2017年10月15日 (日)

歴史の重層

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 175~

秋晴れの一日、人気エッセイストのsojiさんと一緒に、埼玉県の遺跡を巡る機会がありました。日本の近代資本主義が勃興した明治時代から、埼玉の源流とも言える古墳時代までを一気に遡る、sojiさんらしい壮大な企画でした。

渋沢栄一の生家も圧巻でしたが、私の中で今回の目玉だったのは古墳時代、行田市のさきたま古墳群と東松山市の吉見百穴。どちらも5世紀から7世紀にかけてのお墓です。

まず圧倒されたのは、さきたま古墳群の中の丸墓山古墳。緑の草木に覆われた古墳は、爽やかに晴れ渡った秋空に向かって雄々しく聳え立ってました。その姿はまるで自然の丘と見紛うほど。

聞けば、この丸墓山古墳、行田市で最も高いところとか。円墳の頂頭部からの眺めは抜群。彼方に行田の市街地を一望することが出来ます。

この古墳が造成された時代から約1,000年後、天正18年(1590年)、すなわち今から500年ほど前、私たちが立っているまさにこの場所から、歴史上とても有名な武将が同じ方向を見下ろしてました。

その武将の名前は石田三成。後の関ケ原合戦における敗軍の将です。三成が丸墓山古墳から見下ろした視線の先には、映画「のぼうの城」で知られる忍城がありました。

豊臣秀吉の命を受けて忍城を水攻めした際、三成は、当時から周辺で最も高かったこの場所に本陣を構えたのです。そして更に、水攻め用の堤防を造るため古墳の一部を壊すという蛮行までしてのけたのでした。

遺跡の上に戦のための本陣を造り踏み荒らしただけではなく、戦のために遺跡の一部まで破壊。なんて野蛮な行為、と現代に生きる多くの方々は憤慨するかも知れません。ただ、今では三成による遺跡破壊の蛮行自体が歴史の一部となってしまい、「石田堤」の名のもと貴重な観光資源となっています。なんとも皮肉な歴史の重層。

さて、さきたま古墳群を後にし、次に向かったのは吉見百穴。私たちはここでも遺跡破壊の蛮行を目にすることになります。ここで遺跡破壊が行なわれたのは現代、ほんの数十年前のこと。

太平洋戦争末期、吉見百穴遺跡の真下に地下軍需工場が作られました。米軍の空襲を避けるため、当時の中島飛行機が地下に作った戦闘機部品工場です。この辺りに分布する凝灰質砂岩が、古墳時代の人々にとってだけでなく、現代人にとっても掘りやすかったのが理由だとか。

工事の際、貴重な遺跡がいくつも破壊されてしまいました。三成による古墳破壊を「蛮行」と呼ぶならば、わずか70年ほど前の吉見百穴破壊は「愚行」とでも呼ぶべきでしょうか。

一方で、500年前に古墳を破壊して造成された石田堤と同様、この地下軍需工場跡も既に歴史の一部となりつつあるようです。1,500年前の遺跡より70年前の地下工場跡を目当てに、吉見百穴を訪問する方もかなり多いようですから。

水攻めのために古墳を破壊した三成、そして、戦闘機部品製造のために吉見百穴を破壊した軍需工場。どうやら戦時には、遺跡を顧みる余裕が無くなってしまうようです。思えば、我々人類は歴史の中で、このような「蛮行」や「愚行」を絶えず繰り返してきたのではないでしょうか。とっても皮肉なことに、そんな「蛮行」や「愚行」もやがては歴史の一部に。

歴史の上に歴史を造る。そんな歴史の重層の上に私たちは生きているのかも知れません。

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2017年10月10日 (火)

2人の若き女性とともにお仕事

~ わさくの悪知恵 205 

去る5月、ちょうど私が第一次定年から再雇用スタートの頃から我が職場の労働環境が少し変わり、私のデスク隣と斜め前に若い女性がいるものとなった。

オヤジ目線だと羨ましがられるかも・・・・

この二人の共通点は、過去にデパート等に出店している化粧品メーカーの美容部員だったことだ。そこから2人の容姿については想像ができることかと思う。(さらに羨ましがられるかも・・・・?)

