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2016年12月

2016年12月31日 (土)

立ち飲み屋からふるさと歴史散歩へ

~ soji の今日もワクワク 222  ~

明けまして おめでとう ございます

昨年から行き始めた立ち飲み屋。都営三田線、板橋区役所前駅のそばにあります。そこで聞いた、常連さんの話。

その方、30年ほど前には、練馬中学校の正門近くに住んでいたとのこと。実は私、この中学校の出身ですと話すと、とても驚きながら、

「じゃあ、近くの神社に服部半蔵の墓があることを知ってます?」

それが練馬区の高松にあると聞いて、今度は私が驚きました。私は18歳までそこに住んでいたからです。しかし全然聞いたことがありません。

「服部半蔵って、12人もいるという話、知ってました?」

大河ドラマ「真田丸」にも登場した服部半蔵。いくら忍者とはいえ、分身の術を使ったわけではありません。伊賀忍者の頭領だった「服部半蔵」の名は代々受け継がれたそうで、徳川家康の伊賀越えを助けたのは2代目。その功績から江戸入府の際、武蔵の国の橋戸村と白子村を領地として賜ったとのこと。橋戸村とは現在の練馬区大泉。関越練馬インターから東北部一帯がそうだったようです。

さらに調べて行くと、練馬区の高松にあるのは正式には墓ではなく、何代目かの服部半蔵が高松寺(こうしょうじ)に寄贈した阿吽の仁王像。これが御嶽神社の境内に現存しているのだとか。高松寺は明治の時代に廃寺になったため、こちらに移転されたそうです。高松寺は御嶽神社から北に150mほど行ったところにあったのだと。

なぜこの常連さんがこれほど詳しいかというと、以前練馬区史の編纂を手伝ったそうで、実際取材して文章まで書かれたそうです。

ということで私、12月の3連休に行ってみました。大江戸線、練馬春日町駅を下車。ここから徒歩10分ほどでしょうか。私が通った練馬中学校もすぐそばにあります。当時は大江戸線は開通していません。ですから景色は私の思い出と大きく変わっていました。しかし歩くにつれ、そこかしこで記憶がよみがえります。

富士街道を西に向かい、右手にさかえ幼稚園を過ぎてしばらく歩いてから信号を左折。3分ほど歩くと高松小学校に到着します。この学校も私の母校。実に45年ぶりに訪れました。御嶽神社は小学校正門から1分ほど。私が通学ていたころと驚くほど変わっていません。

鳥居をくぐってすぐ左に仁王像は並んで立っていました。まさか服部半蔵ゆかりの像とは。今の今まで気が付きませんでした。まあ練馬区の教育委員会がプレートを設置したのが平成になってからですから無理もないことでしょう。(御嶽神社の映像を紹介しているHPがあるので、こちらをご覧ください

御嶽神社の周辺には昔、随所に広がっていたキャベツ畑が、わずかながら残っていました。少しずつ当時の記憶がよみがえります。そう言えば、来るときに見てきたさかえ幼稚園。そこは昔、墓地でした。整地し幼稚園が建設されたとき、お墓の上に建つなんて気味が悪いと子供心に思ったものです。ひょっとすると、このあたりが高松寺の跡地だったのではないでしょうか。それほど唐突に墓地があったのです。

もうひとつの白子村。この村は、現在の埼玉県和光市白子。そう、私が今住んでいる場所です。(郷土愛 ふたたび ~sojiの今日もワクワク207~を参照のこと)私はなんと生まれてから現在までの大半、服部半蔵が家康から賜った領地内に住んでいたのです。

和光市白子は「シラコ」。一方、苦難の末伊賀越えを果たし、伊勢の国から海路、三河まで舟を出し、家康を見送ってあげたのが、現在の三重県鈴鹿市の白子浜。こちらは「シロコ」。半蔵は領地を賜る際、伊賀越えを思い出して白子村を所望したのでしょうか。そんな記録は残っていませんが、実にロマンあふれる話ではありませんか。

「また練馬の話で盛り上がりましょう」

と常連さん。こんな偶然の出会いも楽しいものですね。今度はぜひ、鈴鹿市の白子浜に行ってみたいと思います。

今年もまた、私のつたない文章で盛り上がってくだされば幸いです。

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2016年12月24日 (土)

