カラフルエッセイ  さかもっちゃんの知ったかぶりぶり

2019年9月22日 (日)

大阪レポート (その1)

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 198~

大阪へ拠点を移して、早くも2ヶ月近くが過ぎました。梅雨明けの直後、気温37度を越える猛暑の中での大阪暮らしスタートでしたが、そんな暑さもやっとピークを越え、ときおり爽やかな秋風が吹き始めています。

家族を東京に残した単身生活の寂しさはありますが、生活に、仕事にと、やっと余裕が出てきた今日この頃。初めての大阪暮らしで気付いた、あんなことや、こんなことを、メモ代わりにまとめてみたいと思います。

大阪で暮らすのは初めてですが、この2ヶ月近くの間、もっとも驚いたのは、何気ない風景の中の不思議。大阪の街には不思議がいっぱいでした。

まずは、毎朝の通勤で乗ってる地下鉄 御堂筋線。その行き先は「なかもず」。この「なかもず」を漢字では「中百舌鳥」と書きます。つまり、「もず」が漢字では「百舌鳥」で、漢字3文字に読みがな2文字なのです。

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漢字3文字に読みがな2文字の他の例として、一般名詞では「香具師」と書いて「やし」と読む例などがありますが、地名では他には無いかも。大阪で最初の不思議でした。

次の驚きも地下鉄。駅のホームになんと百葉箱がありました。百葉箱とは、温度や湿度などの気象観測のために設置する箱のことで、よく小学校や中学校の校庭で見かけたもの。とってもアナログで、ノスタルジック。

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このデジタル時代、近代的大都市の地下鉄駅に、まさかの百葉箱。このミスマッチな光景が大阪で2つ目の不思議でした。

さて、3つ目の不思議は、オフィス街のビルの真ん前に立つナゾの鳥居。周囲を見渡しても神社らしきものは見当たりません。

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このビルの1階は駐車場ですから、車を出す際、この鳥居がかなり邪魔そう。そんな不便にもかかわらず、ドシンと鎮座するナゾの鳥居、それにしても不思議な光景です。

こんな3つの不思議を、大阪生まれで長年大阪にお住まいの方、何人かに話してみたところ、「そんなモン、あるの?」と逆にびっくりされました。さらに、「今まで、気に留めたことすら無かった」とも。彼ら彼女ら大阪人にとって、これら3つは、幼少の頃から見慣れたあまりにもありふれた光景だったため、気にすることすら無かったようです。

このように、ず~っと大阪にお住まいの方には見えないモノが、私に見えたのは、きっと私が「よそ者」だからでしょう。これからも「よそ者」の視点で、大阪の不思議や良いところを見つけていきたいと思います。続報に御期待を。

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2019年8月17日 (土)

定年退職はアポトーシスのようなもの

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 197~

不肖私、先月末(2019年7月末)に還暦を迎え、定年退職となりました。60歳になったら定年と言う事実は、私が社会人となった30数年前から決まっていたことであり、これは言わば「あらかじめプログラムされた運命」のようなもの。

話題は跳びますが、生物学や生命科学の専門用語に「アポトーシス」という、ちょっと舌を噛みそうな発音し辛い言葉があります。新聞の科学記事等で目にする機会があるのではないでしょうか。

アポトーシスとは、「あらかじめプログラムされた細胞死」のこと。オタマジャクシがカエルに成長する過程で尻尾がなくなることは「あらかじめプログラムされた」尻尾細胞の死ですから、アポトーシスの典型例として良く知られています。

アポトーシスの他の例としては、昆虫のサナギから成虫への変態や胎児の指の形成などが知られています。オタマジャクシの尻尾、サナギから成虫への変態、胎児の指形成に共通するのは、いずれも生物の成長過程で必要な現象であること。

