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2016年11月

2016年11月27日 (日)

お勧めの子どもの遊び場 

首都圏で子どもの遊び場、遊園地というと、東京ディズニーランドやアンデルセン公園。

しかし、ここに穴場ともいうべき所があります。それは上千葉砂原公園(葛飾区)。

JR亀有駅(南口)から徒歩約16分。バスでも行けます。

巨大遊具もあれば、動物にも触れられます。しかも、入場無料。

詳しくはこちらをどうぞ。
http://1000enpark.com/park/tokyo/katsushika/kamichiba.html

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2016年11月25日 (金)

「一万年の旅路」の昔ばなし

~ おさむの鳥の目200 ~

前回に書いたように、「一万年の旅路」は標題の通り、一万年前からこれに続く一万年間の出来事を書いたものです。しかし、この本の中に、この一族に伝わる昔話があります。

今からちょうど1万年前に、一族はベーリング海陸を渡ってアメリカ大陸に来た後、たいへんな苦労の末、北米大陸の西海岸に到達します。そこには先住の民が居たのですが、隣り合う形で一族が纏まって住み着くことが出来ました。ところが、やがて、先住者から重大な申し入れがありました。その内容は、どこかほかの所へ行ってくれないかというものでした。

しかし、それを実行するためには、これからまた、長い道のりを歩いて、新しい定住地を見付けなければなりません。歳をとった人にとっては大きい負担であり、簡単に実行に踏み切ることは出来ません。そこで、交渉が行われ、老人たちだけはこの地に残ることが許されました。

こうして、一族は二つに分かれることになり、この機会に一族に伝わる口承を再確認することが提唱され、何日かかけて、それが行われました。

この結果、一族に伝わる昔のころ(10万年くらい昔)の口承史が後の世に伝わることになりました。そして、その内容は次のようなものでした。

「さて言っておくが、わが一族のはじまりは、<大海のほとり>の里(一族が地中海の西端と思われる地に居た時)よりはるか昔に遡る。それはあまりにも遠い昔で、だれ一人時を数えることもできないほど。であるにもかかわらず、われらのあいだには次のような物語がつたえられてきた。」

「遠い昔、遠い昔、遠い昔・・・わが一族はゆるやかな群れをつくって暮らし、太陽がたまにしか見えないほど背の高い木々のあいだを縫って日々をすごしていた。それは暢気な時代。手を伸ばしさえすれば、何かしら熟れた果実に恵まれる時代であった。」

このような言葉から始まり、やがて乾燥化が進み、森を離れて草地へ歩み出すようになり、新しいやり方を覚え、果物でなく、獣たちの群れを探すようになって、ゆるやかな群れで、ほぼ北の方角へ移動していくことになったということが書かれています。

読んでいますと、どうやら飲み水を手に入れることが最も重要であったようで、以前は降り注ぐ雨が木の葉や枝のつけ根にたまり、危険な地面に降りずに水を飲むことができたが、雨の降る回数が減り、水を飲むためには地上の水たまりを見つけなければならなくなったのです。

「そこで、一族のある者たちは大岩や丘などの高い場所を見つけ、ぐるりと遠くを見渡しては、水のありかを示す大きな獣(象と思われる)たちの群れを探すのであった。」という文章があり、これについて著者は原注に次のように書いています。

「高い場所を見つけるということは、たいへんな発見だった。本文からははっきり読み取れないが、私はこの表現を変えるべきでないと考えている。伝統的には、この部分はもっとも古い記述法である身ぶりをともなって語られた。それによって『まだ言葉をもたなかった』というメッセージが強調され、高い場所から遠くを見ることの途方もない重要性も伝わった。」

本文には、草地での生活が困難をきわめたため、多くの者は森に住み続け、最後には木々たち自身から振り落とされるはめになったなどいろいろなことが細かく書き残されています。この細かい部分をお伝えしないと、ことの真実性が理解され難いと思いますが、全部を書くことはできませんので、この程度にとどめ、後は類推してくださるようお願いします。

これが昔話の始まりです。この中で語られているように、一族の発祥の地はアフリカ大陸の森の中です。気候の変化から昔の生活が続けられなくなり、移動して、地中海の西端と思われる地に定住し、生活も安定、人数も増えて、やがてグループごとに分かれて、他の土地へ移動するようになったものと思われます。

この中で、東の方向に移動し、やがて黄河と思われる大きい川にそって東に進み、中国の東の海に達した一族が、この一万年の旅路の先祖だということになります。

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2016年11月19日 (土)

月島 - もんじゃ = ?

