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2017年11月

2017年11月30日 (木)

見たくないものは見えない

~ soji の今日もワクワク 233  ~

JR新橋駅近くで立ち食いのうどん屋を見つけました。看板には大きく「うどん230円」と書かれています。なかなか魅力的な価格です。

小腹を空かした私は、とろろ昆布を乗せたうどん、290円也を頼みました。レジで300円を出すと「これでは足りません」と言うではありませんか。そうです。290円は税抜きの価格だったのです。

立ち食い屋はスピード優先。ですから注文前に自販機でチケットを買わせるか、税込金額が普通と思っていただけにちょっとムッとした私。

「税抜きならきちんと明記してくださいよ」と抗議をすると、意外にもこんな答えが。「ちゃんと書いてありますよ」

あらためて見ると、看板にもメニューにも、小さな文字ではありますが「(税抜)」と書かれているではありませんか。驚きました。そして私は昔聞いた、ある偉い人の言葉を思い出したのです。

「人間は、自分の見たいものだけ見える。見たくないものは見えない」と。

立ち食い屋はスピード優先。だから税込の金額表示が普通。この私の思い込みが、「(税抜)」の文字自体を見えなくさせていたのかもしれません。

人間、歳をとるにつれ、冒険を排除し、好きなものに囲まれた生活を求めるようになりがちです。そのことに疑問を感じた私は、「毎日が初体験」活動を進めてきました。一日何か一つ新しい体験をし、手帳に書き留めていこうというものです。

しかし正直、億劫になってきました。特に食事。どうしても好きなものだけに偏り、嫌いなものへのチャレンジがなかなか出来なくなりました。嫌いなものは不味い。そんな思い込みがのしかかります。

疲れているときは新しいことはしたくない。今まで培った価値観だけに頼った、だらだらした生き方に憧れてしまう自分がいます。

見たくないものを見る時、嫌な思いをします。だから見ないようにする。結果的に、見えなくなってしまう。同じシーンなのに、実は見ているものは違っていた。世の中のトラブルの大半は、ここに原因を発しているように思います。

きちんと見えるようになるためには、自分の中に芽生えた嫌な感情を排除せず、真摯に受け止めることではないでしょうか。気晴らしは大事ですが、そのことで問題点から目をそらしてしまっては、ことは深刻になるばかりです。

「毎日が初体験」活動の中に、その日体験したネガティブな感情も、敢えて書き留めていこうかと思います。思い込みが激しくなった自分に喝を入れるためにも。

今年一年、私の拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。皆さま、よいお年を。

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2017年11月23日 (木)

「黒四を助けよう」

~ おさむの鳥の目212

先日、テレビを見ていたら、NHKの「ブラタモリ」という番組で、タモリ一行が黒部川第四発電所を訪れた話が放映されていました。

「黒四」は有名ですから説明不要ですが、私自身分かっているつもりでしたが、たいへんな難工事であったことを再認識しました。

そもそも人間がその工事の場所に到達するのが極めて困難ということが、画面から見てとれて、よくこのような所に発電所を建設する気になったものだと驚かされたのが始まりで、終始、驚きの連続でした。

水力発電は、高い位置に水を貯め、その落差を利用して水が落下する力を電力に変えるものですから、先ず、十分に高い位置に大量の水を貯めることが先決です。「黒四」は自然の高峰を利用してそれが出来る絶好の形状を備えていたから、ここに発電所を建設することになりました。

しかし、その場所は人を寄せ付けない位置であり、この場所に大規模な工事を決行するということは、それはそれは大変な決断です。

そして、当然のことながら工事そのものも難工事で、そういう構造は認められないと指摘されるという事態さえ起ったということです。この事業は、世界銀行から3700万ドルの融資を受けたのですが、その世銀から、水を支える壁の高さが高すぎるから変更すべきだという見解が示されたというのです。

そこで、この山に関してはこの構造で十分支えられるということを証明する工事を、本体の工事と平行して行ったという、その工事現場をテレビで写していました。それだけ大変な事業だったのだと再認識した次第です。

ところで、標題の「黒四を助けよう」ですが、この言葉は、当時、私が勤務していた東洋紡の社内会議で耳にした言葉です。「関西電力では、世紀の大事業である『黒四』建設を、会社の総力を挙げて決行している。社内では『黒四を助けよう』という合言葉の下、『紙1枚節約してこの事業を助けよう』という動きがあるという話です。

この話が本当なのかどうかは分かりません。しかし、大阪に本社のある他の事業会社に、このような話が伝わっているということは、関西電力が、いかに総力を結集してこの事業に当たっておられたかを示していると考えられます。

私が経営企画スタッフとして事業会社に勤務していたのは何十年も前のことです。その当時のことを鮮明に記憶しているということは、「黒四」という事業がどれだけインパクトの大きい事業であったかを示していると思います。

