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2019年3月

2019年3月31日 (日)

いそじのバースディ・再び

~ soji の今日もワクワク 249  ~

3月29日、私は50代最後となる誕生日を迎えました。

そのちょうどひと月前、満50歳になった友人がいます。そこで私は、以前書いた自分のエッセイを思い出しました。(「いそじのバースディ」~sojiの今日もワクワク142~」を参照のこと)

そうそう、当時は病院通いで、急に衰えを実感させられたっけ。一人お祓いも受け、そのためでしょうか、痛みが吹き飛んだ不思議な体験を思い出しました。

私は友人に告げました。50歳の声を聞いた途端、身体が急に変わってしまうから注意するようにと。すると連絡をして間もなく、転んで怪我をしたとの知らせが。幸い大事には至らなかったものの、顔からかなり血を流したのだと。

聞くところによると、少し前から不眠に悩まされていたそうです。結果、体調がすぐれず、気分も落ち込みがちに。転んだのもあまり眠れていない影響だったのか、とも。

振り返れば私も、50代は苦難の連続でした。50歳誕生日の2010年当時、サブプライム問題からリーマンショックと立て続けに日本を襲い、どの企業も不況の波に飲み込まれてしまいました。

そして翌2011年の東日本大震災。ちょうどそのころ肉親の死もあり、私は心身ともに疲れ果てました。それから現在。仕事では第一線を外れたため、以前の様な管理責任を追及される処遇から解放されましたが、体調をコントロールするのがきつくなった50代。身体はまるで、自分のモノではないような気さえしてきました。

最近、気がついたことがあります。毎年お参りする神社の正面に祀られているのは鏡。私は単純に三種の神器のひとつだから、としか考えていませんでした。しかしひょっとすると、崇拝している神とは、鏡に映った自分ではないのかと。

私の身体には、両親から受け継いだ血が流れています。当然両親もまた、私にとって祖父母から受け継いでいます。結果として私の中には神代からの祖先のDNAが、累々と伝わっているわけです。体調の不備は、こうした祖先からのメッセージではなかろうか。特に身体の衰えを感じ始めてから9年。そんな風に考え始めた次第です。

そして自分の身体は、自我と別なモノと考えるようになりました。自我はドライバー。身体は自動車。そして祖先の声はさながらコントロールパネルかナビゲーションシステム、とでも言えるでしょうか。言い換えれば、自分とは自我と身体、そしてナビの3つから構成されている、と言えそうです。神代からの祖先ですから、私にとってはまさに神。その声を、出来たら体調が崩れる前に聞いて、備えることはできないものか。そう考えて最近瞑想を始めたことは、以前こちらで紹介したとおりです。

気持ちがワクワクと高揚したり、これはヤバいぞ、といった直感もこのころは重視しています。こちらに行ったらいいことがありそうとか、この人と付き合うとメリットがありそう。そんな理屈では説明しきれない感覚もまた、祖先からのメッセージではないかと考えるわけです。

60歳は厄年。もはや42歳で終わったと思っていた厄年がまた来ます。ですから今年は前厄。確かに苦難の50代の総決算。無事乗り切れるかどうか。そう考えると60歳厄年説は理に適っていると言えそうです。

まだ災難から抜け切れていない友人には、自分の価値観を押し付けるつもりはありません。ただ言いたいのは、すべての答えは自分の中にある、ということでしょうか。自分を守ってくれる祖先と会話できるように、自我を磨いてもらいたいものです。身体的にも元気な40代では、こんな話はとても聞いてくれなかったでしょうが、心身が弱っている現在は、耳を傾けてくれるかもしれません。

苦難に満ちた50代は、言い換えれば人生のメインステージ。私はこれからも、50代に突入した友人を応援していきたいと、こう考える次第です。

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2019年3月24日 (日)

元号の決め方

~ おさむの鳥の目 228 ~

改元の時期が近づいてきました。世間でも話題になりつつあるように思います。何年か前に、新元号の決め方について学者の話を聞いたことがあります。内容はあまり覚えていないのが残念です。そこでウエブ検索で調べたところ、大体のことがわかりました。

新元号は、5月1日からで、4月1日に閣議決定、即日発表されることが決まっています。『平成』から変わる、元号が何になるのかが気になりますが、そもそも、この元号というもの、 ・誰が決めているのか ・決めるにあたって何か条件はあるのか? 