生物の成長過程には、新たに細胞が生まれるだけではなく、オタマジャクシの尻尾のように、「あらかじめ死ぬことを運命付けられた細胞の死=アポトーシス」が必要なのです。

さて、冒頭の定年退職、そして、アポトーシス。これら2つに共通するのは、どちらも「あらかじめプログラムされた運命」であること。さらに、定年退職を「古い私の終焉」と考えれば、どちらも生物の成長に伴う現象と捉え直すことも出来ます。その意味で、定年退職はアポトーシスのようなもの、と言うことが出来るでしょう。

定年退職がアポトーシスと同様にあらかじめ決められた運命なら、私と言う生物の成長過程の1つとして定年退職をもっと前向きに捉え、この機会を最大限利用しようと思います。オタマジャクシからカエルへの成長、サナギから成虫への成長、胎児の成長などなど、アポトーシスを踏み台に大きく成長する生物のように、私も定年退職を踏み台に更なる成長を目指します。

定年退職もアポトーシスも成長への一過程。乞う御期待。

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2019年7月21日 (日)

手ぶら通勤の試み

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 196~

この2カ月間ほど、私が自主的に試みている社会実験があります。それは手ぶら通勤。そうです、通勤時にカバンも本も持つことなく、両手が空いた状態での通勤です。もちろん、雨の日に傘をさすことはOKとしてますが。

私が手ぶら通勤を始めたきっかけは、人身事故で電車が止まり、帰宅時の電車が激混みだったこと。持っていたカバンが人混みに巻き込まれ、取っ手がちぎれてしまいました。「こりゃ、なんとかしなきゃ」と考えた私は、極端な対策を試してみることにしました。それが手ぶら通勤。

この2カ月間で感じた、そんな手ぶら通勤のメリットとデメリットについてまとめてみました。

メリット

1 両手が空いてるため、混んでる電車内でも吊り革を掴めて安定

2 早足ウォーキングが出来るため、通勤時間に効果的な運動が出来る

3 両手が自由に使えるため、気分が爽快で前向きな気持ちになる

デメリット

1 新聞や本、資料などの持ち運びが出来ない

2 財布をポケットに入れるためポケットが膨らんでしまう

3 ビジネスマンとして認識してもらえない

デメリットの1と2は結構大きな問題でしたが、最新のテクノロジーが解決してくれました。全てデジタル化し、スマホを活用するのです。

本や新聞を持たない通勤は、手ぶら通勤を始めた当初は少し心理的抵抗もありましたが、慣れてしまえばスマホでサクサク読むことが出来ます。まさに、習うより慣れろ。

さらに、スマホによるキャッシュレス決済で、財布の中の現金も最少限に。これでポケットが膨れることも無くなりました。

とっても意外だったのは、デメリットの3つ目「ビジネスマンとして認識してもらえない」。カバンを持たないで通勤していたら、家族から「今日、仕事は?」とか「今日は休み?」と聞かれてしまったのです。カバンはビジネスマンやビジネスウーマンらしく見せる必須アイテムだったことをあらためて認識させられた次第。でも、このデメリットは私の受け取り方次第ですので、そのうち慣れちゃえば全く問題無くなり、デメリットではなくなりました。

最後に、メリットの3「両手が自由に使えるため、気分が爽快で前向きな気持ちになる」。これが期せずして最大のメリットでした。ヒトは両手が自由に使えるからこそ文明を発達させることが出来ましたが、それは気分が爽快になり前向きな気持ちになることが動機だったのかも。

2カ月の試行期間を終えた手ぶら通勤ですが、メリット・デメリットを総合的に勘案すれば、デメリットは十分カバー可能でメリットの方が遥かに大きいでしょうか。手ぶら通勤、もうしばらく続けてみます。

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2019年5月20日 (月)

義父(妻の父)が書き遺したこと

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 194~

先日、義父(妻の父)が家族に見守られながら、91年の生涯を静かに閉じました。

私たち家族の手元に残されたのは、「書き遺すこと」と題された1冊のノート。昨今は終活ノートやエンディングノートと呼ばれるようですが、そんな名前が定着するはるか前、20年以上も前から書き続け、必要に応じその都度更新してきたようです。更新箇所はキチンと赤字の二重線で見え消しされ、更新日と署名印鑑も入れるという念の入れよう。