テレビは単に話というだけでなく、映像が伴っているので、情報量が多く、強く印象に残ります。時間を越えて、数十年昔に自分が考えていたことを鮮明に思い出します。  

なお、「黒部川第四発電所」は、工事期間7年、作業員のべ1000万人、総工費513億円、昭和38年完成ということです。太平洋戦争後の関西のエネルギー事情からしても、たいへん重要な大工事であったのだと、今も強く印象に残っています。

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2017年11月19日 (日)

ひとりランチの効用

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 176~

平日、仕事の合間、私は「ひとりランチ」を週1~2回は必ず取るようにしてます。それも意図的に。「ひとりランチ」とは文字通り1人でランチを食べること。

なにやら独居老人のようで寂しげな響きですが、決してそんなことはありません。「ひとりランチ」は前向きでとってもポジティブなんです。

ランチに限らず食事は複数でテーブルを囲みながらワイワイガヤガヤが楽しいのですが、ひとりランチにもそれなりの効用があります。効用をいくつか挙げてみましょう。

まず1つ目は、他人に気兼ねなく新しいお店にチャレンジ出来ること。ガード下のちょいとウス汚れたお店や、路地裏にあるウラ寂れた食堂なんかにチャレンジするのは、「ひとりランチ」の時こそ絶好のチャンス。例え美味しくなくて大失敗だったとしても、自分1人の責任と後悔で済みますからね。

2つ目は、自分がホントに好きなものをじっくりマイペースで食べられること。複数で食べると、当然、そこに会話が生まれます。これはこれでコミュケーションがあって良いことなのですが、その分、自分のペースでは食べられません。私の最長じっくり記録ですが、ホルモン炒め定食に1時間近く費やしたこともありました。味が染み込んだホルモン炒めを、じっくりよ~く噛み噛みしながら至福のひと時でした。

3つ目、次の仕事の構想を練ったり、プライベートのことを考えたり出来ること。おそらく、これが最大の効用。ひとりランチは食事に集中できる分、視覚、嗅覚、味覚に加えて噛む際の触覚と聴覚から得られる膨大な情報が一斉に脳を刺激し、脳の働きを大いに活性化してくれます。そのため、ひとりランチは考え事にぴったり。

ひとりランチ、言葉は寂しげですが、私にとっては午後の仕事に向けた心の平穏と自分を取り戻す大切な時間なのです。

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2017年11月10日 (金)

6回目の岩手県大船渡へのツアーに参加して

~ わさくの悪知恵 206 

去る11月の第1週末にここ数年我が恒例となっている岩手県大船渡へのツアーへ参加してきた。

東日本大震災に対して微力ながら我々も何かできないかと、我が地元千葉県市川市にあるライブハウスに集うミュージシャンたちが働きかけはじめ、2012年から毎年大船渡を中心に数箇所でライブを行うというイベント、今回で6回目だ。参加者は旅人は約60名、現地で迎えてくれる仲間たちが30人弱とこちらは毎年増えている。

過去5回の内容はすべてこのエッセイにて紹介させてもらっているので、こちらを参照してほしい

昨年のこのツアー、我が父が、私が出発したすぐ後に実家の玄関先で転倒し入院。結局それから帰宅することなく半年後に亡くなってしまったので、私自身にもこのツアーはさらに特別なものとなりつつある。

さて、今年は旅人の参加者に少し変化があった。常連の何人かの参加がない。

その理由を聞くと大体2つ。

1つは収入が減って旅費が捻出できないというもの。かくなる私もこの5月からは第一次定年で収入減なので気持ちがわかる。ただ私の場合、ここ数年は年間を通じて旅費を捻出すべく毎月貯金をしているので対処できているのだが・・・

もう1つが家族、特に親の介護のため。私も昨年はそれにぶつかるところだったのだから・・・・ 皆そういう年代にきているということか・・・・

例年通り夜行バスに約8時間揺られ、早朝に大船渡に到着。

Photo昨年までの過去5回、活動の中心としていた「屋台村」なる飲食店集合施設が今年の4月下旬でなくなってしまい、見事に更地になり、かさ上げが行われていた。まったくの更地を見た時に過去5年の思い出が蘇ってきて胸が熱くなってしまった。

しかしながらその屋台村で営業していた多くのお店がすぐそばの「キャッセン大船渡」なる新設になった総合商業施設に移転している。(キャッセン=来やせん=いらっしゃい の意味らしい)

新しいこの商業施設に立ち入り、ビックリした。新しい、きれい、大きい。まるで『新しい町』に来たようだ。

Photo_3このキャッセンの千年広場が今回から我々のライブの中心地となり、オープニングの日のMC
(Master of Ceremonies/司会進行)を私が仰せ付かった。天気も良く、温かい絶好の屋外ライブ日和となり実に気持ち良かった。

