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2019年1月

2019年1月30日 (水)

瞑想の荒川を歩いてみた

~ soji の今日もワクワク 247  ~

昨年参加したセミナーで、「川の瞑想」を教わりました。

マインドフルネスや瞑想は以前から興味があり、ネット等で調べて自分なりにトライしてみたのですが、どうもうまくいきません。雑念がどんどん浮かんで全然集中出来ないのです。

川の瞑想。これは椅子に座って目をつむり、頭の中で海に流れ込んだ河口をイメージし、どんどん上流に遡って川沿いを歩いて行くというものです。

源流近くには白い壁があり、そこに備え付けられた扉を鍵で開けてさらに遡ると、湖が現れる。服を脱いで対岸まで泳ぎ、そこにある滝にうたれる。頭からつま先まで、もし患部があればそれをイメージして滝の水で洗い流す。すっかりきれいになったら、また湖を泳いで戻り、服を着てから川沿いを下り、スタート点の河口に戻って終了です。

身も心もすっきりするというので、セミナーの受講以来、毎朝洗顔した後に行っています。当初は雑念がイメージを邪魔して困りましたが、慣れてくると集中できるようになりました。特に湖で泳ぎ滝にうたれる時には、冷たさや痛さまで感じるほどです。

遡る川。それは私の住んでいる和光市にも流れている荒川を想定しました。地図を見ると河口である東京湾から源流のある埼玉県秩父市までおよそ180キロ。その行程を遡り、滝にうたれて戻ってくるのです。実際に歩いたら所要時間は見当もつきませんが、瞑想ではだいたい20分程度でしょうか。

毎日行ううちに、実際に荒川を見たくなりました。

スタート点の河口。エッセイ仲間のさかもっちゃんもぜひと言うので、二人で東京湾を観に行って参りました。

京葉線新木場駅から海に向かうつもりでしたが、江東区側には川沿いに道がありません。仕方なく湾岸道路で対岸の江戸川区に渡り、荒川沿いに作られた「健康の道」を歩いて、目の前に広がる東京湾を臨みました。右手には若洲海浜公園。左手には葛西臨海公園の緑が見えます。

そこを起点に実際に歩き始めました。出発したのは昼前。清砂大橋まで遡ってから対岸の江東区に渡り北上して行くと、やがて江戸川区の境にある閘門、ロックゲートが現れます。さらに遡ると墨田区に。そして野球グランド右手にを見ながら足立区へ。

北千住あたりまで歩くこと3時間半。さすがにこれでギブアップ。ちょっと休憩のつもりで入った居酒屋で根っこが生え、その日は終了。

別の日に再チャレンジ。さかもっちゃんと北千住で待ち合わせし、午後2時からスタート。ドラマ、金八先生のロケ地となった荒川土手から常磐線、千代田線、つくばエクスプレス、そして舎人ライナーの鉄橋をくぐります。

やがて左手に隅田川が現れ、右手に流れる荒川とに挟まれた足立区内を歩いて行きます。その日は年明けの1月6日。寒風吹きすさぶ土手の上は散歩する人もまばらで、枯れススキがそよぐ茶褐色の風景はもの悲しいほどです。

夕暮れ迫るころ、北区の岩淵水門に着きました。上流を流れる新河岸川と荒川がこの水門で合流し、新河岸川は隅田川となって東京湾に流れ込みます。

暴れ川として昔は何度も水害をもたらした荒川。岩淵水門をはじめ、数々の水門で水量を調節することで壊滅的な被害は無くなりました。先人の苦労を偲びながら、その日は赤羽の歓楽街で腰を落ち着けることに。

当然ですが、歩いた荒川の距離はほんの序の口。その後板橋区から埼玉県に入り、戸田市、和光市、朝霞市、さいたま市。さらに志木市、富士見市、川越市、上尾市、桶川市、北本市、鴻巣市、川島町、吉見町、熊谷市、深谷市、寄居町、長瀞町、皆野町を経てようやく秩父市に着くのです。

源流に近い秩父湖や二瀬ダムは去年の夏に見て来ました。ダムがある位ですから秩父湖は広大。そこに流れ込む渓流の一つが荒川の源流なのでしょう。近くには三峰神社があり、このあたりはまさに神域。私がイメージする湖や滝は、その神域にあるのだと実感しました。

