« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月

2016年9月30日 (金)

小さな一言で

~ soji の今日もワクワク 219  ~

先日、池袋のスパゲティ屋に一人でふらりと入った時の出来事です。

そこは地下一階。12畳ほどの広さに2人用のテーブルが5卓。そして大テーブルが1卓、両側に5人ずつ並んで座るように長椅子が配置されていました。

平日の昼前なのに、お客さんはもう半分ほど埋まっています。どうやら繁盛店のようです。

一番奥のテーブルに首尾よく陣取れた私。ふと壁を見ると、「混雑時には相席をお願いいたします」の貼り紙が。

注文を待っていると、やがて「こちらでお願いします」と店員の声。一人の若い男性が、私の前の席に案内されました。

その彼を見ると、実に不愉快そうに私を一瞥して、席に着くではありませんか。当然のように何の挨拶もありません。

身なりから判断するとごく普通のサラリーマンでしょうに、エチケットもへったくれもない。私はちょっと気分を害してしまいました。

その後ランチ時となり、何人ものサラリーマンが席に案内されるのを見て気が付きました。相席でと言われた瞬間、皆一様に仏頂面をして、無言で座るのです。前から座っていた客に一言も声をかけることもなく。

その心理は何となく分かります。相席というのは、自分の意志ではない。店の都合なのだ。だからこうして席に着くのは不本意だ。ブスッとした顔は、自分は被害者だと主張するためのポーズなのでしょう。

しかしわずか60センチの距離を挟んで、不愉快そうな他人を見ながら食べるスパゲティは、味は悪くなかっただけに実に残念な思いがしました。

「失礼します」や「すいません」「ごめんなさい」の一言を言わない大人たち。ただ彼らはまだましかもしれません。

以前、スーパーに買い物に行ったときに、小銭を何枚もこぼしてしまったことがあります。その時、小学校低学年でしょうか。女の子が拾って、無言で私に手渡してくれました。お礼を言おうとして見たときの女の子の顔が忘れられません。

怒りを押し殺した、なんとも無表情な能面のような顔をしていたのです。そして私に小銭を渡すやいなや、近くにいた親の元へ全速力で走り去って行ったのでした。私の「ありがとう」と言う声を聞く間もなくです。

知らない大人には接するなと、教え込まれてきたのでしょう。でも、つい親切心で小銭を拾ってしまった。手渡す際、どのような顔をしていいか分からなかったのだと思います。ひょっとしたら、罪悪感の方が勝っていたかもしれません。

集団で登下校をする小学生たちが、一様に持っていた携帯用の非常ベル。しかし、そこまで他人を排除してしまったら、正直、将来のコミュニケーションはどうなってしまうのだろうかと、戦慄さえ覚えたほどです。

今後、AI(人工知能)の技術が進み、接客の多くは機械が担っていくことでになるでしょう。そうして、人間同士の交流はますます少なくなるに違いありません。けれども、接点がゼロになることは決してない。わたしはそう思います。

ちょっとした無礼を詫びる。感謝の気持ちを示すために、こまめに言葉にしていきたい。たとえ自分が不快な思いをしたとしても、それをそのまま他人にぶつけるような器量の狭い人間にはならないようにしたい。

そして、わずか一言でも言葉を交わす大切さを、未来を担う子供たちには示していきたいと思っています。

とは言いながら、先ほどの大人たちのように無言が常識になったとしたら、逆に言葉を発する自分が変人に見られるかもしれません。そんな未来が来ないことを心より願っております。

| | コメント (0)

2016年9月24日 (土)

太郎坊の井戸その後

~ おさむの鳥の目198 ~

2年ほど前に「太郎坊の井戸」という題のエッセイを書いたことがあります。私は15年ほど前から、朝、ウォーキングをしています。行き先はいろいろで、「360°のウォーキング」と名づけてよいほどに、家を出てどちらの方向へ歩いてもふさわしい行き先があると、当時は考えていました。

 

