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2018年8月25日 (土)

京都五山の送り火

~ おさむの鳥の目 221

今年の8月16日は、送り火の準備に支障があるかもとも思われる天気予報でしたから、家でテレビで見ることにしました。例年はと言うと、始めはテレビで見、終わり頃に外に出て家の近くから、直接見ることの出来る「鳥居形」を見るというのが例になっていました。

テレビ放送の内容は、冒頭にドローンも使うなど内容豊富な前評判でしたが、映像上での見所とは別に話の筋はオーソドックスで、たいへん勉強になりました。

順番は当然のことながら、東山如意ヶ嶽の「大」が最初で、これは内容豊富、仮に時間の関係で一部を見るとすると、この「大」の部分を説明してもらえば、「大文字」についてのおおよそが分かるというものです。

次は位置的に半時計回りで2番目に当たる「妙法」です。「妙」は松ヶ崎西山にあり、「法」はその右の松ヶ崎東山にあります。この文字の位置について、日本語は古来、横書きは右から左へ書くのですが、この「妙法}はその反対になっています。これについて、「妙」が先に出来ていて、後に「法」を造る時に、左側に山がなかったためのこうなったなど、いろいろ説があるのだそうですが、結果は現代風になっています。

そして次が「舟形」。所在地は京都市北区西賀茂船山で、舟の絵です。この舟は西を向いているのだそうです。若い時、この絵の麓でゴルフをした記憶があり、懐かしい場所です。

「舟形」の次が「左大文字」。字形は「右大文字」に酷似していますが規模は小さく、点火手法その他すべての面で、「大文字」とは異なると言われています。

ここまで四つの送り火を挙げましたが、これらは京都市の市街地の北の地域に横に並ぶ形になっていて、一望することが出来ます。ところが、これらから大きく西に離れたところに最後のひとつ、「鳥居形」があります。

「鳥居形」は、京都盆地の西の地域、嵐山の北の方にあります。ただ一つ、自宅近くから直接見ることが出来る位置にあり、私にとっては特別に近しく感じられます。私が子供の時には、家の二階の窓から見えていました。その後、手前に新しく家が建ち、窓からは見えなくなっていますが、家の近くの小高い所、例えばJR山陰線の横断歩道のところまで3分ほど歩けば、今も直接見ることが出来ます。

このように、「鳥居形」は身近な存在であり、運営の実際も聞き知っていますが、他の大文字と比べて最も違っている点を一つ挙げますと、松明に火をつけてから、所定の位置へ人が運ぶ点です。普通は決められた場所に薪を設置し、それに火を点けるのですが、「鳥居形」は火の点いた松明を人が背負って走り、決められた場所に置いていくのです。

前に一度、渡月端の上から、点火の様子を見たことがありますが、暗くなってからのことですから、人は見えず、松明が自分で動いて、鳥居の形に並ぶように見えます。そのような点火のしかたはほかの大文字には見られないので、大変珍しいと思いました。

ここまで、五山の送り火について書きましたが、これらは以前からよく知られている部分についてのことです。京都での有名な伝統行事ですから、「送り火」については、その全体が世間でよく知られていると思われやすいのですが、実際はそうではありません。現在では、上記五山として確定していますが、明治以前はもう少し流動的であったようです。

明治時代の前には、上記五山の他に、「い」、「一」、「竹の先に鈴(竿に鈴)」、「蛇」、「長刀」の合わせて十山で行われていたと言われています。そして、その詳細は明確でなく、今でもテレビ番組で、上記「い」が点されていた場所を探すという取り組みが放映されていたりもします。

以上、五山の送り火について、確定的な行事としてよく知られている部分と、それ以前の時代に実際に行われていたと言われているが、その詳細が残されていない部分について、私が見聞きした話を出来るだけたくさん書かせていただきました。

(参考 京都五山送り火 https://www.kyokanko.or.jp/okuribi/ )

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カラフルエッセイ  おさむの鳥の目」カテゴリの記事

コメント

五山の送り火は、京都の夏の風物詩。特に暑かった今年の夏。秋が急に色めいてきた九月現在、妙に懐かしく思われます。五山の絵柄は今でもどこかミステリアスなんですね。おさむさんのエッセイを思い出しながら、実際に送り火を見てみたいものです。

投稿: soji | 2018年9月16日 (日) 22時08分

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