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2018年2月

2018年2月24日 (土)

神経だけではなかった

~ おさむの鳥の目215

人体の中の情報伝達手段は神経だと考えていました。そして、その中枢が脳で、この脳が総てを判断していると考えて、何の疑問も持っていなかったのです。ところが、先日、NHKテレビの「人体神秘の巨大ネットワーク」という番組を見ていて、その考えはとんでもない間違であることに気付きした。

最初の話は腎臓で、腎臓は単に尿を造る臓器であって、体内の不要な物質を体外に排出しているだけと考えられやすいのですが、実はそうではなく、必要な物質を再び体内に戻している。そして、この戻される量は予想以上に多く、しかも、腎臓は、他の臓器に指令を出して、身体の状態を正常に保つように常にコントロールしているというのです。

このように腎臓は非常に重要な働きをしているのですが、その腎臓が出す指令は、メッセージ物質という小さい粒であって、この物質を他の臓器に送ることによって情報を伝達しているのです。

番組では、これを臓器同士が会話をしていると表現していましたが、これは、情報が神経を伝って伝達され、その中枢の脳が判断して、総てを決定しているという私の認識とは大変かけ離れたものでした。

人体は複雑で、総てを一箇所で処理するのは効率がよくないので、それぞれ必要箇所ごとに判断し決定するようになっていると考えるとよいのかも知れません。むしろ、このようになっていないと、生物として生存できないと考えるのが正しいのでしょう。

それよりも、神経という構築された経路を通って、情報が伝えられるのでなく、メッセージ物質という物質を使って情報を伝えるという方法が、この場合たいへん優れているのだろうと思いました。

ところで、このような臓器の中の話ばかりでは、面白くないので、この番組のことに触れます。司会は、ご存知のタモリさんとノーベル賞学者の山中伸弥教授です。タモリさんは、28年も前にNHKの「人体シリーズ」の司会をされているそうです。

そして、今回の企画は「人体神秘の巨大ネットワーク」という、「NHKスペシャル」の中の大型特別企画で、日本のドキュメンタリー特別番組だということです。

そこで、話を戻しまして、この「メッセージ物質」とは何か。ネットで検索して調べてみました。例えば「ホルモン」はと調べると、下記のような答えがあります。

「ホルモンは、、狭義には生態の外部や内部に起こった情報に対応し、体内において特定の器官で合成・分泌され、血液など体液を通して体内を循環し、別の決まった細胞でその効果を発揮する生理活性物質をさす。」

「メッセージ物質」についても、このような答えが出て来ることを期待したのですが、結果は残念ながら、このような簡明な記述には出会えませんでした。

そこで、たくさんの説明の中から一生懸命よみ取って、私なりに理解したのは次のようなものです。

これは、腸の細胞を映像で捕らえたものですが、「ある状況のときに、腸にある絨毛という部分に焦点を当てると、その中がキラキラと輝いていた、そして、この後起きた変化は腸の細胞からミクロの物質が噴出した。この噴出したものはなにか?これが血液に乗って全身に運ばれる。そして脳や胃やすい臓などに腸からのメッセージを伝える」ということが書かれていました。

これは、例えば「ご飯が来たぞ」という情報でもよいのですが、腸が他の臓器にメッセージを伝えて、これを受けた臓器がそれに対する準備をするのです。「メッセージ物質」とは、このような機能をはたしている粒であると理解できます。

このように、身体内の情報伝達は、神経系統だけでなく、血液など体液を通して体内を循環している物質によって体中の臓器が互いに直接情報をやりとりすることで、私たちの体は成り立っているのでした。

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2018年2月18日 (日)

「流域地図」から考えてみる

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 179~

青森県の日本海側に、鯵ヶ沢町という鄙びた港町があります。NHK大相撲解説者 舞の海さんの出身地として知られていますが、同じく津軽出身の太宰治は小説「津軽」の中で、この町を次のように描いてます。やや長文引用の上に旧仮名遣い、なにとぞ御容赦下さい。

「私は、深浦からの帰りに、この古い港町に立寄つた。この町あたりが、津軽の西海岸の中心で、江戸時代には、ずいぶん栄えた港らしく、津軽の米の大部分はここから積出され、また大阪廻りの和船の発着所でもあつたやうだし、水産物も豊富で、ここの浜にあがつたさかなは、御城下をはじめ、ひろく津軽平野の各地方に於ける家々の食膳を賑はしたものらしい。…(中略)… この町は長い。海岸に沿うた一本街で、どこ迄行つても、同じやうな家並が何の変化もなく、だらだらと続いてゐるのである」