義父自身の生い立ちから学生時代のこと、そして仕事の喜びと苦労、友人など周囲への感謝、望む葬式スタイル、遺影で使って欲しい写真、財産一覧を綴っていますが、中でも目を引いたのは家族への強い想い。

義父の妻(つまり、私の妻の母)や両親(私の妻の祖父母にあたります)、兄弟に始まり、2人の娘たち(私の妻とその妹にあたります)、孫たち(私の子供たちも含まれてます)への愛情が溢れていました。そして、なんと、娘たちのそれぞれの夫(私も含まれてます)への感謝まで書かれていたのです。

「この困難な時代にあって、娘とその子供たちを路頭に迷わすことなく、これまで良く守ってくれて、ありがとう。これからも家族仲良く」と。これには妻ともども涙が止まりませんでした。

思えば、義父は旧日本陸軍の将校を養成した陸軍士官学校最後の入学生となる第61期生でした。この61期生は戦況悪化著しい昭和19年から20年にかけて入学し、直後に終戦を迎えた陸士最終期にあたります。

そのため、日本の敗戦とともに卒業を待たずに「復員」。旧日本陸軍の士官候補生として国運を背負いながらも戦場を知らずに終戦を迎えました。終戦直後、士官学校そのものが無くなり帰郷が決まった義父たちは、教官からこう語りかけられたそうです。「銃をペンに持ち替えて、祖国再建と家族に尽くせ」。

戦争末期、まだ10代後半だった義父たちは憂国の念にかられ燃えるような使命感を持っていましたが、その使命感が陸軍士官として戦場で発揮されることは遂にありませんでした。そして、その強い使命感は、戦後の復興へと向けられたのでした。その後の義父の人生は、まさに企業戦士そのもの。家族のため、戦後の復興と高度経済成長を支えた原動力の一人と言っても良いでしょう。

昭和の初めから平成の終わりまでを見届け、令和の先も家族の幸せを祈りつつ、静かに生涯を閉じた、それはそれは見事な義父の一生でした。合掌

 

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2019年3月23日 (土)

サバ缶でサバイバル

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 192~

海外へ旅に出かける時、私は必ずサバの缶詰、いわゆるサバ缶を1つ持っていきます。まぁ、ここまではよくある話。誰しも海外の旅先で、日本の味は恋しくなりますからね。

さて、ここからが(おそらく)私だけに特別の話。なぜなら、海外の旅先で、私はこのサバ缶を決して食べません。食べないまま、日本へ持ち帰ります。このサバ缶は、私にとって言わば「旅のお守り」のようなもの。

サバ缶を旅のお守りにするようになったのは、40年以上も前に読んだ「一切れのパン」という作品の影響から。確か、中学校の国語の教科書に載っていた短編小説です。作品自体はネット検索ですぐ出てきますので、詳細をお知りになりたい方はそちらを御覧いただくとして、私の記憶している限りで作品の概要を以下に書いてみます。

第二次大戦中、主人公の男が捕虜収容所に送られる貨車から逃げ出します。逃げ出す際、同乗のラビ(ユダヤ教の司祭)に、「(ユダヤ人である)あなたは一緒に逃げないで、このままルーマニア人として捕虜のままの方が生き残れます」と、貨車に残ることを勧めます。貨車に残ることにしたラビは別れ際に、お礼としてハンカチに包んだ「一切れのパン」を差し出しました。

その時のラビの言葉は、今でも私の心の奥に深く刻まれています。少し長くなりますが、ここは原文のまま引用させて下さい。(以下、「一切れのパン」 F・ムンテヤーヌ著 / 直野 敦訳から引用)

「あなたに一つだけ忠告しておきましょう。そのパンは直ぐに食べず、できるだけ長く保存するようになさい。パン一切れ持っていると思うと、ずっと我慢強くなるもんです。まだこの先、あなたはどこで食べ物にありつけるか分らないんだから。そして、ハンカチに包んだまま持っていなさい。その方が食べようという誘惑に駆られなくてすむ。私も今まで、そうやって持って来たのです」