我々も一応「化粧品」を扱う業種なので、ある程度の経験を持つ二人は我が部署のマーケッターというポジションには最適かと思われ採用されている。

ただ二人のキャラが違うので「面白い」。

まず私の隣にいるMI女子。入社ちょうど1年経過。つい先日28歳になったばかりだが、見た目20歳そこそこにしか見えない。

神奈川県海老名市出身。小柄で目が大きく、どちらかというとギャル系の「かわいらしさ」を持ち合わせた人物。猫を2匹飼っているからかその雰囲気がキャラに表れているよう思える。

しゃべり口調も少ししゃがれ声で舌足らず気味なので電話応対など非常に受けが良い。実際にその明るい性格から誰からも好感度が高く、出入りする業者関係者たちも一度会って話したら忘れないキャラかと思われる。

もう一人の斜め前の彼女HK。

去る5月の連休明けからの採用。宮崎県宮崎市出身の24歳。彼女もMIと同じく目が大きい。

MIのギャル系キャラと比べるとこちらは少し”コンサバ系“で「癒し系」だ。美容部員を経験しているので決して”おとなしい”タイプではないのだが、私は「癒し系」と感ずるし、しゃべり口調もおっとりしている。

まだ入社後の日が浅いため、あわてる事が多い彼女だが、我々オジ軍が後ろからしっかりとフォローするようにしている。

来月、今まで私が担当している案件をHKと共同作業することになっており、色々と良い意味での経験を積ませてあげたい。

見方によっては羨ましがられる職場環境かもしれないが、それなりに自分でもそういった環境に気を使ってきているようにも思える。

一応、化粧品→女性がターゲットな業種なのでそれなりの常識は持っているつもりだが、この5月以降の今の環境で自然にだがさらに気を使ってきているかと思う。(我が家人と弟もその筋の企業にいたことがあるのだが・・・)

まず身の回りは常にきれいにしておくこと。特に私は社歴が長くなってきたので「持ち物」が多い。以前にも増して「*断捨離」加速中だ。

そして我が部署にはもう一人私と同年代のオジサンがいるが、彼がたまに俗にいわれる「オヤジギャグ」に類するギャグをかますことがある。

それが見事に”受けから外れる”事があり、その一瞬独特の空気が漂う。こういったことも私的にはNGとしている。

それにしても2人とも「平成生まれ」世代だ。もし自分に娘がいたらこの世代なのかなあと思ったりもする。

我が世代と比較すると「時代」を感じてしまうが、今後彼女たちとも長く、仲良く、楽しく仕事をしていきたいと思う今日この頃。有難いことだ!

(*「断捨離」はやましたひでこさん所有のhttp://danshari.kame.in/kiso/yamashita.htmlの商標)

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2017年9月30日 (土)

郷土の偉人に出会う秋

~ soji の今日もワクワク 231  ~

荻野吟子(おぎのぎんこ)。

日本の公認女医第一号で、埼玉の3偉人の一人。長いこと埼玉に住んでいるのについ最近知りました。埼玉県熊谷市に記念館があるとのこと。秋風が吹き始めた9月の土曜日、行って参りました。

JR熊谷駅を降りてバスで30分、バス停から歩いて20分。農道を突き抜けた利根川のほとりに記念館はあります。来訪客は私一人。出来て日が浅いせいか清潔な室内ながら、手狭な印象を受けました。

作家、渡辺淳一が吟子の生涯を取材し、昭和45年に著した小説「花埋み」。そしてこの小説を原作とした舞台「命燃えて」。壁に貼られた年表には、小説の一節と舞台写真がちりばめられ、ゆかりの品々が展示されています。室内中央に展示されたドレスは、吟子役の女優、三田佳子が実際に身に付けた衣裳のようです。

