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2018年11月30日 (金)

「書けない」を考える

~ soji の今日もワクワク 245  ~

先日、ツイッターで面白い記事が話題になっていると聞いて、早速検索してみました。ある人の中学校での卒業文集だそうです。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1811/12/news104.html#l_kutsu_181112sakubun01.jpg

原稿用紙一枚を必死に埋めた結果、まさかの名(迷?)文。うん、読んでいて確かに面白い。だけど、内容がいっさい無い文章。本当にこれが卒業文集に掲載されたのでしょうか。ちょっと心配になるくらい。

しかし、筆者の苦悩の様、他人事ではありません。私も月一回とは言いながら、拙いエッセイを続けるにあたり、どうしても書くことが見つからない時が何度もありました。掲載仲間、わさくさんや、さかもっちゃん、おさむさんの名文(こちらは紛れもなく)を読みながら、どうしたものかと悶々としたことも。

今月は忙しかった。ヤバい!気がつけば締切間近。この時ばかりは「マジか」とシャレなんか言ってみたりして。自分の拙文を読んでくれる方が一人でもいらっしゃるならば、トバしてはいけない。そんな義務感にかられてひねり出しているのです。

もし自分が中学生に戻って文章を書くネタを探すとしたら、どうするでしょう。私だったらまず一日を縦軸に置きます。朝起きて学校へ行く準備。朝ごはん。通学の道すがら。学校について授業を受ける準備。午前の授業。給食。午後の授業。クラブ活動。友だちと遊びに行く。そして家に帰ってお風呂、夕食。テレビを観て、時には勉強をして寝る。

次は横軸。自分以外の友だちの一日はどうでしょう。先生やちょっと気になる女の子は。また違うバリエーション。日常ではなく、運動会、文化祭、修学旅行の日だったらどうだったか。さらにバリエーションを変えて、当時のニュースは。流行っていたヒット曲は。また野球、サッカー、アイドルなどなど。そうやって中学の3年間を振り返れば、何かしらネタは見つかるのではないでしょうか。

では現在の自分の場合はどうでしょう。書けない時を振り返ってその理由を考えてみました。

まず考えられるのは、忙しさで自分が流されている時。すべてが受け身で、自主的に活動できていないと、書くテーマが見つかりません。この筆者も、中学時代はおそらく受け身の毎日を過ごしていたのではないでしょうか。

次に、自分を第三者的に見られない時。世の中の関わりもまた見えて来ない。先ほどの縦軸横軸はまさに自分を第三者的に見るためのテクニックです。こうした考え方が出来ない時は、苦しみますね。

しかし書けなくなる最大のポイントは、読者を意識しなくなった時かもしれません。このエッセイは少なくともサイト運営者のさとうさんと掲載仲間は読んでくれています。だから最後は何としてもひねり出そうとする。読者を意識しなくなったら、ペン、もといマウスを置くこととなるでしょう。書くことの最大の目標は、自分のエッセイを読んでくれる人を喜ばせたい、その一心ですから。

ブログやツイッターなどのSNSで、毎日のように文章をアップしている人がいます。忙しいとか全然関係なく。きっとそういう人は、自主的に行動をし、自分を第三者的に見て社会との関わりを常に意識し、さらに読者やフォロアーを大切に考えられる人なのでしょう。ひと月に一度のエッセイで、ヒイコラ苦しんでいる私にはとても真似出来ません。

2018年ももうすぐ終わります。思えば今年はエッセイのネタをひねり出すために、自主的にいろいろと工夫をした年でした。少なくても、ネタがなくて困った月はなかったと思います。

無理やり原稿用紙を埋めた、かの筆者。中学時代の自分の文集を見て、何を思ったことでしょう。まあ何も考えなかったかもしれません。若いうちはそんなもの。時間が有限だと気づいて初めて分かるものですから。ただ少なくても、振り返って何も思い浮かばない人生は送りたくないものです。

今年一年、お読みいただきありがとうございました。来年も頑張ってエッセイをお贈りいたします。皆さま、良いお年をお迎えください。

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