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2017年8月

2017年8月31日 (木)

郷土の偉人に出会う夏

~ soji の今日もワクワク 230  ~

本庄市は埼玉県の北の端。私の住む和光市は南の端なので真逆に位置します。

そんな本庄市に住む方から、市民による群読劇が2017年8月11日、山の日に行われると聞いて、さかもっちゃんと行って参りました。タイトルは「塙保己一物語」。

塙保己一(はなわほきいち)と聞いても、分からない方がほとんどでしょう。江戸時代後期に活躍し「群書類従」を著した盲目の国学者。ましてや、本庄市が出身だとは私も全然知りませんでした。

会場の本庄市民文化会館は大入り満員でびっくり。1,200人の収容ながら立ち見が出るほどです。「脚本や演出はプロの人がやってくれたけど、出演者はみんな素人だから」の言葉を軽く考えていました。

ステージにはひな壇が据えられており、40人ほどでしょうか、すべての出演者が座ります。シーンごとに登場人物が中央に出て、寸劇を行うのです。語り手の女性やコーラスの女子高生は浴衣姿。当然、登場人物の衣装は江戸時代風に仕立てられていました。いえいえどうして、本格的ではないですか。

幼いころの病気がもとで盲目となってしまった辰之助。後の保己一は、延亨3(1746)年生まれ。15歳で故郷、武蔵国児玉郡保木野村から江戸に出て来ます。その後修行に励むものの鍼、按摩、音曲など何一つ上達せず、絶望して自殺未遂まで起こす始末。しかし抜群の記憶力から学問に目覚め、やがて古今東西の書物を整理、再編纂した「群書類従」の発刊に着手。国学を学べる「和学講談所」の設立を、時の老中、松平定信に認めてもらい、文政2(1819)年、群書類従666冊を完成させます。そして盲目者の最上位に位置する総検校となった文政4(1821)年、76歳で死去しました。

群読劇は、保己一の生涯を時系列で追いかけながら、多大な功績と彼の人間的な魅力を、私たちに教えてくれました。劇化実行委員会の主催で、名誉顧問は埼玉県知事。名誉会長の本庄市長は、松平定信役でステージに上がるほど。県や市、市民が一体となっての、熱い熱い劇でした。

埼玉の三偉人。一人目はこの塙保己一。二人目は、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一。そして三人目は近世における女医1号となった荻野吟子(おぎのぎんこ)。渋沢は保己一の偉業を顕彰する温故学会の設立に協力。荻野は、群書類従の中にあった令義解に女医の規定が書かれていたために、資格を取得できたといいます。

さらに。誰もが知る偉人、三重苦のヘレンケラー。彼女の心の支えになったのが、この保己一だったと初めて知りました。戦前に来日した際、真っ先に東京の温故学会を訪ねたとのこと。埼玉県では「塙保己一賞」を設立。盲目者や盲目者に対する功績のあった者をたたえ、毎年賞を贈っているそうです。また聞くところによると、この劇を演じた子供たちの中から、役者を志す者も現れたとか。現在でも影響を与え続ける保己一の魅力に、すっかり心酔いたしました。

Imag0241JR八高線児玉駅からほど近い、塙保己一記念館。リニューアルオープンしてまだ間もない、立派な施設です。8月、三連休の初日。さぞかし混んでいるだろうと思いきや、来場者は私とさかもっちゃんの2人きり。受付のおじさんに、「これからこれ(塙保己一物語)を観に行くんです」と言ったら寂しそうに笑っていました。

夏祭り、おみこし。そして夜空を彩る大花火。これらの風物詩もいいですが、夏こそ平和な今日の日本を築いてくれた、偉人たちの功績を見て回る大切さを実感した次第です。

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2017年8月23日 (水)

京都大文字の「鳥居形」

~ おさむの鳥の目209

8月16日は、京都五山の送り火の日です。

ご承知の通り、大文字は「大」、「妙法」、「船形」、「ひだり大」、「鳥居形」の五つがあります。この内、「鳥居形」は、京都盆地の中心地からは、西へ大きく離れていて、その上、「鳥居形」のある山は低いため、あまりよく見えないという欠点もあるため、上記五つの大文字の中では、最も知名度が低いとされています。