瞑想に話を戻します。頭からつま先まで滝にうたれることをイメージします。順に髪から頭皮、脳、脳内の毛細血管。そして目、耳、鼻、口、歯、のど。さらに臓器は心臓、肺、胃、十二指腸に小腸、大腸、直腸に肛門。腎臓に膀胱、おちんちんに睾丸。肝臓に脾臓、胆嚢・・・そして両手両足も上から順にチェックして行き、滝の水でキレイに洗い流します。悪い所を金色に光らせたら終わりです。

川の瞑想を始めて9カ月。ひとつ成果が出て来ました。それは寒さが苦にならなくなったのです。なんせ毎日極寒の山中、湖を泳ぎ滝にうたれているわけですから。泳いだ後に服を着たイメージをすると、身体中がポカポカするほど。妄想のなせる技ですかね。

ただ、この瞑想は特にお勧めはしません。まずは3年続けるように言われています。その上でないと、本当に効能があるかは分かりませんので。続けられた際はあらためてご紹介いたします。その代わりと言ってはなんですが、エッセイの執筆はお勧めします。何せ20年以上続けていますから。

春になったら、今度は桶川市あたりを歩いてみようと思っています。実際の荒川土手散策、これもお勧めです。

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2019年1月24日 (木)

頭に浮かんだアイデアをメモするか

~ おさむの鳥の目 226

一般に、頭に浮かんだアイデアはすぐにメモするのがよいと推奨されているように私は考えています。しかし、これは私の思い込みであって、それが正しいかどうかは分かりません。

一般論は別にして、このような考え方があることは間違いありません。そこで、自分はどうであったかとふり返って考えると、私はこの考えに反対でした。新商品開発に関係していた経歴からすると、常にメモ帳を用意していて、思いついたアイデアは即座に書き留めるようにしていたと言ってもおかしくな状況だったのですが、事実はその反対でした。

やや不遜な言い方になりますが、私は自分の考えに自信をもっていて、考えれば、考えは次々出てくると思っていたようです。これは考えることの内容にもよるとも言えます。新製品の内部の構造などを、あれこれ考えるので、考えれば次々案が出てくると思っていたのです。

しかし、残念ながら案は次々出てくるが内容は同じようなもので、進歩がありません。毎晩、同じことを同じように考えて、画期的なものは出てこないという状態だったのです。これに対抗して、「途中からは考えない。ものごとの最初から手を抜かずに一つ一つを真面目に考えて行くようにする」のですが、画期的なものは滅多に出てこないのです。

近頃、テレビドラマで新製品開発の話がよく出てくるように思います。以前に自分がしていたことに似た状況が現れますので、それに関連してあれこれ考えます。それに引っ張られて、自分がしていたことも思い出すのですが、今や、すべて遠い昔のことです。

私が発明をしていたのは35歳くらいの時です。もう50年くらいも前のことになります。その後、商品開発のために身につけた「特許に関する知識」を使って仕事をしていた時もありますので、新製品開発には今も興味があります。

興味はありますが、自分自身が商品開発から離れたのは何十年も前のことです。どのような離れ方をしたか。これは重要なことです。個人の興味ということからすると、新しい「もの」や「事」を考えるのはたいへん面白い仕事です。普通は自分から離れていくのは難しいことです

そこで、私が採った方法は、自分一人の判断では事業を進めないことです。誰か自分が費用負担してこの開発を進めるという人がいない限り前に進めないことでした。これは 正しい方法であったと考えてよいようです。結果がよかったと言えると思うからです。

しかし、まだ現在進行中です。こうであったと言うのは控えたほうがよいようです。いろいろ経験を積んできましたが、まだ未熟な存在であると言うべきだと考えています。したがって、自分一人の判断では前に進めないという考え方が正しいのかどうか、分からないと思っています。

ただ、言えることは、このようにしてきたから大きい失敗はしなかったようです。その代わり、大きい成功も少ないです。自分が費用負担をして、全責任を負ってこの開発を進めるという強力な人が居られた時にだけ、前に進み、それなりの成果が残っているというのが実情です。

商品開発は好きだったが、そして、熱心に取り組んだ時もあったが、発明にこだわらず「発明以外のこと」も考える生活をしてきて、それはそれでよかったと言うのが現在の心境です。

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2019年1月21日 (月)

