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2016年10月

2016年10月30日 (日)

詐欺師の矜持(きょうじ)

~ soji の今日もワクワク 220  ~

「重要通知」

のタイトルで、私のスマホにメールが届きました。9月28日のことです。

「ますますご清祥のこととお喜び申し上げます」とかなりあらたまった書き出し。「還元金支給対象者に選定させていただいたので、詳細はこのURLをクリックし、お客様ページをご覧ください」ときわめて事務的に書かれています。深く考えずにアクセスしたところ、このような内容でした。

インターネットを利用されている方から毎年、プロバイダーやEC業者の利益を還元する対象者を選んでいる。数千万人の中からあなたが選ばれた。速やかに還元金を振り込むので、指定銀行と口座番号を教えて欲しいと。

その金額はなんと、8,750万円!!

合わせて何やらもっともらしい許可証と、担当者と称する佐藤さんのOL然とした画像が添付されていました。そして手続きの期限は9月28日。そう、今日中とのこと。だからぜひお急ぎくださいと。

まさにいかがわしい。典型的な振り込め詐欺のメールです。通常なら直ぐに削除するのですが、ふと気が向いて止めました。大抵の迷惑メールは若い女性の成りすましなどエッチ系が多い中、文章がキチンとしており、夢を見せてくれるような不思議な魅力を感じたからです。2時間後、今度は担当の佐藤さんからメールが。迷惑メールと誤解されてはいけないと思い、確認のため再度ご案内を差し上げたのだと。

その後夜の9時まで、2時間おきにメールが来るようになりました。それも都度違う文面で。翌日、さすがに期限切れと思いきや期限を延ばしたと。このチャンスを逃すな。手数料はかからないから。手続きは直ぐ終わる。日が代わっても佐藤さんのメッセージは続きます。私の権限ではもう延ばせない。すると今度は上司と称する人が出てきて佐藤の言うことを聞いてくれと。これが連日朝の8時から夜の9時まで2時間おきにキッチリと来るのです。こんな大金、まずは手に出来ないのになぜほおっておくのかと。

メールのアドレスを確認すると毎回違う。これではフィルターがかけられません。よく考えられているではありませんか。

企画力はともかく、文章力、継続力、どれも大したものです。「重要通知 迷惑メール」でネットで検索するとこうした事例は直ぐに出て来ます。バレバレなのに、なぜ正しい方向にこれらの能力を使わないのでしょうか。その本心が垣間見られる文面が、メールの中にありました。曰く、これだけの大金があれば“どれい生活”から抜け出せると。(「どれい」のひらがな表記は原文のまま。“”は、当方で加筆)

真面目にコツコツと働くのはバカバカしい。人を出し抜いても一攫千金を狙うのが俺たちのやり方だ。このように考えているのかもしれません。それだけではない。一向に景気回復の兆しが見えない今の日本。国民は積極的な消費を行わない。だから俺たちが欲の皮の突っ張った小金持ちから金を引き出して流通させる。俺たちは世の中のためにやっているんだ。そんな矜持を持っていると思えてなりません。

電子マネーや I o T、フィンテック…技術の発達で、これから新しいビジネスがますます生まれてくることでしょう。しかしどんな形でも、人を不幸にしてはならないという倫理観を、ブレさせてはダメだと、強く思います。

この迷惑メール、届いても開かずに2日ほどほおっておいたら、ようやく来なくなりました。もしこの還元金に興味があるという方、私にメールアドレスと銀行名、口座番号を教えていただければ代わって手続きをしてあげますよ。フフフ。

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2016年10月25日 (火)

今頃また「一万年の旅路」

~ おさむの鳥の目199 ~

「今頃また」と書きましたが、これはほんらい無用の言葉です。「一万年の旅路」という話は、このエッセイでは今回初めて口にすることですから。

人類の歴史は永く、一万年を遥かに超えていることは間違いありません。しかし、語られているのは、考古学上の知識だけであって、当時の人がどのように生活していたかを書いた文書は存在しないと思っていました。もし、一万年前のことを書いた文章があったとすれば、その価値は極めて大きいと言えます。

ところが、ないと思っていたものがあったのです。普通の書店に売っている普通の書籍の形でです。「一万年の旅路」という書名で、「ネイティブ・アメリカンの口承史」という副題が付いています。アメリカで出版された本の日本語訳です。

最初に書店でこの本を見つけたときは、フィクションだと思いました。しかし、その本が置かれている棚の場所から考えて、まじめに人類の過去を語っているものと考えざるを得ません。

著者は、ポーラ・アンダーウッドというイロコイ族の系譜をひく女性で、1932年ロサンジェルス生まれ、大学で国際情勢論を専攻した後、首都ワシントンで30年以上海外援助等の仕事をした人です。