しかし、私にとっては、唯一、自分の家から直接見ることができる大文字であり、大変かかわりの深いものでした。昔のことになりますが、子供の時は、自宅の二階の窓から、直接きれいに見えました。このような次第で、この「鳥居形」は、私にとっては特別の存在で、大文字といえば、「鳥居形」が頭に浮かびます。

そして、この「鳥居形」は、ほかの大文字と違って、あらかじめ定位置に設置された薪に火を付けるのでなく、火の付いた薪を人が担いで所定の場所に置いていくという方法で文字を作っていきます。

したがって、遠くから見ると、山肌を火が走っているように見えます。以前、嵐山の渡月橋の上から、その様子を実際に見たことがありますが、遠くて暗いため担いでいる人の姿は見えません。したがって、どう見ても本当に火が走っているとしか言いようがないと思いました。

これは普通に遠くから見た話ですが、今回は、テレビの映像で、解説付きで見ましたので、実際の姿を手に取るように知ることが出来ました。所定の位置というのが、金属製の固定された設備で、運んでいった火の付いた薪を差し込むような形で固定するようになっていました。

問題は燃えている薪を担いで走る経路が登り坂を含むことです。最大45度の登り坂を駆け上がるのは重労働で、これは若い人の担当です。このように、全体として作業が成り立つよう長年の経験で、うまく組織されているようです。

これは「鳥居形」の運営面からの話ですが、見る側から言うと、冒頭に書きましたように、今は、家の窓から見ることは出来ませんが、2~3分歩いた所にある高台から見えます。

周りの状況が変わるので、年が経つにつれて、見え方が少し変わってきます。今年は鳥居の形が正面からしっかり見えました。実物を直接見ることには、大きい意味があると思っていますので、これは幸運と感じています。間に大きい建造物でも出来ると、全く見えなくなる可能性はあるので、現状は満足すべきものと言えます。歴史に直接触れる数少ない接点ですので、大事に考えたいと思っています。

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2017年8月19日 (土)

オハイオございます

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 173~

仕事柄、米国からの仕事仲間を日本へ迎える機会が多いのですが、その際、日本での生活に最低限必要な2つの簡単な日本語を教えるようにしてます。

それは「おはようございます」と「どうもありがとう」。日本人と交わす頻度の多い、最も基本的な日常の挨拶です。米国人がこの2つの言葉を口にするだけで、ラーメン屋の店員さんや初対面の方の態度や印象がガラリと変わります。まさに言葉のチカラですね。

こんな「おはようございます」と「どうもありがとう」を日本語完全初心者の米国人にどう教えるか? ここが工夫のしどころ。その秘訣は、米国人にとって馴染み易い言葉に置き換えること。

まず、「おはようございます」は、「オハイオございます」と教えます。

「オハイオ」は米国の州の1つで、米国人なら誰でも知っている地名。米国の真ん中あたりの最も北側、カナダとの国境沿いに位置し、気候は良好でとても過ごしやすい土地。オハイオ州の北は広大なエリー湖に面し、森林地帯や野生動物も多い素敵な場所なのです。そんな爽やかなイメージのオハイオから、爽やかな朝の挨拶「オハイオございます」と覚えてもらいます。

この記憶法の問題点は、オハイオ州の隣の州で、同じように爽やかイメージの「イリノイ」と混同し、たまに「イリノイございます」と挨拶する米国人がいることでしょうか。イリノイ州もそれなりに爽やかなのですが、広大な平原地帯しかなく、爽やかな大自然の朝のイメージはオハイオ州ほどではありません。

2つ目の「どうもありがとう」は、「どうもアリゲーター」と教えます。

「アリゲーター」は米国南部に生息するワニで、米国人なら誰でも知ってる動物。アリゲーターはとても温和でおとなしい動物で、以前はワニ革の貴重な供給源として人々から感謝されてました。そんなワニ革に感謝イメージのアリゲーターから、感謝の言葉「どうもアリゲーター」と覚えてもらいます。

この記憶法の問題点は、別のワニの種類「クロコダイル」と混同し、たまに「どうもクロコダイル」と感謝する米国人がいることでしょうか。クロコダイルはアリゲーターに比べてかなり獰猛かつ狂暴で、感謝のイメージにはまったく似合いません。

