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2017年2月

2017年2月28日 (火)

アイしていると言ってくれ

~ soji の今日もワクワク 224  ~

スマホが熱くなってしまいました。

ショップでみてもらうと、バッテリーがへたっている。保険を使えば、機種は同じで新機に交換できるとのこと。自宅まで直送してくれるそうです。データの引継ぎはと尋ねると、マニュアルが同梱されているから大丈夫、とニコニコ顔で言われました。

送られてきたマニュアル。工程ごとにスマホの画面が掲載され、分かり易く説明が書かれています。これなら出来そうだ。ところが・・・

マニュアルにあるアイコンを探しても自分のスマホにありません。仕方ない。 同じようなアイコンをタップして進めてみると・・・ EメールとLINEが起動しないではありませんか。まずい 。非常にまずい。このまま我流で進めると大事なデータまで消しかねません。翌朝、あわててショップに駆け込みました。

対応してくれた女性は30代くらいの美人。にもかかわらず能面のようにニコリともしません。マニュアルのプリントアウトを指しながら、これをしてください。次はこうしてくださいと、指示だけ出してきます。作業は基本的にお客様自身でやれ、と言うのでしょう。

LINEは、登録した宛先情報だけ引き継ぐのと、トーク内容まで引き継ぐのとではやり方が違います。セキュリティ上、2台以上では使えないように設定 されている。失敗するとデータ全体が消去されてしまうとのこと。 なるほど、だから店側ではやらないのか。

引継ぐためのデータのバックアップ。

「ファイルコマンダーというアイコンを探してタップしてください 」

探しても見つからないと言うと、ちょっと見せてくださいとスマホを取り上げます。マニュアルを見比べてしばらく探した結果、

「このファイルマネージャーに同じ機能がありますので、こちらでやってください」と。

こりゃあ、マニュアルをみてお客様自身でやれ、とは酷と言うもの。こうしたクレームは随分あるのでしょう。能面の理由が分かって来ました。

旧機と新機。何度もカードを差し替えながら、格闘すること一時間以上。閉口するのは随所にパスワードを要求されること。購入時に設定したでしょうと言われ、何とか思い出しましたが、忘れてしまったらどうなっていたか。朝一番のお客さんが少ない時間で本当に良かった。混雑する時間帯ではこうはいきません。

隣りから別のお客さんの声が聞こえます。「誰の名義で契約したのか分からない」「契約内容を忘れてしまった」「 こんな費用がかかっていたのか」 聞くとはなしに聞いていると、相談内容は基礎の基礎ばかり。よくもそんな理解度で毎月通信費を払っていましたね。ショップの思いが手に取るようです。

最近話題になっているAI(人工知能)。将来、接客業務の多くが AIに置き換わると言われています。スマホの応対は真っ先に機械化したい。店側では絶対に思っているはずです。私たち客側も、表情を押し殺した能面応対は望んでいません。

スマホの契約はもちろん、ネットバンキングにトレーディング、SNS・・・ いつの間にか膨大な量になってしまったパスワード。おまけにそれらは定期的に変更しろと言ってきます。とても覚えきれるものではありません。ID、パスワードの管理こそ、AIはお手のものだろうに。

そんな中、さる通販会社がスマホの販売を始めたと聞きました。本体の値段に通信費を加えても月千円代。機能も現在の私のものと比べて遜色ありません。驚いたのは契約の手続きのために自宅まで来てくれるとか。 思わず飛びつきそうになりました。しかし。なぜこんなに安いのでしょうか。そこには、綿密な計算が通販会社にあるはずです。

何でもハイハイと応対してくれる。その一方で知らぬ間にパスワード など、大事な情報を吸い上げ、他社に移れなくしてしまうのではないか。そう勘繰ってしまったのは私だけでしょうか。

店の都合ではなく、お客様の身になって考える。 応対は優しくも決して迎合せず、時にはダメです、とはっきり叱る。それでも感謝される。そうなるためには、お客様への愛情が不可欠だと思うのです。

