海へ還る
~ soji の今日もワクワク 226 ~
4月15日土曜日、藤沢に住む義母が亡くなりました。
肺炎からの心不全。入院してわずか一週間、あっという間に逝ってしまいました。あまりに突然だったので、本当の身内だけの葬儀となりました。
それだけではありません。残された人たちに出来るだけ負担をかけたくない。故人の希望を叶えるために、通夜も告別式もない。お坊さんを呼んでのお経も戒名も要らない。おまけに海へ散骨して欲しいと。
喪主となった義弟から、忙しかったら無理しないでとの申し出に、私は葬儀場でのお別れ会を失礼し、火葬場から同席しました。
待合室。義父。義母の兄、姉とお子さん。義弟夫婦に私と奥さん。そして義弟の奥様のご両親。10人ほどがテーブルをはさみ、持ち込んだお菓子やサンドイッチをつまみながらおしゃべりして過ごします。
義弟の奥様のお父さんがこんな話をし始めました。
「私は80を過ぎて、死について自分なりに考えるようになりましてね。ものの本によると人の死には2種類あるそうです。一つは肉体的な死。二つ目は皆の記憶から消えてしまう死、です」
それを聞いて、義弟の奥様がかみつきます。
「それじゃあ、歴史上の人物はどうなのよ」
「忘られないうちは死なないことになるね」
「そんなの変よ、変!」
いくつになっても娘は父に反抗的なのでしょうか。ちょっと微笑ましい、和やかな時間が流れて行きました。
4月20日木曜日、江の島は快晴。散骨葬の運営会社に言わせると、これ以上の天気はないとか。義父と義弟夫婦。そして私と奥さん。5人だけの一番シンプルなプランです。
青空に飛行機雲が3筋。遠くには富士山。観光客が嫌がるので喪服の参加はNG。パーカーを着こんだ5人には、悲しさは微塵もなく、むしろワクワク感が込み上げます。
沖に出るクルーザーの中で考えました。多くの人を招いての通夜や告別式。当たり前だと思っていたこれらの儀式は本当に必要だろうか。昨今は、散骨葬が増えていると聞きます。結婚、出産が減少し、将来、墓を守ってくれる子孫もない。「花」よりも、お金のかからない「実」を選ぶのは当然かもしれない。
それになかなか墓参りに行けないと悔やむより、海に出さえすれば故人を偲ぶことが出来る。死んだ後の自分にとっても遺族にとってもずっといいことではないだろうかと。
出発してから30分。ポイントに着いたようです。江の島のヨットハーバーが見える海上で、2㎜平方以下に粉砕された骨を5人が手分けをして海に撒きます。大きな粒は揺らめきながら沈んで行き、細かいのは白く水面に漂います。その後は花びらを撒いてあげます。義母の嫌いな菊の花は入っていません。
油絵が好きで、展覧会に出展するために入院の直前まで描いていた義母。全身全霊を傾けていたのでしょう。死に顔はかすかに笑っていたように思えました。
「安らかにお眠りください」
そう唱える私の後ろで、義弟が叫びます。
「じゃあねえ、お母さん。また来るよ~」
「人の記憶にある限り、死ぬことはない」その言葉を思い出し、私はちょっと恥ずかしくなりました。
「夢のお告げだって?ああ、気持ち悪い。いつまでもクヨクヨしていてはダメよ、sojiさん。私、暗いのは嫌いよ」
陸地に戻り、ふと義母の声が聞こえたようで私は沖を振り返りました。しかしそこには、春の日ざしを受けて、キラキラ光る水面があるだけでした。
江の島は、もうすぐお昼です。なんだかお腹が空きました。
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コメント
寺請制度からの長い歴史があるから難しい側面もありますが、人口減、家族の在り方が斯様にも変わると後の世に迷惑かけたくないワタシとしてはお義母さまのご遺志は素敵過ぎて羨ましいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
投稿: たつみ | 2017年5月11日 (木) 18時21分
たつみさん、コメントありがとうございます。
義母の遺志もさることながら、それを叶えた義父や義弟に頭が下がります。私は実父が亡くなった際、遺志を組んで故郷の墓に納め、そして墓守りをする従姉妹の意向で家の近くに新しい墓を設けて移しました。しかしそこに固執するのもどうかなと。私も密かに海に還りたいと思っております。子供のいない私には墓守りの候補が思いつかないので。義弟夫婦やうちの奥さんまで散骨にして欲しいと口を揃えておりますよ。
投稿: soji | 2017年5月19日 (金) 16時03分