マラソン走る妻の「マネージャー」兼「付け人」兼「秘書」

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり190~

数年前から妻がマラソン大会にハマってます。42.195
キロを走るフルマラソンです。しかも、出場する大会は北海道や沖縄など遠いところがメイン。私自身はマラソンなんて身体に悪いコトしませんが、そんなマラソン大会に出場する妻の「マネージャー」兼「付け人」兼「秘書」やってます。

 

ここで言うマネージャーとは、会社における管理職のエラいマネージャーのことではありません。中学や高校の部活で選手をサポートするマネージャーや、芸能人のマネージャーの方が分かりやすいイメージでしょうか。

飛行機や電車などの交通手配に始まり、宿の検索と予約、大会前日の食事や体調管理、走り終えた後のマッサージ、そして、打ち上げの居酒屋予約まで、すべて私が担当します。言わば付け人と秘書を兼ねたような役割。

 

妻のランナー仲間からは「旦那さん、大変ねぇ~」と驚きをもって羨ましがられてますが、私はちっとも苦じゃありません。最も効率的で快適な交通手段を調べて手配し、値ごろで居心地いい宿を見つけて予約し、地元に人に愛されているような美味しい居酒屋を探し出すなんてこと、朝めし前。むしろ逆に嬉々としてやってるんです。

 

段取り力とでも言うんでしょうか、30ん年の会社人生で培った調整力や交渉力、折衝力、状況対応力を総動員します。言わば、総合ウルトラおもてなし力。これで、妻もマラソンに集中出来ます。

 

えっ? 私がそこまで妻に奉仕するなんて、なんかアヤシイですって? 「そんな下心なんて、これっぽっちもありませんよ!」と言いたいところですが、実は、下心ありありなんです。

 

妻がマラソン走ってる間は、すべて私の自由時間、ムフフの時間。多くの場合は、その街の市場内や市場近くの飲み屋さんで、地元の人たちと一緒に昼呑み。釧路の和商市場、青森のアウガ新鮮市場、金沢の近江市場、高知のひろめ市場、那覇の牧志公設市場などなど、どこの市場も思い出に残ってます。

 

これだから、マラソン走る妻の「マネージャー」兼「付け人」兼「秘書」はやめられません。

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2019年1月11日 (金)

新年仕事場近くの病院へ

~ わさくの悪知恵 219 

謹賀新年!

新年早々に風邪を引いてしまい、年始休暇のほぼ半分は寝ていたという我が平成最後のお正月。

自宅近くのかかりつけのクリニックが長期休暇で診てもらうこともできずに、市販薬を飲みひたすら寝ることに。まあよくもこれだけ寝れるものだという位寝ることができた。

そうこうしているうちに休みも明け仕事に出向く。まだ某クリニックは診療再開をしていない。

さすがに体が辛いので(熱はないが咳が止まらない)、仕事場近くにて適当な病院はないかと調べたら、今まで全く気付かなかった職場からも歩いても数分のところにある程度の規模の個人病院を見つけ出したので早速行ってみた。

まず待合室に入ってびっくりした。

待っている患者のほとんどが中国系(大陸系)の方々・・・・・

受付では日本語が聞こえる方が少ないくらいの割合だ。当日3人の女性が応対していたが皆見事に「バイリンガル」だ。

当日かなり混んでいたが、結構回転が良いようで程なく私の名前が呼ばれる。

院長は典型的な日本人名だが、すぐに帰化されている方だとわかる。

初診なので採血とレントゲン撮影をしておきましょうとの事で、こちらもそれ程時間かからずに終了。

処方箋を書いてもらって会計して退出するまでに40分弱だったと思う。

私が滞在している間に待合室におられた中国系の患者の方々も入れ替わり立ち代わりだった。

それにしても驚いた。こんなにも中国系の患者の多い個人病院が我が職場近くにあるとは…

場所が東京下町台東区、台東の昭和通り沿い。JR御徒町駅が最寄り駅で、同じ通りにディスカウントストアの重鎮T屋がランドマークとなるべく界隈。

患者の皆さんどうみても一見の観光客ではなさそうだったし・・・・ 皆さんどういう類の方々なのだろうかと興味を持った。

ちなみに我が職場がある通りを下っていくと、日本語学校が2つもあり、国際色が豊かである事は確かだ。

それにしても早く咳が止まってほしい。

本年も我が拙筆エッセイへのお付き合いのほど、どうぞよろしく!!

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