稀有の書籍「一万年の旅路」から読み取れること

~ おさむの鳥の目201 ~

「一万年の旅路」の記述の中には、一万年前以降の出来事のほかに、この一族に伝わる昔話があり、前回は、その昔話の最も古い部分をご紹介しました。

「遠い昔、遠い昔、遠い昔・・・わが一族はゆるやかな群れをつくって暮らし、太陽がたまにしか見えないほど背の高い木々のあいだを縫って日々をすごしていた。それは暢気な時代。手を伸ばしさえすれば、何かしら熟れた果実に恵まれる時代であった。」

という言葉から始まり、やがて乾燥化が進み、森を離れて草地へ歩み出すようになって、先ず、飲み水を手に入れる新しい方法を覚え、食べ物の入手など、さまざまな創意工夫を重ねながら、うまく生き延びて後の時代につなげました。

「一万年の旅路」の最初の節の標題は、「どれだけそこに住んだかだれも憶えていないほど長居した土地」となっています。

そこには、その地を離れる前に一族がどのように暮らしていたかが書かれています。大きい熊に対抗するため先の尖った棒を作ることもその一つです。

そして、岩絵の誕生にも熊が関係しています。

あるとき、<長びと>がじっと座り込み、教え方について思いをめぐらせていました。すると、大熊がおとなしく立って壁によりかかっていてくれればどんなに楽だろうという考えがうかびました。心に<おとなしく立つ熊>の姿を思い浮かべては、どうしたらそうなるかを思案し、考え続けました。

そのうち、<長びと>は母なる大地に思いを向け、答えを乞うと、答えは「私をごらん。答えは私の中にあるよ」でした。そこで、彼が大地を見ると、その一部は黄色く、一部は赤いのがわかりました。それによって、一つでは不可能なことも、たくさんなら可能かもしれないという考えが浮かび、木苺と土とを合体し、白石灰と粘土を混ぜました。やがて、<おとなしく立つて、壁に寄りかかる熊>がみなの目の前に現れました。

著者は、これが一族にとって最初の岩絵だと書いています。

この岩絵の発明のほかにも、いろいろな技術革新の発祥の経緯が細かく書かれています。例えば、これこれと、私が書くことは出来ますが、ほかの人はどう読んでいるか、よい例がありますので、ご紹介します。

「最初に衣服を発見した話 、最初に『絵』を思いついた話 、最初に農業を思いついた話など、多くの興味深いエピソードが盛り込まれていきます。 」とあり、そのほかには「人間から体毛がなくなっていった話 」、「旧人との縄張り争い 」、「セックスと子供の誕生との因果関係の解明」などもでてきます。

これは、「小鳥ピヨピヨ」という名前のウエブサイトにポーラ アンダーウッド著「一万年の旅路」を紹介してあった中の一文です。

そして、その中に書かれている感想としては、「もうね、とにかく壮大ですよ。何万年も昔の、大自然の中で真剣に生きる人の息遣いが感じられるようで……何だかものすごく重大なものを読んでしまっているのではないか、という気持ちがぬぐえません。」とあり、私も同じように感じていると強く思っています。

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2016年12月23日 (金)

酉年に鶏を想う

~ さかもっちゃんの知ったかぶりぶり165 ~

2017
年は酉(とり)年。そんな酉年にちなんで、鶏のコトワザや慣用句で2017年を占ってみました。

 

まずは「鶏口牛後」。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とも。大きな集団や組織の末端にいるよりも、小さな集団や組織の長として活躍する方を選べということ。

 

私はと言えば、「鶏口牛後」を目指し、日本の大企業から勇んで小さな外資系ベンチャーへ転職しましたが、最後は「鶏フン」となってしまいました。「鶏口牛後を目指すも鶏フンとなるなかれ」。

 

この「鶏口牛後」にはもう1つ別の説があります。

 

「鳥わさ」は新鮮な鶏ササミ肉を湯通しし、氷水の中にサッと漬けて冷やし、食べやすいようにカットし、ゴマや刻み海苔などと一緒にワサビ醤油をかけて食べるもの。実は、これって「牛たたき」とほとんど同じ作り方。

 

鶏はワサビとくっ付き「鳥わさ」、牛は叩かれて後ずさりして「牛たたき」。これが「鶏口牛後」のウラの意味 … とか。

 

