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2017年6月

2017年6月30日 (金)

嫌いなモノの魅力

~ soji の今日もワクワク 228 ~

私はピーマンが嫌いです。あの苦み、なぜ食卓に上るのか理解できません。出されれば食べますが、特別美味しいと思ったことはありません。

前回ご紹介した「毎日が初体験」活動。まずは今まで決して頼まないメニューを探すことです。よく行く立ち食いそば屋で見つけたピーマン天。今回は勇気を出して頼んでみました。

出されてびっくり。ピーマンが丸ごと、それも2個も乗っているではありませんか。私が知っているのは、タテに2つに切り、中のタネを取り出してからコロモをつけて揚げるもの。しかしこの店のは違ってました。

丸ごとですからおそらく揚げる前に湯がくのでしょう。タネの詰まった茎の付いた側からかぶりつくと、思ったよりも軟らかい。もちろんタネもそのままいただけました。味はというと、あの特有の苦みがありません。ほのかに感じるだけ。それほど不味くはないな、というのが第一印象でした。

毎日が初体験。他人に話すと関心を持って聞いてくれます。ピーマン天を初体験、と聞いて、何人もの人にイヤな顔をされました。どこでもピーマンは嫌われモノのようです。

丸ごと出て来た。タネまで食べられた。2個乗っていて380円で満腹感。そんな話をしていつも質問されるのは、

「それって美味しかったですか?」

さて、どうだっただろう。さほど苦みがない。意外と不味くは無かった。その程度の感想しか持たないことに気づきました。うーん、他人に伝えるには今一つインパクトにかけるな。で、再度食べに行ったのです。

今度は前回と違い、タネのある方とは逆の、先の方から食べてみました。するとどうでしょう。あの特有の苦さがきちんと広がるではありませんか。

「ん?」

気が付いたのは、苦みの奥にほのかな甘みを感じたこと。新鮮な野菜に共通する、あの甘さです。ピーマンの先から食べ進んで、最後はタネのある茎のまわり。前に食べたとおりほとんど味はありません。そのため特有の苦みをいい感じで緩和してくれて実にウマい。これが正しい食べ方か。ピーマンは、正しく食べるとこんなに美味しいモノなのか!!!

どんな野菜でも採れたては美味しいと聞きます。食べたピーマンは採れたてだったか分かりませんが、一番味の詰まったところから食べ進めると、実に美味しくいただけることを発見しました。

誰でも嫌いなモノはあります。嫌いだから食べない。美味しいからと言われても、かたくなに食べない。でも皆が皆、嫌いというわけではありません。好きな人がいるから世の中で生き残っているのです。そこには評価されるだけの魅力が必ずある。自分では理解できない。いや、しない。それだけです。

歳をとると考え方が固定化し、視野が狭くなります。だから頭もカタくなる。新しい発想が出なくなる。今まではそれで済んだかもしれませんが、これからはダイバーシティ(多様性)が求められる時代です。意固地では生きづらくなる。火を見るよりも明らかです。

自分が嫌いだからと言って、魅力がないとは言い切れません。むしろ自分の嫌いなモノの魅力を評価し、積極的に取り込もうとすることが重要ではないでしょうか。手垢の付いたたとえで恐縮ですが、幕末、日本の夜明けを目指すために、自分を捨てた土佐藩まで取り込もうとした坂本龍馬を思い出します。

閉塞感に満ちた現代。ひょっとすると、幕末のころに似ているかもしれません。

「小さなことに、こだわってたらいかんぜよ!」

毎日が初体験。これからも続けて行きます。

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2017年6月23日 (金)

同期会

~ おさむの鳥の目207

先日、大阪で、昔の勤務先の同期入社の人達の、集まりがありました。同期というと、多くは学校関係の同じ学年でともに学んだ人を指します。しかし、大きい会社に就職した場合、同期入社の人も多く、同期会が作られることも珍しくありません。

