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2019年7月

2019年7月24日 (水)

敬老の日

~ おさむの鳥の目 231 ~

「敬老の日」という標題を書いて、ちょっと申し訳ないなという思いがするのは、自分が老人であると考えるのに少しばかり躊躇があるからだと思っています。読んで字のごとく「敬老」ですから、老人が敬われる訳で、自分の方から、そういう意味合いの言葉を言い出すのは少し気が引けるということです。

しかし、冷静に考えると、実際には実年齢からすると十二分に老人なのに、それに躊躇を感じるというのは誠に厚かましいと言うほかありません。そこで、謙虚に「老人が老人のことについて書いている」という現実に立ち返って斎整と話を進めることにします。

今年の敬老の日は、9月16日(月)です。これは昨年印刷されたカレンダーにも印刷されていて、何の問題もないのですが、以前に祭日の変更があったという事情もあり、誰もが十分に理解しているとは言えません。私が思い違いをしていたのは、「9月15日ではなかったか」というものです。

2002年(平成14年)までは9月15日だったので、今もその記憶が残っているのでしょう。平成14年というとずいぶん前のことですが、「敬老の日は9月15日」という記憶は意外に根強いものらしいです。

その理由は「老人福祉法で9月15日を老人の日、同日より1週間を老人週間」と決めていることもあると思います。このように「敬老の日は9月15日」と印象強く受け取られているのですが、最初にこれが決められた経緯を考えると、それほど明確な謂われは存在しないと、私は考えています。

兵庫県多可郡野間谷村で、1947年(昭和22年)9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされており、特に歴史に残るような大きいイベントではないのです。現在も、同村の八千代コミュニティプラザの玄関脇には「敬老の日提唱の地」と刻まれた石碑が建っていて、この事実を伝えていますが、私は逆に大イベントでなかった証明になっていると思っています。

ほかに、聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日が593年9月15日であるとして、敬老の日をこれに由緒づける主張もあるそうですが十分な資料があるわけではありません。それに、考えてみると、「敬老の日」が一大イベントでなければならないという事情はないのです。

上記「兵庫県多可郡野間谷村の敬老会」の通り、「村主催の敬老会」でよいのです。それを上回る大規模な、全国的に有名な催しがあったと言う必要はまったくないと私は考えています。村に「敬老の日提唱の地」と刻まれた石碑が建があるというのは、村としては、そのように言いたいという気持のあらわれで、それはそれでよいのです。

ところで、上記を書くについて、「国民の祝日に関する法律」その他、必要事項をいくつか調べましたが、予想に反して、祝日に関する定めは多岐に亘り、極めて煩雑です。私自身も、理解が十分でないと思うこともあり、一度は、標題を「国民の祝日」に変えて、必要事項を整理して書いてみたいとも考えました。

しかし、そのためには、多くの言葉を費やす必要があり、本稿はこれで納めさせていただきたいと考えます。

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2019年7月21日 (日)

手ぶら通勤の試み

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 196~

この2カ月間ほど、私が自主的に試みている社会実験があります。それは手ぶら通勤。そうです、通勤時にカバンも本も持つことなく、両手が空いた状態での通勤です。もちろん、雨の日に傘をさすことはOKとしてますが。

私が手ぶら通勤を始めたきっかけは、人身事故で電車が止まり、帰宅時の電車が激混みだったこと。持っていたカバンが人混みに巻き込まれ、取っ手がちぎれてしまいました。「こりゃ、なんとかしなきゃ」と考えた私は、極端な対策を試してみることにしました。それが手ぶら通勤。

この2カ月間で感じた、そんな手ぶら通勤のメリットとデメリットについてまとめてみました。

メリット

1 両手が空いてるため、混んでる電車内でも吊り革を掴めて安定

2 早足ウォーキングが出来るため、通勤時間に効果的な運動が出来る

3 両手が自由に使えるため、気分が爽快で前向きな気持ちになる

デメリット

1 新聞や本、資料などの持ち運びが出来ない

2 財布をポケットに入れるためポケットが膨らんでしまう

3 ビジネスマンとして認識してもらえない

デメリットの1と2は結構大きな問題でしたが、最新のテクノロジーが解決してくれました。全てデジタル化し、スマホを活用するのです。

本や新聞を持たない通勤は、手ぶら通勤を始めた当初は少し心理的抵抗もありましたが、慣れてしまえばスマホでサクサク読むことが出来ます。まさに、習うより慣れろ。

さらに、スマホによるキャッシュレス決済で、財布の中の現金も最少限に。これでポケットが膨れることも無くなりました。

とっても意外だったのは、デメリットの3つ目「ビジネスマンとして認識してもらえない」。カバンを持たないで通勤していたら、家族から「今日、仕事は?」とか「今日は休み?」と聞かれてしまったのです。カバンはビジネスマンやビジネスウーマンらしく見せる必須アイテムだったことをあらためて認識させられた次第。でも、このデメリットは私の受け取り方次第ですので、そのうち慣れちゃえば全く問題無くなり、デメリットではなくなりました。

最後に、メリットの3「両手が自由に使えるため、気分が爽快で前向きな気持ちになる」。これが期せずして最大のメリットでした。ヒトは両手が自由に使えるからこそ文明を発達させることが出来ましたが、それは気分が爽快になり前向きな気持ちになることが動機だったのかも。

2カ月の試行期間を終えた手ぶら通勤ですが、メリット・デメリットを総合的に勘案すれば、デメリットは十分カバー可能でメリットの方が遥かに大きいでしょうか。手ぶら通勤、もうしばらく続けてみます。

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2019年7月 9日 (火)

市長の公用車がスーパーカー?