明治時代になると、鉄道網の発達とともに海運の中継地としての機能は廃れ、鯵ヶ沢は沿岸漁業の町となりました。漁業の他はこれと言った産業も無い、典型的な寂れた小さな港町のイメージでしょうか。

話は跳んで、世界自然遺産の白神山地。青森県と秋田県にまたがる広大な天然ブナ林で有名です。白神山地の県境付近に「二ツ森 (ふたつもり)」と呼ばれる標高1087メートルの山があります。実は、この二ツ森、先に述べた鯵ヶ沢町に属しているのです。鯵ヶ沢町の中心部からは、なんと90キロメートルもの距離。関東で例えれば、東京駅から山梨県の大月、埼玉の本庄や群馬の太田あたりの距離でしょうか。

太宰治が書いたように、鯵ヶ沢の商店街は海岸沿いだけで、残りの大部分は住む人もいない山岳地帯。しかも、そんな山岳地帯がはるか秋田県境まで90キロ近く延々と続きます。それにしても、鯵ヶ沢町の行政区域って、なんでこんなに細長く歪なんでしょう?

その謎を解くカギは、2つの大きな川(赤石川と中村川)にありました。これらの川は鯵ヶ沢町の漁港近くで日本海に注ぎますが、その源流ははるか彼方、前述の白神山地の県境「二ツ森」付近。秋田県境付近の源流から日本海の河口まで、延々90キロメートル。鯵ヶ沢町の行政区分地図は、この2つの川の「流域地図」そのものだったのです。

「流域地図」って、あまり聞き慣れないことばですが、東京・神奈川を流れる多摩川を例に考えてみましょう。多摩川の「流域地図」は、東京都の奥多摩町、青梅市、あきる野市、羽村市、福生市、昭島市、立川市、国立市、府中市、八王子市、日野市、多摩市、稲城市、調布市、狛江市、世田谷区、大田区、そして神奈川県川崎市まで、なんと18もの市区町村を含みます。「流域地図」には、都県境を越えてもともと「武蔵国多摩郡」だった歴史的・地域文化的に一体感のある地域が広がります。

多摩川の堤防が現在のように頑丈ではなかった時代、多摩川はたびたび氾濫しました。最近の例では、昭和49年(1974年)9月、狛江市付近で堤防決壊した「狛江水害」が知られています。首都圏の住宅地で、しかも多摩川の本堤防が決壊するという、信じられないような光景でした。

この大水害は多摩川沿いの各自治体(例えば、東京都狛江市と神奈川県川崎市など)が、個別に災害対策をしてもまったく意味がないことを世に知らしめました。河川の環境防災対策は行政区分単位ごとに行うのではなく、「流域」全体が1つの生態圏として行う必要性があるのです。そこに「流域地図」の意味と意義があります。

さて、再び鯵ヶ沢町。源流から河口までの川に沿った90キロにも渡る細長~い行政区分は、形こそ歪ですが、「流域地図」全体をたった1つの町でカバーしています。これは、防災上、極めて合理的と言えるでしょう。

「流域地図」に18市区町村が混在する多摩川とは大違いですね。ここは鯵ヶ沢町を見習って、多摩川沿いの18市区町村は、東京都と神奈川県の枠を越えた「多摩県」または「武蔵県」として大合併し独立すべきでしょう。その県庁所在地はもちろん、「武蔵国多摩郡」の国府があった府中市です。

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2018年2月14日 (水)

歴史の謎から

~ 池さんの歴史ナルホド! 03 ~

歴史には、まだ分かっていないことがたくさんある。それらは「歴史の謎」と呼ばれ、いつの日か謎解きの時が待たれている。これもまた歴史のおもしろさである。

(1)邪馬台国はどこにあったのか?

その中でも有名な謎をいくつか挙げると、一つは、「邪馬台国論争」と呼ばれるもの。

邪馬台国がどこにあったのかについては、いわゆる『魏志倭人伝』の記述の読み取り方から、北九州説と近畿説を中心に、出雲説・吉備説・阿波説など多数の説が挙げられているが、どれももっともらしくておもしろい。

私が最近注目したのは『誤読だらけの邪馬台国』。著者は台湾人の張明澄さんで、『魏志倭人伝』の記述を三国時代の中国語で理解しないから謎になる、『魏志倭人伝』が書かれた三国時代の中国語で理解すれば、邪馬台国の場所は自ずからわかると言う。

特に重要なのは「至」と「到」の違いをきちんと理解することだという。つまり「到」は「〇〇へいたる」の意味で、到着地で最終目的地であり、あらたな出発点にならない。「至」は「〇〇まで」の意味で、通過点であり、新たな出発点になるのだそうだ。

そんな簡単なことで邪馬台国の場所がわかるのだそうだ。これにはびっくり。その読み方で読み解くと、邪馬台国は鹿児島県北西部の「阿久根市」になるのだそうだ。
 
(2)本能寺の変はなぜ起こったのか?

