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2019年5月

2019年5月31日 (金)

ビリギャルの講演会を聴いてきた

~ soji の今日もワクワク 251 ~

小林さやか。

この名前がすぐ分かる方はあまりいないでしょう。2013年に出版され、後に映画にもなった「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」の主人公の名前です。ビックサイトで行われた展示会で特別講演をやるというので行ってきました。

私がこの本を読んだのはつい最近。著者はビリギャルを合格させた塾講師、坪田信貴氏であり、本の内容も成績の悪い生徒をいかに合格させるかのノウハウ本なのですが、いかんせん彼女のキャラクターがスゴイ。

登壇した彼女は開口一番、

「わあ、おじさまがいっぱい(ハート)!」

ギャルっぽい発言。しかしそんな彼女も今年で31歳になるそうです。セミロングでシックな色のゆったりしたサマーセーターにパンツ姿。ほっそりとした体つきで、とても可愛いお嬢さんでした。

彼女曰く、実際の体験は壮絶で、本や映画に出せないことの方が多かったとか。それは単なる合格体験記ではなく、母親(ああちゃん)の、自分を含めた3人姉弟(あね、おとうと、いもうと)に対する教育記だったそうです。

彼女の経験から、独自の教育論を展開するビリギャル。

まずは自分でワクワクすることを見つけ出そう。人間は感情の生き物。その感情が大切なのだと。そして目標を設定して具体的な計画を立てましょう。自己を肯定し、根拠はなくても自信を持って夢を公言しましょう。すると、そんな自分に対して出来る訳ないとバカにする人が出てくる。親、教師、友達・・・。彼らへの憎しみを、力に変えて行きましょう。憎しみは、大きなエネルギーになるから、と。

教育論は、どうしても上から目線になりがちです。立派な学校を出た講師が勉強した難しい理論を、教える、指導する。ビリギャル、小林さやかさんは、劣等生の立場で、自分を応援してくれたああちゃん、坪田先生に対し感謝の気持ちを込めながら、まさに下から目線で話をする。時おりギャルっぽい、頭の悪そうな話を交えながら。それは多分に彼女の演出でしょうが。ですから何の嫌味も無く、頭にも心にもスーッと入ってくるのです。

彼女は、大人は信じられなかったと言います。もし合格しても、もともと頭が良かったんでしょうと言われるに違いないと。努力したプロセスは評価されず、結果だけで判断される。だから自分は実際に講演をし、本(「キラッキラの君になるために」現在発売中とか)を書いたのだと。

それは、現代社会全般に言えることだと思います。国や会社、上司や先生、さらに親まで。今までの信用が音を立てて崩れてきています。これからは、原体験に基づき、自分の頭で考え、行動しなければならない。こうした教育論の構築に向かって、なんとあのビリギャルが挑戦しようとしていたのでした。

現在、彼女は独立し、大学院で教育学を勉強しているのだとか。推測ですが、自分の体験を学問的に裏付けようとしているのではないでしょうか。そして具体的なコーチング手法まで構築することを目指しているように思われました。

講演の最後に一言。

もし神様があなたに、書けばその望みがかなえられるプラチナチケットをあげるとしたら、あなたは何て書きますか、と。

私は迷わずこう書きます。

「90歳まで働ける、気力、体力、知力をください」と。

私は彼女が目指す、教育の世界にそのカギが隠されているのではないかと、現在考えているのです。

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2019年5月26日 (日)

古琵琶湖  

~ おさむの鳥の目 230 ~

前回の「一級河川琵琶湖」も聞きなれない言葉でしたが。今回の「古琵琶湖」も同じです。ごく普通の言葉なのですが、この言葉だけでは、何を言おうとしているのか、直ちには判然としません。

元々、琵琶湖は今の位置にはなく、三重県の旧大山田村(現在の伊賀市)にあったということですから、三重県時代の琵琶湖を指すのだろうとは推定できます。

世界で有名な湖というと、まずあげられるのがバイカル湖。広い、古いという点で及びませんが、琵琶湖はそれに比べられる存在です。大山田湖があったのは約400~320万年前と言われていますので、バイカル湖とは一桁違がいますが、現在の琵琶湖の1万年からすると大昔です。