冗談はさて置き、2つ目は「鶏群の一鶴」。多くの凡人の中に1人だけ抜きん出て優秀な人が混じっていることの例え。最初に挙げた「鶏口」になっても集団に埋没し「鶏群」になっちゃいけません。「鶏群」はインフルエンザにも弱いですし。

 

「鶏群」に似た言葉に「鶏サッカー」があります。決してフランス代表選手たちのユニフォームに付いている雄鶏マークのことではありません。ボールの周りに選手全員が群がってしまい、全体を見ずに統制が全くとれていないサッカーの例えです。

 

う~ん、なんか、鶏にまつわるコトワザにはあまり良いイメージがありませんねぇ。統制のとれない小者集団のようなネガティブなコトワザや慣用句ばかり。これでは2017年がちょっと心配。

 

ここで本エッセイを締めようかとも思いましたが、鶏の名誉のためにエピローグを急遽追加します。

 

「とり」は「とりこむ」と言われ、商売などでは縁起の良い干支とされています。また、「酉騒ぐ」は干支にちなんだ株式相場の格言で、酉年は株価の上下が激しく値動きの荒い年になるということを意味しています。変化こそ好機。

 

2017年も前向きに生きたいと思います。木鶏の如く。

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2016年12月11日 (日)

我が2016年12月の2週目

~ わさくの悪知恵 196

<日曜日>
午前中年末の大掃除の序の口を。家人と協議し家具の移動からその有効利用を考え敢行。我が家は築50年の集合住宅。後何年ここに住むことになるやらと作業をしながら想いに更ける。

午後から昨年知り合った新しい仲間のT君が所属する吹奏楽団の「不定期演奏会」へ。T君はベースクラリネットなる楽器を吹いているが、32名の楽員が実に楽しそうに演奏する楽曲の数々に感銘を受ける。やはり「音」を<「楽」しむ>と書いて「音楽」だという事をつくづく思い知る。勉強になった。

<月曜日>
何故か記憶に残る出来事もなく過ぎてしまう。仕事して帰宅のみの実に平凡な一日。

<火曜日>
昼休みに歯医者へ2ケ月毎のクリーニングに出向く。1年間空いたとの事でレントゲンを撮られる。来週またその結果をもとにさらに治療が始まるかも。昨年は結構な治療をするハメに。少し憂鬱だ。

Photo_2<水曜日>
朝仕事で渋谷のホテルへ直行。海外のお客さんを出迎え我が事務所まで。ホテルロビーで「外貨両替機」を発見(写真)。便利なものだと感心する。その日はほぼ終日その方々と過ごす。夕宴で少し盛り上がり少し遅めの帰宅。

<木曜日>
仕事で午前中、社外契約の顧問の先生と打ち合わせ。午後に某国大使館まで出向く。少し厄介な案件に取り組まなくてはならず。久しぶりにその界隈を歩く。真珠湾攻撃から早75年。我が最寄りのJR駅の駅ショッピングモールが耐震工事のため1年半をかけてのリニューアルオープン。帰り際少し覗いたが人、人、人ですぐさま退散。

<金曜日>
普段通りに出社すると突然またも海外からのお客様が20人ほど、あと一時間ほどで到着するので取り仕切ってくれとの依頼が来る。水曜日に会った方々とは違うグループなのだが、たまたま10年ほど前に面識のあるグループなのでご指名を食ってしまう。バタバタと準備して出迎えたが、何となく即席の〝フリーマーケット″を開催したようで残念だ。

夕刻意図的に早目の退社で「整体マッサージ」に立ち寄り体をほぐしてもらう。できるだけ週一通いたいのだが、なかなかそうは時間が取れない。帰宅後さらに最近はじめた「体幹トレーニング」を1セット10分ほど行う。休肝日とし、こんな花金も良いものだと眠りに就く。ジョン・レノンの命日。36年目。その関連ではミック・ジャガー73歳に8人目の子供誕生のニュース。もうひ孫までいるとか。天晴か!?