今後のAI。便利になるのは歓迎ですが、果たしてこうした愛情を持って接してくれるでしょうか。愛の無いAIだけには、なって欲しくない。そう私は、切に願っているのです。

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2017年2月24日 (金)

白浜2題

~ おさむの鳥の目203 ~

南紀白浜は、関西ではよく知られた温泉地です。大阪に住んでいた私の伯母は白浜が好きで、よく保養に行っていました。そのため、大阪の人が好んで白浜へ行っていたという印象が残っています。私も白浜へは何回も行っていますが、初めて白浜へ行ったのは学生の時で、高校以来の親友で工学部の学生だった人に誘われて、大学関係の宿泊施設を利用し、二人連れで行きました。

ところが、泊まった日に、運悪く台風がやってきて、九州から瀬戸内海を西へ進み、その後の進路が分からないという予報で心配しました。後から知ったことですが、台風が二つに別れ、その一方が白浜を直撃したのです。

翌日は晴れて、外出もできたのですが、バスは運行しておらず、結局、歩いて千畳敷や三段壁を見に行きました。三段壁は非常に高い位置にあるのですが、台風直撃の翌朝ということで、大きい波が押し寄せ、高い処に立って見ているわれわれの頭よりも遥かに高い位置まで、波しぶきが上がるという壮観だったのを覚えています。

白浜には何回も行き、南方熊楠記念館へも行っているのですが、思い出すのは、台風の直撃です。60年も前のことですが、今も、昨日のことのように鮮明に思い出します。

もう一つ、白浜に泊まった珍しい経験があります。奈良に住んでいる友人と、京都の二人、計3人で旅行することが多く、その時も奈良の人が運転する車で紀伊半島を海岸沿いに一周しました。そして、結果としては、白浜に一泊したのでした。

しかし、当初の計画では、熊野市に2泊して白浜には泊まらないことになっていました。ところが、奈良の人の提案で、計画を変更して、白浜に変えたのです。理由は、提案者の書道の先生が、白浜に、別荘のように使える部屋を所有しておられ、その部屋を他の人にも貸せるシステムになっているので、そこに泊まらないかという話があるので、ということでした。

私は、別荘代わりの一室というシステムは初耳でしたが、利用させてもらえるなら、珍しいことなので、経験のためにと、それに賛同しました。行ってみると、ホテルのフロントのような受付があって、使用させてもらう側としては、有料で部屋を借りる、ホテルに似た形でした。

建物内に、概要は銭湯に似た温泉施設もあり、共同で利用するようになっていました。セルフサービスの部分もあるが、温泉付きの宿泊施設です。食事は外食にしましたが、1~2年前に、同じ3人で白浜に泊まって夕食を食べた和食の店が近くにあったので、この点も順調でした。

温泉地に別荘を持つには費用が嵩むので、合理的にそれができるビジネスが工夫されたのではないかと、推察したのですが、当たっているのかどうかは、未詳です。

ところで、白浜については以上の通りですが、先に、熊野に2泊の予定であったと書きました。何故、同じ場所に連泊する計画であったのか、これについて、私としては少々の思い入れがあります。

このような珍しい計画になったのは、同行3人の中の一人(私より10歳年長の方)の、「一人で一日中太平洋を眺めていたい」という希望によるものでした。その間、他の二人はほかの観光地を見てくるという設定でした。

上述の通り、実際には、変更になってこの予定は実行されなかったのですが、私なら、「一日中一人で太平洋を眺める」ということをどう考えるか、丸一日という時間を使ってそれをする意味をどう見出すのか。今も気になっていて、白浜と関連させて思い出します。

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2017年2月20日 (月)

2人のオジサンに見るサラリーマン人生の晩節

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 167~

それは、私がまだ若く20代だった頃のこと(私にもそんな頃があったのです)。職場に50代後半のオジサンが事務職として異動してきました。

元営業マンと言うその方は、少しくたびれたスーツにお腹が突き出たポッチャリ体形を包み、ポマードで髪をバッチリ決めてました。そして、何より印象的だったのはタバコのハイライトをところかまわずスパスパ。