~ わさくの悪知恵 224 ~

我が住む街、千葉県市川市の少しお恥ずかしいお話しを。

現市川市長、副市長の公用車がアメリカ電気自動車(EV)大手のステラ社のスポーツ用多目的車「モデルX」になると、市の方から先月公開された。

この車、映画監督のスティーブン・スピルバーグや女優のキャメロン・ディアスが愛用する車種で、8年間のリース料は市長車が1,490万円、副市長車が1,390万円。現在利用の国産車の月額2倍以上にもなるという。

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ドアが翼のように開き、シートは高級革張り!

当たり前だが、そのリース料は我々が納める「税金」から支払われる。

従って市民の声としては「国産車で十分」(日産「リーフ」なら350万円程度で購入できるではないか)「動けばいいじゃないか」「おかしい」という声が上がり炎上気味だ。

市長側の採用の言い分として
●環境政策を進めようとする姿勢を示すことができる
●電気自動車の普及につながる
●再生エネルギー政策でステラ社と提携を結びたい
などなど。

全国区でも話題になってしまったので、市議会の方もすでに導入予算案を可決しているが、見直しを求める決議が行われ「導入反対」が賛成21票、反対20票で可決された。

それでも予定通りに8月下旬からリース契約する予定で、議会の決議はスルーするという市長側の意向だ。

最近の自治体のトップの公用車の傾向としては、経費削減や経済効率が考えられるようになってきて、小型化したりハイブリッド車を採用したり、中には廃止する所も出てきているという。

名古屋市の河村市長はダイハツの軽自動車でタント・カスタムという車を公用車にしているらしく、市の方にもそれで不都合がないかを問い合わせると「何の問題もない」と回答が来ているという。

それでなくとも全体的に道路が狭く、交通渋滞が名物?(最近は大分緩和改善されたが)の我が街からするとまさにこの流れに乗るべきでは・・・・・?

いづれにしてもこんな車に乗って公用に出かける政治家感覚とは如何なものか?

ちなみに現市川市長、同市で私が学んだ中学、高校の後輩にあたる。

<参考資料>@niftyニュースなど

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2019年7月 1日 (月)

ソサエティ5.0を思う

~ soji の今日もワクワク 252 ~

まずはこちらの映像をご覧ください。

政府広報が作成した動画です。主演しているのは、映画「君の名は。」のヒロイン、宮水三葉役の声を演じて大ブレーク。今ではドラマでも人気の上白石萌音(かみしらいしもね)。こんなビッグネームの女優さんが出ているのに、恥ずかしながら、私はつい先日知りました。

近未来の日本。ちょっと見ただけでは現代の田舎にしか見えない風景の中に、宅配のドローンが飛び交い、無人のトラクターが農地を耕し、無人のバスが走行する。私が子供の頃に見たSFによる未来像とは似ても似てない姿が描き出されています。そしてエンディングで、萌音ちゃんがこちらに向かって囁きます。「未来が楽しみでしょ」

その言葉を思いっきり否定するかのような発表がやはり先日ありました。金融審議会の市場ワーキング・グループ報告書です。

現在の年金だけでは、95歳まで生きるとなると、夫婦で2,000万ほど不足すると。野党は大騒ぎをし、マスコミも面白おかしく囃し立て、今でも落ち着く気配さえありません。しかしこの報告書、よく読めばそこが論点とは思えないのです。

報告書35ページにあるように『今後のライフプラン・マネープランを、遠い未来の話ではなく今現在において必要なこと、「自分ごと」として捉え、 考えられるかが重要』というのが主旨ではないでしょうか。

「狩猟」「農耕」「工業」「情報」に続く第5の社会を意味するのが「ソサエティ5.0」。内閣府の資料によると、人間中心の「超スマート」社会、と言うのだとか。

私は思います。中心となる人間、これはまさに自分であると。今までの概念では社会と自分は相反するように位置づけられてきましたが、これからは自分そのものが社会になるのではないでしょうか。大切なのは、自分は何にワクワクし、どう生きていきたいのか。そしてお互いの自分らしさを共存させられるよう、生きられる社会がソサエティ5.0であると。一方で、もうイヤだ、生きていたくないと絶望したのなら、合法的に消えていける。そんな危険性も感じます。よくも悪くも自分の意志と直結した社会がソサエティ5.0なのでしょう。

あらためて広報映像を見てみましょう。いろいろなことに気づかされます。まずなぜ朝早くにドローンで荷物を受け取らないといけないのか。集積所にストックしておけばいいのに。またパソコンを通じて遠隔診療が受けられるのなら、学校の授業だって同じように家で受講出来るはずです。なのになぜわざわざ学校に行くのか。さらに無人バスも家の前まで来てもらえれば、必死に走ることもないのに。

便利になったはずなのになぜ進んで苦労をするのか。それは萌音ちゃん、憧れの先輩と一緒に登校したかったからなんですね。先輩の履いている靴を調べてその日の朝に入手出来るように手配し、先輩がバスに乗る場所を知って一生懸命走る。どこか不便さを楽しんでいるようにさえ見えます。

平均寿命の大きな伸びで、年金機構も変わらざるを得ません。100年安心ではなかったか、などと国を責めても最後には政策に従わないといけないのです。それならば腹をくくって他に頼ること止めましょう。もう一度言います。自分のワクワク感を追究し、個性を磨いて他の人と交わり、今ある社会的課題を皆で解決していくことが大事なのではないでしょうか。

ソサエティ5.0と言いながら、人間に欲望がある限り不便さや課題は消えることはありません。それならば逆手にとって楽しんでしまおうではありませんか。さあ、みんなで言いましょう。

「未来が楽しみでしょ」

 

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