« 運動は素敵だ | トップページ | 百人一首の暗記に挑戦してみた  »

2018年10月24日 (水)

「右京区嵯峨野」という所

~ おさむの鳥の目 223

何故このような表題の文章を書く気になったのか。まず、そのところから申し上げる必要があると思います。「どちらにお住みですか」、「京都の嵯峨野です」、これに対して「よいところにお住みですね」という返事が返ってきて、それで話が終われば、何の問題もないのですが、実はそうはいかないのです。

この時の「よい所」という言葉の内容に違いがあるのです。そう言った人は、多分、雑誌の「嵯峨野特集」などに出てくる場所を頭に置いておられると思うのですが、上記「右京区嵯峨野」はそういう場所ではないのです。

京都市の西の地域の地名を挙げますと、東から「右京区太秦」、「右京区嵯峨野」、「右京区嵯峨」と並びます。そして、主題の「右京区嵯峨野」は「右京区嵯峨」と並んでいるのであって、「嵯峨」には含まれていません。観光地として有名な「嵐山」は「右京区嵯峨」の一部であり、皆さんが「よいところ」と考えられる風光明媚な場所はそちらなのです。

ということは、端的に言えば、「右京区嵯峨野」は「よいところ」ではないのです。そこで、この事実を指摘しないで、冒頭の会話を終わっては、私としては意図的に他人に嘘を言っていることになり、良心の呵責に耐えられない。これがこのような文章を書く理由です。

そこで、「右京区嵯峨野」はどういう所かと言いますと、「右京区嵯峨野○○町」と標記する地域というのが正しい説明です。京都市右京区の中にこのように標記される町が数個あるのです。そしてこれらの町は南北に長く、くっついて存在します。多分、その地域には特定の情報が多いと考えられている事情があるのだと推定できます。

何に関する情報かと言いますと、それは平安時代から続く嵯峨という地域の人の動きに関する情報です。嵐山を含む右京区嵯峨は、政治の面で重要な所であったからです。嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住されて以後、天皇や大宮人たちの好む行楽の地となった。それが後に大覚寺を新たな御所とする(「嵯峨御所」)など政治の面で意味を持つようになったのです。

「右京区嵯峨野○○町」の中の一つに「嵯峨野高田町」というのがあります。この「高田」という名前は、昔、嵐山の川の堤防を作る作業をした時の首領の名前で、後にそれが地名に変わったというのです。この高田町は、以前は高田村であった時もあり、纏まりがよく、有力な地域でした。その存在が後の世にも影響していて、それが後に「嵯峨野○○町」という少し纏まりのある名前が付くようになった理由ではないかと推定できます。

何百年にも及ぶ昔のことを、実際には80年余りしか見ていない私が自分の考えで推定するというのは乱暴な話ですが、村という形が続いてきた姿を見聞してきた者として、少々の乱暴を許していただきたいような気がしています。

ところで、このように高田村などをよく見てきたように書いていますが、私は土着の者でなく、昭和の始めに京都の街の中から移住して来た者の子供ですから偉そうなことは言えません。しかし、大覚寺や天竜寺という有力寺院を眺めながら育った者として、少し背伸びして昔の様子を振り返って語ることをお許しいただきたいと願っています。

|

« 運動は素敵だ | トップページ | 百人一首の暗記に挑戦してみた  »

カラフルエッセイ  おさむの鳥の目」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 運動は素敵だ | トップページ | 百人一首の暗記に挑戦してみた  »