もんじゃ = ?

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 164~

豊洲で所用の後、「soji の今日もワクワク」の著者、sojiさんと隣駅の月島へ。休日のランチ散歩です。

月島と言えば御存知「もんじゃ焼き」の街。休日のランチどき、月島を訪れるほとんどの人のお目当ては、もちろん、もんじゃ焼き。目抜き通りにはもんじゃ屋さんがズラリと並び、さらに細い路地裏にまでもんじゃ屋さん。

有名店らしきお店の前には大行列、そんな人気店ではなさそうなお店にも人だまりができるほど。月島と言えばもんじゃ焼き、もんじゃ焼きと言えば月島。まさに「月島 = もんじゃ」。

さて、前置きが長くなりました。今回、そんな月島で、sojiさんと「もんじゃ抜きランチ酒」へ挑戦しました。もんじゃの街で「もんじゃ抜きランチ酒」は、はっきり言ってかなり無謀。でも苦労した分、いろんな発見がありました。

発見1:表通りのもんじゃ屋は見るからにもんじゃ屋と分かる店の作りですが、路地裏のもんじゃ屋は一目見ただけでは何の店だか分かりません。これらは以前居酒屋や喫茶店だった所がもんじゃブームに便乗して、もんじゃ屋へ看板替えしたためと思われます。

発見2:「月島 = もんじゃ」、街のイメージ戦略としてはこれ以上ないような大成功例と言えます。でも、こんなイメージが過度に固定してしまうと、街の多様化が進まない恐れも否定できません。もし、もんじゃブームが去ったら、「月島 - もんじゃ = 0」。

発見3:驚いたのは、もんじゃの街 月島に温泉があったこと。しかも料金460円と銭湯並み。「月島 - もんじゃ = 温泉」。

発見4:どんな街でも中華は定番。長い捜査の末、結局ランチにありつけたのは中華料理店。もんじゃの街 月島にも中華はあり、ちゃんとランチ酒(ビールと酎ハイ)にもありつけました。そこで、「月島 - もんじゃ = 温泉 + 中華料理店」。

発見5:「月島でもんじゃ抜きランチ酒」のような挑戦企画は面白そう。例えば「築地でサカナ抜き飲み会」や「神保町で書籍以外の掘出し物を見つける会」なども結構イケるかも。「ある街 - その街の名物 ≒ 0」であるほど挑戦しがいがありそうです。

sojiさん、ランチ酒へのお付き合いと、いろんな気づきをありがとうございました。「さかもっちゃん(私)x sojiさん = ランチ酒 + いろんな発見」。

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2016年10月21日 (金)

善意は時として人を思考停止に陥らせる

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 163~

先日、近所のスーパーで買い物の後、レジ袋に品物を詰めていた時のこと。見知らぬオバサンから、すれ違い様にいきなりキツ~い言いがかりをつけられました。

「あなた、いまだにレジ袋なんて使ってるの!? ぜ~んぜんエコじゃないわ!」

そのオバサン、言いたいことだけ言うと、スタスタとスーパーから出て行ってしまいました。反論する機会も無いまま、呆然と立ち尽くす私。

このオバサンの言動は「資源節約」との善意から出たものかも知れません。また、確かに最近、レジ袋をもらわずにエコバッグを持参する人が多いのは事実。でも、だからと言って、相変わらずレジ袋を使い続ける私のような人が、根拠のない批判を受ける筋合いはありません。

レジ袋を使うことは、そんなにエコに反することなのでしょうか? レジ袋を使わないことは、ホントに資源節約につながるのでしょうか? 元・研究者として憤然と立ち上がり、俄然、レジ袋について調べ始めた私でした。

その結果、判明した事実はとっても意外なものでした。

そもそもレジ袋は、石油成分の中で、以前は捨てていたような質の低い部分を使用していたのです。これまで用途が無くて捨てていたものを、頑張って新技術を開発し、残らず使えるようにしたものがレジ袋。

ですから、レジ袋を使わないことが石油資源の節約につながる訳ではありません。むしろその逆で、レジ袋を使ってあげる方が貴重な石油をムダなく使い切ることにつながるのです。言い換えれば、レジ袋は石油資源の有効活用に大きく貢献しています。

