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2018年3月

2018年3月27日 (火)

感動力を養う  

~ soji の今日もワクワク 237  ~

2017年10月の衆議院選挙。私の住む和光市がある埼玉四区ではスターが生まれました。

豊田真由子元代議士です。 「このハゲー!」で物議を醸すも無所属で再出馬し、華々しく散って行きました。彼女を見て一句。

四区ではハゲの候補者いなかった

結局どこにも発表せずお蔵入りにしましたが、これをきっかけに本格的に川柳を始めました。

発想多彩ひろばの主催者、さとうさんが活躍する毎日新聞、万能川柳に私も投稿することに。

ハガキ一通に3句書き、週に4回を目標に投稿し続けました。

しかし3カ月続けても何の音さたも無し。一方、さとうさんの柳名「ひねのり」は紙面にしばしば登場するではないですか。

思った以上のハードルの高さに、ついさとうさんにメールで弱音を吐いてしまいました。すると、こんなお返事が。

・・・(前文略)・・・

目標が辛いものだと、確かに続きません。
川柳も、載ることが目標では辛くなります。

川柳においては「うがち」が命です。
うがちとは「見過しがちな事実に気づく」ことです。

なので、気づく(そして句ができる)ことに川柳の喜びがあります。
ここを目標にできればいいですね。

「水平線こんな小さなグラスにも」(山上秋恵)

という名句(万能川柳・秀逸句)がありますが、素晴らしい気づきですね。

「毎日が初体験」でも書いたように、私は厳しい目標を立てたがる癖があります。楽しむために始めた川柳についても、知らず知らずのうちに自分を責めていたようです。

「見過しがちな事実に気づく」「気づくことに喜びがある」これらの言葉で随分楽になりました。

そして3月12日月曜日の朝、さとうさんからのお祝いメールが。あらためて紙面を確認すると・・・ ありました!

和便器じゃたせぬ身体になりました (和光 soji)

ちょっとレトロな喫茶店のトイレにはいったところ、あるのは和便器だけ。しゃがむのがこんなに苦痛になってしまったことに気づいて詠んだ一句です。「たせぬ」は足せぬ。排泄だけでなく、満足感にもひっかけてみたのが評価されたのかもしれません。

東京地方はサクラが開花。あちこちで花見が行われています。しかし道端に目を転じれば、名もない雑草でさえ小さな花を咲かせています。

気づきは感動する力。どんな些細な発見にも動く心を持ちたいものです。

川柳は私にとって、感動力を養ういい訓練になってきました。決して力まず、楽しさを忘れず続けて行きたいと思っています。

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2018年3月25日 (日)

脳のひらめき

~ おさむの鳥の目216

先に、「神経だけではなかった」という標題で、人体の中の情報伝達手段は神経だけではなく、身体の中の臓器がメッセージ物質を出すという方法で情報を発信しているということを書きました。そして、その時は、神経の方は常に繋がっていて、情報を伝達しているのだと考えていました。

ところが、NHKの「人体神秘の巨大ネットワーク」の「脳 ひらめきと記憶の正体」を見て、「神経は常に繋がっているのではない」ことを知りました。

NHKのこの人体シリーズは、司会がタモリさんと山中伸弥教授なのですが、この「脳 ひらめきと記憶の正体」の回には、ゲストとして芥川賞作家の又吉直樹さんが出演しておられました。そして、世界最高性能のMRIを使って又吉さんの脳を調べるというのです。

「つるつるやったら恥ずかしいですね」と又吉さんが言われました。多分、賢い人の脳は皺が多いという言葉が頭にあってのことでしょうが、現在では、脳はそういう形ではなく、繊維状の物が束ねられたタワシのような形に見えます。これは私が言うのではなく、番組の中で「タワシのような形」と書かれていました。

放送があったのが2月4日で、少し日が経っていますので、詳細は正確には覚えていないのですが、強く印象に残っているのは、上記「神経は常に繋がっているのではない」ということです。

どういうことかと言いますと、一つの神経細胞と次に繋がる神経細胞との間に狭い隙間があって、脳がひらめいたときに大量のメッセージ物質がその間を移動するという話でした。「どばっと出る」という表現であったことは鮮明に覚えています。