元号はどうやって決定するのかですが、次の通りです。
直近で行われた『平成』の時の流れで見ると。

1 数名の学者に新元号の考案を依頼
2 有識者会議において議論が交わされる
3 内閣官房長官・法制局長官が複数の原案を選定
4 有識者懇談会を経て
5 衆参両院の正副議長に元号案が説明される
6 閣議において新元号制定の政令を決定。

という流れでした。
元号の決め方は、「数名の学者が元号考案を担当し、その候補の中から、閣議で新元号が決定される。」と言えます。また、『天皇の即位継承があった時のみ、元号が変わる』ということも書かれています。

このように、「数名の学者に新元号の考案を依頼」というところから始まりますが、一番面白いのは、原案の作成ですから、そして、採用されることはないのですが、考えるのは自由ですから、最初の案を自分で考えたいものという思いが断ち切れません。

自分が原案を考えるのに相応しい人間か、という問題はありますが、自分では「さわしい」、十分に資格があると思っていますので、自分の案を考えることにしました。

第一に、八十数年も生きているのだから、一言くらい言わせてほしいという勝手な考えです。これは理屈には合わないのですが、害にはならないので、良いか、という思いです。

もう一つ、理屈にならない妄言ですが、京都の嵯峨野に生まれて、長い間京都の西方(嵯峨)の地を見続けてきた者だからです。大覚寺が嵯峨御所と言われて、嵐山辺りが政治的に重要な地位を占めたいた昔に、嵯峨の情勢に詳しいとされていた地域に生まれ住み続けている者だからだと思っています。

客観的には、京都市右京区嵯峨野○○町と名づけられている土地に生まれ育った者だからです。現在では実質的意味はないのですが、上記「京都市右京区嵯峨野○○町と名づけられている土地」は、十か町足らずの少数の土地ですが、南北に少し長い面積を有していて、京都の街の人たちから言って、その辺りの住民は特に嵯峨の情勢(人の往来)に詳しいと目されていたということです。昔のことを言い立てて恐縮ですが、過去にはそういうことがあったと伝えられています。現在では、理屈にならない言葉を並べて申し訳ないことです。

それから、改元について申しますと、基本的には、1979年に制定された『元号法』という法律に基づいて行われるのですが、いくつか、決まりごとが存在します。

元号を決めるにあったっては、
・国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
・漢字2字であること。
・書きやすいこと。
・読みやすいこと。
・これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
・俗用されているものでないこと
以上のように言われているということです。

そこで、考えるのは自由だというところにたち帰って、純粋に、こういうのがよいという考え方で、作り出すとすると、格別制約はないのだから、自分の好みだけで考え出せばよいことになります。

中国や日本の過去の文章からの出典に拘ることもないので、全く制約なしに考えることにします。制約なしにと言われて、困るのは、なぜその言葉がよいのかを説明するのが困難ということです。昔のこれこれの文書に「○○」という使われ方がされていたから相応しい言葉だということが言えないのです。

そこで、「○○」は、この際、新元号として最も相応しいという理屈を考えねばなりません。たいへん難しいことです。新元号の発表までに、まだ少しの日が残されていますので、智慧を絞って考えてみようと思っています。

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2019年3月23日 (土)

サバ缶でサバイバル

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 192~

海外へ旅に出かける時、私は必ずサバの缶詰、いわゆるサバ缶を1つ持っていきます。まぁ、ここまではよくある話。誰しも海外の旅先で、日本の味は恋しくなりますからね。

さて、ここからが(おそらく)私だけに特別の話。なぜなら、海外の旅先で、私はこのサバ缶を決して食べません。食べないまま、日本へ持ち帰ります。このサバ缶は、私にとって言わば「旅のお守り」のようなもの。

サバ缶を旅のお守りにするようになったのは、40年以上も前に読んだ「一切れのパン」という作品の影響から。確か、中学校の国語の教科書に載っていた短編小説です。作品自体はネット検索ですぐ出てきますので、詳細をお知りになりたい方はそちらを御覧いただくとして、私の記憶している限りで作品の概要を以下に書いてみます。

第二次大戦中、主人公の男が捕虜収容所に送られる貨車から逃げ出します。逃げ出す際、同乗のラビ(ユダヤ教の司祭)に、「(ユダヤ人である)あなたは一緒に逃げないで、このままルーマニア人として捕虜のままの方が生き残れます」と、貨車に残ることを勧めます。貨車に残ることにしたラビは別れ際に、お礼としてハンカチに包んだ「一切れのパン」を差し出しました。

その時のラビの言葉は、今でも私の心の奥に深く刻まれています。少し長くなりますが、ここは原文のまま引用させて下さい。(以下、「一切れのパン」 F・ムンテヤーヌ著 / 直野 敦訳から引用)

「あなたに一つだけ忠告しておきましょう。そのパンは直ぐに食べず、できるだけ長く保存するようになさい。パン一切れ持っていると思うと、ずっと我慢強くなるもんです。まだこの先、あなたはどこで食べ物にありつけるか分らないんだから。そして、ハンカチに包んだまま持っていなさい。その方が食べようという誘惑に駆られなくてすむ。私も今まで、そうやって持って来たのです」