この大山田湖はいったんなくなっていましたが、湖は約300万年前に再び現れます。これが②阿山湖で、大山田湖からは北へ移動しています。やがてこれも次第に埋まり、また北側に別の湖ができます。③甲賀湖といい、深い湖だったといいますが、やがてこれは土地の隆起によりなくなったのです。

そして、甲賀湖の後に出来たのが、④蒲生湖で、これが約200万年前だそうです。この時は、水量が少なかったのか、湖というよりも、沼沢地と呼ばれるものだったようです。川は、蛇行河川になったり、蛇行河川の後には三日月形湖が出来るというような形で、周辺に沼沢地を形成していったと表現されています。

またこの頃、湖水は古瀬田川を通って、古桂川を入れたあと奈良盆地に流れ込み、古奈良湖を形成した時だったといいます。この水は大和川を通して大阪湾に注いでいたそうです。当時の水はずいぶん長い距離を流れていたものだと思います。

偶然ですが、前回、自宅近くを流れる川は、「一級河川 桂川」と書きましたが、「古」桂川と言う名前で今回も登場、何か縁があるような気がしています。

河川の時代には、湖東地域が隆起し、逆に、堅田や京都方面の山が沈降しています。その結果、湖が、徐々に北上、そして、現在の琵琶湖の状態に近付いていきます。まず、琵琶湖の南西部分が傾斜し、⑤堅田湖なるものを形成します。この時の堅田湖は、今の琵琶湖に比べてかなり小さい規模でした。

堅田湖の時代からは、琵琶湖の湖東方面からも、徐々に水や土砂が流入し、水量も増えて、今の琵琶湖に到っています。この⑤堅田湖や⑥琵琶湖の時代には、湖から出た水は、今の瀬田川や淀川から、大阪湾に注いでいたものと考えられています。

ところで、三重県にあった頃の琵琶湖の遺跡について考えるとき、忘れてならないのが、象、ワニ等の足跡です。これらは現存しているので、昔は三重県にこれらの動物が生息していたことに間違いはありません。

当時の地球は現在では考えらればい気候でした。その理由はノアの洪水以前の地球には、水蒸気で出来た天蓋があって、温室のように気温が高かったのです。これらについては考えるべきことが山積していて短時間では対応じきれないので、今回はここまでにさせていただきます。

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2019年5月20日 (月)

義父(妻の父)が書き遺したこと

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 194~

先日、義父(妻の父)が家族に見守られながら、91年の生涯を静かに閉じました。

私たち家族の手元に残されたのは、「書き遺すこと」と題された1冊のノート。昨今は終活ノートやエンディングノートと呼ばれるようですが、そんな名前が定着するはるか前、20年以上も前から書き続け、必要に応じその都度更新してきたようです。更新箇所はキチンと赤字の二重線で見え消しされ、更新日と署名印鑑も入れるという念の入れよう。

義父自身の生い立ちから学生時代のこと、そして仕事の喜びと苦労、友人など周囲への感謝、望む葬式スタイル、遺影で使って欲しい写真、財産一覧を綴っていますが、中でも目を引いたのは家族への強い想い。

義父の妻(つまり、私の妻の母)や両親(私の妻の祖父母にあたります)、兄弟に始まり、2人の娘たち(私の妻とその妹にあたります)、孫たち(私の子供たちも含まれてます)への愛情が溢れていました。そして、なんと、娘たちのそれぞれの夫(私も含まれてます)への感謝まで書かれていたのです。

「この困難な時代にあって、娘とその子供たちを路頭に迷わすことなく、これまで良く守ってくれて、ありがとう。これからも家族仲良く」と。これには妻ともども涙が止まりませんでした。

思えば、義父は旧日本陸軍の将校を養成した陸軍士官学校最後の入学生となる第61期生でした。この61期生は戦況悪化著しい昭和19年から20年にかけて入学し、直後に終戦を迎えた陸士最終期にあたります。