「脳がひらめく」ということを機械で物理的に知り得ることを示していると思いました。「どばっと」という言葉は、山中教授が感情を込めて言っておられました。この時、わたしは大変なことを教えてもらったと強く記憶に残りました。

私も、35歳から10年あまりの期間、発明家であったと言える時期がありましたので、「脳がひらめく」ということには強い関心を持っています。芥川賞作家やノーベル賞学者の名前が出てきた後に、自分のことを言い出すのは、誠に気が引けるのですが、アイデアを出すということに真剣に取り組んでいたことには違いないので、勇気を出して書かせていただきました。

そして、アイデアを出すとはどういうことであったか、昔を振り返って考え直しています。私の場合、多分、他の人と違っているのは、アイデアをメモしないことでした。考える内容が新製品、即ち「物」であって、その詳細はメモしなくても忘れないと思っていたからです。

毎晩、横になって考えるのですが、途中から考えることはしない。その都度、最初の部分から考えていく。もしも、昨日までと違った考えが出てくれば有難いのだがと思っていましたが、多くは同じことを考えているという状態だったと思います。

新しいアイデアを出すうまい方法はないかと考えていましたが、名案はなかったように思います。ただただ、一生懸命に考える以外ないというのが結論でした。

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2018年3月21日 (水)

命の値段

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 180~

仕事柄、今、とても悩んでいることがあります。それは「命の値段」。

例えば、不治の病にかかった25歳の若者が、画期的な薬によって元気に1年延命できるとします。ところが、この画期的な薬は目玉が飛び出るほど高価で、投与するためには月額で300万円、1年間で3,500万円必要です。そんな場合、この若者にこのよう高価な薬を投与し続ける意味・意義があるのかと言う悩みです。

人間の命は地球より重い、と言う人がいらっしゃいます。そんな人間の命を救うためにはお金に糸目をつけずにいくらでも払うべき、とのご意見も分かります。では、もし、この患者が前途有望な25歳の若者ではなく、80歳の老人だったらどうでしょうか?

ご存知のように、日本は国民皆保険の国ですから、どんなに高額な薬であっても公的医療保険や高額療養費制度からほとんどが支払われ、患者個人の自己負担はそれほど多くありません。先に挙げた3,500万円も例外ではなく、そのほとんどが公的医療制度から支払われます。

このように、一患者の立場からは日本の公的医療制度はとても優れた制度なのですが、問題はその財源。 公的医療保険や高額療養費制度は、納税者が納める税金や、多くの国民が払っている公的医療保険費を財源として成り立っています。80歳の老人を1年延命するために、皆さんが払った貴重な税金や保険費から3,500万円も払うのを許容する覚悟がありますか?

皆んなから集めたお金なんだから3,500万円くらい払っちゃえ!と言う方へ。もし、同じような不治の病の患者が全国に5万人いるとしましょう。3,500万円 x 患者数 5万人 = 年間1兆7500万円! 現在、国民医療費の中で、捻挫の湿布薬や風邪でもらう抗生物質なども含めると全医薬品総額は約9兆円。この9兆円のうち、なんと20%近くをたった1つの薬で使ってしまうんですよ。どんなに優れた公的医療保険と言えども、これでは破綻してしまうのは目に見えています。

それでは、こんな素晴らしい日本の公的医療保険制度を破綻させないために、私たちは何をすべきでしょうか?私なりに、処方箋を3つほど考えてみました。

1つめは、公的医療保険のカバー範囲を「命にかかわる病気」だけに限定し、捻挫の湿布薬や風邪でもらう抗生物質など「命に関わらない軽い病気やケガ」は全額自己負担とすること。

肥満や喫煙治療などの自業自得型は完全自己負担として、難しいのは「命にかかわる病気」の線引き。特定のがんや致死的感染症は当然含まれるとして、心臓病や認知症はどうでしょうか?これらは命にかかわる病気ではありませんが、保険でのカバーは必要そう。う~ん、も少し議論と合意形成が必要なようです。

