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2019年5月26日 (日)

古琵琶湖  

~ おさむの鳥の目 230 ~

前回の「一級河川琵琶湖」も聞きなれない言葉でしたが。今回の「古琵琶湖」も同じです。ごく普通の言葉なのですが、この言葉だけでは、何を言おうとしているのか、直ちには判然としません。

元々、琵琶湖は今の位置にはなく、三重県の旧大山田村(現在の伊賀市)にあったということですから、三重県時代の琵琶湖を指すのだろうとは推定できます。

世界で有名な湖というと、まずあげられるのがバイカル湖。広い、古いという点で及びませんが、琵琶湖はそれに比べられる存在です。大山田湖があったのは約400~320万年前と言われていますので、バイカル湖とは一桁違がいますが、現在の琵琶湖の1万年からすると大昔です。

この大山田湖はいったんなくなっていましたが、湖は約300万年前に再び現れます。これが②阿山湖で、大山田湖からは北へ移動しています。やがてこれも次第に埋まり、また北側に別の湖ができます。③甲賀湖といい、深い湖だったといいますが、やがてこれは土地の隆起によりなくなったのです。

そして、甲賀湖の後に出来たのが、④蒲生湖で、これが約200万年前だそうです。この時は、水量が少なかったのか、湖というよりも、沼沢地と呼ばれるものだったようです。川は、蛇行河川になったり、蛇行河川の後には三日月形湖が出来るというような形で、周辺に沼沢地を形成していったと表現されています。

またこの頃、湖水は古瀬田川を通って、古桂川を入れたあと奈良盆地に流れ込み、古奈良湖を形成した時だったといいます。この水は大和川を通して大阪湾に注いでいたそうです。当時の水はずいぶん長い距離を流れていたものだと思います。

偶然ですが、前回、自宅近くを流れる川は、「一級河川 桂川」と書きましたが、「古」桂川と言う名前で今回も登場、何か縁があるような気がしています。

河川の時代には、湖東地域が隆起し、逆に、堅田や京都方面の山が沈降しています。その結果、湖が、徐々に北上、そして、現在の琵琶湖の状態に近付いていきます。まず、琵琶湖の南西部分が傾斜し、⑤堅田湖なるものを形成します。この時の堅田湖は、今の琵琶湖に比べてかなり小さい規模でした。

堅田湖の時代からは、琵琶湖の湖東方面からも、徐々に水や土砂が流入し、水量も増えて、今の琵琶湖に到っています。この⑤堅田湖や⑥琵琶湖の時代には、湖から出た水は、今の瀬田川や淀川から、大阪湾に注いでいたものと考えられています。

ところで、三重県にあった頃の琵琶湖の遺跡について考えるとき、忘れてならないのが、象、ワニ等の足跡です。これらは現存しているので、昔は三重県にこれらの動物が生息していたことに間違いはありません。

当時の地球は現在では考えらればい気候でした。その理由はノアの洪水以前の地球には、水蒸気で出来た天蓋があって、温室のように気温が高かったのです。これらについては考えるべきことが山積していて短時間では対応じきれないので、今回はここまでにさせていただきます。

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