カラフルエッセイ  わさくの悪知恵

2017年6月10日 (土)

還暦を迎えて

~ わさくの悪知恵 201

前回の投稿をお休みさせていただいた。ご容赦を!

この2ケ月、少し身の回りに変化があったためで、今回の投稿にてその辺を察していただければ幸いだ。

まず4月。この私も還暦を迎えた。まだまだ先の事だと構えていたが、現実はやって来るものだというのが実感だ。

仕事の方は一旦「定年退職」をした形で、5月からは「契約社員」扱いで今までとほとんど変わりなく日々を過ごしている。しかしながら、当然の収入ダウンだ。今後現収入で生活していく良きルーティンを早く見つけたい。

高齢者雇用の年金の一種が申請ができるというので手続きしたが、その中で「退職届」を提出したのが意外だった。

そうこうしているうちに5月の連休明けに我が父が亡くなった。享年86歳。6月1日が誕生日だったので、そこまでもってくれればという願いはあったのだが・・・

昨年11月のはじめに実家の玄関先で転倒し、入院。脳挫傷との診断。その後入院6ケ月、結局肺炎で亡くなった。最期に立ち会えたのが救いだ。

あらかじめの予測を病院から知らされていたので、その後の葬儀などの手配は割とスムーズに運べたと思っている。

葬儀は家族葬にしたため、親戚達と送り出した形だ。

これから49日の法要があり、納骨の段に移る。お墓も父の故郷にある群馬ではなく、実家近くの市の霊園にほぼ決まっている。

幸い我が母が高齢の割にかなりしっかりした人物なので、色々な手続きをこなしてくれている。頭が下がる思いだ。

ただなるべく一人にさせたくないため、私と家人、またはどちらかが夜実家に立ち寄る日々が続いている。我が家から徒歩でも5分以内なのでそれが可能だ。そして私が一応長男なので・・・

父が亡くなった当初、近所の主に老人会の方々が立ち寄ってくれてお線香をあげてくれるのは有難かったのだが、どなたも結局最後は「ご自分」の事のマシンガントークになってくるのには参った。

電話でこれをやられる方もいて、気丈な母もくたびれ果ててしまわないかと心配だった。

母とはとにかく「ひとつひとつゆっくり無理なく対処していこう」と話し合っている。

また、群馬の従妹が私が見たこともない我が祖父の履歴書や家族の写真を持ってきてくれ、今まで知ることのなかった父の歴史を認識できたのも感慨深いものになった。

しばらくはこんな日々が続いていくかと思う。

次回からは通常のエッセイ「ネタ」を提供できればと思っている。

今後ともお付き合いのほど、どうぞよろしく<m(__)m>

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2017年5月11日 (木)

ご連絡

カラフルエッセイをいつもご愛読ありがとうございます。
今月の「わさくの悪知恵」は、筆者の都合によりお休みします。

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2017年4月 9日 (日)

祝!?200回目

~ わさくの悪知恵 200

早いものでこの「わさくの悪知恵」も今回で200回目の記念入稿となる。

月1ペースだから足かけ17年になるのか?

17年前というとちょうど西暦2000年だ。

ちょっとその年まで戻って、振り返ってみたい。

世間の出来事としては‣・・・

●コンピューターの2000年問題が注目されたが、大きな問題などは起こらず年越し(1月)

●小渕元首相が脳梗塞で緊急入院~森政権誕生。小渕氏は5月に死去。(4月)

●その森元首相が「神の国」発言。(5月)

●第一ホテルが倒産(5月)

●皇后様崩御享年97才(6月)

●新紙幣2000円札発行(7月)

●横山ノック元大阪都知事が強制わいせつ罪で有罪判決(8月)

●シドニーオリンピックでQちゃんこと高橋尚子さんがマラソン金メダル(9月)

●アナログ携帯電話が日本からすべて消滅(9月)

●プロ野球日本シリーズは注目のON監督対決。長嶋巨人に軍配
(11月)

●民放BS局が開局(12月)

皆様それぞれに思いを浮かべる出来事だろうが、個人的には、あの「2000円札」は今?と思ってしまう。

私個人的な出来事で思い出されることは・・・・

まずはこのエッセイを書き始めたことだろうか。日々の生活の中でそれまで何気なく見過ごしていたような事も少しは違った角度から見つめ、何とか「ネタ」として活用できないかとうろうろしはじめた頃だったと思う。最初の頃はその「ネタ」収集に少しばかり苦労した事を思い出す。