現在は、少し絞られてきて、360°どちらへでもとは言えません。その結果、よく行く道は3~4箇所あって、しばしば行く道と、久しぶりに行く道に分かれてきます。先日、その久しぶりの地域に近づくと、様子が少し違っていると感じました。

 

庭に「太郎坊の井戸」という名前の井戸があった家が取り壊されて無くなっているのです。あわてて井戸はどうなっているのかと見ると、井戸自体はそのまま在り、井戸を覆う屋根も変らず残っていました。

 

いきなり「太郎坊の井戸」と書きましたが、2年前に書いたエッセイでは、「太郎坊の井戸は、ありふれた街角に並ぶ普通の民家の庭にあり、何の特徴もない井戸ですが、ただ、傍らに『太郎坊の井戸』と書いた石柱が立っています。」と紹介しています。

 

ここで「太郎坊」とは、日本一有名な天狗の名前で、平安時代から京都盆地北西の愛宕山に住んでいると考えられてきた大天狗です。この、街中の民家の庭にある普通の井戸に、何故、天下の大天狗の名前が付けられているのか、「その理由は分からない」というのが通説になっています。

 

そして、上記の通り周りの様子が少し変った、現在の「太郎坊の井戸」の傍らには、2年前に私が見ていた「太郎坊の井戸」と掘り込まれた石柱が、変らず以前の通りに立っています。

 

上に書きましたように、庭の端に「太郎坊の井戸」があった家は、取り壊されて工事中です。どうやら、集合住宅が建つようです。新しい建築中の建物と、残っている井戸の位置関係から考えて、家と庭は無くなっても、井戸はそのまま残されて、今までの位置に存在し続けるのではないかと推定されます。と言っても、見えている限りの情景から、私が勝手に考えたものであり、そう考える明確な根拠はありません。

 

せっかく、この地に伝えられてきた話と、歴史的資料としての価値は大きくないかも知れないが、現に残されてきた、そして、今も厳然と存在する実物があるのだから、これを後の世に伝えたいという願いはあります。

 

先に書きましたように、何故その井戸が「太郎坊の井戸」なのか、その経緯は分からないのですが、地元の情報誌にはときどき取り上げられ、話題にされてきて、今も井戸の横には、その記事の一部が拡大コピーされて、掲示されています。

 

今後、この井戸がどのように扱われるのかわかりませんが、時代につれて街が変っていく中で、この井戸のような特定の遺跡があると、街の変化を示す道しるべとして、一定の役割を果たすのではないかと考え、見守っています。

 

| | コメント (0)

2016年9月19日 (月)

東京都心の「分水界」

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 162

 

万物に恵みを与える水は、高いところから低いところへと流れます。雨が降れば水は地面に浸み込み、その雨水が泉から湧き出して川となり、やがて海へと注ぐ。上善は水の如し。

 

そんな雨水ですが、ある境界線のどちら側に降るかで流れ込む川が変わり、行き着く先の海が変わってきます。ほぼ同じ場所に降った雨水が、ほんのちょっとした違いで、片や太平洋へ、片や日本海へ。

 

そんな境界線を「分水界」と呼ぶとか。ちょっと聞き慣れない言葉ですが、そんな「分水界」として最もイメージしやすいのは、山の尾根でしょうか。

 

山岳地帯に降った雨水は、尾根を境に異なる方向へ別れ、場合によっては別々の違う川や水系に流れていきます。そのため、「分水界」になる山の尾根や稜線を「分水嶺」と呼びます。

 

「分水界」に「分水嶺」。コムズカシクもなんと魅惑的な響きを持った言葉でしょう。

 

ほぼ同じ場所に降った雨水が、尾根や稜線を境に全く別の運命を辿る。そのため、「分水界」や「分水嶺」は様々な運命の分かれ目の例えとしても使われます。季節の変わり目などの軽いものから、人生の岐路、そして、究極は生と死を隔てる境目や生物進化の方向性まで。

 