その夜に仲間たちをその日を労いながら飲みつつ、この「新しき町」について語り合ったが、これが「復興」のひとつだと考えるなら、当初の我々の微力ながらの「復興支援」としての使命はそろそろ終わったのかもしれないね、などとの声も上がってきた。

確かにそうかもしれないが、現在我々の多くが、大船渡でできた頼もしい仲間たちに会いたいから、あのお馴染みになったお店でまた飲み食いしたいからという目的で訪問するという方向に変わっていっても毎年開催する意義は十分にあると思う。

2012年に始まった時のこのツアーの主旨を各参加者が忘れなければ・・・・

そんなことを胸に留めながら3日間の日程はあっという間に無事に終了した。旅人全員の無事帰還が確認されるとこの旅の終わりが告げられる。

私自身この旅が終わるとその年が終わっていくような寂しい気持ちになってくる。“ジャーニーロス”とでも言ったらよいのだろうか?

来年の開催も決定しており、すでに少しづつ動き出している。

私も当然来年も参加したい。そのためにまた来月から貯金しはじめなければ・・・・

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2017年11月 1日 (水)

郷土の偉人に出会う秋(2) 語り部の力

~ soji の今日もワクワク 232  ~

埼玉の3偉人。最後は渋沢栄一です。 歴史大好きのさかもっちゃんを助手席に乗せ、 秋晴れの体育の日にドライブしてきました。

栄一は、1840年(天保11年)武蔵国血洗島村、 現在の深谷市血洗島に農民の子として生まれました。 生家が今でも残っています。

Photo立派な門構えに池のある庭。養蚕場も兼ねた天井の高い古民家は、 さすが近代日本資本主義の父が生まれた家。500の会社を育成し、600もの 社会事業に携わった大偉人だけあります。

建物の中には入れるものの、玄関の土間止まり。 残念ながらそこからは座敷を覗き込むだけです。 解説員のおじいさん。私たちを含む6名ほどの観客に、座るように促します。

「この家は栄一が出て行ったあと、 妹の『てい』がここまで大きくしたんです。 大黒柱に使われている木材は、固くて有名なタガヤサン。 漢字で書くと鉄刀木。だからテットウボクとも言います。 解説している私はトウヘンボク。覚えて帰ってくださいね」

一同、キョトン。ああ、ここは笑うところでしたか。おじいさん、 ひるむ様子もなく、楽しそうに続けます。

幕末、尊王攘夷の影響を受けた栄一は、 高崎城の襲撃を企てるが未遂。 役人の目を逃れるため、23歳の時生家から京都に出奔、 人づてに一橋家に仕えることになる。

やがて一橋慶喜が将軍になると、慶喜の弟、昭武に従って渡仏。 近代ヨーロッパの知識を吸収して2年後、大政奉還により帰国する 。

蟄居する慶喜とともに静岡に。フランスでの知識を活かし日本初の株式会社、商法会所を設立した。そのことが新政府の目に留まり、 大蔵省にスカウトされる。

目覚ましい業績を残すものの、 予算面で大久保利通と対立、わずか3年あまりで辞職。その後、 第一国立銀行を設立するなど近代日本の発展に貢献し、 農民出身にもかかわらず子爵まで登り詰め、91歳で大往生したと。

笑顔あふれるおじいさん。話があちこち飛ぶのが欠点ですが、かえって面白く、興味は尽きません。

「『てい』の2人の息子、 栄一にとっての甥たちも立派な人だったんですよ」

長男は「元治(もとじ)」。東京帝国大学で電気工学を専攻。 家庭用に電気を供給するにあたり、 人間はどの程度の電圧まで耐えられるかを、自分や自分の妻の体をもって実験したといいます。結果、 100Vまでは大丈夫と結論を出し、 現在でもその値が基準になっているとのこと。

次男は「治太郎(じたろう)」。 勉強のために上京した兄に代わり、 この家に残り郷土の発展に尽くしました。 地元でよく採れるねぎを北海道や東北で販売したところ、 その味が評判になりやがて全国に。 現在「深谷ねぎ」が有名なのは、 治太郎の業績が大きいのだとか。

3偉人の記念館やゆかりの地を回って気が付いたのは、本庄、熊谷、深谷の各市がかなり力を入れていることです。映像で偉人を分かりやすく紹介したり、ゆるキャラを作ったりと展示方法にも工夫が見られます。しかしどんなに力を入れても、人が介在しなければ、単なるハードウエアの陳列で終わってしまいます。

立派な業績や、数々の困難を乗り越えたエピソードを伝えるゆかりの品々。それらに血を通わせて語ろうとする「トウヘンボク」のおじいさんの情熱。「語り部の力」を教えられた、秋の一日でした。

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