仕事ではストレスを今までで一番抱えた年だったと思い返せる。ちょうど16年携わった営業職を離れ、別の業務に携わり2年目。新しく立ち上がった事業にも携わり、休日出勤も多々あり、さらに自分には適正ではないと思える仕事の数々でストレスがピークに達していた頃かと思う。幸い翌年に社長が変わり、同時に私も現在の部署に晴れて移動となった苦い思い出のある年だ。

それにしても本当に「光陰矢の如し」だ!

そんな私もこの4月で人生の「第2章」(Chapter 2)?を迎えた。

3月から今までに経験したことのない事項がいくつかあったので、その辺を次回201回目の我がこのエッセイにてまとめて紹介させてもらいたい。

とりあえず200回までのお付き合いに感謝!!

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2017年3月10日 (金)

身分証明書

~ わさくの悪知恵 199

皆さんは「公的に」自分を証明できる身分証明書(ID)をどれ位お持ちだろうか?

私の場合・・・・

見まわしてみると「マイナンバーカード」「運転免許証」「パスポート」があった。すべて写真付き身分証明書(Picture ID)だ。

大体外出する際、パスポート以外は持ち歩いていることになる。

何故こんな事を問いかけているかというと、先月仕事で少しビックリしたことがあったからだ。

それはある文書一式を公的認証取るべく近くの公証役場に行ったケースだ。

何度か足を運び必要な書類を揃え、これで認証をもらえると臨んだ日に思わぬ落とし穴が待っていた。

それは公証人に正式に申請する人物の「身分証明書」だった。申請自体は形式上法人の代表者がする形だが、登記上の役員にあたる人物が代理?申請するのが一般的かと思われる。

我がその代理人が、「公的な」該当証明書を全く持っていなかったのだ!

これは私のチェックミスでもあり、運転免許証くらい持っているだろうとタカをくくってしまった詰めの甘さでもある。

要するに、身分を証明すべく「写真付き身分証明書」を本人が持っていないのである。

運転免許証然り、マイナンバーカード/住基カード、パスポート(有効期限内の)、すべて持っていないという今時珍しい人物(40代後半)だ。

対処方法が1つだけあった。

「印鑑証明書」だ! 

早速本人に住居を置く管轄役所にて取って来てもらい、再度挑戦にてようやく公文書認証を受ける事ができた。

さすがに本人も今後このようなケースがあるとまずいと感じたか、印鑑証明を取ったその足でマイナンバーカードも申請をしてきたという。

私はつい先日、運転免許証の更新をして来た。今回の更新にあたり本籍地をいつ現在のところ(実家)に移行したか記憶が曖昧だったので、念のため必要とされる「住民票」を添付すべく取り寄せた。

知らなかったが、現在住民票はマイナンバーカードがあれば簡単にメジャーなコンビニ店舗にて入手できるのだ。(住基カードも可能だが、コンビニ発行手続登録が必要)

今後これらの「公的」身分証明書の提示をどれ位求められるかわからないが、今回の事もあり、各更新はしっかり行なっておこうと思った。

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2017年2月12日 (日)

同僚の中国出身H君と共に

~ わさくの悪知恵 198

私の現在の職場は俗にいう”外資系”だ。

これは我が意志に係らず職場自体が〝外国資本(台湾)”へと転移してしまったためなのだが・・・

その「外資」になって今年で早6年目。転移への経緯はかなりのドタバタがあり、人の入れ替わりも当時は実に激しかった。(その後も以前に比べれば結構多い気がするが…)

そして私は現職場で今年勤続37年目を迎えた。一旦この4月で節目を迎えるが、この先どのくらい現職に携わるか現時点では全く不明だ。

そんな具合なので我が役務をシェアし将来的にも引き継ぐべく人選を昨年行い、その該当者が表題の中国河北省出身のH君だ。

私が学校を出て最初に就いた職場は香港系の貿易商社。そのせいか香港の大多数の広東系の中国人との付き合いは今でも何人かあるため、公私にわたっての付き合いの間合いみたいなものはある程度理解しているつもりである。