さて、そんな運命の分かれ目の「分水界」ですが、東京にもあります。しかも、東京都心に。

 

それは、皇居西側にある半蔵門。国道20号(新宿通り、甲州街道)の起点です。江戸城内濠の水はこの半蔵門を「分水界」として、北は半蔵濠、千鳥ヶ淵、清水濠と時計回りに、南は桜田濠、凱旋濠と反時計回りに流れています。

 

半蔵門の北側に広がる半蔵濠は、江戸城内濠の中では水位が最も高い場所。半蔵濠の水は千鳥ヶ淵へ注ぎ、九段坂に沿って牛ケ淵を流れ、そして、千代田区役所近く清水門脇の水門から日本橋川方面に流れ出て行きます。

 

一方、半蔵門から南方向の桜田濠側を望むと、見事な高度感のある雄大かつ壮大な景色が広がります。右手に霞ヶ関官庁街、そして正面彼方には丸の内ビル群。まさに東京都心の「分水界」を実感出来ます。

 

人生の岐路に立ったとき、この半蔵門を訪れ、東京都心の「分水界」に想いを馳せてみるのはいかがでしょう。

| | コメント (0)

2016年9月11日 (日)

ビール党

~ わさくの悪知恵 193

私は長年自称「ビール大好き」人間〝だった″。

〝だった″なので過去になりつつある。

別に強いこだわりや蘊蓄があった訳ではないが、好きだったビールの銘柄は・・・

○基本的に我が舌は「アサヒ スーパードライ」ででき上ったようだ。
○家飲みは「キリン ハートランド」。
○飲み食いに行ったお店で置いていたら嬉しくなるのは「サッポロ
  ラガー」(通称〝赤星“)
○野球観戦で飲むのにピッタリは冷えた「キリン 一番搾り」

・・・などなどであった。

しかしながら、2年ほど前の健康診断で「血糖値」が少し高く「糖尿病」の入り口にあると診断されてから、大好きなビールも生活習慣で変えてみようと試行錯誤を重ねる。

血糖値にはビールの「糖質」が天敵になるため、発泡酒系の「低糖質」または「糖質ゼロ」を物色する。

色々な銘柄を試すが、一番自分の趣向に合ってたどり着いたのが「サッポロ 極ゼロ」だ!

「糖質0%」「プリン体0」「人口甘味料」という超ヘルシー?な「発泡酒」。アルコール度数は4.5%。

私の場合は糖質0%が該当するが、尿酸値の高い方々へは「プリン体0」は有難いはずだ。

以来ずっとこの「サッポロ 極ゼロ」を嗜んでいてもう完全に舌が慣れてしまい、たまに普通のビールを飲むと実に「苦く」感じてしまう程になってしまった。

さらに炭水化物の摂取も控える食生活にしたため、特に自宅にて食する夕食は野菜から食べ始めほとんど炭水化物なしだ。

ただ頑なにこの「飲食習慣」を敢行している訳ではなく、無理のない範囲(あくまで自己判断だが…)でリミッターを外すことがある。でないと精神的ストレスになりかねないとの勝手な思い込みだ。

その甲斐あってか最近は「血糖値」は正常範囲内〜さらに少し低目に安定している。

ただこの「糖質ゼロ」系の発泡酒を置いている飲食店はほぼ皆無。さらにこの「極ゼロ」を扱っている食料品小売店も日に日に減ってきているのが少し気にかかる。

しかしながら、ほとんど週一で通っている自宅のある地元の焼鳥屋さんが私用に最近このビールを置いてくれるようになった。実に嬉しい。

Photoこれからもヘルシーに冷えたこの「極ゼロ」を飲んでいきたい。そして、過去に好きだった銘柄もほんのたまにリミッターを外し嗜んでいけたらと思う。

| | コメント (0)

2016年9月 1日 (木)