さて、こんな外国語の記憶法ですが、別に目新しいものではありません。難解な英単語を日本語との語呂合わせで記憶した方も多いのではないでしょうか。私の記憶法を以下に少し紹介します。

amnesia (記憶喪失、健忘症): あ~むなしい、記憶喪失 
asthma (喘息):東(あずま)さんは喘息
atelectasis (無気肺):ムキになってアテレコ
elucidation (説明):居留守でションベンしたと説明
hallucination (幻覚):春、死ねと幻覚
osteoporosis (骨粗鬆症):押す手をポロリ、骨粗鬆症
ubiquitous (どこにでもにある):指切った事故はどこでも起こる
ulcer (潰瘍):あるさぁ、胃に潰瘍が
tremendous (とてつもなく大きい):鳥が目を出すほど大きい

下品な記憶法ばかりでスミマセン。そこで、本エッセイの最後は高尚なお話で締めましょう。

最近、日本では絶滅した野生カワウソと思われる動物が、長崎県の対馬で撮影されました。もし、これが二ホンカワウソであれば大発見となります。

カワウソは英語で otter(オッター)。ちなみにラッコは sea otterと、同じイタチ科らしい名前。日本のラッコは北海道沿岸に細々と生息してますが、ニホンカワウソは残念ながら絶滅してしまいました。「むか~し昔、日本にはカワウソがオッターそうじゃ~」と覚えましょう。

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2017年8月10日 (木)

18年振り訪問の富山

~ わさくの悪知恵 203 

先日、酷暑の中を18年振りに富山市を訪れた。

我が仕事の彼の地の得意先の取締役が亡くなられ、その方を「偲ぶ会」に会社代表として出席のための日帰り出張だ。

現我が社の陣営では一番私が縁が深いと思われる得意先なので、今回は私から立候補で出席を申し出た。

私が営業職を上がったのがちょうど18年前で、富山訪問はそれ以来となる。

北陸新幹線にも初乗車。ちょうど夏の臨時便で往復できたので、東京から富山までの停車駅は上野~大宮~長野~富山のみ。東京から富山まで2時間10分で到着。つくづく便利な時代になったと思う。

当時を振り返ると、まず福井へ米原経由で移動して~金沢~敦賀へ戻り富山入りし、富山で一仕事終えて空路東京に帰還という北陸1週間のルーティングを組んでいたことをしっかり覚えている。

さて、富山駅に到着してみると・・・・ 

さすがに18年振り、まさに浦島太郎状態だ!

Photo_2富山県には先のルートで毎月ベースで15年通い、ほぼ県内全域を廻らせてもらったとの記憶がある。

今振り返ると言葉に言い表せないほど現地の皆さんに良くしていただいた。その感謝の意は現在も時が経つほどにさらに深くなってきているような気がする。当然我が営業成績も富山が飛び抜けていた。

特に今回亡くなられた方にはお世話になった。2つ思い出に残るその方に纏わる話がある。

まず営業の駆け出しとしてデビューしたての我が20代半ば、ちょうど大雪が降っている日に訪問していて、それに備えるべく靴を履いていない私に「早く雪靴を買って来い!」と説教をもらった事。

2つ目はそれから時が経ち、営業職自体も大分慣れてきた頃に、そちらの会社でいつもいただくお番茶がとても美味しいのでどこで買って帰ったら良いか訊ねたら、「これ持ってかれ!」と大きなそのお茶の一束をいただいた。帰京してすぐにお礼の品を送ったらご丁寧にお礼状をいただいた。この流れ実に勉強になった。

それらを除いても、私が富山大好きな理由がある。

それは「食文化の豊かさ」だ!

もちろん日本海で採れる美味しい魚系を筆頭に、(何人かの富山の方々にそれは「日本海」ではなく「富山湾」だと指摘されたこともあるが・・・・)たくさんの美味しい食材が年間通して賞味でき、それらを提供するお店がたくさんある。

当時出張をしていても俗に言う「一人飲み」(現在の「ボッチ飲み」?)が得意でなかった私だが、富山には何軒かそれができるお店があった。それらのお店に入っていくと、大体そこの大将やマスターが笑顔で閉口一番「いつから来とられたん?」と問いかけてくれ、それだけで癒されていた感がある。

今回時間がない日帰りの中、どうしても食したいと思っていた「富山ブラックラーメン」の元祖。本店は車で行き来しないと難しい場所なので、ダメ元でよく通った富山駅から市電に乗って少しの支店に足を運んでみた。やはり18年の歳月は重く、その支店は見事になくなっていたというか、その通り自体が区画整理されていた。