先日行われた会は、その同期入社の人達の集まりです。私の場合は、小学校、中学(旧制)、高校(新制)、大学(新制)のそれぞれに同期会があり、それらが現在も存続しています。卒業後年月が経っていますので、集まる人数は減っていますが、幸い上記が現在まで続いています。

先日集まった友人の話では、以前は定期的に行われていた同期会も、だんだん減少してきて、現在も続いているものは少数になっているようです。

ついでながら、幼稚園の同窓会というのはあまり聞いたことがありません。しかし、私の場合は、全く存在しないとは言い切れないと思っています。と申しますのは、私は電車を利用して、隣町の「嵯峨幼稚園」に通っていました。

嵯峨幼稚園を出た人は全員が嵯峨小学校に入りましたが、私は一人、居住地の嵯峨野小学校に行ったので、幼稚園の友人とは、その時点で一度分かれました。ところが、中学で合流し、「○○チャン」という関係を取り戻したので、私にとっては、やや変則ながら、幼稚園の同窓会があるかの如き形になっています。

ところで、話は変わりますが、昨年、「京都ぎらい」という本がよく売れて、「2016新書大賞第一位」に選ばれました。「ええか君,嵯峨は京都とちがうんやで・・・・」と裏表紙に印刷してあります。

また、表紙には「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」とも書いてあるように、京都では、洛中の人が、洛外の人を、さげすんで言う風潮があるということを、主題のひとつにしているのです。

偶然ですが、来週、上記旧制中学の同期会が開かれます。戦時中のことですから、学区制は画一的に実施されていて、生徒の住んでいる場所と入学する学校は明確に決められていました。

そして、その学区制からすると、卒業生には、上記「京都ぎらい」に言う「洛中の人」と「洛外の人」の両方が含まれています。私は、住んでいる場所からすると、「洛外の人」なのですが、母親が生まれも育ちも生粋の「洛中の人」だったので、感じ方からすると、自分が洛外の人間であるとは思っていませんでした。

このように、私自身は、「洛中の人」「洛外の人」の区別にはあまり関心がないままに時を過ごしてきました。そこで、今、洛中、洛外ということが言われているのを耳にしますと、あまり意味がないと感じます。

「鳴くよ鶯平安京」という言葉があります。受験生が「平安京が出来たのは、794年」と覚えるための決まり文句です。洛中と言うのも平安京以後のこと、それまでは、どうだったかと言えば、「ええか君,嵯峨は京都とちがう・・」の嵯峨の方がはるかに進んでいた。聖徳太子時代の秦氏の業績を見れば明らかです。

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2017年6月18日 (日)

海外出張に持参すると意外に活躍する小物類たち

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 171~

海外出張の際、必ず持参する小物類があります。パスポートやクレジットカードなどのように絶対必須というモノではありません。無ければ無いでどうにかなりますが、あると「こりゃ便利」というシロモノです。

まずは室内用スリッパ。どんなホテルでも歯ブラシとスリッパが備わっているのが日本の常識ですが、海外では違います。特に米国のホテルには、どちらもありません。宿泊客のマイ歯ブラシ持参は常識ですし、ベッドやシャワーに入る直前まで靴を履いてる文化ですから、スリッパは不要なのです。でも、私を含め大方の日本人は、ホテル室内でスリッパがないとなんかソワソワ。

そんな時は薄っぺらな安物スリッパの出番。クルクルっと丸めればおにぎりより小さくなりますし、なにより軽い。ホテルのベッド横にスリッパがあるだけで心が落ち着きひと安心。

2つ目の小物は「耳かき棒」と「足裏マッサージ棒」。これらも生活必需品ではありませんが、仕事が終わった後、疲れた身体を癒やしてくれます。乾燥し過ぎるホテルの部屋での耳かき、そして、シャワー後の足裏マッサージは至福のひととき。明日への活力が沸いてきます。

3つ目は食事のお供。腹が減っては戦と仕事が出来ません。でも、海外での毎日の朝食はとっても単調かつ大味で、すぐに飽きてしまいます。仕事の都合などでランチを食べられないこともありますから、いくら不味い朝食でもお腹に入れておきたいもの。そんな時は醤油とふりかけ。