当時、私の職場は企業の研究所でしたから、職場の主な構成員は私のような研究者かその実験補助職の方々ばかり。他は、研究所長を筆頭に研究者出身の管理職。つまり、ほとんどの方が、白衣を着て研究や実験に関わっているような地味~な職場でした。

そんな職場へ、前述のオジサンはやってきたわけです。50代後半と言っても、ウワサでは営業現場でバリバリに働く敏腕営業マンだったとか。それが、ニッポン企業の年功序列と終身雇用制にドップリ浸かり過ぎ、いつしか現場を離れ管理職へ。そして、最後の御奉公の場、研究所へと事務職として送り込まれてきたらしいのです。

そのオジサン、60歳の定年を迎えるまでの数年間、研究所で勤め続けましたが、徹底的に「企業人生の余生」を楽しんでいるようでした。毎日の会社生活パターンはほぼ同じで、典型的な1日の過ごし方は以下の通り。

- 朝9時ごろ出勤し、まずはゆっくりお茶をすする
- お茶の後、午前中は、日経新聞や朝日新聞等の全国紙、そして業界紙を隅から隅までじっくりゆっくり目を通す。これで半日終了
- 11時半から午後2時ごろまで外でランチと喫茶店でコーヒー
- 午後は研究所の図書室に籠り、昼寝と読書三昧(専門誌などではなく持参の週刊誌を読んでました)
- 午後5時過ぎ、そそくさと帰宅

一見、人畜無害のようですが、元バリバリ営業マンとしてのプライドはかなり高く、頼まれた事務仕事は一切しません。決め台詞は「そんなのオレの仕事じゃない」。研究所の人たちからは「使えないオヤジ」と陰口をたたかれながらも、定年まで逃げ切った、それはそれは見事な企業人生でした。

そんな古き良き時代から幾星霜。

次は、私が30代半ばにさしかかった頃のこと。職場に同じく50代後半のオジサンが異動してきました。この方も営業出身で、しかも元部長。50代半ばで役職定年後、ひら社員としての勤務。

高級そうなオーダーメイドスーツに、ロマンスグレイの白髪混じりなフサフサ髪。ネクタイと色調を合わせた胸のポケットチーフなど、なかなかの紳士です。

当初、周囲はやっぱり「使えないオジサン」として見る目でした。ところが、その期待はすぐに裏切られます。それも見事に。

頼まれた事務仕事をテキパキとこなすだけではなく、さりげなく改善点まで提案してくれます。それも決して押しつけがましくなく。また、周囲が困っている時には、スッと現れてサッとアドバイス。うまく回り始めたらスッと消える。

更に驚いたことには、そのオジサンの周囲にはいつも誰かがいたこと。どうやら若手社員たちの困りごと相談に乗っていたようです。その際、決して自分の自慢話をせず、自らの過去の失敗談を面白おかしく語る。腰は低く、いつも御機嫌で。

このオジサン、研究所の人たちから大いに慕われながらも、60歳の定年を前に、他企業の幹部として引き抜かれて転職。それはそれは見事な企業人生でした。

そんな古き良き時代から、更に幾星霜。

不肖私も順調に年齢を重ね、当時のオジサンたちとほぼ同じ年齢になりました。でも、このオジサンたちの域に達するのはまだまだ。50代半ばを過ぎてもアクセクしてます。

2人のオジサンに見た、それぞれの見事なサラリーマン人生が羨ましいこの頃。逃げ切り人生は、夢のまた夢。

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2017年2月16日 (木)

前に進もう!