そして現在台湾資本で働く身として台湾の人々とのそれも然だ。さらに台湾の場合は、我が父が台北で生まれ、第2の都市高雄で育っているため、それはより強いと感じている。そして我が現在担当のお客様では台湾が一番のお得意様という事情もあるので、日々割と気持ちよく仕事させてもらっているかと思う。

さてそこで、今回表題のH君は私が仕事するはじめての中国本土出身の人物となる。

といってもH君(もちろん男性)は年の頃30代後半だろうか、日本の大学を出ているので日本語は堪能だ。

入社4年目となる。

日に日に少しずつ一緒に仕事をこなしはじめたのだが、香港や台湾の人々とは違ったユニークさがあり面白い。

本人どうも「目立って大きく見える仕事」が潜在的に好きなようで、現在はその奥にある色々な段取りを理解させる初期段階だ。

幸いにも本人熱心で全く嫌味を感ずる気配がないのでよく微笑をもらう。

たまに一緒に出掛けて世間話をするのだが、彼の父上は科学者らしく、その著書が日本の理科系の大学の図書館にもあるとの事、現在娘が一人いるが可愛くて仕方ないらしく、いずれ自分の元から巣立っていくのが今から怖いなどなど話してくれる。

中国で育った日々のことなど聞いてみたいが、そこは抑え徐々に自然にそんな流れになるように期待している。

来週も台湾からのお客を迎える予定だ。

台湾のお客さんが来ると我が幹部連中とは「台湾語」での会話になるためH君も理解不能になるらしく、少しポカーンとしているH君の表情を横で見ていると微笑ましい。

いづれにしてもH君が末永く現職にて気持ちよく仕事ができるようにするのが、今の私の使命だと思っている。

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2017年1月13日 (金)

地元コミュニティFM局の自己破産

~ わさくの悪知恵 197

謹賀新年!今年も我が拙筆エッセイへのお付き合いの程よろしく<m(__)m>

年頭ではあるけれど少し寂しい我が居住地域の話題を。

日ごろよく聴いていた我が地元千葉県市川市のコミュニティFM局「市川FM(いちかわエフエム)(83.0MHz」が11月30日付で自己破産を申請し放送「休止」状態となってしまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%A8%E3%83%A0%E6%94%BE%E9%80%81

私が一番聴いていた時間帯は入浴時だ。地元話題が多いのでまったりする時間の演出にはぴったりで好きだったのだが、12月を過ぎてラジオをいくらチューニングしても聞こえてこない状態でラジオと電波の調子でも悪いのかとしばし放置していた。

それからすぐに地元のフェイスブックグループからの情報で自己破産申請の旨を知ることになる。

元々このFM局1997年に設立して1998年に放送開始。地域情報や天気予報、各種音楽などを放送していた。

設立にあたり市が1000万円を出資、市政情報を発信するために年間約200万円を支払っていたという。

しかしながら赤字経営が続き、業績を改善できなかったことで自己破産申請に至ったようだ。

11月30日付で「放送休止届」を「総務省関東総合通信局」に提出。同日午後11時17分以降の番組の放送が取り止めとなり、翌12月1日に自己破産を千葉地方裁判所に申請し受理される。そして 12月5日に破産手続きの開始が決定されたようだ。

普段は何気なく聴いていた放送局だが、設立から放送休止の流れを認識できたのは勉強になった。

過去何度かこの種のコミュニティFM局の事を書かせてもらっているので参照していただきたい。
http://souta.way-nifty.com/plaza/2016/08/post-74d9.html 

全国のこれらのFM局が多少なりとも今回のような設立からの流れがあることを想像すると興味深い。

ただ前のエッセイで書かせてもらっているようにサイマルラジオ経由で北海道や近畿の番組を聞かせてもらっているラジオ文化ファンの1人として、地元のラジオ局がなくなってしまうというのは実に寂しい。

地域のコミュニティ放送局の存在が再認識されるのは2011年の3月11日の東日本大震災だと思っている。

予期せぬ災害に対しての情報発信が重要な役割として全国で認識されたと思う。

その点からすると我が地区のそれらの情報発信がないとなると日常生活も少し不安感が漂う。

ただあくまで「放送休止」であるので「放送再開」を切に望みたい。

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2016年12月11日 (日)