逃げる途中、主人公は体力の限界と空腹による飢えから何度もそのパンを食べようとしますが、その度、ラビの忠告を思い出し我慢し続けました。そして、遂に、安全な我が家まで逃げてから包みを開けてみると、中から出てきたのはパンではなく、「一片の木切れ」でした。

「一切れのパン」のような希望があると人間は強くなれるんだ、と、中学生だった私は強く思いました。それから幾星霜。そう、冒頭のサバ缶は、私にとって、まさにこの「一切れのパン」なのです。

海外には、日本のようなコンビニがあちこちにあるわけではありません。そのため、時には空腹のまま一晩を過ごさざるを得ない日もあります。そんな時はサバ缶の出番。サバ缶のような希望があると人間は強くなれます。

サバ缶でサバイバル!

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2019年3月15日 (金)

ホームページを一新しました

創造システム研究所のホームページを一新しました。

コンセプトは、「ペンを手に進もう!」です。

ペンを手にアイデアを出し、前に進むことを目指します。

ペンの発想力には驚くものがあります。

思いもしないグッドアイデアが出ます。


なお、「仕事でアイデアが求められているが、

思うように出ない」という人は、こちらをどうぞ

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2019年3月11日 (月)

映画観に行こう……

~ わさくの悪知恵 221 

早いもので「シニア世代」に入りもうすぐ2年が経つ。

我がシニアになっての特典のひとつとして挙げられるのが「映画鑑賞」かと思う。現在特例を除き映画はシニア料金で観れるようになったのは実に有難い。

その前に「夫婦50割引き」(夫婦どちらかが50歳以上)という特典もあったが、振り返ってみると一度も利用することもなくシニアに突入した。

夫婦50割を利用しなかった点が最近分かったのだが、我々どちらも映画は「一人で観てその想いに浸る」が好きなようだ。もっともそれ程頻繁に映画を観に行っていた訳ではないけれど、たまに観終わった後に寸評報告をし合っていた気がする。

昨年末に久しぶりに1ケ月の間に我が好きなジャンルである音楽映画を3本観た。1本のみ1人で観たがそれが自分には最高の内容だった。気の合う音楽好きの友人に寸評を報告したら彼もすぐに一人で観に行き感動したと礼を言われた。ただそういう映画に限って“特別鑑賞料金”というものであって・・・

もう一つ個人的に好きな映画のジャンルを挙げるなら「ロードムービー」なのかなと思う。その土地ごとにストーリーが進んでいく活劇はお好みだ。

この週末も最新の「ロードムービー」2本を2日続けて一人で観てきた。俗にいう「シネコン」(シネマコンプレックス)が自宅から割と近いショッピングモール内にあるので便利ではある。

1本目は御年88歳になるクリント・イーストウッドが監督・主演の「運び屋」。88歳といえば2年前に亡くなった我が父と同い年だ。

原題は「The Mule」で、“麻薬を密輸するために, 外国からの運び屋として雇われる素人旅行者”と訳されるようだ。

事業に失敗し、家族からも見放された90歳手前の主人公イーストウッドが悪い事と理解しながらもその職(運び屋/The Mule)を遂行していくというストーリー。 http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/

2本目は今年のアカデミー賞の作品賞、助演男優賞、脚本賞に輝いた「グリーンブック」。これは家人が先に観てきて「ぜひ一人で観に行け」と勧められた作品だ。 https://gaga.ne.jp/greenbook/

教養のある黒人ピアニストと、どちらかというと品行方正でないイタリア系白人の米国人がその運転手兼用心棒として雇われニューヨークから中西部、人種差別の強く残っていた南部へとツアーする内容のロードムービー。

原題Green Bookとは映画の時代設定の人種差別の残る1950~60年代のアメリカ南部を旅する黒人のために作られた施設利用ガイドブックのこと。

この2つの映画の共通点はどちらも実話に基づいていること、さらに個人的にはどちらも主人公が車内で運転しながら聴き歌う音楽曲が我がストライクであり、サウンドトラック盤が出るようであれば購入をと思った。

これら2つの映画の我が総評?それは「皆様観てのお楽しみ」とさせていただきたい。

もしご興味持たれてこれら2本を観てみようと思われたら、運び屋~グリーンブックの順番でご覧になることをお勧めしたい。

さて、次は何時、どんな映画を観るだろうか?