2つめは、医療費全体を圧迫するような超高額薬の値段を下げること。

一見、これは有効そうですが、大きな落とし穴があります。それは薬を開発し提供する側の問題。薬の開発には莫大な経費と時間がかかり、また、開発の成功確率も他の製品に比べて極めて低いのが特徴。そのため、どうしても画期的な新薬は高額にならざるを得ません。もし強制的に値段を下げたら、企業が開発意欲を失ってしまう恐れに加えて、欧米企業が日本での新薬開発と発売を諦める事態もあり得ます。欧米で使える新薬が日本では使えない、との悪夢が再び現実になるかも知れません。

さて、3つめ。1年延命の「費用対効果」を算出し、投与対象患者を絞ること。

ここで話は最初に戻り、前途有望な25歳の若者と80歳の老人の比較。どちらの命も地球より重いのですが、はたして「命の値段」は同じでしょうか?逸失利益の計算などで、それぞれの「費用対効果」を算出することは机上では可能です。ただし、老人には老人なりのイブシ銀のような価値があります。その価値はお金では測れません。したがって、「効果」についての考え方は百人百様、これももう少し議論と合意形成が必要なようです。

う~ん、どれも決め手に欠けますね。「命の値段」について、あれこれ悩んだあげく、結局、答えは出ませんでしたが、今後も引き続き考えていきたい問題です。

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2018年3月16日 (金)

歴史の謎から

~ 池さんの歴史ナルホド! 04 ~

今まで3回にわたって歴史を学ぶおもしろさについて語ってきた。今回はその4回目である。今回は、かつて歴史を学んだ時に自分にとって「謎」だったことが、改めて学びなおしてみると、その謎が解けることがある、それがまた面白いということである。

かつて歴史の授業で、大政奉還で江戸幕府が終わり、新政府誕生のときに、「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、これをきっかけに旧幕府方と新政府方の2年間の内戦(戊辰戦争)があって、新政府方がこの2年間の戦いに勝利したことで新政府による新しい政治(明治維新)が行われるようになったと学んだ。

そのかつて「鳥羽・伏見の戦い」を学んだ時に不思議に思ったのは、江戸時代あれほど他藩に対して圧倒的な軍事的な強さを持った旧徳川幕府方が、たかだか薩長2藩を中心とした新政府軍に、なぜもろくも敗北したのかということであった。しかもこの戦いでは、旧幕府軍の方が新政府軍より人数が多かったらしいというのでますます分からない。

そのとき教えてもらったのは、旧幕府方の武器が旧式で新政府軍より劣っていたとか、旧幕府軍は戦い方においても旧式であったということなどである。それで一応はそんなものかとおさまっていたら、後に、旧幕府軍の武器は決して新政府軍の武器より時代遅れでなく、しかも旧幕府軍はフランス式の軍事調練を受けていたということを知った。それでますますわからなくなった。

そして最近、次のようなことを知った。

< 旧幕府軍の敗因は? >

(1)従来言われてきたのは、幕府軍の装備が薩長の新政府軍に比べて時代遅れで劣っていたという説だが、これは当たらない。親幕府勢力の会津藩・桑名藩・新撰組などは刀や槍及び旧式銃の装備だったが、旧幕府軍歩兵部隊はフランス式調練を受けており、装備も薩長並みまたはそれ以上の銃と大砲を持っていた。

(2)それよりも、旧幕府軍が1万5000人という新政府軍5000人の3倍の兵を有しながら、それを狭い鳥羽伏見に集中し、しかも縦隊にぎゅうぎゅう詰めで進撃させたために、大軍の利を生かせなかったことなど、軍事作戦を立案・指示する幹部に有能な人材が不足したことが大きい。

(3)さらに、旧幕府軍は大軍であったことと旧幕府軍という今までの圧倒的な権威と強いだろうというイメージがあるので、できたばかりで得体の知れない新政府軍はおそれをなし、簡単に京都に入れるだろうと油断したきらいがある。

(4)また、岩倉具視が薩長に作らせた「錦の御旗」の登場の効果も大きかった。この旗の登場で新政府軍は「官軍」、旧幕府軍は「賊軍」というイメージが作られ、「錦の御旗」の登場した1月5日に戦況は一気に新政府軍有利に転じた。

(5)この時の徳川慶喜の責任を問う声も大きい。慶喜は1月3日の戦いの開始日に感冒で(仮病?)で大阪城に引っ込んでいたこと、4日の両軍は一進一退を続けたにもかかわらず、5日に「錦の御旗」が登場すると、慶喜は多くの兵を置き去りにしてわずかな取り巻きとともに大阪城を脱出して江戸に逃げ帰ってしまった。これが総大将では勝てない。