多くの人がそうですが、考え方・やり方がマンネリ化しています。

仕事の進め方をはじめ、あれこれ固定化・マンネリ化しています。

きのうと同じことをやっています。そのために現状にとどまっています。

そのまま3年、5年がすぐ過ぎます。実に勿体ないです。

ここらで前に向かって進みませんか。

まず大事なことは、目標をはっきり定めることです。

詳しくはこちら → http://sozosystem.c.ooco.jp/kensyu.html

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2017年2月12日 (日)

同僚の中国出身H君と共に

~ わさくの悪知恵 198

私の現在の職場は俗にいう”外資系”だ。

これは我が意志に係らず職場自体が〝外国資本(台湾)”へと転移してしまったためなのだが・・・

その「外資」になって今年で早6年目。転移への経緯はかなりのドタバタがあり、人の入れ替わりも当時は実に激しかった。(その後も以前に比べれば結構多い気がするが…)

そして私は現職場で今年勤続37年目を迎えた。一旦この4月で節目を迎えるが、この先どのくらい現職に携わるか現時点では全く不明だ。

そんな具合なので我が役務をシェアし将来的にも引き継ぐべく人選を昨年行い、その該当者が表題の中国河北省出身のH君だ。

私が学校を出て最初に就いた職場は香港系の貿易商社。そのせいか香港の大多数の広東系の中国人との付き合いは今でも何人かあるため、公私にわたっての付き合いの間合いみたいなものはある程度理解しているつもりである。

そして現在台湾資本で働く身として台湾の人々とのそれも然だ。さらに台湾の場合は、我が父が台北で生まれ、第2の都市高雄で育っているため、それはより強いと感じている。そして我が現在担当のお客様では台湾が一番のお得意様という事情もあるので、日々割と気持ちよく仕事させてもらっているかと思う。

さてそこで、今回表題のH君は私が仕事するはじめての中国本土出身の人物となる。

といってもH君(もちろん男性)は年の頃30代後半だろうか、日本の大学を出ているので日本語は堪能だ。

入社4年目となる。

日に日に少しずつ一緒に仕事をこなしはじめたのだが、香港や台湾の人々とは違ったユニークさがあり面白い。

本人どうも「目立って大きく見える仕事」が潜在的に好きなようで、現在はその奥にある色々な段取りを理解させる初期段階だ。

幸いにも本人熱心で全く嫌味を感ずる気配がないのでよく微笑をもらう。

たまに一緒に出掛けて世間話をするのだが、彼の父上は科学者らしく、その著書が日本の理科系の大学の図書館にもあるとの事、現在娘が一人いるが可愛くて仕方ないらしく、いずれ自分の元から巣立っていくのが今から怖いなどなど話してくれる。

中国で育った日々のことなど聞いてみたいが、そこは抑え徐々に自然にそんな流れになるように期待している。

来週も台湾からのお客を迎える予定だ。

台湾のお客さんが来ると我が幹部連中とは「台湾語」での会話になるためH君も理解不能になるらしく、少しポカーンとしているH君の表情を横で見ていると微笑ましい。

いづれにしてもH君が末永く現職にて気持ちよく仕事ができるようにするのが、今の私の使命だと思っている。

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2017年2月 1日 (水)

夢でお会いしましょう

~ soji の今日もワクワク 223  ~

映画「君の名は。」を1月2日に観て来ました。

夢の中で男女が入れ替わる。時空や生死を超えた壮大なストーリー。愛の切なさに、多くの人が涙したと思います。が、私はちょっと違う目線で観ていました。というのも、年が変わる前後数日間で不思議な体験をしたからです。

12月29日の朝、私は夢を見ました。誰かと必死に駅を目指しています。着く前に目が覚めてしまいました。しかし不思議と駅の名前を覚えていたのです。

「香川駅」

四国だろうか。しかし香川県の県庁所在地は高松です。調べると「香川駅」はJR相模線。茅ヶ崎駅から2つ目になんと実在していたのです。大晦日から元旦にかけて奥さんの実家、藤沢に行くのが我が家の恒例。江の島で初日の出を拝み、神社で初詣した後、奥さんと別れ一人、香川駅を目指したのでした。