さらに調べて分かったことは、レジ袋追放はもっと大きい深刻な問題を社会にもたらしていること。

かつて、ゴミを捨てる時には使い古しのレジ袋に詰め込んで捨てるのが一般的でした。言わば、レジ袋の再利用。石油成分の中で用途が無くて捨てていたものを新技術でレジ袋にし、さらに、そんなレジ袋をゴミ袋として再利用していた訳です。これぞ、まさに資源の2段有効活用。

ところが今では、多くの自治体でレジ袋再利用に代わり新品の専用ゴミ袋の購入が必要になってしまいました。その結果、意図とは逆に、専用ゴミ袋製造に石油資源を浪費。これは全然エコじゃありません。

今回知り得た事実は、レジ袋に関する世間一般の常識とは大きくかけ離れたものでした。レジ袋追放はまったく意味が無いばかりか、むしろレジ袋をせっせと使うことの方が石油資源の有効活用につながり、新品のゴミ専用袋の無駄使いを抑制し、結果としてエコにつながっていたのです。

スーパーで出会った例のオバサンの私に対する発言は、実は反エコ行為そのものだったのです。誰かが提唱したレジ袋追放運動なるものを、自分では何も考えず頭から信じ込み、過激な行動に走る。善意は時として人を思考停止に陥らせる好例と言えるでしょう。

実は、同じような善意による思考停止が「割り箸」や「動物愛護」でも起きています。これらの話は、是非、次の機会にでも。

今度、スーパーであのオバサンを見かけたら、私は声を大にして言ってあげるつもりです。「あなた、いまだにレジ袋追放なんて言ってるんですか!? ぜ~んぜんエコじゃない!」、と。

エロオヤジならぬ、自称エコオヤジの戯言でした。

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2016年9月19日 (月)

東京都心の「分水界」

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 162

 

万物に恵みを与える水は、高いところから低いところへと流れます。雨が降れば水は地面に浸み込み、その雨水が泉から湧き出して川となり、やがて海へと注ぐ。上善は水の如し。

 

そんな雨水ですが、ある境界線のどちら側に降るかで流れ込む川が変わり、行き着く先の海が変わってきます。ほぼ同じ場所に降った雨水が、ほんのちょっとした違いで、片や太平洋へ、片や日本海へ。

 

そんな境界線を「分水界」と呼ぶとか。ちょっと聞き慣れない言葉ですが、そんな「分水界」として最もイメージしやすいのは、山の尾根でしょうか。

 

山岳地帯に降った雨水は、尾根を境に異なる方向へ別れ、場合によっては別々の違う川や水系に流れていきます。そのため、「分水界」になる山の尾根や稜線を「分水嶺」と呼びます。

 

「分水界」に「分水嶺」。コムズカシクもなんと魅惑的な響きを持った言葉でしょう。

 

ほぼ同じ場所に降った雨水が、尾根や稜線を境に全く別の運命を辿る。そのため、「分水界」や「分水嶺」は様々な運命の分かれ目の例えとしても使われます。季節の変わり目などの軽いものから、人生の岐路、そして、究極は生と死を隔てる境目や生物進化の方向性まで。

 

さて、そんな運命の分かれ目の「分水界」ですが、東京にもあります。しかも、東京都心に。

 

それは、皇居西側にある半蔵門。国道20号(新宿通り、甲州街道)の起点です。江戸城内濠の水はこの半蔵門を「分水界」として、北は半蔵濠、千鳥ヶ淵、清水濠と時計回りに、南は桜田濠、凱旋濠と反時計回りに流れています。

 

半蔵門の北側に広がる半蔵濠は、江戸城内濠の中では水位が最も高い場所。半蔵濠の水は千鳥ヶ淵へ注ぎ、九段坂に沿って牛ケ淵を流れ、そして、千代田区役所近く清水門脇の水門から日本橋川方面に流れ出て行きます。

 

一方、半蔵門から南方向の桜田濠側を望むと、見事な高度感のある雄大かつ壮大な景色が広がります。右手に霞ヶ関官庁街、そして正面彼方には丸の内ビル群。まさに東京都心の「分水界」を実感出来ます。

 

人生の岐路に立ったとき、この半蔵門を訪れ、東京都心の「分水界」に想いを馳せてみるのはいかがでしょう。

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