後日、私は図書館で「花埋み」を読んでみました。そこには女医第一号という華やかな名声とは全く違う姿が描かれていたのです。

ペリー来航の2年前。妻沼町(現在の熊谷市)俵瀬に生まれた吟子は、10代で嫁いだ夫から淋病をうつされ、子供の産めない体となって離縁。東京で受けた男性医師からの診察が屈辱的であったため、女医を志し、苦難の末、女性で初めて公認の医師となったとのこと。

女医となった吟子はやがて、江戸時代から色濃く残っていた、男尊女卑の風潮に悩み始めます。婦人開放運動の先駆者として活躍し名声を得ながらも、13も年下の男性に求婚され、周りの反対を押し切って39歳で再婚。そしてすべての名声を捨てて、夫と共に北海道に渡るのです。しかし過酷な労働の中で夫が亡くなった後東京に戻り、医院を開業したものの、もはや彼女の知識は時代遅れ。7年後、養女に見守られ一人63歳の生涯を閉じたのでした。

東京に戻った後の吟子の様子は、小説にも詳しくは書かれていません。一度は諦めた女としての幸せ。そのために血がにじむような努力の末に手に入れた名声を捨て、愛する人を追いかけた。そんな自分を晩年、果たしてどう思ったのか。もし彼女が東京に留まっていたとしたら、どれほどの偉業を成し遂げたでしょう。でも私は思います。明治という女性に過酷な時代にあって、すべてを投げ出して愛の道を選んだ生き方こそ、荻野吟子の偉業ではなかったかと。

Photoちなみに「花埋み」の意味は、棺の中に横たわる故人のまわりを、花で埋めてあげることだそうです。記念館の横には吟子の像が建立されていますが、本当はこうして奉られることなく、静かに眠っていたいのかもしれません。

どんなに日の当たった偉人でも、その生涯の中には必ずどこかに暗い影があるものです。その影を見つけるたび、自分と変わらないじゃないかと共感したり、涙したり。そして一生懸命生きてさえ行けば、たとえ偉業を成し遂げられなくても、ちょっとくらい胸を張ってもいいかなと思ったりするのです。

荻野吟子記念館。物憂い秋に、何かとても大切なことを教えてもらった気がします。

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2017年9月25日 (月)

駅名ものがたり

~ おさむの鳥の目210

今、私の手許に「駅名ものがたり」という本があります。この本は、長く京福電鉄に勤められた方が、退職後に出された本です。私は、生まれた家に今も住んでおり、同じ地域に住み続けていることから、地域に関する知識が自然に増えて、自分でもこれらの事に興味を持っています。

先日、行きつけの散髪屋さんに行った時、面白い本があるので一度読んでみてほしいと、一冊の本を渡されました。それが標記の本です。

私は京都市右京区嵯峨野に住んでいますが、最寄駅は「京福電鉄嵐山線の有栖川駅」です。この電車は幼稚園の時から利用させてもらっていて、私の人生とは切っても切れない存在と言えます。

この「駅名ものがたり」は、始発の「四条大宮駅」から、西の終点「嵐山駅」までと、支線(北野線)の各駅の、駅名と「各駅の周辺」について、それぞれに興味深い話題が満載されています。

それぞれ歴史の古い地域ですから、話題豊富でたいへん勉強になります。この後、私の興味に従って、いくつか注目すべき論点をご紹介しますが、その前に、この本の存在価値について考えてみます。

話は跳びますが、神社等のおみくじに書かれている文章ですが、なかなかよく出来ていて、感心します。一般に通用するようそれぞれ含蓄に富んだ内容になっています。あらゆる場面に通用するように書いてあっても役立つのですから、もし、その時の自分に合うように書いてあるとすると、もっと役に立つ。誰かそういうおみくじを作ってくれないかと考えたことがあります。

しかし、それは無理なので、それに変わる方法として、私が考えたのは、本屋の陳列棚の前に立って、本の背表紙を見る。そして、読み取れた本の表題がおみくじの内容であると考えるのです。