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2019年3月 5日 (火)

ペンを持て! アイデアが出る

 仕事でアイデアが求められるが、いくら考えてもアイデアが出ない。
 
 そこで、自分にはセンスや能力がないと思っていた。

 ところが、ペンを持ち書くことで非常に簡単にアイデアが出た。

 センスや能力の問題ではなくアイデアの出し方に問題があったのだ。
 
以上は、アイデア発想法の研修の受講者の声です。これまで、このような声が数多く寄せられています。

そう、腕を組んで考えてもアイデアは出ません。

ところが、ペンを手に書いて発想すれば、誰でも簡単にアイデアが出ます

このように、ペンを持ち書いてアイデアを出すという方法、いわば「ペン発想法」を身につけることでアイデアが簡単に出るようになります。

計算にたとえてみましょう。

暗算をすると、「6+8=」というように一ケタなら簡単にできます。

しかし、「78+69=」というように二ケタになると難しく、三ケタ以上になるとお手上げです。

ところが、筆算なら十ケタでもスムースに計算できます。

ペン発想法は筆算と同じです。

筆算なら何ケタでも計算できるように、ペンを持てば、どんな問題・課題でもスムースにアイデアが出ます。

大事なことはどんなことを書くかですが、「目標を立てる」と「ヒントをつかむ」の二点です。

ペンを持ち、目標を立てヒントをつかむとアイデアが出ます

詳しくはこちら

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2019年3月 1日 (金)

記憶力の低下に抗(あらが)う

~ soji の今日もワクワク 248  ~

「今日もワクワク244回」で、百人一首の暗記に挑戦したことを書きました。2018年10月のことです。

その後、何度かそのことを人に自慢する機会を得ました。ところが、人前で披露しようとして番号を言ってもらうと、思ったように出て来ません。例えば57番は紫式部の歌ですが、作者は出てきても上の句がスッと思い出せないのです。

百人一首で行う競技では、上の句を読んで下の句の札を取り合います。百首あるうち、下の句の最初の字がひとつだけの歌は、上級者になると、一字目を聞いただけで身体が反応するほどです。そんな歌は七首あり、頭文字をつなげて「ムスメフサホセ」と言います。

紫式部の歌は、このうちの「メ」で始まります。そこまで思い出してようやく、

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

と出てくるのです。

残念ながらこうやって思い出すのに10秒以上かかってしまいます。それどころか、歌によっては上五句や下七句が出て来ません。番号と作者名はほぼ結び付くようになったのですが、記憶の定着は本当に難しいと痛感しています。

百人一首を話題にすると意外に食いついてくる人が多く、ちょっとした雑談のテーマになかなかいいなと思っておりました。しかしこうやってポロポロと忘れてしまっては元も子もありません。もっと正確に記憶として定着出来ないものだろうか。

そこで私は、学生が受験勉強で行っている「品詞分解」に挑戦することにいたしました。

品詞とは、名詞、動詞、形容詞、助動詞などのことです。古文を勉強するには、この品詞分解が必須になります。

競技では、とにかく意味など分からなくてもいいから耳で聞いて覚えます。私もそうやって覚えようとしたのですが、音だけでは定着しづらいのですね。

それに私は競技には出ませんのでこの覚え方は馴染まないと考え、受験生になったつもりで挑戦することにしました。

例えば先ほどの歌の上句は、このようになります。

めぐりあひ :動詞・ハ行四段活用・連用形

て     :接続助詞

見     :動詞・マ行上一段活用・連用形

し     :助動詞・過去・連体形

や     :係助詞

それ    :代名詞

と     :格助詞

も     :係助詞

わか    :動詞・カ行四段活用・未然形

ぬ     :助動詞・打消・連体形

間     :名詞

に     :格助詞

たった一文字にもきちんと意味があるのですね。これは暗記ではなく、古典文法のルール自体を理解するしかありません。一見大変そうですけどすべては慣れですし、ネットで検索すれば勉強法は山ほど出て来ます。動詞の活用方法や助詞、助動詞の種類も有限。

実は私、高校時代は国語が得意だったのです。昔、覚えさせられた格助詞や接続助詞が今になって口から出て来ました。こんなところで受験弁用で詰め込んだ知識が活用できるとは思いませんでした。

これを一日一首、一番の天智天皇の歌からノートに書いています。百日で全首書き終わる計算です。パソコンではなく、手で品詞とその意味をひとつひとつ書いて行く。こんな風にやっていれば、もっと正確に定着できると期待しています。

また古典文法が理解出来れば、他の文献も読みやすくなるのではないかと考えています。数百年を経ても愛好される作品群は、必ずやその理由があるものです。遅ればせながら、こうした分野も究明したいと思います。

それにしても頭は、動かしていないとどんどん機能が低下するようで恐ろしい。これからも記憶力の低下に抗おうと考えているのです。

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