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2017年7月

2017年7月24日 (月)

「大きい嵯峨野」と「小さい嵯峨野」

~ おさむの鳥の目208

数年前に国内旅行で旅館に泊まった時、帳場で宿泊者住所氏名を書きました。そのとき、「京都市右京区嵯峨野」と書いたところで、「嵯峨野に住んでおられるのですか。よい所に・・・」と言う声が返ってきて、「嵯峨野」の知名度は殊のほか高いのだと思いました。

雑誌などで企画に困ったとき、「嵯峨野特集」にすればよいというのが定番になっているとも聞きますから、嵯峨野はそれだけのビッグネームなのかも知れません。

しかし、上記の会話は、ほとんど立ち話程度の話しですから、ここから先に会話が進むことはなく、ここまでなら、何の問題もないのですが、実は私の頭の中では「実際は違うのだがな。」という思いが消えることはありません。

同じく「嵯峨野」という言葉を使っていますが、その内容が違っているのです。もちろん、先方は雑誌の「嵯峨野特集」に出てくるような「嵯峨野」を頭に置いているに違いないのですが、私は、「それは違う」という思いを消すことができないのです。

「住んでおられる」という言葉が出ていますので、「自分が住んでいる所=右京区嵯峨野」はどういう所か」という考えが、どうしても頭の中にわっと出てきてしまいます。「右京区嵯峨野」は行政上の正式な名称で、実際には、小学校の学区一つ分くらいの面積です。

雑誌の「嵯峨野特集」に出てくる地域は、嵯峨野学区よりは遥かに広い面積です。西隣の「右京区嵯峨(旧葛野郡嵯峨町)」の全体を含む広い地域です。そして、その中には、「京都・嵯峨野」として描かれている所謂「よい所」がすべて含まれているのです。これが「大きい嵯峨野」です。

これに対して、私が住んでいる「右京区嵯峨野」(小さい嵯峨野)は、単なる住宅地であって、「よい所に住んでおられますね」などと言ってもらえる地域ではありません。そういう事情がありますので、ほかの人から掛けられた言葉に対して、私の頭の中では「それは違う」という思いが強く出てしまうようです。

ここで、少し嵯峨野について、客観的な説明を書きますと、ウィキペディアによれば、「嵯峨野は、京都府京都市の地名、太秦・宇多野の西、桂川の北、小倉山の東、愛宕山麓の南に囲まれた付近に広がる広い地域の名称である。」となります。

細かいことは別にして、雑誌の「嵯峨野特集」に出てくる広範な「嵯峨野」と、嵯峨野小学校の学区という狭い地域を指す場所とが、同じ「嵯峨野」という言葉で表されるという不都合な実態が存在するのです。

私の家の最寄り駅は、京福電鉄嵐山線の「有栖川」です。以前はこの駅の名称が「嵯峨野」でした。その当時は、観光客が間違ってこの駅で降りて、「さて。どちらに向かって歩けばよいのか」と戸惑うことがありました。

京福電鉄の「有栖川」(旧「嵯峨野」)駅は、嵯峨野観光の基点としては全く適していないのです。そこで駅名が変更されて、現在の「有栖川」駅になり、この問題は解消されました。

しかし、問題解決とならないのは、依然として「大きい嵯峨野」と「小さい嵯峨野」が並存していることです。駅名の方は観光客が困ると言う大儀名分があるので改善されましたが、「大きい嵯峨野」と「小さい嵯峨野」の並存は困る人がいないので、改善される見通しはないようです。

ところで、現在の嵯峨野小学校の学区という狭い地域を、なぜ「嵯峨野」と言うようになったかについて、一つの仮説を唱えた人がいます。それは、昔。平安京に住んでいた人が、京都盆地の西の方(=嵯峨野)に向かって小旅行に出た時、「もうこの辺りまで来れば嵯峨野だよ」と言ったのが始まりではないかというものです。

安直な考え方ですが、意外にも、これが正解に近いのではないか、とも思います。

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2017年7月19日 (水)

童謡に歌われた「獲得形質」と「遺伝形質」

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 172~

トンボは青く澄み渡った秋の空を飛んでるイメージがありますが、実は、今頃の季節、夏の方が種類・個体数ともに多いとか。夏の間、薄暗い林の中や高い山の上で目立たないように生活していたトンボが、秋になって産卵のため里の水辺や田んぼに集まってきます。

そんな身近なトンボですが古くは秋津(あきづ、あきつ)や蜻蛉(かげろう)と呼ばれ、多くの詩歌に詠まれてきました。万葉の時代、稲の収穫前に群れ飛ぶトンボは豊作・豊穣の象徴。童謡「赤とんぼ」の歌詞とメロディが、多くの日本人に郷愁と安堵の気持ちを誘うのは、そんな古代人の記憶が現代人の遺伝子にも深く刻みこまれているからでしょうか。

現代に生きる日本人の遺伝子を刺激する「赤とんぼ」の歌ですが、トンボを歌った童謡にもう1つ有名なのがあります。それは「とんぼのめがね」。

♪ とんぼのめがねは水いろめがね
♪ 青いお空をとんだから とんだから

♪ とんぼのめがねはピカピカめがね
♪ おてんとさまを見てたから 見てたから

♪ とんぼのめがねは赤いろめがね
♪ ゆうやけぐもをとんだから とんだから
(作詞 額賀誠志、作曲 平井康三郎)

「とんぼのめがね」は、保育園や幼稚園で多くの方が口ずさんだことがあるような定番中の定番童謡。実はこの歌、幼い園児たちには到底理解出来ないような深~い意味を持ってます。「トンボの目の色が、空の色によって変化する」という、生物に及ぼす環境の影響を歌った童謡だったのです。