逃げる途中、主人公は体力の限界と空腹による飢えから何度もそのパンを食べようとしますが、その度、ラビの忠告を思い出し我慢し続けました。そして、遂に、安全な我が家まで逃げてから包みを開けてみると、中から出てきたのはパンではなく、「一片の木切れ」でした。

「一切れのパン」のような希望があると人間は強くなれるんだ、と、中学生だった私は強く思いました。それから幾星霜。そう、冒頭のサバ缶は、私にとって、まさにこの「一切れのパン」なのです。

海外には、日本のようなコンビニがあちこちにあるわけではありません。そのため、時には空腹のまま一晩を過ごさざるを得ない日もあります。そんな時はサバ缶の出番。サバ缶のような希望があると人間は強くなれます。

サバ缶でサバイバル!

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2019年2月24日 (日)

亥年にブタを想う

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 191

遅ればせながらですが、今年2019年は亥年。日本では十二支の「亥」といえばイノシシですが、中国ではブタを指します。十二支が中国から日本へ伝来した当時、未開の地だった日本にはまだ食用の家畜ブタが存在しなかったため、ブタの代わりに野生のイノシシを当てはめたことに由来します。

ブタ(学名 Sus scrofa domesticus)は生物分類学的には偶蹄目イノシシ科の動物で、原種であるイノシシ(学名Sus scrofa)を飼い馴らし家畜化したもの。学名に示されているように、生物学的にはまったく同じ種となります。

イノシシは雑食性で何でも良く食べ、しかも肉が美味しかったことから、農耕定住民により早くから家畜化されました。その家畜化の過程で、野生イノシシは文字通りキバを抜かれ、脂肪でぶよぶよに太った家畜ブタに成り下がってしまった次第。

ブタの原種であるイノシシは、東京近郊でもその野生の姿を比較的簡単に見かけることが出来ます。東京都西部の多摩地域や埼玉県の秩父地域には野生イノシシが多数生息していますし、ブタもイノシシも日本中どこでも見かけることが出来ます。実は、ブタとイノシシのように、家畜とその原種の両方を簡単に見ることが出来る動物はそれほど多くはありません。

ブタと同じく古くから家畜化されたニワトリやウシ・ウマですが、日本でその原種を見かけることはほとんどありません。これらの原種を御存知の方は少ないのではないでしょうか。

ニワトリの原種セキショクヤケイ(赤色野鶏)は東南アジアの山奥にしか生息していませんし、ウシやウマの原種は既に絶滅してしまいました。イヌやネコの原種も同様、中々見られませんよね。その意味で、家畜とその原種の両方を簡単に見ることが出来るイノシシとブタは特別な存在で、日本人にとって非常に身近なわけです。

さて、こんなブタとイノシシですが、ブタを野に放った場合、数世代後にはイノシシに戻ってしまうというのは意外と知られていません。先ほど、イノシシは「家畜化の過程で、野生イノシシは文字通りキバを抜かれ、脂肪でぶよぶよに太った家畜ブタに成り下がってしまいました」と書きましたが、驚くべきことに、なんと、家畜化の逆のパターン、すなわちブタからイノシシへの先祖返りも可能なんです。

ブタが野生化すると全身に剛毛が生え、キバが伸び始めて見た目がイノシシと同じようになります。食事もイノシシと同様、土の中にいる虫や植物の根っこを食べるようになります。環境の変化に応じて先祖返りし、見事に適応し生き残るブタ。こんな素晴らしい柔軟性と適応力に富んだ家畜、ブタの他にはいません。

ウマやウシ、ニワトリなどは人間の世話が無いと生きながらえることが出来ません。完全に家畜に成り下がってしまったのです。まさに「社畜」のよう。イヌやネコにしても、数世代後にオオカミやリビアヤマネコに先祖返りして野生で生き残る訳ではありません。ブタ以外の家畜は、人間あっての命なのです。