本屋の陳列は、それなりの考えに基づいて並べられている。自分なりに、その意図を読み取って、その時、自分が望んでいるらしい書棚を選んで見ていけば、その時の自分にとって有用な答えが得られると考えてみたのです。

先程の話しに立ち戻って、本屋に行かなくても、標記「駅名ものがたり」を眺めていると、今の私にとって、興味あり気な話題が並んでいる、その中から一つを取り出して考えれば、自分なりに有意義な考えが展開できると考えてみました。

実際に、この「駅名ものがたり」を読みますと、腰を据えて考えなければならない論点が幾つも出てきます。例えば「太秦(うずまさ)駅」の項には、「秦氏について」と「地名について」の二つの項があって、それぞれ過去の学者の研究成果を詳述するなど、内容豊かな、そして説得力のある記述が見られます。

このように、参考に出来る資料が手に入りましたのでご紹介させていただきます。

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2017年9月19日 (火)

私は「ゆでガエル」

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 174 

「ゆでガエル」って言葉をお聞きになったことありますか?

 

「ゆで●●」と聞いて美味しそうな食べ物を想像したそこのアナタ、ブッブー不正解。「ゆでガエル」は「ゆで卵」や「ゆで豚」、「ゆで野菜」とは違い、とても食べられません。また、「ゆで太郎」のような蕎麦屋さんの名前でもありません。

 

「ゆでガエル」とは、最近、ビジネスマン向け講演会や雑誌記事に、頻繁に登場するようになったカエルのこと。カエルをグツグツ煮えたぎる熱湯に放り込むと驚いて飛び出しますが、冷たい水に入れゆっくり徐々に熱すると温度変化に気が付かず、やがてゆで上がって死んでしまうようなおバカなカエルの話です。

 

流行語に敏感なビジネス書作家やコンサルタントは、今の50代男性の会社人生を、こんな「ゆでガエル」に例えて揶揄してます。高度成長期の右肩上がりの豊かな時代に子ども時代を過ごし、大人になってからもバブル期に就職して、そのまま右肩上がりの経済成長の中で定年まで順調にいけると信じていた「ゆでガエル」世代。

 

一世代上で、なんとか定年まで逃げ切った団塊世代を見上げながら会社人生を送った今の50代も、「そのうち何とかなるさ、これまでがそうだったように」と安心・油断し切って何のアクションも起こしませんでした。

 

ところが、ふと周囲を見渡せば、職務等級制度導入や役職定年早期化などで雇用環境はじわじわと大激変。無事に逃げ切れた団塊世代とは大違い。このままでは安泰に定年を迎えることすら厳しい「ゆでガエル」になってしまいました、とサ。

 

さて、自己紹介が遅くなりましたが、私は50代男性、まさにそんな「ゆでガエル」世代のド真ん中。ですが、私はまったく悲観してません。その理由は、実際のカエルを良く知ってるから。

 

実際のカエルは、この「ゆでガエル」の例え話ほどおバカではありません。小賢しいビジネスコンサルタントや講演家などによって、いかにも生物実験結果であるかのように語られている「ゆでガエル」ですが、これは真っ赤な大ウソでエセ科学です。実際のカエルは温度変化にとても敏感。カエルを冷たい水に入れ徐々に熱したら真っ先に逃げ出し、決して「ゆでガエル」にはなりません。

 

カエルは環境変化に鈍感どころか、環境変化に対して非常に高い感受性と適応力を持ってます。その結果、カエルは地球上で最も多様性に富む生き物の1つとなっており、今でも毎年100種を超すカエルの新種が生物学の学術誌に発表されるほど。

 

世の「ゆでガエル」世代の皆さん、もっと自信を持ちましょう。小賢しいビジネスコンサルタントや講演家が言う「ゆでガエル」なんて大ウソです。カエルは環境の変化にとても敏感で、環境変化への高い適応力を持った生き物なのです。

 