うみの思い出 -2016年 夏

~ soji の今日もワクワク 218  ~

8月最後の日曜日、私はついに歯を抜きました。過去に2度ほど書かせていただいた、愛着溢れる歯です(以下参照)。

肉体は、消耗品である ~ soji の今日もワクワク179  ~」

ハイシャフッカツ ~ soji の今日もワクワク188  ~」

また痛くなりました、と2年ぶりに訪れたときには、私はもう宣告を受け入れるつもりでした。あらためてレントゲンを撮り、抜歯の日が決まり、やがてその日を迎えました。久しぶりに会ったナッチは、マスクごしに「いよいよね」と目で語ってくれました。

歯周病と診断されてから5年余り。毎日の歯磨き。定期的な歯垢、歯石を落とすための歯医者通い。疲れやストレスがたまると決まって痛くなり、今や健康のバロメーターになっておりました。毎日何人もいろいろな患者さんを診ているだろうに、その先生は私の心中を察するように、抜かなくてはならない理由をあらためて、厳かに説明してくれます。

加齢によって歯茎は下がっていき、歯との間に歯周ポケットが出来安くなる。そこに入った食べかすを除去しないと歯垢となり、細菌が入り込んで歯周病となる。sojiさんの場合は歯垢を取ってきたが、歯の下に入り込んだ歯垢は外からは取れず、そのために歯を支える骨が溶けてしまったようで、だいぶぐらついてしまっている。実態は見てみないと分からないが、他の歯にも悪影響を及ぼす。今抜くのが最善策なのだ、と。

今回は左上の奥から2番目の歯。この図でいうと右上の6番です。

トレイに乗せられた、私のだった歯。歯茎に隠れた部分は図のとおりの三つ又。又の根本には赤い肉片のようなモノが付着しています。先生が説明を始めました。

三つある根の二つまでは溶けて短くなってしまっていた。あとの一つはしっかりしている。これは内側の部分で抜くのに意外に手間取った。この赤いのはうみ袋。細菌が繁殖すると、体はうみ袋を作って細菌を閉じ込め攻撃しようとする。それで歯茎からうみが出たり、腫れて痛くなったりするのだ。しかしある程度袋が大きくなってしまうと、今度は体が歯を異物と認識し、支える骨を溶かして体から離そうとする。やはり今こうして抜いたのは正解だった、と。

ショックでした。私の意志に反して、私の体はこの歯を切り離そうとしていたとは。

「これ、持って帰っていいですか」

家に帰り、麻酔が切れるにつれて増してくる痛みに耐えながら、しげしげと見てみました。付着した赤いうみ袋はきれいに取り除かれ、三つ又の根が付いた歯は、無骨なまでの風体。長年食べ物を噛み砕いてきた姿は、百戦をくぐり抜けてきた武士(もののふ)のような風格を感じさせ、こんな声が聞こえてきそうです。

「殿。拙者はまだまだ戦えるつもりですが、三つある根の二つまでもがやられてしまい、体からも見捨てられました。悔しくて歯ぎしりしたくても、もはやこすり合わせる相手もおりませぬ。無念でござる」

事実、歯の表面、エナメル質の部分は虫歯になっておらず、つやつやと光沢を放っています。結局抜かなくてはならないところまで追い込んだのは、メンテナンスを怠った私の責任。それなのによくぞ5年ももってくれた。言葉の使い方が間違いだと、お叱り覚悟で言わせていただければ「泣いて馬謖を斬る」と、そんな気持ちでしょうか。

肉体を上手に消耗させていくとうそぶいたのは、わずか3年前のこと。そんなに簡単ではないことが、あらためて分かりました。メンテナンスをおろそかにすると、痛みとなって自分にふりかかってくる。そしてまだまだ活躍できるのに、敢えて切り離さざるを得なくなる。

人生は、肉体という武士団を率いて戦い続けることかもしれません。大将が采配を間違えれば勇猛果敢な武将を失い、やがて死に至る。赤いうみにまみれて散って行った私の歯。これから先、彼の死を決して無駄にしないと誓った、2016年の夏でした。

| | コメント (0)

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »