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2017年12月13日 (水)

歴史は不変か! 

~ 池さんの歴史ナルホド! 01 ~

私はかつて千葉県に住んでいたが、仕事が終わったのを機に、妻の実家のある長野県安曇野市に転居して、およそ1年半を迎えた。

今では、テニス・トレーニングジム・歌声喫茶・カラオケ教室など様々な活動に参加している。特に歴史は好きで、「安曇氏族の興亡」「信州中世山城」「近代自由主義者清沢洌研究」という3つの勉強会に参加し、他にも安曇野検定講座・安曇野百姓一揆古文書講座などにも参加している。

歴史は学生の頃から好きな勉強だった。昔の人がどんなふうに生きたのか、知るのが楽しかった。かなり夢中で勉強した。でもその頃の私は、歴史というのは過去のことなので確定したことであり、当然変わらないものだと漠然と信じ込んでいたのだと思う。

それが何年かして中学生に教える立場になったために、自分でももう一度歴史の勉強をし直して驚いた。かつて自分が学んだことと教科書に違うことが書いてある。それが幾つもある。

中でも衝撃的だったのは、「源頼朝像」「足利尊氏像」として教科書に載っていた絵が実は頼朝や尊氏ではなかったと言う話。そのため「伝源頼朝像」と書いてあったり、掲載もされていないのだ。もっと驚いたのは、「慶安の御触書」が実はなかった!というのだ。教科書のそれらの変化は調べれば続々と出てきた。

つまり、歴史的事実や考察の多くは決して確定したものではなかったのだ。かつて私たちが知っていた歴史的出来事や考察も新しい史料や遺物などの発見や研究の進展によって変わり、教科書が書き換えられるということも多々あるのだ。

今回は、この一文を読んでくださった方のために、参考までに原始時代や古代史の中から教科書が書き換えられた例をいくつか紹介する。さてあなたは幾つご存じでしょうか?

1.「縄文時代」のイメージは変わった!

かつての教科書では「縄文時代の人々は、採集・狩猟の貧しい生活で移住をして暮らしていた」と書かれていたが、今では、「本格的な農耕の段階まではいかないが栽培も開始しされ、人々の生活は安定して定住も始まった」と変更された。

また、稲作の開始についても「縄文時代には陸稲の栽培が始まった」こと、水稲稲作の開始もかつては弥生時代からと書かれていたが、今では「縄文時代の終わり頃に九州北部で水田による米作りが開始された」と記述されている。

2.「大和朝廷」とは言わない!

かつての教科書では、古代日本を統一したのは「大和朝廷」と書かれていたが、今は「ヤマト政権」または「ヤマト王権」と書かれている。

「大和」というのは奈良時代以後の呼称であり、7世紀までは様々な漢字が当てられていたので漢字ではなく音だけの「ヤマト」が適切であると考えられている。

また、「朝廷」は天皇の下での中央集権的な官僚制機構を持つ政府・政権のこととして、天皇号もなく律令制でもない連合国家のこの時代に当てはまるのは適切でないと考えられるようになった。

ちなみに、古墳が営まれた3世紀中頃から7世紀のことを、かつては、政権の中心が「大和」にあったということで「大和時代」と呼んでいたが、今は「古墳時代」としか言わないようである。

3.「聖徳太子」もこんなに変わった!

①「聖徳太子」という呼び名は後代の呼称でこの時代には使われていなかったというので、現在の教科書では「厩戸皇子(聖徳太子)」または「厩戸王(聖徳太子)」と記述されている。

②彼が就任したという「摂政」という役職も実はこの時代にはなかったようである。

③また、推古朝の国政をリードしたのが聖徳太子だとかつては言われてきたが、今では推古天皇・厩戸王・蘇我馬子の3人の共同政治と考えられている。

④それに推古朝に行われた十七条の憲法・冠位十二階・遣隋使派遣・法隆寺建立もどれも聖徳太子の施策であるとの確証がないので、教科書では誰がやったと書かずに推古朝の施策として記述しているものがある。

⑤さらに、お札の似顔絵になった聖徳太子像は、8世紀半ばに描かれたもので聖徳太子と似ているという根拠がないと考えられている。

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カラフルエッセイ 池さんの歴史ナルホド!」カテゴリの記事

コメント

池さん、初めまして。sojiと申します。エッセイの掲載もさることながら、コメントも出来るだけ書くようにしております。

歴史ナルホド、読ませていただきました。いやー面白かったです。実は私も歴史大好き。歴史の先生、憧れていましたねえ。

特に聖徳太子。一万円や五千円札で昔、たまーにですがお目にかかりました。その時の嬉しかったこと。お札までなったのに、実は素性は定かでなかった。結構ショックですね。聖徳太子は後世の呼び名で、この時代は別の名で呼ばれていた。歴史は後年に作られるものなのですね。

お札つながりで。現在の五千円札。樋口一葉ですが、これ、本名じゃあないんですね。「一葉」はペンネームで、本名は「夏子」だと。この理屈で言えば、私ももし歴史に名を残すとしたら、本名じゃなくて、「soji」になるかもしれません。どう読むのか、なんて論議を呼ぶと愉快ですね。「ソジ」「ソージ」「ソジー」「ソージー」諸説入り乱れたりして。

結局歴史は玉虫色。起きた事実は一つでも、見方によって大きく変わるのが歴史の実態ではないかと、私は思います。歴史を学ぶのはもちろん、歴史観を学ぶことも大事ななのではないでしょうかね。

これからも、楽しみにしています。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: soji | 2017年12月13日 (水) 21時18分

池です。sojiさん、コメントありがとうございます。
初投稿ですので、読んでいただけただけでもうれしいです。
歴史好きとのこと、うれしく思います。
私はこれからも大好きな歴史のことを中心に投稿していきたいと思います。

投稿: | 2017年12月16日 (土) 19時44分

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