「本能寺の変」の原因も諸説があっておもしろい。

明智光秀の<単独説>に、かつて有力だった「光秀の怨恨説」と「光秀の野望説」がある。その他に光秀に影響を与えたなんらかの別の人物または勢力の関与があったとする<黒幕説>に「朝廷関与説」「羽柴秀吉関与説」「黒田官兵衛関与説」「足利義昭関与説」「徳川家康関与説」「四国説」などがある。どれもそれぞれにありそうなのでおもしろい。

この「本能寺の変」の原因に関して、昨年2017年9月に、明智光秀が書いた手紙というのが見つかって新聞報道などで注目をあびた。これは光秀が本能寺の変の直後に、近畿地方の一侍大将である土橋重治宛に書いた手紙だそう。

手紙の主旨は、「明智光秀が織田信長を倒して足利義昭を迎える用意があるので足利義昭に伝えてほしい」というもの。これは信長を倒して、光秀のかつての主人であった足利義昭の将軍復活を実現するねらいという「足利義昭関与説」を裏付けるものになるいう。これでこの説が最有力になったのだろうか?

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2018年2月10日 (土)

3rd Place/サードプレイス/第3の場所

~ わさくの悪知恵 209 

都市生活者の「自宅(ファーストプレイス)」、「職場(セカンドプレイス)」でもない、自分らしさを取り戻せる、または一個人としてくつろぐ事のできるのが「第3の居場所/サードプレイス」と紹介されているのを購読しているメルマガで発見し興味深く思った。

以下讀賣広告者都市生活研究所の「自分の居場所(サードプレイス)に関する調査」(スーモジャーナル住まいと暮らしのニュースに掲載)を参考にさせてもらいながら書き綴ってみたい。

アメリカの社会学者のレイ・オルデンバーグ氏が長年この〝サードプレイス″に関する研究をされており、その特徴として「無料または安価で利用できる」「アクセスがしやすい(徒歩圏内)」「常連客が集まる」「快適で居心地がよい」「古い友人と新しい友人の両方に出会える」などを挙げている。

代表例としてフランスのカフェ、イギリスのパブなどが挙げられているが、これらのビジネスコンセプトも含め日本市場に参入してきたのがアメリカ資本の大手のコーヒーショップチェーン。それが1996年、もう22年前だというからビックリだ。

この調査によると、この〝サードプレイス″を持っているのは25.6%。4人に1人が所有者であるという。その場所については「カフェ喫茶店」「公園や河原、海などの屋外」「スポーツクラブ/ジム/ヨガ」がトップスリー。

年代別にみると20-30代では男女とも「カフェ/喫茶店」がトップであるのに対して、60代男性では「居酒屋/飲み屋」であり、60代女性では「スポーツクラブ/ジム/ヨガ」であるなど年齢や性別によって違いが見られる。

しかしながら60代男性の多くのそれが『居酒屋/赤提灯』であるのに対し、近い将来、若い世代が「バーチャルサードプレイス」として『スマホ』を挙げるようになってくるかもしれないと予測する方もいる。

さらに細分化すると、仕事を持っている人に絞ってみると「通勤時間」との関係が係ってくるという。つまり通勤時間の長い人ほど「第3の場所は持っていないが、その場所は重要だと」答える傾向が強いという結果が出ているという。

わがケースに当てはめてみると・・・・

サードプレイスといわれる場所は〝ある″。

私の場合も同世代に同じ「居酒屋/飲み屋」が該当するだろう。しかも自宅近辺に3軒ほどのお気に入りがあるが、隠れ家的にしているからあまり新しく知り合った人々には紹介したくない「第3の場所」だ。

相方をみればやはり同世代が挙げる「スポーツクラブ・ジム」である。かくなる私も20代半ばに転勤していた地でジムに2年ほど熱心に通ったことがある。

昨年より我が仕事の雇用形態が「嘱託」に変わったこともあり、時間的に少し余裕ができつつあるのでジムの再デビューを狙ってみようかとも思っている。

ただ最新の我が雇用形態から「職場(セカンドプレイス)」があと数年でなくなってしまう可能性が高い。

その場合も「サードプレイス」は「サードプレイス」か?

さて皆様は「サードプレイス」をお持ち? その場合はどちら?

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