幼少期から父についてアメリカ北東部の先住民に伝わった長大な口承史を学び、上記の中断の後、42歳で口承史の英訳出版という本来の役目に戻ったということです。

私は偶然にも、この本を買い、熱心に読みました。内容は期待していた以上の価値あるものでした。そこで、この貴重な情報を友人にも知らせたいと思いました。10年ほど前のことです。そこで、当時、熱心に続けていた同期生のメーリングリストに、連載の形で書きました。

この口承史を残した一族は、一万年前に、日本の近くに住んでいました。推定される場所は、朝鮮半島が大陸に接する部分の東または西のところです。

一万年前に一族が「海辺の渡り」を目指すことになったのは、天災でそれまで住んでいた所に住めなくなったからです。この後の経緯を短くまとめると次のようになります。

一族の中には<長(おさ)びと>と呼ばれる人達がいて、昔からの有用な情報を伝えていたが、突然の地震による落石と津波で一族の大多数が死に絶え、人数は激減した。<長びと>で生き残った者も3人だけとなってしまった。

これから進むべき方向についての情報は少なかったが、その中に、「もし北の東の北へ行けば<海辺の渡り>に到り、そこを通って大海(おおうみ)の北を進むと<かなたに広がる大いなる島>へ達する」という言葉があった。

その後、4、5日かけて行くべき方向を探ったが望ましい答えは出なかった中、一人の女が口を開いてこう言いった。「私は目を北に向け、私とともに歩む者をつのる。それというのも、私は<海辺の渡り>をこの目で見て、それがいま渡れるかどうかを確かめたいからだ」と。

結局、南は暖かく北は寒いという理由で多くの者が南をめざし、極少数の者が上記の説に賛同して、北をめざすことになった。

このような次第で、一族は水没直前のベーリング陸橋にたどり着き、これを渡ることになるのだが、すでに陸が途切れている所もあり、非常に難渋したようだ。しかし、結果として、落ちこぼれなく全員が北米大陸に到達した。

この後、一族は、多くの困難を乗り越えて、一度、北米大陸の西海岸に達した後、東へ向かって旅立ち、長い年月をかけて、東海岸に到達した。しかし、そこには先住の者がいて安住できなかったため、反転して更に進み、最終的にはオンタリオ湖(現イロコイ連邦のある場所)にたどり着いた。

以上の通りですが、この話を書いたのは、10年ほど前のことです。その後、ネット上で、この「一万年の旅路」に触れたサイトを見付け、それを機会に、上記メーリングリストにもう一度この話を書きました。その時の標題が「今頃また『一万年の旅路』」でした。

今回は、何の気なしにパソコンの内容を整理していたら、偶然「一万年の旅路」の話が出てきたので、この話はできるだけ多くの方に知ってもらいたいと考えていたことを思い出して、上記の文章を書かせていただきました。そして、標題に勝手ながら「今頃また」と入れました。

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2016年10月21日 (金)

善意は時として人を思考停止に陥らせる

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 163~

先日、近所のスーパーで買い物の後、レジ袋に品物を詰めていた時のこと。見知らぬオバサンから、すれ違い様にいきなりキツ~い言いがかりをつけられました。

「あなた、いまだにレジ袋なんて使ってるの!? ぜ~んぜんエコじゃないわ!」

そのオバサン、言いたいことだけ言うと、スタスタとスーパーから出て行ってしまいました。反論する機会も無いまま、呆然と立ち尽くす私。

このオバサンの言動は「資源節約」との善意から出たものかも知れません。また、確かに最近、レジ袋をもらわずにエコバッグを持参する人が多いのは事実。でも、だからと言って、相変わらずレジ袋を使い続ける私のような人が、根拠のない批判を受ける筋合いはありません。

レジ袋を使うことは、そんなにエコに反することなのでしょうか? レジ袋を使わないことは、ホントに資源節約につながるのでしょうか? 元・研究者として憤然と立ち上がり、俄然、レジ袋について調べ始めた私でした。

その結果、判明した事実はとっても意外なものでした。

そもそもレジ袋は、石油成分の中で、以前は捨てていたような質の低い部分を使用していたのです。これまで用途が無くて捨てていたものを、頑張って新技術を開発し、残らず使えるようにしたものがレジ袋。

ですから、レジ袋を使わないことが石油資源の節約につながる訳ではありません。むしろその逆で、レジ袋を使ってあげる方が貴重な石油をムダなく使い切ることにつながるのです。言い換えれば、レジ袋は石油資源の有効活用に大きく貢献しています。

