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2018年10月

2018年10月30日 (火)

百人一首の暗記に挑戦してみた 

~ soji の今日もワクワク 244  ~

だいぶ弱くなった記憶力を鍛えるために、百人一首の暗記を始めました。

実は高校時代に挫折した、苦い思い出があります。そこで今回は、自分なりに覚え方をいろいろと工夫してみました。

まずは、1番の天智天皇からではなく、今回は100番の順徳院からスタート。そして有名な歌人をマークして覚えることに。

例えば90番台ですと、97番の権中納言定家と93番の鎌倉右大臣。百人一首を選んだ藤原定家と鎌倉幕府第三代将軍の源実朝ですね。

さらに一工夫。比較的記憶の残っている1番と100番、2番の持統天皇と99番の後鳥羽院、3番の柿本人麻呂と98番の従二位家隆というようにペアで覚えるようにしたのです。

また、私にとって覚えられず苦しんだ歌、というのがあります。例えば34番、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の歌。

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

「高砂の~」以下のフレーズは昔の記憶がおぼろげながら残っていました。問題は「タレヲカモシルヒトニセム」。全然頭に入って来ないのです。仕方ないので「鴨汁のタレを人にあげる」という言葉を充てて頭に叩き込みました。思えば歌人に対して随分失礼なことをしました。

そうして徐々に歌を覚えて行くにつれ、色々なことに気づきました。

まず百人一首は歌人がほぼ時系列で並んでいる、壮大な歴史物語だということ。大化の改新。藤原氏の台頭。やがて他家を振るい落とし、天皇家と血縁関係を結んで栄華を極めます。そして天皇家や武士団を巻き込んだ保元の乱。やがて貴族が没落、武士が勃興して鎌倉幕府が成立。その後承久の乱で終わる約600年間のまさに絵巻物だったのです。

また歌人の中には、天皇家はもちろんのこと、血縁関係が多いのも特徴です。例えば36番清原深養父(きよはらのふかやぶ)の孫が42番の清原元輔であり、またその娘が62番の清少納言といったように。特に、藤原氏は本流傍流と人間関係が実に複雑怪奇。

さらに、歌の背景で繰り広げられるエピソードも興味深いものがありました。例えば歌会で40番の平兼盛に負けた41番の壬生忠見は口惜しさのあまり衰弱死したという言い伝えがあるとか。思えば当時は、優秀な歌を集め、歌集に編纂することは立派な国家事業だったのですね。だからこそ宮廷内で競い合うように詠まれたわけです。

高校時代、百人一首は主に古典文法の教材として教えられました。やれ「けり」の品詞はどうだとか「ちはやぶる」とは「神」にかかる枕詞とか、「こそ」が付いたら係り結びになるとか・・・どうしてあんなにつまらない教え方になってしまったんでしょう。

確かにこれでもかと技巧を凝らした歌もあります。その素晴らしさは、古典文法を理解しないと分からないかもしれません。しかしこうして自分の心情を吐露し、花鳥風月や各地の名所旧跡などを織り込んで僅か三十一文字にまとめきって詠まれた和歌たちをもっと素直に、読み解くが大事だったのではないでしょうか。

中には自分の心情だけでない。例えば天皇が農民になってみたり、法師が愛しい男性を待つ若い女性になるなど、第三者の気持ちを想定して詠んだ歌も散見されます。また、自分では行ったことの無い土地を詠んでみたりと、歌人たちの想像力は、意外なほどの広がりを見せています。

先ほど紹介した34番の藤原興風の歌。老いて友がどんどん亡くなる孤独を詠んだとあります。そんなヒネくれた歌を詠む前に、自分の重ねた経験を後年に伝えるよう頑張れば、若い友人もどんどん出来て寂しくならないよと突っ込みたくなります。

いや、ひょっとすると興風は若者に人気があり「オキちゃん」などと慕われていたかもしれません。そして故郷の高砂(現在の兵庫県高砂市)にふと立ち寄った時に旧友の訃報を伝え聞き、日ごろ抑えていた心情を敢えて歌にして「へーあのオキちゃんがねえ」と言われたかもしれないのです。こうして自由に詠み手への想像を膨らますことはとても大事だと、今さらながら気づかされました。高校時代は、こんな授業はありませんでしたねえ。

文学的な位置付けに留まらず、美術的、歴史的、そして心理的な研究素材として素晴らしい百人一首。それを遊具として幼少から学べるようにした先人の知恵に感心せざるを得ません。やれ春は花見だ、秋は紅葉だと誰もがはしゃぐ。そして満月ならお月見、冬の露天風呂には雪見酒など、日本人のDNAの中には、古来からある美意識が脈々と引き継がれている。百人一首の貢献はとても大きなものだったのではないでしょうか。

学生時代、いやいや机に向かわされた辛い思い出ばかりの勉強も、大人になって見返してみて、全然違う魅力を再確認した次第です。百人一首を全部覚えろとは言いませんが、皆さんもお気に入りの歌を見付けてみてはいかがでしょうか。