そんなワイルドなイメージを、まるまると太ったブタからは全く想像できないかも知れません。でも、ジブリ映画「紅の豚」のハードボイルドな主人公で飛行艇乗りのポルコ・ロッソこそが、まさに、そんなワイルドなブタのイメージにぴったりかと。

そのポルコの名セリフに、「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」があります。この言葉通り、確かにブタは飛べません。でも、イノシシに先祖返りしてまで環境に適応して生き残りをかけるブタは、飛ばなくても決して「ただの豚」なんかじゃありません。

今年2019年 亥年、年男の私はブタからイノシシに変化します。「イノシシになれねえ豚は、ただの豚だ」を心に刻みながら。

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2018年12月24日 (月)

個人名刺づくり

~ さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 189 ~

最近、勤め先の名刺の他に、プライベート名刺を作ることにしました。いわゆる個人名刺ってやつです。

これまでも、文字通り手作りで私の個人名刺を作ったことはありました。ただ、かなりの独りよがりで作りましたので、自己紹介のためと称して自分の好きなものや趣味をズラズラと羅列しただけのお粗末なもの。「相手の記憶に残る名刺」と言うよりは、「相手の記録に残してもらうための名刺」に過ぎませんでした。

そこで今回は一念発起。知り合いのデザイナーの方から個人名刺のカウンセリングを受けることに。当初は名刺デザインを工夫する程度の軽~い気持ちでしたが、デザイナーさんと一緒に話し合う中で意外な発見と驚きがありました。

それは、このデザイナーさんの名刺カウンセリングの進め方。ただ単に私好みの名刺デザインを話すだけではなく、私が子供の頃に遊んだことや好きだったことから聞き始めたのです。

生まれ故郷への愛着から両親・祖父母や兄弟の思い出などなど、懐かしい想いがどんどん引き出されていきます。それらをせっせとメモするデザイナーさん。

やがて、テーマは仕事の話に移り、その仕事を選んだ理由や想い、仕事に対する姿勢などが次々とメモ欄に。将来、どうしたいか? どうありたいか? 更にその先には…

自分の想いやミッションがだんだんカタチになってくると、自分がやりたいことやビジョンのイメージがどんどん見える化して具体的になってくる不思議。ぼんやりとしたことが明確になり、これからやりたいことがしっかり固まってきます。これは、まさに「人生のデザイン」。

気が付けば、そのデザイナーさんとの打ち合わせは合計5回10時間ほどに達しました。おそらく彼は、私について、私自身と私の家族に次いで最もよく知る他人の1人でしょう。デザイナーさんの仕事は名刺の図案作成や配色だけではありませんでした。もっともっと広い意味での「デザイン」の大切さを学びました。

さて、ようやく出来上がった個人名刺。そこには私の過去・現在・未来に対する想いと希望が詰まっています。これからミッションを形にして、ビジョン達成へ向かっていけそうです。

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2018年11月21日 (水)

故郷 津軽のラーメン

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 188~

寒さが増すとともに、ラーメンが恋しい季節になりました。日本各地にご当地ラーメンと呼ばれるものがありますが、我がふるさと青森にも「津軽ラーメン」があります。

博多ラーメンや喜多方ラーメンのように全国レベルで有名なラーメンではありませんが、地元 津軽の人々に愛されしっかりと定着しています。ちなみに、私は青森へ帰省の際、必ず3杯以上食べるのが津軽ラーメン。

津軽ラーメンの最大の特徴は、独特の「焼き干し」ダシを使った醤油ベースのスープ。津軽の「焼き干し」とは、陸奥湾で獲れたカタクチイワシやウルメイワシの小魚を炭火で焼いて天日で乾燥させたものですが、とっても手間ひまがかかります。そのため今では超高級品扱い。「焼き干し」の市場流通価格は、「煮干し」のなんと10倍もするんだとか。こんな昔ながらの「焼き干し」を1杯500円程度の津軽ラーメンに使い続けるのは経済的にかなり厳しいはずですが、これも津軽人の「ジョッパリ」(強情っぱり)精神らしいです。