そのため、日本の敗戦とともに卒業を待たずに「復員」。旧日本陸軍の士官候補生として国運を背負いながらも戦場を知らずに終戦を迎えました。終戦直後、士官学校そのものが無くなり帰郷が決まった義父たちは、教官からこう語りかけられたそうです。「銃をペンに持ち替えて、祖国再建と家族に尽くせ」。

戦争末期、まだ10代後半だった義父たちは憂国の念にかられ燃えるような使命感を持っていましたが、その使命感が陸軍士官として戦場で発揮されることは遂にありませんでした。そして、その強い使命感は、戦後の復興へと向けられたのでした。その後の義父の人生は、まさに企業戦士そのもの。家族のため、戦後の復興と高度経済成長を支えた原動力の一人と言っても良いでしょう。

昭和の初めから平成の終わりまでを見届け、令和の先も家族の幸せを祈りつつ、静かに生涯を閉じた、それはそれは見事な義父の一生でした。合掌

 

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2019年5月 8日 (水)

ボーン・ミュージック展

~ わさくの悪知恵 223 ~

時が平成から「令和」に移った去る5月1日、雨が降る都心での少し変わったテーマの展示会に行ってきた。

「ボーンミュージック展」なる催しだ。ジャンルは私の好きな「音楽」である。

さて、ボーンミュージックとは?

『1940年代から60年代の冷戦時代のソビエト連邦(現在のロシア)で音楽を含むすべてのカルチャーが、国家によって検閲され、コントロールされていた。

当時アメリカのジャズ、ロックンロールや一部のロシア音楽を聴くことを強く禁止していて、もし見つかれば間違いなく‶刑務所行き″という今では信じられない環境のなかで、リスクを犯してでも、どうしても好きな音楽を聴きたかったアンダーグラウンド・サブカルチャーシーンの音楽ファン達。

彼らは何と病院で不要となった【レントゲン写真】に自作のカッティングマシンを使い音楽を録音し、「ボーン・レコード」を制作した。これがボーンミュージックの始まりだ。』

そう、今では云われることもなくなった「海賊盤」(Bootleg)の走りだと私は勝手に理解したのだが・・・

その昔、私も中学生時代「海賊盤」に興味があり、小遣いを貯めてはビートルズのライブの海賊盤を買っていた時代を思い出す。(当時ビートルズのライブ録音は正規盤では販売されていなかったため)

でも、ボーンミュージック製作者の「情熱・熱意」とはレベルが違い過ぎる。

このボーンレコードは2つの製造方法があり、「ソノシート」にプレスされる大量生産方式と、特殊なカッティングマシンで1枚ずつカッティングされるもの。1枚ずつのカッティングとは気の遠くなる作業だと察する。

いづれにしても、想像できるように「音質」は劣悪だったという。展示会ではその音源のいくつかを聴くことができた。またその「骨」の図柄の入ったレコードは今見るとアート作品としても結構いけていると思う。

Bone-music_1

しかしながら、1959年にソ連邦の最高指導者ニキータ・フルシチョフが米国を訪問し文化の「雪解け」時代の到来で「磁気テープ録音」が一般的に普及する。

最長20分に及ぶ良質な録音が可能な機器の登場で、レントゲンフィルムによる面倒な製作はなくなりあっけなくその幕を閉じていくことになる。政府の規制強化ではなく新技術でとは皮肉なものだ。1964年ごろからはもうボーンレコードの制作はされなくなったと云われている。

主催者がこの展示会で最も伝えたいことは次のようなことだ。

「いかに音楽が大切なものであるか」=「我々は今、どんな音楽でも、いつでもどこでも自由に聴ける環境にいる。本当に素晴らしいことだ。でもボーンミュージックの時代は違った。音楽が簡単に手に入る今、どれだけ音楽が大切か、どれだけ我々が恵まれているかなんて、あまり考える機会はないよね。」と。

音楽産業界はちょうど時代が昭和から平成に時代が移る頃に「アナログレコード」から「CD」への移行がピークだったと記憶する。平成の時代はそこから「クラウドダウンロード」へと、そして現在は「ストリーミング」が主流に?