さらに調べて分かったことは、レジ袋追放はもっと大きい深刻な問題を社会にもたらしていること。

かつて、ゴミを捨てる時には使い古しのレジ袋に詰め込んで捨てるのが一般的でした。言わば、レジ袋の再利用。石油成分の中で用途が無くて捨てていたものを新技術でレジ袋にし、さらに、そんなレジ袋をゴミ袋として再利用していた訳です。これぞ、まさに資源の2段有効活用。

ところが今では、多くの自治体でレジ袋再利用に代わり新品の専用ゴミ袋の購入が必要になってしまいました。その結果、意図とは逆に、専用ゴミ袋製造に石油資源を浪費。これは全然エコじゃありません。

今回知り得た事実は、レジ袋に関する世間一般の常識とは大きくかけ離れたものでした。レジ袋追放はまったく意味が無いばかりか、むしろレジ袋をせっせと使うことの方が石油資源の有効活用につながり、新品のゴミ専用袋の無駄使いを抑制し、結果としてエコにつながっていたのです。

スーパーで出会った例のオバサンの私に対する発言は、実は反エコ行為そのものだったのです。誰かが提唱したレジ袋追放運動なるものを、自分では何も考えず頭から信じ込み、過激な行動に走る。善意は時として人を思考停止に陥らせる好例と言えるでしょう。

実は、同じような善意による思考停止が「割り箸」や「動物愛護」でも起きています。これらの話は、是非、次の機会にでも。

今度、スーパーであのオバサンを見かけたら、私は声を大にして言ってあげるつもりです。「あなた、いまだにレジ袋追放なんて言ってるんですか!? ぜ~んぜんエコじゃない!」、と。

エロオヤジならぬ、自称エコオヤジの戯言でした。

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2016年10月11日 (火)

映画「Eight Days a Week」を観て

~ わさくの悪知恵 194

そろそろシニア料金で映画鑑賞できる日もそう遠くはなくなってきているのだが、久しぶりに映画館で映画を観た。

前回はいつだったか記憶をたどっていったら、やはりこのエッセイに投稿していたものだった。
http://souta.way-nifty.com/plaza/2011/12/post-536e.html

もう5年も経つんだ。

今回観た映画も同じく「ビートルズ」の映画だ。
http://thebeatles-eightdaysaweek.jp/

私が音楽を好きになったきっかけは「ビートルズ」以外には考えられない「ビートルマニア」の一人としてこの映画は公開初日の第1回目を自宅そばの「シネコン」に観に行く。

彼らが絶頂期としてツアーに明け暮れる1964年から1966年までの様子を収めリマスターしたドキュメンタリー映画だ。伝説の1966年6月の日本武道館公演も出てくる。監督はアカデミー賞を受賞しているロン・ハワード氏だ。私とは年齢もほぼ同じなのだが、よくまとめ上げているのに感心した。

まず、あの時代音響が現在のように行き届いていない中あれだけの演奏をしていたのだから、このバンドの4人は最高のライブミュージシャンであることを再認識した。

野外でしかもスタジアム規模でのライブ。この規模のコンサートは当時稀でプロモーターも試行錯誤だったであろう。大歓声、悲鳴が炸裂する中、自分たちの出す音も確認できなかった状況でさぞや大変であったことだろうと想像する。

現在であれば適度な大きさのライブハウスであれば、必ず演奏者が自分たちの音を認識できる「モニター」というスピーカーがステージ前に設置されているものだ。

この「モニター」からの音がきれいに聞こえると実に気持ちが良いもので、その日の演奏のできを大きく左右する。私自身が現在の親父バンド活動の中で感じている事だ。それがスタジアム規模で「ない」のだから・・・

そしてあのような日々を送っていたら演奏ツアーからの撤退は仕方がない事と納得する。

画像も演奏の音もリマスターされていて、気持ちよく鑑賞できた。画像はまだしも、音の「リマスター」はこれ以上手を加えると不自然に聞こえてしまう限界にある程にあると感ずる。

尚、映画の中では触れられていないが、当時のビートルズのライブは徹底してワンステージ、アンコールなしの約30分ほどだったのだ。それ以上はあの大歓声、悲鳴そして警備上も限界だったのかもしれない。

そしてこの映画を通じて再認識したのだが、たまにライブハウスに演奏を観に行って実に気になることを思い出す。

それは演奏中の客席での「おしゃべり」だ。自分のお目当てのバンド以外は「おしゃべり」し放題という連中が多くいる。演奏中であるから演奏の音に負けないくらい大きな声で話さないと会話ができない、さらにアルコールが入ってくると自然に声が大きくなる。これは演奏者としても周りの観客としても実に迷惑な行為だ。

やはり演奏者に対するリスペクトとして、演奏はできるだけ「聞き入る」姿勢が大事とこの映画が教えてくれたような気がする。

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