私を含めて、青森の人々はこんな手間ひまかけた焼き干しダシがたまらなく好き。多くの店では、焼き干しダシの「酸味、苦味、臭み」を独特の風味としてセールスポイントにしているくらいです。津軽人にとっては、この「酸味、苦味、臭み」こそがラーメンなのです。

以上のように、津軽名物 「焼き干しラーメン」は青森県民のソウルフードなのですが、ここに1つ大きな落とし穴があります。

それは、スープが濃厚ドロドロで飲み干すと塩分摂取過多なこと。こんな津軽ラーメンをラーメン好きな津軽の人は、年間に数十杯と食べ、そしてスープも飲み干してしまいます。そんなラーメン好きが「日本一の短命県 青森」の要因の1つとなっているのは想像に難くありません。決してラーメン自体がカラダに悪い訳ではありませんが、食べ過ぎればそこには塩分摂取過多による高血圧や腎疾患、胃がんなどの病気が待ってます。

さて、話は変わりますが、中国では誕生日に麺を食べる習慣があります。これは「長寿麺」と呼ばれ、長~い麺に長寿祈願を重ね合わせたもの。同じような習慣は日本の一部地域にも残っていますが、ここでの麺類は長生きの象徴。

一方、津軽ラーメンも立派な麺類ですが、長寿どころか、食べ過ぎれば塩分過多で短命へ真っ逆さま。同じ麺類なのに長寿と短命の両極端に分かれるのは、何という皮肉でしょう。

厚生労働省が公開している都道府県別生命表によりますと、青森県男性の平均寿命は77.28歳とダントツの短命で、1975年からずっと全国最下位。私も青森生まれの男として「短命日本一」を背負ってます。

でも、私は敢えて言いたい、「今後も私は濃厚ドロドロの津軽ラーメン食べ続けて、太く短く生きる」と。

そして、付け加えたい、「津軽ラーメン食べられないくらいなら、早死にしてもいい」と。

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2018年10月21日 (日)

運動は素敵だ

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 187~

私、最近、トレーニングジムにはまっています。実は、高校時代を最後に運動から遠く離れていた私ですが、本格的な運動を再開したのは、なんと、ほぼ40年ぶり。

その動機はこの夏のこと、ある、やむなき事情から。定期健康診断の後に、医師から告げられた言葉を忘れることが出来ません。

「あなたの内臓脂肪は明らかに増え過ぎです。このままだと膝や腰に負担がかかるだけでなく、食道や他の内臓をも圧迫しています。内臓脂肪を何とかしなければ早死にしますよ!」。

まだまだ死ぬ訳にはいかない私は、これまでの堕落し切った生活を心から悔い改めることにしました。そんな私が向かったのは自宅近くのトレーニングジム。以前からジム通いを続けていた妻が、強く勧めてくれたジムです。

そこから、私のジム通いが始まりました。最高気温が35度を超えた猛暑日も、台風が襲来した暴風雨の日も、1週間に平均3回のペースを守り続けました。1回当たりほぼ2時間。典型的な2時間の過ごし方は以下のような感じ。

まずは、ストレッチしながら雑談
→ 筋トレを40分ほどかけて、ひと通り
→ 休憩
→ 有酸素運動たっぷりと連続40分間
→ 休憩
→ 雑談しながらストレッチ
→ 露天風呂でマッタリ
→ 休憩室で寛ぎながら雑談

こんなジム通い開始から、はや3カ月。当初は内臓脂肪を減らすため医師からの脅迫からイヤイヤ始めた運動ですが、このところ劇的な変化が見られ始めました。体脂肪がかなり減り、筋肉量が劇的に増えたのです。