新時代「令和」はさらにどんな方向に行くか興味深い。

そんなことも考えさせてくれた展示会だった。

展示会のWebsite

<参考資料> 「ボーンミュージック展」での各々の説明、解説文

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2019年5月 2日 (木)

IT時代のエチケットを考える

~ soji の今日もワクワク 250 ~

「ズーッ、ズーッ ・・・・」

スマホから異音が聞こえてきました。何か設定ミスでもしでかしたのでしょうか。

去る日曜日、自宅でスカイプによる授業を受けました。スカイプとはインターネットを通じてPCやスマホで電話やチャットが出来るサービス。カメラを使えばテレビ電話にもなります。(詳しくはこちら

無料でダウンロードして設定すれば、簡単に出来るのだと。講師の方はもう還暦を過ぎているのに、ITスキルはなかなかのものです。

一方、受講者は私を含めて3人。皆50代以上のオジサンたちです。あらかじめ資料はメールで送ってもらい、決められた時間にPCの設定を完了させて待機。しかし私のPCはWindows7。どうも指示された通りに動きません。仕方なくスカイプはスマホで行うことにいたしました。バージョン違いが原因のようです。

定刻となり、スタート。お一人がなかなかつながらず、20分後、ようやく全員が揃いました。皆、初体験のようです。講師と受講者の一人はスマホ画面上の小さな窓から顔が見えます。もう一人は私同様、カメラを設定していないためか、お顔は見えません。

順調に進んでいた授業が一時間経った頃でしょうか。先ほどの異音が聞こえてきたのです。

「どなたか寝られているようですね。私の内容がつまらなかったかな」

講師の方が寂しそうにつぶやきました。そうです。異音の正体はなんといびきだったのです。

IT技術の発達は、私たちの生活を大きく変えつつあります。ネットを活用すれば自宅での仕事も可能になりました。今回のスカイプによる授業。忙しい中で会場まで足を運ぶことは出来ないけれど、家で出来るのであれば参加は可能。しかしその便利さが落とし穴になったようです。

人目を気にしない自分の部屋で普段着での授業。前日までの疲れが、理解度の低下に伴って魅力的な睡魔を連れてくる。他の人がいるところでは我慢できても、心地いい自宅では抗えなくなるのも無理ありません。

いよいよ危ないとなったら、こちらのマイクを切っておけばいいのですが、何せ初めてで分からない。どうやって緊張感を保ち、相手に失礼にならないようにするか。これこそまさにエチケットでしょう。

エチケットと言えば返信の際のタイトル。つい私もやってしまうことです。タイトルを変更せず返信すると「Re:」が付きます。

例えば、タイトル「スカイプのお問合せについて」の返信は「Re:スカイプのお問合せについて」というように。お互いそのまま返信を続けていると、「Re:Re:Re:Re:」とまるでレレレのおじさんのようになってしまう。

気軽なチャットメールならいいのですが、履歴をさかのぼりたいような場合は、相手に苦労をかけてしまいます。特に質問メールの回答が簡単なら、タイトルに書いてあげるような心配りが大切でしょう。

エチケットを逆手に取ったケースもあります。  インターネットで何気なくバナーをクリックすると、

「無事会員に登録されました。入会金は10万円となります。ひと月以内にお振込みください。解約される場合はこちらにご連絡を」

こんな画面が出て来たことはありませんか。これはいけない。間違ったといえ登録されてしまったのなら解約手続きを行わないとエチケット違反だ。そんな生真面目な心に入り込む詐欺が横行しています。

こうした場合は無視するのが一番。メールで案内が来た場合も下手に返信すると、カモが引っかかったと思われ、しつこく追いかけてきます。

ここまで定着したIT。しかしなかなかエチケットやお作法をきちんと教わる機会はありません。他人の失敗も他山の石。反面教師として、自分で学んでいくしか方法がないのが現状のようです。

スカイプで寝てしまった方とは直接お会いできる日がやって来るでしょう。私は決してその方を責める気はありません。むしろ私の代わりにやらかしてくれてありがとう、と言いたいくらいです。

自宅での映像授業はまた、行われるかもしれません。その際はデスクの周りを片づけ、キレイに身支度を整えて臨むべき。そう考えさせられた体験でした。

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