「お前はゆでガエルだ」と言われたら、それは最上級の誉め言葉。「お前は環境変化に敏感で、周囲の環境激変にも見事に適応し、常に変化している」と言われたと理解しましょう。

 

江戸時代の有名な俳人も応援してます。

ゆでガエル

負けるな一茶

これにあり

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2017年9月10日 (日)

運賃の高い2つの鉄道

~ わさくの悪知恵 204 

我が住む千葉県には運賃が高いことで有名な2つの鉄道がある。

私自身年に1,2度はどちらも利用するのでその度に「やはり?だなあ?」と感じてしまう。
運賃が高い理由はそれぞれにあるが、ここでは省略させていただきたい。

一つ目は「北総鉄道」。https://www.hokuso-railway.co.jp/ 

最近だと首都圏から成田空港へのアクセスで京成線からこの北総線を利用しての「スカイアクセス」が少しは知られてきているかと思う。

もともと千葉ニュータウン建設と密接な関係を持ち、第3セクターでありながらも株の半分が京成電鉄の保有のため車両には京成グループのロゴが使用されている。一応この線のスタートが京成との乗り換えができる高砂駅でもあるためか何かと京成色が濃いように思える。

その千葉ニュータウンの中心たる「千葉ニュータウン中央」駅まで行くことが年に数回あるけれど、我が住居地区からだと京成線を利用して片道¥950、距離にして30km弱、時間にして最短で約35分。

わが仲間のひとりが彼の地から東京駅まで通勤しているが、6ヶ月の通勤定期代が¥250,000強。1ヶ月割りにしてみても私の現在の通勤定期代の6ヶ月分よりも高い。

この路線に関する意外な驚きがこちら「千葉ニュータウン」がある千葉県印西市が、東洋経済誌が選出する日本の「住みやすさ」No.1の街であるということだ。それも6年連続だ!

もう一つが「東葉高速鉄道」だ。http://www.toyokosoku.co.jp/

こちらは西船橋から八千代勝田台までの17km弱の路線。西船橋にて東京メトロ東西線との乗り入れがあり、北習志野では新京成線、終点勝田台では京成線との乗り換えができる。

こちらは典型的な第3セクターで主要株主が千葉県で33%、船橋市が24.9%、八千代市が22.1%だ。

こちらの「八千代中央」なる駅に行ってきた。

我が家からはJRを利用して片道¥719、距離にして約18km、乗車時間にして約28分。

8月最後の週末にある店のイベント参加を兼ね、花火大会に参加してきた。

さすがに高い電車賃を払って観た花火なので立派なものだったので、参加価値はあったと思う。

この「八千代中央」の1つ手前の「八千代緑が丘」なる地は昔の仲間が結構いるため訪れる機会は少なくはない。

これら2つの路線に私なりに見つけた共通点がある。それは学校の名前が駅名になっているところが各1つあることだ。

北総鉄道には「印旛日本医大」、東葉高速鉄道には「船橋日大前」なる駅がある。いずれも新設の駅だ。

そのためかどうかわからないが「通学定期券」の値下げ運動が頻繁に起きているが、諸事情にてなかなか実現できていないようだ。

関連することだが、私が体験した「1駅区間」の最も高価な鉄道路線は北神急行電鉄の「新神戸〜谷上」間だ。この1駅間が¥360だが距離が7.5km、約8分弱もかかる。

しかしながらこちらは、六甲山にトンネルを掘って開通させた区間と考えると納得はいく。
ただ神戸市営地下鉄からの乗り入れのため新神戸の1つ先の神戸の中心地三宮からだと¥540(11分弱)とやはり割高感はある。

これらと反対に首都圏で比較的運賃の安い路線は京王電鉄、小田急電鉄、東京急行電鉄(東急)らしく、いずれも初乗りは¥130だ。

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2017年8月31日 (木)