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2018年10月24日 (水)

「右京区嵯峨野」という所

~ おさむの鳥の目 223

何故このような表題の文章を書く気になったのか。まず、そのところから申し上げる必要があると思います。「どちらにお住みですか」、「京都の嵯峨野です」、これに対して「よいところにお住みですね」という返事が返ってきて、それで話が終われば、何の問題もないのですが、実はそうはいかないのです。

この時の「よい所」という言葉の内容に違いがあるのです。そう言った人は、多分、雑誌の「嵯峨野特集」などに出てくる場所を頭に置いておられると思うのですが、上記「右京区嵯峨野」はそういう場所ではないのです。

京都市の西の地域の地名を挙げますと、東から「右京区太秦」、「右京区嵯峨野」、「右京区嵯峨」と並びます。そして、主題の「右京区嵯峨野」は「右京区嵯峨」と並んでいるのであって、「嵯峨」には含まれていません。観光地として有名な「嵐山」は「右京区嵯峨」の一部であり、皆さんが「よいところ」と考えられる風光明媚な場所はそちらなのです。

ということは、端的に言えば、「右京区嵯峨野」は「よいところ」ではないのです。そこで、この事実を指摘しないで、冒頭の会話を終わっては、私としては意図的に他人に嘘を言っていることになり、良心の呵責に耐えられない。これがこのような文章を書く理由です。

そこで、「右京区嵯峨野」はどういう所かと言いますと、「右京区嵯峨野○○町」と標記する地域というのが正しい説明です。京都市右京区の中にこのように標記される町が数個あるのです。そしてこれらの町は南北に長く、くっついて存在します。多分、その地域には特定の情報が多いと考えられている事情があるのだと推定できます。

何に関する情報かと言いますと、それは平安時代から続く嵯峨という地域の人の動きに関する情報です。嵐山を含む右京区嵯峨は、政治の面で重要な所であったからです。嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住されて以後、天皇や大宮人たちの好む行楽の地となった。それが後に大覚寺を新たな御所とする(「嵯峨御所」)など政治の面で意味を持つようになったのです。

「右京区嵯峨野○○町」の中の一つに「嵯峨野高田町」というのがあります。この「高田」という名前は、昔、嵐山の川の堤防を作る作業をした時の首領の名前で、後にそれが地名に変わったというのです。この高田町は、以前は高田村であった時もあり、纏まりがよく、有力な地域でした。その存在が後の世にも影響していて、それが後に「嵯峨野○○町」という少し纏まりのある名前が付くようになった理由ではないかと推定できます。

何百年にも及ぶ昔のことを、実際には80年余りしか見ていない私が自分の考えで推定するというのは乱暴な話ですが、村という形が続いてきた姿を見聞してきた者として、少々の乱暴を許していただきたいような気がしています。

ところで、このように高田村などをよく見てきたように書いていますが、私は土着の者でなく、昭和の始めに京都の街の中から移住して来た者の子供ですから偉そうなことは言えません。しかし、大覚寺や天竜寺という有力寺院を眺めながら育った者として、少し背伸びして昔の様子を振り返って語ることをお許しいただきたいと願っています。

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2018年10月21日 (日)

運動は素敵だ

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 187~

私、最近、トレーニングジムにはまっています。実は、高校時代を最後に運動から遠く離れていた私ですが、本格的な運動を再開したのは、なんと、ほぼ40年ぶり。

その動機はこの夏のこと、ある、やむなき事情から。定期健康診断の後に、医師から告げられた言葉を忘れることが出来ません。

「あなたの内臓脂肪は明らかに増え過ぎです。このままだと膝や腰に負担がかかるだけでなく、食道や他の内臓をも圧迫しています。内臓脂肪を何とかしなければ早死にしますよ!」。

まだまだ死ぬ訳にはいかない私は、これまでの堕落し切った生活を心から悔い改めることにしました。そんな私が向かったのは自宅近くのトレーニングジム。以前からジム通いを続けていた妻が、強く勧めてくれたジムです。

そこから、私のジム通いが始まりました。最高気温が35度を超えた猛暑日も、台風が襲来した暴風雨の日も、1週間に平均3回のペースを守り続けました。1回当たりほぼ2時間。典型的な2時間の過ごし方は以下のような感じ。

まずは、ストレッチしながら雑談
→ 筋トレを40分ほどかけて、ひと通り
→ 休憩
→ 有酸素運動たっぷりと連続40分間
→ 休憩
→ 雑談しながらストレッチ
→ 露天風呂でマッタリ
→ 休憩室で寛ぎながら雑談

こんなジム通い開始から、はや3カ月。当初は内臓脂肪を減らすため医師からの脅迫からイヤイヤ始めた運動ですが、このところ劇的な変化が見られ始めました。体脂肪がかなり減り、筋肉量が劇的に増えたのです。