しかし、慶喜にすれば、この時は恭順して京都から大坂に退出したのであって、まわりに総大将として担ぎ出されてはいても、最初から新政府軍と戦う意志はなかったとも言われる。
 
こうして新たなことが分かって、かつての謎が解けてみると、歴史はさらにおもしろい。

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2018年3月11日 (日)

ウォーキング~整骨院

~ わさくの悪知恵 210 

昨年の後半から治療?している血糖値が良かったり、時に急激に上がったりで、何かもう1つ位日々の生活習慣で改善すべくものを取り入れようと始めたのが「ウォーキング」。

「散歩」ではない「ウォーキング」。

元々運動して体を動かし汗を出すのが好きな方なのだが・・・

日頃の通勤に取り入れ、とりあえず週に2日ほどは一日に13,000歩以上歩くようにしている。これまでの平均が一日8,000歩前後なので40%弱のUPで、往復で時間にして30分弱のプラス、距離にして地元のJR1駅弱分くらいだろうか。

週2日であれば無理なくできるであろうとはじめる。今のところ無理なくこなしているが、気候がよくなってくればもう1日ほど増やせるかもと思っている。

朝の往路では割と気が張っているためか無心に近い状態で歩いているが、夜の復路は割とリラックスしているためか新しい色々な「アイデア」などが沸いてきている。

嬉しい消費も出てきた。

私はラジオ文化ファンであり、週に4つ程のFM番組をタイマー録音し、欠かさず通勤時間帯を中心に聞いているが、このウォーキングで聞ける時間の幅が広がり、4つの番組を消化するに余裕が生まれたのは嬉しい発見だ。

それに関連する訳ではないが・・・

私はここ20年以上仕事場近くの「整骨院」に大体週1のペースで通っている。

ウォーキングとは別に「草テニスプレーヤー」になって早30年が過ぎ(現在は週一の90分のレッスン通いだけだが)、そのメンテも兼ねて通っている。足の「肉離れ」も何回か経験しておりお世話になっている。

その間オーナーが3人変わっているが、私は通い続けている。日々の仕事を終えて立ち寄るのに丁度良いところにあるからだろうか。

現在の院長は40代半ばの男性。昨年の3月で故郷の三重に帰られることになっていたが現在まで後継者がいないようで彼が続けて治療をしてくれている。

ただ現在一人で切り盛りしているためと、患者/ファンが多いためか混んでいるのが難点だ。混んでいようとも患者一人にかける治療時間は一切短縮妥協などしないところが支持を受けているのかと思う。

そこで「ウォーキング」をはじめてから言われるのが、「背中と腰がかなり張っています。」だ。

混んでいたり、自己都合で2週に一度ペースになるとこの状態のようだ。自覚症状はないのだけれど。

前回治療を受けた際には「張りは段々となくなりつつある」と言われた。勝手に「ウォーキング」が体に馴染んできているのではと解釈。

よく言われるのが「ゆっくり入浴して体をほぐし、簡単なストレッチを」だ。どんなストレッチがよいかも教えてくれるので有難い。

「ウォーキング」と「整骨院」、今後も長いお付き合いになりそうだ。

最後にあれから早7年。3/11に合掌。

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2018年3月 6日 (火)

柔らかい発想

創造システム研究所(さとう秀徳)のコンセプトは、これまでは「前に進もう!」でした。

これからは、「柔らかい発想」をコンセプトにします。

前に進むことは重要ですが、その前に柔らかい発想をする必要があります。

常識や固定観念にとらわれず柔らかい発想をすることで前に進むことができます。

社会に目を向けると、AI化やEV化などが急速に進み世の中が大きく変化しています。

このような状況の中、トヨタの豊田章男社長は次のように言っています。

「100年に一度の大変革の時代に入った。『生きるか死ぬか』という瀬戸際の戦いが始まっている」

こうした時代にあって、従来の発想にとらわれていては生き残ることができません。

業種や職種を問わず誰にも、変化に応じた柔らかい発想が強く求められています。

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2018年3月 1日 (木)

