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2017年9月30日 (土)

郷土の偉人に出会う秋

~ soji の今日もワクワク 231  ~

荻野吟子(おぎのぎんこ)。

日本の公認女医第一号で、埼玉の3偉人の一人。長いこと埼玉に住んでいるのについ最近知りました。埼玉県熊谷市に記念館があるとのこと。秋風が吹き始めた9月の土曜日、行って参りました。

JR熊谷駅を降りてバスで30分、バス停から歩いて20分。農道を突き抜けた利根川のほとりに記念館はあります。来訪客は私一人。出来て日が浅いせいか清潔な室内ながら、手狭な印象を受けました。

作家、渡辺淳一が吟子の生涯を取材し、昭和45年に著した小説「花埋み」。そしてこの小説を原作とした舞台「命燃えて」。壁に貼られた年表には、小説の一節と舞台写真がちりばめられ、ゆかりの品々が展示されています。室内中央に展示されたドレスは、吟子役の女優、三田佳子が実際に身に付けた衣裳のようです。

後日、私は図書館で「花埋み」を読んでみました。そこには女医第一号という華やかな名声とは全く違う姿が描かれていたのです。

ペリー来航の2年前。妻沼町(現在の熊谷市)俵瀬に生まれた吟子は、10代で嫁いだ夫から淋病をうつされ、子供の産めない体となって離縁。東京で受けた男性医師からの診察が屈辱的であったため、女医を志し、苦難の末、女性で初めて公認の医師となったとのこと。

女医となった吟子はやがて、江戸時代から色濃く残っていた、男尊女卑の風潮に悩み始めます。婦人開放運動の先駆者として活躍し名声を得ながらも、13も年下の男性に求婚され、周りの反対を押し切って39歳で再婚。そしてすべての名声を捨てて、夫と共に北海道に渡るのです。しかし過酷な労働の中で夫が亡くなった後東京に戻り、医院を開業したものの、もはや彼女の知識は時代遅れ。7年後、養女に見守られ一人63歳の生涯を閉じたのでした。

東京に戻った後の吟子の様子は、小説にも詳しくは書かれていません。一度は諦めた女としての幸せ。そのために血がにじむような努力の末に手に入れた名声を捨て、愛する人を追いかけた。そんな自分を晩年、果たしてどう思ったのか。もし彼女が東京に留まっていたとしたら、どれほどの偉業を成し遂げたでしょう。でも私は思います。明治という女性に過酷な時代にあって、すべてを投げ出して愛の道を選んだ生き方こそ、荻野吟子の偉業ではなかったかと。

Photoちなみに「花埋み」の意味は、棺の中に横たわる故人のまわりを、花で埋めてあげることだそうです。記念館の横には吟子の像が建立されていますが、本当はこうして奉られることなく、静かに眠っていたいのかもしれません。

どんなに日の当たった偉人でも、その生涯の中には必ずどこかに暗い影があるものです。その影を見つけるたび、自分と変わらないじゃないかと共感したり、涙したり。そして一生懸命生きてさえ行けば、たとえ偉業を成し遂げられなくても、ちょっとくらい胸を張ってもいいかなと思ったりするのです。

荻野吟子記念館。物憂い秋に、何かとても大切なことを教えてもらった気がします。

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