次回富山を訪れるのはたぶん仕事の絡みがなく、ゆっくりとした個人旅行でのものになると予測する。

そしてそれはそれほど遠くない日になると期待している。

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2017年8月 1日 (火)

インドの食文化を初体験

~ soji の今日もワクワク 229  ~

「カレーはスプーンより、素手で食べる方が美味い」

人気落語家、春風亭昇太がラジオで話していたコメントです。カレーにも造詣の深い昇太師匠、本場インドの食習慣通りに食べたところ、はまったそうです。毎日が初体験を継続中の私、早速トライすることにいたしました。

食卓に上った我が家のカレーライス。ご飯の上にかかったカレールー。横に福神漬けとラッキョウが乗っている、ごくごく定番のものです。スプーンを使わず手で食べようとしたのですが・・・無理、どうしても出来ませんでした。にぎり寿司は素手でつまめるけれど、ちらし寿司に指を突っ込む気にはなれない。そんなたとえで分かっていただけるでしょうか。

自宅のカレーライスを素手で食べるには抵抗がある。それじゃあ本場のインドカレーでチャレンジするしかありません。ネットで調べたところ、手で食べられる店を発見。早速行ってきました。

八重洲地下街にあるカレー専門店「エリックサウス」。平日の夜7時ごろに訪ねると、こじんまりとした店内はほとんど満席。一人だったので、運よくカウンターの端に通してもらえました。手で食べられるとネットで紹介されていましたが、誰もがスプーンで食べています。不安になり、店員に確認してみると大丈夫です、と。定番メニューを頼んでみました。水と一緒に出てきたのはフィンガーボール。もう後戻りはできません。

やがて出て来たのはお盆くらいの大皿。真ん中にぱさぱさしたタイ米のライス。その上にパパドと呼ばれるせんべい。横には黄色いサフランライス。そして4種の椀に入った4種類のカレールーとヨーグルト。

Imag0191










食べ方を教えてもらえると期待していましたが、店員は皆忙しく、誰も構ってくれません。しかたなく、スマホで映像を検索し、左手でスマホを眺めながら、トライしてみました。(https://www.youtube.com/watch?v=AcQKYxzVqcA)

カレールーは湯気がたっています。それをライスにかけて恐る恐る指を突っ込むと・・・熱いじゃあないですか。ガマンしながらワシワシと指でまぜていくと、いつの間にか熱さは消えました。一つまみして口に入れてみます・・・

実を言うと、味は良く覚えていないのです。なぜならば、3つの罪の意識に苛まれ、とても味わう気になれなかったからです。

まず一つ目は手づかみで食べること。カウンターの隣で食べていた女性二人組。私が手で食べ始めると、息を飲むように会話が止まりました。その後凍ったような空気が。私は恥ずかしくてとても横を見られませんでした。

二つ目。指でつまんだカレーは崩れてしまうため、口まで運ぶことができません。どうしても口から迎えに行くことになります。昔から行儀が悪いと言われた「犬食い」となってしまう。これがどうも良心をとがめるのです。

そして三つ目。インドでは左手は不浄の手。決して使ってはいけません。ですからコップの水を飲むのも右手。どうするかというとその都度フィンガーボールとおしぼりで手を洗ってからコップをつかむ。油までは落ちず、どうしても コップを 汚します。これがなかなか耐えられないのですね。

こうしたことは、実際に体験してみないと、決してわかりません。毎日は初体験活動は、実は大きなチャレンジ活動でもあるのです。

しかし、日本国内でインドと同じような食べ方が出来るとは思いませんでした。経済成長の著しいインド。これまで以上に多くのインド人がやってくる日も近いでしょう。その際、同席した食事で同じように手で食べられたら、きっと喜んでくれるに違いありません。

今度は仲間を募り、同じ店に行くことを予定しています。たった一人での私のチャレンジを、称えてくれた人たちです。皆でカレーを素手で食べるところを、他のお客に見せつけてやるつもり。あらためてインドの食文化を堪能してきます。

あ、スプーンと素手と、どちらが美味いか。これはまた別のところで実験してみます。大皿の中央にしゃもじでよく切ったライスを乗せ、同じルーをかけて食べ比べる。結果についてはしばらくお待ちを。

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