期待通りに身体は変化し続けていますが、想定外だったのは、他にも思わぬ変化と予想外の新たな発見があったこと。

1 .さんざん悩まされた肩こりがほぼ無くなりました

2. 運動後の爽快感がたまらなく好きになり、こんな状況を与えてくれた医師と妻に「ありがとう」との感謝の気持ちが自然に湧き上がってきました

3. 運動中は集中して身体のことだけを考えるため、仕事などのストレスが減り、「人生なんとかなる」との気持ちが強くなりました

4. その結果、行動や考え方が前向きになり、「何でもやってみよう」との強い意欲が湧き出てきました

5. 以上のような身体と心の変化を感じる中で、「ありのままの自分」を肯定的に捉えられるようになりました

身体だけでなく心にも効く運動。老後の楽しみがまた1つ増えました。

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2018年9月24日 (月)

JR一筆書きの旅

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 186~

JR有楽町駅から東京駅までの運賃140円だけで、1都3県(東京、神奈川、埼玉、千葉)を制覇しちゃいました。非合法なキセル乗車なんかじゃありませんよ。JRの駅員さんにも堂々と申告出来る合法的な方法で、です。

有楽町駅から東京駅は山手線でわずか2分、運賃140円ですが、「大回り」という乗り方があります。経路が重複せず、一筆書きの経路であれば、同じ値段(140円)で「大回り」して何時間でも電車に乗れるのです。こんな乗り方をモノ好きな人たちは「JR一筆書きの旅」と呼びます。

「JR一筆書きの旅」は、実際に乗る経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車できるという、ルールを逆手にとった遊び方。まぁ、たった1駅を移動するために遠回りに挑む、究極のヒマ潰し(← 我が妻の言葉)とも言いますが…。

さて、今回の「JR一筆書きの旅」ですが、モノ好きな仲間2人とともに、有楽町発14時30分から東京着18時30分までの約4時間の長旅にチャレンジしました。経路は以下の通り。

有楽町 → (山手線) → 新橋 → (東海道線) → 川崎 → (南武線) → 府中本町 → (武蔵野線) → 南船橋 → (京葉線) → 東京

最も大変だったのは、府中本町から南船橋までの武蔵野線区間。この区間の乗車時間は1時間30分と最長。そのため、座り続けて腰が痛くなってしまいました。幸い、仲間3人の旅でしたので、次回の旅企画などを語り合いながら気分を紛らわすことが出来たのが救いでしたが。言い換えれば、腰痛との闘いこそが「JR一筆書きの旅」の一番の醍醐味でもありました。

一方で、この武蔵野線での1時間30分の間、とても興味深い発見がありました。それは、乗車客で混みあう区間が見事にバラついていたこと。通常、都心から郊外へ向かう電車では、郊外になるに連れて段々電車は空いてきます。ところが武蔵野線ではそれがありません。

始発の府中本町ではガラガラだった電車が西国分寺でほぼ満員状態となり、新秋津や北朝霞にかけて段々ガラガラに。そして、武蔵浦和や南浦和で再び満員状態となり、南流山や新松戸にかけてガラガラに。最後は西船橋で3度目の満員状態。まるで呼吸しているかようにリズム感あふれる武蔵野線でした。

そして、もう1つの楽しみ。それは乗り換え駅でのエキナカ巡り。私は駅構内のエキナカ巡りが大好きで、今回も大いに期待していました。ところが、実際は失望の繰り返し。

東海道線から南武線に乗り換えた川崎駅構内だけは期待通りの立派なエキナカに驚きましたが、その後の府中本町や南船橋ではガッカリの連続。人は立ち食い蕎麦だけでは生きられません。甘いスイーツ系も必要です。エキナカが有名な立川や西国分寺でも降車するような工夫が必要だったかも知れません。

最後に、次回の目標で締めます。次は、同じ140円で、もっと大回りして関東1都6県の完全制覇を目指します。今回の1都3県(東京、神奈川、埼玉、千葉)に加えて、北関東の3県、群馬、栃木、茨城を回ってみようかと計画中。当然、もっともっとローカル色が強くなりますから、乗り換え時間が長くなるなどして、おそらく3倍以上の時間を要するはずです。

究極のヒマ潰し(← 我が妻の言葉)への挑戦、まだまだ続けます。

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