2017年元旦は、穏やかな晴天。香川駅は住宅街にある、何の変哲もない駅でした。時間はまだ午前11時。駅から少し歩くと空き地の向こうに美しい富士山の姿が見えます。このまま帰っても勿体ない。せっかくだから神奈川県下で有名な寒川神社に寄って行こう。本来なら香川駅の次、寒川駅から歩くのですが、折からのポカポカ陽気。電車には乗らず、香川駅から歩くことにしました。

そろそろ寒川駅に差しかかろうという所で、私はとある交差点を発見しました。信号の上に私の苗字「岡田」の表記。その瞬間、私は昔、栃木で会った岡田さんの話を思い出したのです。この姓は全国各所に発祥の地がある。神奈川県寒川町にある岡田もその一つだと。確かめてみたいと思いながらそのままになっていました。本当にたまたま、この地を訪れることになったわけです。

Photo_14位置的に、香川駅から寒川神社に向かって来ないとこの交差点には出会えません。まるで祖先が私を呼んでいるのではないか。私は実に不思議な気持ちになりました。

奥さんの実家に戻ると、話を聞いていたらしく、義父母が声をかけてきました。

「sojiさんは夢のお告げで茅ケ崎の方まで行ったらしいわよ」

「sojiさんの家では神棚でも祀っているのかい」

ほとんど、からかっているようです。まあ無理もありません。私は自分の感じたことを話さず、特に何もなかったと言葉を濁しました。

夕方、窓の外が赤く染まって来ました。この時間は夕日がきれいだという義母の話を受けて、片瀬山の辺りを散策してみました。いいスポットに巡り合えないまま、日は沈み夕闇が迫って来ます。いわゆるたそがれ時です。おそらく明日も晴れるだろう。私の住む和光市に帰ったら、夕日が見られるスポットを探してみよう。

そして翌日観たのが「君の名は。」です。冒頭「たそがれ」は「誰そ彼」と女性教師が説明する授業風景。私は年末から元旦にかけての偶然とオーバーラップしながら、この映画に観入ったのでした。

大災害で、多くの町民と共に亡くなったとされる女性を求めて旅をする男性。やがて再び女性の体に憑依した男性は気づかされます。自分たちが夢の中で入れ替わったのは、前世からのつながり。避難せよとの祖先からのメッセージだったと。

町民を誘導するのは難しく、特に大人は誰も災害が起こることを信じようとはしません。私も義父母の対応を思い出しながらやきもきしてきます。やがて業を煮やした主人公たちは、大人も思いつかない思い切った手段を講じることに・・・

この先のストーリーはまさに青春讃歌そのもの、一気に大団円に突き進みます。正直、私には主人公たちのような若いパワーを羨ましいというよりは、もっと現実的に行動するだろうなと思って観てました。悲しいかな、私も大人の一人ですから。

映画を観終わり、車を走らせました。事前に調べておいた、和光市と戸田市の間に架かる幸魂(さちたま)大橋。そこから見る、映画のワンシーンのような美しい夕日。沈みゆく富士山の裾野。気が付けばこちらは、寒川町岡田のある方角ではありませんか。これもまた、単なる偶然でしょうか。

Photo_9以来、私は枕元にメモ帳を置いて、見た夢を書き留めるようにしています。朝、大体トイレに行きたくて目が覚めるのですが、用を足しているうちに夢の記憶はどんどん消えてしまいます。本当にそれは、映画の中で男女の姿が消えて離れ離れになっていくようです。

起き抜けの時。それは夜明け前、うっすらと窓の外が明るくなり始めた時です。「たそがれ」と同様、祖先の姿を見られるわずかな瞬間ではなかろうかと、私は思うのです。

メモがたまって来ました。あらためて見ると、起き抜けは観た夢で軽く興奮しているのに、たわいのないものばかり。まどから差し込むわずかな明かりですぐに書き留めないと、ほとんどは忘却の彼方に飛んで行ってしまいます。

そう言えばずっと気になっていることがあります。年末、一緒に香川駅を目指していたのはいったい誰だったのでしょう。女性のような気がして、このごろ、床に就くたびにこうつぶやくのです。

「夢でまた、お会いしましょう」と。

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