続・得をするクセ、損をするクセ

~ soji の今日もワクワク 236  ~

前回、「得をするクセ」と書きながら、何となく違和感を感じてい ました。

手癖、悪癖、女癖・・・

クセとはもともと悪いもの。「得をするクセ」 という表現は正しくないのではないか。そこで「クセ」 について広辞苑で調べてみると、

偏った嗜好または習慣。欠点、非難すべきこと

と書かれていました。思った通りです。ちなみに「習慣」は、

日常の決まりきった行い。しきたり、ならわし、慣習。後天的に習得し、比較的固定して、少ない努力で反復出来る行動様式

ですので、本来の言葉の意味を正確に反映すると、「得をする習慣 、損をするクセ」と言い換えた方がよかったのかもしれません。 そして、「損をするクセ」を矯正するのがまさに「得をする習慣」と言えるのではないでしょうか。ここでは、 私が現在取り組んでいる習慣づけへの工夫について、2点ご紹介いたします。

まず一点目は、「これまで行っている習慣に相乗りする」

私は高血圧で、定期的に通院して薬をもらっております。先日、かかりつけの先生から、朝晩2回づつ、血圧を測って記録するように 、と言われました。1回では値がばらつくので2回計測して平均をとるようにとのこと。2か月後の診察には、血圧記録シートを提出しなければなりません。ずぼらな私には、酷な宿題です。

通常、朝起きたら歯磨きと洗顔を行いますね。 私も子供のころからの習慣で、やらないと気持ちが悪くなります。 この習慣に血圧測定を紐付けることにしました。つまり、血圧を測 らないと、歯が磨けないルールを自分に課してみたのです。これは 効果てき面。朝の習慣づけは比較的すんなり行ってます。

問題は夜。飲酒の好きな私は、外でも家でも、酔ったらそのまます ぐに寝てしまうのが悪いクセでした。そのため、 何度測定をすっぽかしたか。そこで考えました。 夜の歯磨きと紐付けしようと。起き抜けの儀式と同様のものを、 就寝時にも出来ないかと。血圧を測る前に眠るべからず。 しかしこれは定着まで少しかかりそうです。 昨夜も忘れてしまったし。

二点目は、「アプリを活用する」

私は、土日の休日はついグダグダしてしまう悪いクセがあります。 部屋に閉じこり、ラジオを聴きながらネットサーフィンに明け暮れて しまいます。そこで活用しているのは、健康増進の無料アプリ「 aruku&」(あるくと)。その名の通り、 歩数を記録するアプリです。

ユニークなのは道路地図上の現在地に、自分を示すイラスト(男性、 女性のどちらかを選定)が表示されること。地図上には様々なイラ ストによる“住人”が現れ、彼ら、彼女らの指示する歩数を歩くとポイントがもらえ、協賛会社のプレゼント懸賞に申し込むことが出来ます。上手く当選すれば歩くだけで景品ゲット、 となるわけです。

特に私が気に入ったのは、一日一万歩の目標達成を何日連続したか で、ポイントがもらえるというもの。このため、これまで外出したくなか った休日も散歩にだけは出るようになりました。 一度面倒臭くなって記録が途絶えてしまったのですが、 そのときの悔しかったこと。アプリに躍らせれていると言えばそれ までです。が、いい動機づけになっています。

「aruku&」のいいところは、とにかく歩く目標に向けて、楽しく、苦しまずに達成させようと工夫していること。前回私は、「 最初は頭もカラダも抵抗を示すでしょう。でも続ける。辛くても続 ける。やがてそれをしていないと気分が悪くなるまで」と書きましたが、もはや根性もへったくれもないオヤジの私。楽しくなけれ ば継続しないことを実感しています。「少ない努力で反復出来る」 これが本当に大事だと思います。

例えば無駄遣いのクセを治してくれる「家計簿」作成アプリや、楽 しく出来る「ダイエット」支援アプリなど、探せば今の自分にぴっ たりのものが見つけられるでしょう。こうした最新テクは、 自堕落な自分を監視し、得する習慣づけをサポートしてくれる、力強い味方となってくれるはずです。

もうすぐ春がやってくるこの時期。皆さんも新しい習慣づけを始めてみてはいかがでしょうか。

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