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2017年11月 1日 (水)

郷土の偉人に出会う秋(2) 語り部の力

~ soji の今日もワクワク 232  ~

埼玉の3偉人。最後は渋沢栄一です。 歴史大好きのさかもっちゃんを助手席に乗せ、 秋晴れの体育の日にドライブしてきました。

栄一は、1840年(天保11年)武蔵国血洗島村、 現在の深谷市血洗島に農民の子として生まれました。 生家が今でも残っています。

Photo立派な門構えに池のある庭。養蚕場も兼ねた天井の高い古民家は、 さすが近代日本資本主義の父が生まれた家。500の会社を育成し、600もの 社会事業に携わった大偉人だけあります。

建物の中には入れるものの、玄関の土間止まり。 残念ながらそこからは座敷を覗き込むだけです。 解説員のおじいさん。私たちを含む6名ほどの観客に、座るように促します。

「この家は栄一が出て行ったあと、 妹の『てい』がここまで大きくしたんです。 大黒柱に使われている木材は、固くて有名なタガヤサン。 漢字で書くと鉄刀木。だからテットウボクとも言います。 解説している私はトウヘンボク。覚えて帰ってくださいね」

一同、キョトン。ああ、ここは笑うところでしたか。おじいさん、 ひるむ様子もなく、楽しそうに続けます。

幕末、尊王攘夷の影響を受けた栄一は、 高崎城の襲撃を企てるが未遂。 役人の目を逃れるため、23歳の時生家から京都に出奔、 人づてに一橋家に仕えることになる。

やがて一橋慶喜が将軍になると、慶喜の弟、昭武に従って渡仏。 近代ヨーロッパの知識を吸収して2年後、大政奉還により帰国する 。

蟄居する慶喜とともに静岡に。フランスでの知識を活かし日本初の株式会社、商法会所を設立した。そのことが新政府の目に留まり、 大蔵省にスカウトされる。

目覚ましい業績を残すものの、 予算面で大久保利通と対立、わずか3年あまりで辞職。その後、 第一国立銀行を設立するなど近代日本の発展に貢献し、 農民出身にもかかわらず子爵まで登り詰め、91歳で大往生したと。

笑顔あふれるおじいさん。話があちこち飛ぶのが欠点ですが、かえって面白く、興味は尽きません。

「『てい』の2人の息子、 栄一にとっての甥たちも立派な人だったんですよ」

長男は「元治(もとじ)」。東京帝国大学で電気工学を専攻。 家庭用に電気を供給するにあたり、 人間はどの程度の電圧まで耐えられるかを、自分や自分の妻の体をもって実験したといいます。結果、 100Vまでは大丈夫と結論を出し、 現在でもその値が基準になっているとのこと。

次男は「治太郎(じたろう)」。 勉強のために上京した兄に代わり、 この家に残り郷土の発展に尽くしました。 地元でよく採れるねぎを北海道や東北で販売したところ、 その味が評判になりやがて全国に。 現在「深谷ねぎ」が有名なのは、 治太郎の業績が大きいのだとか。

3偉人の記念館やゆかりの地を回って気が付いたのは、本庄、熊谷、深谷の各市がかなり力を入れていることです。映像で偉人を分かりやすく紹介したり、ゆるキャラを作ったりと展示方法にも工夫が見られます。しかしどんなに力を入れても、人が介在しなければ、単なるハードウエアの陳列で終わってしまいます。

立派な業績や、数々の困難を乗り越えたエピソードを伝えるゆかりの品々。それらに血を通わせて語ろうとする「トウヘンボク」のおじいさんの情熱。「語り部の力」を教えられた、秋の一日でした。

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