私がいつも持参するのは、スティック状に小分けされたキッコーマン「丸大豆醤油」と、丸美屋「おとなのふりかけ」。スクランブルエッグやソーセージには丸大豆醤油をかけて。そして、オートミールにはふりかけ。これで和風テイストに早変わり。香りと味がみるみる激変します。

さて、食事とともに極めて大事なのは睡眠。時差ボケの中、夜の睡眠の深さは出張の成功を決めると言っても過言ではありません。

熟睡のために私が持参するのは、「青森ヒバの香りエキス 小瓶スプレータイプ」。枕元にサッとひと吹きすれば、周囲は森林の香りに包まれ心からリラックス。森林浴の気分に満たされながら、深い眠りに落ちていきます。

最後は洗濯用洗剤。2週間以上の出張では洗濯が必要です。そんな時に大活躍するのは、小袋に小分けされた花王の「部屋干し用アタック」。さっと溶けて、泡立ち抜群。しかも部屋干ししても匂いません。こんなスグレモノが日本では100均で買えます。

ほんのちょっとの工夫で楽しい出張。そして仕事の成功へ。大事なことはルーチン小物類を常に持参し、アウェイ戦をホームゲームの気分にすること。私なりの勝利の方程式です。

ところで、今回のエッセイ、米国出張からの帰国便の機内で書いてます。足裏マッサージ棒で足裏をマッサージしながら。

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2017年6月10日 (土)

還暦を迎えて

~ わさくの悪知恵 201

前回の投稿をお休みさせていただいた。ご容赦を!

この2ケ月、少し身の回りに変化があったためで、今回の投稿にてその辺を察していただければ幸いだ。

まず4月。この私も還暦を迎えた。まだまだ先の事だと構えていたが、現実はやって来るものだというのが実感だ。

仕事の方は一旦「定年退職」をした形で、5月からは「契約社員」扱いで今までとほとんど変わりなく日々を過ごしている。しかしながら、当然の収入ダウンだ。今後現収入で生活していく良きルーティンを早く見つけたい。

高齢者雇用の年金の一種が申請ができるというので手続きしたが、その中で「退職届」を提出したのが意外だった。

そうこうしているうちに5月の連休明けに我が父が亡くなった。享年86歳。6月1日が誕生日だったので、そこまでもってくれればという願いはあったのだが・・・

昨年11月のはじめに実家の玄関先で転倒し、入院。脳挫傷との診断。その後入院6ケ月、結局肺炎で亡くなった。最期に立ち会えたのが救いだ。

あらかじめの予測を病院から知らされていたので、その後の葬儀などの手配は割とスムーズに運べたと思っている。

葬儀は家族葬にしたため、親戚達と送り出した形だ。

これから49日の法要があり、納骨の段に移る。お墓も父の故郷にある群馬ではなく、実家近くの市の霊園にほぼ決まっている。

幸い我が母が高齢の割にかなりしっかりした人物なので、色々な手続きをこなしてくれている。頭が下がる思いだ。

ただなるべく一人にさせたくないため、私と家人、またはどちらかが夜実家に立ち寄る日々が続いている。我が家から徒歩でも5分以内なのでそれが可能だ。そして私が一応長男なので・・・

父が亡くなった当初、近所の主に老人会の方々が立ち寄ってくれてお線香をあげてくれるのは有難かったのだが、どなたも結局最後は「ご自分」の事のマシンガントークになってくるのには参った。

電話でこれをやられる方もいて、気丈な母もくたびれ果ててしまわないかと心配だった。

母とはとにかく「ひとつひとつゆっくり無理なく対処していこう」と話し合っている。

また、群馬の従妹が私が見たこともない我が祖父の履歴書や家族の写真を持ってきてくれ、今まで知ることのなかった父の歴史を認識できたのも感慨深いものになった。

しばらくはこんな日々が続いていくかと思う。

次回からは通常のエッセイ「ネタ」を提供できればと思っている。

今後ともお付き合いのほど、どうぞよろしく<m(__)m>

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