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 164~

豊洲で所用の後、「soji の今日もワクワク」の著者、sojiさんと隣駅の月島へ。休日のランチ散歩です。

月島と言えば御存知「もんじゃ焼き」の街。休日のランチどき、月島を訪れるほとんどの人のお目当ては、もちろん、もんじゃ焼き。目抜き通りにはもんじゃ屋さんがズラリと並び、さらに細い路地裏にまでもんじゃ屋さん。

有名店らしきお店の前には大行列、そんな人気店ではなさそうなお店にも人だまりができるほど。月島と言えばもんじゃ焼き、もんじゃ焼きと言えば月島。まさに「月島 = もんじゃ」。

さて、前置きが長くなりました。今回、そんな月島で、sojiさんと「もんじゃ抜きランチ酒」へ挑戦しました。もんじゃの街で「もんじゃ抜きランチ酒」は、はっきり言ってかなり無謀。でも苦労した分、いろんな発見がありました。

発見1:表通りのもんじゃ屋は見るからにもんじゃ屋と分かる店の作りですが、路地裏のもんじゃ屋は一目見ただけでは何の店だか分かりません。これらは以前居酒屋や喫茶店だった所がもんじゃブームに便乗して、もんじゃ屋へ看板替えしたためと思われます。

発見2:「月島 = もんじゃ」、街のイメージ戦略としてはこれ以上ないような大成功例と言えます。でも、こんなイメージが過度に固定してしまうと、街の多様化が進まない恐れも否定できません。もし、もんじゃブームが去ったら、「月島 - もんじゃ = 0」。

発見3:驚いたのは、もんじゃの街 月島に温泉があったこと。しかも料金460円と銭湯並み。「月島 - もんじゃ = 温泉」。

発見4:どんな街でも中華は定番。長い捜査の末、結局ランチにありつけたのは中華料理店。もんじゃの街 月島にも中華はあり、ちゃんとランチ酒(ビールと酎ハイ)にもありつけました。そこで、「月島 - もんじゃ = 温泉 + 中華料理店」。

発見5:「月島でもんじゃ抜きランチ酒」のような挑戦企画は面白そう。例えば「築地でサカナ抜き飲み会」や「神保町で書籍以外の掘出し物を見つける会」なども結構イケるかも。「ある街 - その街の名物 ≒ 0」であるほど挑戦しがいがありそうです。

sojiさん、ランチ酒へのお付き合いと、いろんな気づきをありがとうございました。「さかもっちゃん(私)x sojiさん = ランチ酒 + いろんな発見」。

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2016年11月10日 (木)

「お茶っこさ飲むか?」「ほれ、煎餅も食ってけぇ!」

~ わさくの悪知恵 195


あの2011311日の東日本大震災の翌年から復興支援(?)の1つとしてスタートした、我が地元のライブハウスに集うミュージシャン仲間が中心となって参加の、年1回のツアーが今年も先日敢行された。今回が5回目で私は今のところ皆勤だ。

 

岩手県大船渡をメインに出向き、現地の人々と主に音楽を通しての交流を計り、ほんの少しばかりだけれど現地での経済効果をもたらそうと消費(主に宿泊代、飲食代)をするという主旨でスタートしての5回目だ。

 

今回も出向く参加者は首都圏からをメインとし、遠くは九州、四国からをも含め70人ほど。現地で合流する方々を含めば100名を超すちょっとしたグループだ。

 

このエッセイには、過去の内容を毎回紹介させてもらっているので以下を参照していただきたい。

 

2012奇跡の一本松

2013復旧と復興

2014津波伝承館を訪問して

20154年続けての岩手県大船渡訪問ツアー参加

 

今回も当然だが街の変化が感じられた。1年経つと街はこれほども変わるものだというのが実感だ。ようやく「復興モード」に入ってきているように感ずる。

 

まず各地で「かさ上げ」が進んでいる事。

 

そして、それに関連して我々が過去に宿泊していた2つのホテルがともに新築にて営業をはじめていた。去年までとほんの少し場所も移動し、きれいにリニューアルオープン。内容がアップグレードされているのは実に嬉しかったが、元の建物はもう跡形もない。これにはビックリだ。

 

それと並行して他にホテルも増え、色々なお店、特に飲食店も増えてきているが、俗に言う全国チェーンのお店が増えてきているのに気付く。街全体の復興具合と見渡すに行政と比較してみると、ある意味大手企業のスピードは早いなあと思ってしまった。

 

貸切の夜行高速バスで夜中に我が地元を出発、早朝に大船渡に到着してからその午後に「仮設住宅」から進化した「アパート」と呼ばれる集合住宅の集会所で音楽ライブのイベントを開催し、私が司会進行を担当させてもらった。

 

2013年の2回目のツアーにて仮設住宅でのライブに出演した思いにふけながらも、現地参加の方々と一緒に和気あいあいの楽しきイベントにすることができたと思う。

 

さすがに夜行バスの疲れと、大役()を終えての安堵感でホッとして座って休んでいたところ、現地で参加してくれた御婆ちゃんに元気に声をかけられたのが今回の『標題』だ。満面の微笑を私に向けてくれた。

 

Photo_3イベントが始まる前に御馳走になった昼食はこちら(左の写真)。

出汁はお代わりまでしてしまった。身も心も暖まるとはこういう事かと感極まってしまった。

 

皆さんそれぞれに大変な思いをしてこの5年余りを過ごされてきているはずだ。でも我々に応えてくれた「笑顔」は皆素敵だ。

 

毎回参加するたびに現地の皆さんのこの「笑顔」から「元気」をもらって帰ってくる。本来の我々の目的とは逆になっているが、そこが大好きなところなので私は毎回足が向く。

 

さあ、また来年もたくさんの「笑顔」に会いに行こう。それまで自分自身もしっかり生活していかねば!

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