期待通りに身体は変化し続けていますが、想定外だったのは、他にも思わぬ変化と予想外の新たな発見があったこと。

1 .さんざん悩まされた肩こりがほぼ無くなりました

2. 運動後の爽快感がたまらなく好きになり、こんな状況を与えてくれた医師と妻に「ありがとう」との感謝の気持ちが自然に湧き上がってきました

3. 運動中は集中して身体のことだけを考えるため、仕事などのストレスが減り、「人生なんとかなる」との気持ちが強くなりました

4. その結果、行動や考え方が前向きになり、「何でもやってみよう」との強い意欲が湧き出てきました

5. 以上のような身体と心の変化を感じる中で、「ありのままの自分」を肯定的に捉えられるようになりました

身体だけでなく心にも効く運動。老後の楽しみがまた1つ増えました。

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2018年10月10日 (水)

エスカレーターの乗り方云々

~ わさくの悪知恵 216

去る10月の1週目、台風の影響から「塩害」が発生し、首都圏の各所で停電が発生した際、私も普段使っているJRが運転見合わせとなり、帰宅難民になりかけたが、何とか都営地下鉄を使って最寄り駅に到着してホッとした際にちょっとした「修羅場」に遭遇してしまった。

それは最寄りのJRの駅から乗り換えの都営地下鉄駅に向かう比較的長距離のエスカレーター。普段はJR駅利用なのでそちら方面の退出側の上りのエスカレーターに乗ってすぐの事。反対側の都営地下鉄駅に下るエスカレーターの最前列にいた年配の杖を持った男性が突然何かの発作で倒れた。

そこで周りにいた方々が次々と将棋倒しとなった。その男性を救出しようと何人かが手を貸してエスカレーターから出そうとするがなかなかうまくいかない。

そのまま少しエスカレーター自体は作動していて混乱は増すばかりで、私がその上りのエスカレーターの中間点に来たあたりでようやく停止して落ち着いた様子だった。もし私がすぐ反対側の同位置にいて巻き込まれていたらと思うと少し怖くなった。

日頃個人的には、街中でコロコロキャリーバッグを引きずって歩いている人々がエスカレーターに乗る際に、何が起こるかわからなくて怖いのでなるべく後ろに近付かないようにそれなりに気は使っているつもりなのだけれど…

数日後にあるNHKの番組でこの「エスカレーターの乗り方」について特集をしているものがあったので興味深く視聴した。

そもそも「エスカレーターは立って止まって乗ることを前提に設計されている」という。

「片側空け」が全国に普及するのは1980~90年代以降のことで、首都圏では深い地下鉄駅が相次いで建設されて長距離のエスカレーターが増えたため、「片側空け」が徐々に普及するようになったとの事だ。

首都圏の場合だと左側に立ち右を空ける習慣だが、その番組では体に障害を持った方がどうしても右側に立たなければいけないケースもあり、以下のようなポスターを各交通機関駅に配布して利用者に呼び掛けていると紹介していた。

Photo

しかしながら「あくまでもマナーの問題」「法的な乗り方について明確に定めていない」など、現場や個人の判断に任されているのが実情だ。

首都圏では「左立ち」、近畿圏(関ケ原以西で明石以東)では「右立ち」が一般的だが、その理由は諸説あり過ぎてよくわからないが、世界の主要都市ではどうやら「右立ち」が多いようだ。右利きの人が多いので右手で手すりを持ちやすくするので「右立ち」が多いとか・・・・? (名古屋、札幌、福岡は左立ち…)

さらに探っていくとエスカレーターにも「上座」「下座」があるという。

上りの時は客に先に乗ってもらい、自分の目線が相手の目線よりも低くなるようにする。逆に下りの時は「お先に失礼します」と先に乗り、客を上から見下ろさないようにするのがマナーの「上座」「下座」だそうだ。

いづれにしてもエスカレーターは障害のある方への思いやりも含め、「マナー」向上を心掛け利用しようと思う。

<参考資料>Nikkei Style「エンタメ」「くらし&ハウス」

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2018年10月 4日 (木)

同じやるなら「もう2杯」

この「発想多彩ひろば」には、主に4名の人がエッセイを書いています。

そのうちの一人がおさむさんです。

わたし(さとう秀徳)は以前、「発想多彩クラブ」という交流会を開催していました。今は、「遊子会」に変わっています。

最近、発想多彩クラブの会報を見る機会がありました。

その第1号が発行されたのが1992年9月です。26年前のことです。

その第2号(10月号)に、おさむさんのエッセイが投稿されています。

タイトルは、『「もう2杯」の努力』です。「もう2杯」とは「熱心に」という意味です。

たとえば交流会に参加するとき、ただ参加するのではなく、熱心に参加すると得ることが多いというわけです。

交流会の会報にエッセイを投稿することは、「もう2杯」ということになるわけです。

確かに、同じやるなら「もう2杯」の精神が重要です。

わたしはアイデア発想法の実践研修をしていますが、ただ実習をするのではなく、実習したワークシートを提出してもらい、それに添削・講評を加えています。このことにより、リピートにつながっています。

何事であれ、同じやるなら「もう2杯」です。ただし、お酒の弱いわたしは、お酒については「もう一杯」です。

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