郷土の偉人に出会う夏

~ soji の今日もワクワク 230  ~

本庄市は埼玉県の北の端。私の住む和光市は南の端なので真逆に位置します。

そんな本庄市に住む方から、市民による群読劇が2017年8月11日、山の日に行われると聞いて、さかもっちゃんと行って参りました。タイトルは「塙保己一物語」。

塙保己一(はなわほきいち)と聞いても、分からない方がほとんどでしょう。江戸時代後期に活躍し「群書類従」を著した盲目の国学者。ましてや、本庄市が出身だとは私も全然知りませんでした。

会場の本庄市民文化会館は大入り満員でびっくり。1,200人の収容ながら立ち見が出るほどです。「脚本や演出はプロの人がやってくれたけど、出演者はみんな素人だから」の言葉を軽く考えていました。

ステージにはひな壇が据えられており、40人ほどでしょうか、すべての出演者が座ります。シーンごとに登場人物が中央に出て、寸劇を行うのです。語り手の女性やコーラスの女子高生は浴衣姿。当然、登場人物の衣装は江戸時代風に仕立てられていました。いえいえどうして、本格的ではないですか。

幼いころの病気がもとで盲目となってしまった辰之助。後の保己一は、延亨3(1746)年生まれ。15歳で故郷、武蔵国児玉郡保木野村から江戸に出て来ます。その後修行に励むものの鍼、按摩、音曲など何一つ上達せず、絶望して自殺未遂まで起こす始末。しかし抜群の記憶力から学問に目覚め、やがて古今東西の書物を整理、再編纂した「群書類従」の発刊に着手。国学を学べる「和学講談所」の設立を、時の老中、松平定信に認めてもらい、文政2(1819)年、群書類従666冊を完成させます。そして盲目者の最上位に位置する総検校となった文政4(1821)年、76歳で死去しました。

群読劇は、保己一の生涯を時系列で追いかけながら、多大な功績と彼の人間的な魅力を、私たちに教えてくれました。劇化実行委員会の主催で、名誉顧問は埼玉県知事。名誉会長の本庄市長は、松平定信役でステージに上がるほど。県や市、市民が一体となっての、熱い熱い劇でした。

埼玉の三偉人。一人目はこの塙保己一。二人目は、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一。そして三人目は近世における女医1号となった荻野吟子(おぎのぎんこ)。渋沢は保己一の偉業を顕彰する温故学会の設立に協力。荻野は、群書類従の中にあった令義解に女医の規定が書かれていたために、資格を取得できたといいます。

さらに。誰もが知る偉人、三重苦のヘレンケラー。彼女の心の支えになったのが、この保己一だったと初めて知りました。戦前に来日した際、真っ先に東京の温故学会を訪ねたとのこと。埼玉県では「塙保己一賞」を設立。盲目者や盲目者に対する功績のあった者をたたえ、毎年賞を贈っているそうです。また聞くところによると、この劇を演じた子供たちの中から、役者を志す者も現れたとか。現在でも影響を与え続ける保己一の魅力に、すっかり心酔いたしました。

Imag0241JR八高線児玉駅からほど近い、塙保己一記念館。リニューアルオープンしてまだ間もない、立派な施設です。8月、三連休の初日。さぞかし混んでいるだろうと思いきや、来場者は私とさかもっちゃんの2人きり。受付のおじさんに、「これからこれ(塙保己一物語)を観に行くんです」と言ったら寂しそうに笑っていました。

夏祭り、おみこし。そして夜空を彩る大花火。これらの風物詩もいいですが、夏こそ平和な今日の日本を築いてくれた、偉人たちの功績を見て回る大切さを実感した次第です。

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2017年8月23日 (水)

京都大文字の「鳥居形」

~ おさむの鳥の目209

8月16日は、京都五山の送り火の日です。

ご承知の通り、大文字は「大」、「妙法」、「船形」、「ひだり大」、「鳥居形」の五つがあります。この内、「鳥居形」は、京都盆地の中心地からは、西へ大きく離れていて、その上、「鳥居形」のある山は低いため、あまりよく見えないという欠点もあるため、上記五つの大文字の中では、最も知名度が低いとされています。