我が2016年12月の2週目

~ わさくの悪知恵 196

<日曜日>
午前中年末の大掃除の序の口を。家人と協議し家具の移動からその有効利用を考え敢行。我が家は築50年の集合住宅。後何年ここに住むことになるやらと作業をしながら想いに更ける。

午後から昨年知り合った新しい仲間のT君が所属する吹奏楽団の「不定期演奏会」へ。T君はベースクラリネットなる楽器を吹いているが、32名の楽員が実に楽しそうに演奏する楽曲の数々に感銘を受ける。やはり「音」を<「楽」しむ>と書いて「音楽」だという事をつくづく思い知る。勉強になった。

<月曜日>
何故か記憶に残る出来事もなく過ぎてしまう。仕事して帰宅のみの実に平凡な一日。

<火曜日>
昼休みに歯医者へ2ケ月毎のクリーニングに出向く。1年間空いたとの事でレントゲンを撮られる。来週またその結果をもとにさらに治療が始まるかも。昨年は結構な治療をするハメに。少し憂鬱だ。

Photo_2<水曜日>
朝仕事で渋谷のホテルへ直行。海外のお客さんを出迎え我が事務所まで。ホテルロビーで「外貨両替機」を発見(写真)。便利なものだと感心する。その日はほぼ終日その方々と過ごす。夕宴で少し盛り上がり少し遅めの帰宅。

<木曜日>
仕事で午前中、社外契約の顧問の先生と打ち合わせ。午後に某国大使館まで出向く。少し厄介な案件に取り組まなくてはならず。久しぶりにその界隈を歩く。真珠湾攻撃から早75年。我が最寄りのJR駅の駅ショッピングモールが耐震工事のため1年半をかけてのリニューアルオープン。帰り際少し覗いたが人、人、人ですぐさま退散。

<金曜日>
普段通りに出社すると突然またも海外からのお客様が20人ほど、あと一時間ほどで到着するので取り仕切ってくれとの依頼が来る。水曜日に会った方々とは違うグループなのだが、たまたま10年ほど前に面識のあるグループなのでご指名を食ってしまう。バタバタと準備して出迎えたが、何となく即席の〝フリーマーケット″を開催したようで残念だ。

夕刻意図的に早目の退社で「整体マッサージ」に立ち寄り体をほぐしてもらう。できるだけ週一通いたいのだが、なかなかそうは時間が取れない。帰宅後さらに最近はじめた「体幹トレーニング」を1セット10分ほど行う。休肝日とし、こんな花金も良いものだと眠りに就く。ジョン・レノンの命日。36年目。その関連ではミック・ジャガー73歳に8人目の子供誕生のニュース。もうひ孫までいるとか。天晴か!?

<土曜日>
朝方、強風、木枯らし舞う中、週一のテニスのレッスンへ。猛暑も辛いが冬の寒さ、強風も辛い。去る6月で閉鎖になった私が属していたテニスクラブの流れを受けてのレッスンなのでコーチ、生徒とも馴染みばかりなので和気あいあいで90分のレッスンはあっという間に過ぎ去る。

帰宅後日曜日の続きの家内作業。夕方から家族で近くのモールに買い物~旬彩料理のレストランへ。このレストランのオーナーマダムは我が家と同じ町内会、さらに我が母とは同じ整骨院の患者仲間なのでまさに家族付き合いのお店。この夜は才色兼備のスタッフのYちゃんが先月見事ソムリエの資格試験合格のお祝いを兼ねての小宴。満腹感はあるがヘビーではないいつも通りの食材を堪能。ゆったり、まったり感の中帰宅から就寝。

そんなこんなの1週間。来週は公私共々さらに年の瀬色の濃い週になることが予想されるが、自分なりにポッジティブに対処していこうと思う。

皆様、Merry X’mas! そして良いお年を!!

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2016年11月10日 (木)

「お茶っこさ飲むか?」「ほれ、煎餅も食ってけぇ!」

~ わさくの悪知恵 195


あの2011311日の東日本大震災の翌年から復興支援(?)の1つとしてスタートした、我が地元のライブハウスに集うミュージシャン仲間が中心となって参加の、年1回のツアーが今年も先日敢行された。今回が5回目で私は今のところ皆勤だ。

 

岩手県大船渡をメインに出向き、現地の人々と主に音楽を通しての交流を計り、ほんの少しばかりだけれど現地での経済効果をもたらそうと消費(主に宿泊代、飲食代)をするという主旨でスタートしての5回目だ。

 

今回も出向く参加者は首都圏からをメインとし、遠くは九州、四国からをも含め70人ほど。現地で合流する方々を含めば100名を超すちょっとしたグループだ。

 

このエッセイには、過去の内容を毎回紹介させてもらっているので以下を参照していただきたい。

 

2012奇跡の一本松

2013復旧と復興

2014津波伝承館を訪問して

20154年続けての岩手県大船渡訪問ツアー参加

 

今回も当然だが街の変化が感じられた。1年経つと街はこれほども変わるものだというのが実感だ。ようやく「復興モード」に入ってきているように感ずる。

 

まず各地で「かさ上げ」が進んでいる事。

 

そして、それに関連して我々が過去に宿泊していた2つのホテルがともに新築にて営業をはじめていた。去年までとほんの少し場所も移動し、きれいにリニューアルオープン。内容がアップグレードされているのは実に嬉しかったが、元の建物はもう跡形もない。これにはビックリだ。

 

それと並行して他にホテルも増え、色々なお店、特に飲食店も増えてきているが、俗に言う全国チェーンのお店が増えてきているのに気付く。街全体の復興具合と見渡すに行政と比較してみると、ある意味大手企業のスピードは早いなあと思ってしまった。

 

貸切の夜行高速バスで夜中に我が地元を出発、早朝に大船渡に到着してからその午後に「仮設住宅」から進化した「アパート」と呼ばれる集合住宅の集会所で音楽ライブのイベントを開催し、私が司会進行を担当させてもらった。

 

2013年の2回目のツアーにて仮設住宅でのライブに出演した思いにふけながらも、現地参加の方々と一緒に和気あいあいの楽しきイベントにすることができたと思う。

 

さすがに夜行バスの疲れと、大役()を終えての安堵感でホッとして座って休んでいたところ、現地で参加してくれた御婆ちゃんに元気に声をかけられたのが今回の『標題』だ。満面の微笑を私に向けてくれた。

 

Photo_3イベントが始まる前に御馳走になった昼食はこちら(左の写真)。

出汁はお代わりまでしてしまった。身も心も暖まるとはこういう事かと感極まってしまった。

 

皆さんそれぞれに大変な思いをしてこの5年余りを過ごされてきているはずだ。でも我々に応えてくれた「笑顔」は皆素敵だ。

 

毎回参加するたびに現地の皆さんのこの「笑顔」から「元気」をもらって帰ってくる。本来の我々の目的とは逆になっているが、そこが大好きなところなので私は毎回足が向く。

 

さあ、また来年もたくさんの「笑顔」に会いに行こう。それまで自分自身もしっかり生活していかねば!

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2016年10月11日 (火)

映画「Eight Days a Week」を観て

~ わさくの悪知恵 194

そろそろシニア料金で映画鑑賞できる日もそう遠くはなくなってきているのだが、久しぶりに映画館で映画を観た。

前回はいつだったか記憶をたどっていったら、やはりこのエッセイに投稿していたものだった。
http://souta.way-nifty.com/plaza/2011/12/post-536e.html

もう5年も経つんだ。

今回観た映画も同じく「ビートルズ」の映画だ。
http://thebeatles-eightdaysaweek.jp/

私が音楽を好きになったきっかけは「ビートルズ」以外には考えられない「ビートルマニア」の一人としてこの映画は公開初日の第1回目を自宅そばの「シネコン」に観に行く。

彼らが絶頂期としてツアーに明け暮れる1964年から1966年までの様子を収めリマスターしたドキュメンタリー映画だ。伝説の1966年6月の日本武道館公演も出てくる。監督はアカデミー賞を受賞しているロン・ハワード氏だ。私とは年齢もほぼ同じなのだが、よくまとめ上げているのに感心した。

まず、あの時代音響が現在のように行き届いていない中あれだけの演奏をしていたのだから、このバンドの4人は最高のライブミュージシャンであることを再認識した。

野外でしかもスタジアム規模でのライブ。この規模のコンサートは当時稀でプロモーターも試行錯誤だったであろう。大歓声、悲鳴が炸裂する中、自分たちの出す音も確認できなかった状況でさぞや大変であったことだろうと想像する。