<土曜日>
朝方、強風、木枯らし舞う中、週一のテニスのレッスンへ。猛暑も辛いが冬の寒さ、強風も辛い。去る6月で閉鎖になった私が属していたテニスクラブの流れを受けてのレッスンなのでコーチ、生徒とも馴染みばかりなので和気あいあいで90分のレッスンはあっという間に過ぎ去る。

帰宅後日曜日の続きの家内作業。夕方から家族で近くのモールに買い物~旬彩料理のレストランへ。このレストランのオーナーマダムは我が家と同じ町内会、さらに我が母とは同じ整骨院の患者仲間なのでまさに家族付き合いのお店。この夜は才色兼備のスタッフのYちゃんが先月見事ソムリエの資格試験合格のお祝いを兼ねての小宴。満腹感はあるがヘビーではないいつも通りの食材を堪能。ゆったり、まったり感の中帰宅から就寝。

そんなこんなの1週間。来週は公私共々さらに年の瀬色の濃い週になることが予想されるが、自分なりにポッジティブに対処していこうと思う。

皆様、Merry X’mas! そして良いお年を!!

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2016年12月 8日 (木)

アイデアを出すコツ

アイデアを出すコツは、頭ではなく手を使うことです。

腕を組んで考えていないで、ペンを持ち、紙に状況や声を書きます。すると、それがヒントになりアイデアが出ます。

会議のときも、みんなして腕を組んで考え込まないで、白板などを使い、状況やお客さんの声を書くと、次々にアイデアが出ます。

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2016年12月 1日 (木)

“コメント” 宣言

~ soji の今日もワクワク 221  ~

おさむさん 「~ おさむの鳥の目~」200回の連載、おめでとうございます。何も言及されなかったので、 私から勝手にお祝いのメッセージを贈らせていただきます。

それにしてもこれまで続けて来られた、おさむさんの動機は何だったのでしょう。

ちなみに私の動機といえば、この発想多彩ひろばを運営している、さとうさんのコメントです。投稿するたび、一言返してくださる。それが嬉しいのです。

さとうさんのコメントを直接、ここに記載するわけにはいきませんので、例えば前回のおさむさんのエッセイに、こんな風だったのではと推測し、私が書かせていただきます。

「おさむさん、今回も原稿をありがとうございます。
『一万年の旅路』には、そこに至る十万年の口承があったのですね。アメリカの北東部に生息していた祖先が、アジア、そして遠くアフリカからやってきたことを、途切れさせず伝えてきた。驚きです。それもこれも一族の「長(おさ)びと」のおかげですね。先住民との諍いは、現代の移民難民問題をほうふつさせます。当時の知恵は現代でも通用しそうです。私たちも、後世に対してよき「長(おさ)びと」になれるよう、まだまだがんばりましょうね」

執筆への慰労と的確な感想をコンパクトな文章量にまとめる。なかなか難しいです。上記の文章は、あくまでも私が勝手に書きました。さとうさん、御免なさい。

私の場合、時として自分が伝えたかったテーマとは違うポイントを指摘されたりします。こんなところを面白がってくれたのかと驚いたり。とにかく書いた内容に反応していただけるのがとても嬉しいのです。

もともとこのエッセイの執筆は、さとうさんが唱える「はじめの一歩」として何をするか、について、私が何気なく「月に一回エッセイを書く」と声明したのがきっかけです。その後、発想多彩クラブの機関紙に掲載してくださることになり、それが紙からメールマガジン、そしてブログへと形を変えて行きました。いつの間にか賛同者が増えて、今日では4名が毎月1本、欠かさずに投稿しています。きっと他の方も、さとうさんのコメントが楽しみなのではないでしょうか。

先日、同じような機関誌を出している方から、よかったら原稿を書いてくれないかと話があり、投稿したことがあります。ところが、文字や掲載する写真の確認だけで、書いた内容には一切触れなかったので、次回を書く気になれず、掲載は一回だけでそのままストップしてしまいました。あらためて自分の文章に対し、何かしらの評価をしてくださる重要性を痛感しました。

まあいろいろと書いてきましたが、月一回のエッセイを書くぞと、最初に誓約した張本人として、今回はこんな声明をいたします。

「他の3名のエッセイに対して、毎回コメントする」

このブログ、コメント機能が付いていたことにあらためて気が付きました。たまに書かせていただきましたが、今にして思います。なぜもっと活用しなかっただろうかと。

本文の執筆もさることながら、他の人へのコメントもまた難しいと思います。でも誰かが読んでいる。毎月楽しみにしてくれている。エールを送るのも大切なことかと。ですので、次回のわさくさんの作品から、コメントを書かせていただくことをここに宣言いたします。

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