しかし、私にとっては、唯一、自分の家から直接見ることができる大文字であり、大変かかわりの深いものでした。昔のことになりますが、子供の時は、自宅の二階の窓から、直接きれいに見えました。このような次第で、この「鳥居形」は、私にとっては特別の存在で、大文字といえば、「鳥居形」が頭に浮かびます。

そして、この「鳥居形」は、ほかの大文字と違って、あらかじめ定位置に設置された薪に火を付けるのでなく、火の付いた薪を人が担いで所定の場所に置いていくという方法で文字を作っていきます。

したがって、遠くから見ると、山肌を火が走っているように見えます。以前、嵐山の渡月橋の上から、その様子を実際に見たことがありますが、遠くて暗いため担いでいる人の姿は見えません。したがって、どう見ても本当に火が走っているとしか言いようがないと思いました。

これは普通に遠くから見た話ですが、今回は、テレビの映像で、解説付きで見ましたので、実際の姿を手に取るように知ることが出来ました。所定の位置というのが、金属製の固定された設備で、運んでいった火の付いた薪を差し込むような形で固定するようになっていました。

問題は燃えている薪を担いで走る経路が登り坂を含むことです。最大45度の登り坂を駆け上がるのは重労働で、これは若い人の担当です。このように、全体として作業が成り立つよう長年の経験で、うまく組織されているようです。

これは「鳥居形」の運営面からの話ですが、見る側から言うと、冒頭に書きましたように、今は、家の窓から見ることは出来ませんが、2~3分歩いた所にある高台から見えます。

周りの状況が変わるので、年が経つにつれて、見え方が少し変わってきます。今年は鳥居の形が正面からしっかり見えました。実物を直接見ることには、大きい意味があると思っていますので、これは幸運と感じています。間に大きい建造物でも出来ると、全く見えなくなる可能性はあるので、現状は満足すべきものと言えます。歴史に直接触れる数少ない接点ですので、大事に考えたいと思っています。

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2017年8月19日 (土)

オハイオございます

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 173~

仕事柄、米国からの仕事仲間を日本へ迎える機会が多いのですが、その際、日本での生活に最低限必要な2つの簡単な日本語を教えるようにしてます。

それは「おはようございます」と「どうもありがとう」。日本人と交わす頻度の多い、最も基本的な日常の挨拶です。米国人がこの2つの言葉を口にするだけで、ラーメン屋の店員さんや初対面の方の態度や印象がガラリと変わります。まさに言葉のチカラですね。

こんな「おはようございます」と「どうもありがとう」を日本語完全初心者の米国人にどう教えるか? ここが工夫のしどころ。その秘訣は、米国人にとって馴染み易い言葉に置き換えること。

まず、「おはようございます」は、「オハイオございます」と教えます。

「オハイオ」は米国の州の1つで、米国人なら誰でも知っている地名。米国の真ん中あたりの最も北側、カナダとの国境沿いに位置し、気候は良好でとても過ごしやすい土地。オハイオ州の北は広大なエリー湖に面し、森林地帯や野生動物も多い素敵な場所なのです。そんな爽やかなイメージのオハイオから、爽やかな朝の挨拶「オハイオございます」と覚えてもらいます。

この記憶法の問題点は、オハイオ州の隣の州で、同じように爽やかイメージの「イリノイ」と混同し、たまに「イリノイございます」と挨拶する米国人がいることでしょうか。イリノイ州もそれなりに爽やかなのですが、広大な平原地帯しかなく、爽やかな大自然の朝のイメージはオハイオ州ほどではありません。

2つ目の「どうもありがとう」は、「どうもアリゲーター」と教えます。

「アリゲーター」は米国南部に生息するワニで、米国人なら誰でも知ってる動物。アリゲーターはとても温和でおとなしい動物で、以前はワニ革の貴重な供給源として人々から感謝されてました。そんなワニ革に感謝イメージのアリゲーターから、感謝の言葉「どうもアリゲーター」と覚えてもらいます。