現在であれば適度な大きさのライブハウスであれば、必ず演奏者が自分たちの音を認識できる「モニター」というスピーカーがステージ前に設置されているものだ。

この「モニター」からの音がきれいに聞こえると実に気持ちが良いもので、その日の演奏のできを大きく左右する。私自身が現在の親父バンド活動の中で感じている事だ。それがスタジアム規模で「ない」のだから・・・

そしてあのような日々を送っていたら演奏ツアーからの撤退は仕方がない事と納得する。

画像も演奏の音もリマスターされていて、気持ちよく鑑賞できた。画像はまだしも、音の「リマスター」はこれ以上手を加えると不自然に聞こえてしまう限界にある程にあると感ずる。

尚、映画の中では触れられていないが、当時のビートルズのライブは徹底してワンステージ、アンコールなしの約30分ほどだったのだ。それ以上はあの大歓声、悲鳴そして警備上も限界だったのかもしれない。

そしてこの映画を通じて再認識したのだが、たまにライブハウスに演奏を観に行って実に気になることを思い出す。

それは演奏中の客席での「おしゃべり」だ。自分のお目当てのバンド以外は「おしゃべり」し放題という連中が多くいる。演奏中であるから演奏の音に負けないくらい大きな声で話さないと会話ができない、さらにアルコールが入ってくると自然に声が大きくなる。これは演奏者としても周りの観客としても実に迷惑な行為だ。

やはり演奏者に対するリスペクトとして、演奏はできるだけ「聞き入る」姿勢が大事とこの映画が教えてくれたような気がする。

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2016年9月11日 (日)

ビール党

~ わさくの悪知恵 193

私は長年自称「ビール大好き」人間〝だった″。

〝だった″なので過去になりつつある。

別に強いこだわりや蘊蓄があった訳ではないが、好きだったビールの銘柄は・・・

○基本的に我が舌は「アサヒ スーパードライ」ででき上ったようだ。
○家飲みは「キリン ハートランド」。
○飲み食いに行ったお店で置いていたら嬉しくなるのは「サッポロ
  ラガー」(通称〝赤星“)
○野球観戦で飲むのにピッタリは冷えた「キリン 一番搾り」

・・・などなどであった。

しかしながら、2年ほど前の健康診断で「血糖値」が少し高く「糖尿病」の入り口にあると診断されてから、大好きなビールも生活習慣で変えてみようと試行錯誤を重ねる。

血糖値にはビールの「糖質」が天敵になるため、発泡酒系の「低糖質」または「糖質ゼロ」を物色する。

色々な銘柄を試すが、一番自分の趣向に合ってたどり着いたのが「サッポロ 極ゼロ」だ!

「糖質0%」「プリン体0」「人口甘味料」という超ヘルシー?な「発泡酒」。アルコール度数は4.5%。

私の場合は糖質0%が該当するが、尿酸値の高い方々へは「プリン体0」は有難いはずだ。

以来ずっとこの「サッポロ 極ゼロ」を嗜んでいてもう完全に舌が慣れてしまい、たまに普通のビールを飲むと実に「苦く」感じてしまう程になってしまった。

さらに炭水化物の摂取も控える食生活にしたため、特に自宅にて食する夕食は野菜から食べ始めほとんど炭水化物なしだ。

ただ頑なにこの「飲食習慣」を敢行している訳ではなく、無理のない範囲(あくまで自己判断だが…)でリミッターを外すことがある。でないと精神的ストレスになりかねないとの勝手な思い込みだ。

その甲斐あってか最近は「血糖値」は正常範囲内〜さらに少し低目に安定している。

ただこの「糖質ゼロ」系の発泡酒を置いている飲食店はほぼ皆無。さらにこの「極ゼロ」を扱っている食料品小売店も日に日に減ってきているのが少し気にかかる。

しかしながら、ほとんど週一で通っている自宅のある地元の焼鳥屋さんが私用に最近このビールを置いてくれるようになった。実に嬉しい。

Photoこれからもヘルシーに冷えたこの「極ゼロ」を飲んでいきたい。そして、過去に好きだった銘柄もほんのたまにリミッターを外し嗜んでいけたらと思う。

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