通常、生物の形や色といった特徴や性質(形質)は親から子へと受け継がれます。それが「遺伝形質」。ところが、この童謡で「トンボの目の色」を決定するのは「空の色」という外部環境。親から子へ、子から孫へ代々引き継がれる「遺伝形質」に対し、「空の色」のような環境の影響によって後天的に獲得した形質を「獲得形質」と呼びます。

生物学の常識は「獲得形質は遺伝しない」こと。つまり、生まれた後、「空の色によって変化したトンボの目の色」は、次の世代に受け継がれることはありません。親から子へ性質や能力が遺伝するのは親から子へ遺伝子が受け継がれるからですが、後天的に獲得した「獲得形質」の情報が遺伝子に書き込まれることはありません。(最新の研究では「獲得形質」の一部で次世代へ引き継がれるものがあることが分かってきましたが、それはまた別の機会にでも)

環境の影響による「獲得形質」を歌った童謡は「とんぼのめがね」だけではありません。なんと、他にもありました。しかも、あの北原白秋の作詞によるもの。

♪ 赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い
♪ 赤い実を食べた

♪ 白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い
♪ 白い実を食べた

♪ 青い鳥 小鳥 なぜなぜ青い
♪ 青い実を食べた
(作詞 北原白秋、作曲 成田為三)

北原白秋は、童謡「赤い鳥 小鳥」で環境の影響による「獲得形質」を語りました。「とんぼのめがね」より30年も前のこと。

「獲得形質」を歌った童謡が続きましたが、次に、親から子へと受け継がれる「遺伝形質」を歌った童謡も紹介しましょう。

♪ ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね
♪ そうよ かあさんもながいのよ
(作詞 まどみちお、作曲 團伊玖磨)

2014年、104歳で亡くなったまどみちおさんは、童謡で遺伝を語りました。ゾウの鼻が長いのは親から引き継いだ「遺伝形質」。ゾウがゾウである所以です。

童謡に歌われた「獲得形質」と「遺伝形質」。童謡って結構奥が深いんですね。

最後に、童謡ではありませんが、北原白秋の詩「薔薇二曲」を紹介しましょう。

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

バラの木にはバラの花が咲きます。当たり前過ぎて何の不思議もありません。つい見過ごしてしまいそうな「遺伝形質」を前に、白秋は生命の神秘を感じたのでしょうか。

白秋は、童謡「赤い鳥 小鳥」で「獲得形質」を語り、詩「薔薇二曲」で「遺伝形質」を語りました。なんと今から100年ほど前、大正時代始め頃のこと。恐るべし、白秋。

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2017年7月11日 (火)

1995年1月17日

~ わさくの悪知恵 202

先日の7月第2週末に2年振りに神戸を訪れた。

神戸を訪れると大体立ち寄るスポットがある。

神戸港中突堤横のメリケンパークに隣接する「震災メモリアルパーク」だ。

Photo_2立ち寄る度にもう22年前のあの「1月17日」を思い出す。

当時の私の仕事は営業職で旅芸人的な生活を送っていて、割と脂が乗ってきた時期かと記憶している。

1月17日も、午前中は都内の得意先を訪問~帰社~夕方に大阪移動で、1週間の三都物語のルートを予定していた。

前日が成人の日の振替で3連休の後の火曜日の朝、都内の得意先に直行すべく自宅最寄りのJRの駅に行くと、関西地区で地震があったとのアナウンスがあった。当時はまだインターネットもそれほど普及しておらず、ましてやSNSなど全くない時代だ。

状況もそれほど詳しく把握できず、午前中の仕事を終え、事務所へ戻り段々と様子がわかって来たが、予定通りに夕方大阪まで移動できるだろうと安易に考えていた。

その状況がしっかりとわかったのが、遅い昼食を取りに行った職場近くの定食屋のテレビニュースで映っていた崩壊した阪急伊丹駅を見てからだ。半端でないダメージに愕然とし、近くに前年から取引をはじめた得意先があったので急に心配になってくる。

急いで事務所に戻り関西方面に電話をかけるが繋がらない(この状態はしばらく続き、何故か公衆電話からは繋がったので頻繁に利用した記憶がある)。

しばしテレビのニュースからの情報を収集するが、現在と比べるとオンタイムで入って来る情報はかなり限られていたのではないかと思う。何しろネットニュースやSNSがない時代なのだから。

神戸、淡路地区が震源となった大地震の発生を認知し、その週の出張をキャンセルとして夕刻予定外で帰宅する。

母が神戸出身で一番上の年老いた姉が一人で住んでいたために、帰宅してすぐに実家へ立ち寄る。

じっと食い入るようにテレビニュースを見ていた母。相当なショックの様がすぐわかった。

2日後に奈良に住んでいる従兄が避難所にいた伯母を発見し、彼の自宅に連れて帰ったと連絡が入り一安心したのを思い出す。伯母の家は全壊だった。

それからしばらくは京都、大阪まで行けてもそれ以西はわが行動範囲からすると阪急西ノ宮北口までしか行くことができず、やっと神戸まで行けた際に実際に自分の目で見た「壊れた」三ノ宮駅周辺の風景は鳥肌が立つほど怖かった。

現在神戸に行ってみればその風景は震災前に戻っているかのように思えるのだが・・・・

あれから22年の間に東日本大震災を筆頭に、つい最近も九州の豪雨などいくつかの災害が発生している。

それらを風化させてはいけないとの思いがあり、神戸を訪れたらできる限り「震災メモリアルパーク」に立ち寄るようにしている。

1月17日5:46AM。これからも忘れない!

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