この記憶法の問題点は、別のワニの種類「クロコダイル」と混同し、たまに「どうもクロコダイル」と感謝する米国人がいることでしょうか。クロコダイルはアリゲーターに比べてかなり獰猛かつ狂暴で、感謝のイメージにはまったく似合いません。

さて、こんな外国語の記憶法ですが、別に目新しいものではありません。難解な英単語を日本語との語呂合わせで記憶した方も多いのではないでしょうか。私の記憶法を以下に少し紹介します。

amnesia (記憶喪失、健忘症): あ~むなしい、記憶喪失 
asthma (喘息):東(あずま)さんは喘息
atelectasis (無気肺):ムキになってアテレコ
elucidation (説明):居留守でションベンしたと説明
hallucination (幻覚):春、死ねと幻覚
osteoporosis (骨粗鬆症):押す手をポロリ、骨粗鬆症
ubiquitous (どこにでもにある):指切った事故はどこでも起こる
ulcer (潰瘍):あるさぁ、胃に潰瘍が
tremendous (とてつもなく大きい):鳥が目を出すほど大きい

下品な記憶法ばかりでスミマセン。そこで、本エッセイの最後は高尚なお話で締めましょう。

最近、日本では絶滅した野生カワウソと思われる動物が、長崎県の対馬で撮影されました。もし、これが二ホンカワウソであれば大発見となります。

カワウソは英語で otter(オッター)。ちなみにラッコは sea otterと、同じイタチ科らしい名前。日本のラッコは北海道沿岸に細々と生息してますが、ニホンカワウソは残念ながら絶滅してしまいました。「むか~し昔、日本にはカワウソがオッターそうじゃ~」と覚えましょう。

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2017年8月10日 (木)

18年振り訪問の富山

~ わさくの悪知恵 203 

先日、酷暑の中を18年振りに富山市を訪れた。

我が仕事の彼の地の得意先の取締役が亡くなられ、その方を「偲ぶ会」に会社代表として出席のための日帰り出張だ。

現我が社の陣営では一番私が縁が深いと思われる得意先なので、今回は私から立候補で出席を申し出た。

私が営業職を上がったのがちょうど18年前で、富山訪問はそれ以来となる。

北陸新幹線にも初乗車。ちょうど夏の臨時便で往復できたので、東京から富山までの停車駅は上野~大宮~長野~富山のみ。東京から富山まで2時間10分で到着。つくづく便利な時代になったと思う。

当時を振り返ると、まず福井へ米原経由で移動して~金沢~敦賀へ戻り富山入りし、富山で一仕事終えて空路東京に帰還という北陸1週間のルーティングを組んでいたことをしっかり覚えている。

さて、富山駅に到着してみると・・・・ 

さすがに18年振り、まさに浦島太郎状態だ!

Photo_2富山県には先のルートで毎月ベースで15年通い、ほぼ県内全域を廻らせてもらったとの記憶がある。

今振り返ると言葉に言い表せないほど現地の皆さんに良くしていただいた。その感謝の意は現在も時が経つほどにさらに深くなってきているような気がする。当然我が営業成績も富山が飛び抜けていた。

特に今回亡くなられた方にはお世話になった。2つ思い出に残るその方に纏わる話がある。

まず営業の駆け出しとしてデビューしたての我が20代半ば、ちょうど大雪が降っている日に訪問していて、それに備えるべく靴を履いていない私に「早く雪靴を買って来い!」と説教をもらった事。

2つ目はそれから時が経ち、営業職自体も大分慣れてきた頃に、そちらの会社でいつもいただくお番茶がとても美味しいのでどこで買って帰ったら良いか訊ねたら、「これ持ってかれ!」と大きなそのお茶の一束をいただいた。帰京してすぐにお礼の品を送ったらご丁寧にお礼状をいただいた。この流れ実に勉強になった。

それらを除いても、私が富山大好きな理由がある。

それは「食文化の豊かさ」だ!

もちろん日本海で採れる美味しい魚系を筆頭に、(何人かの富山の方々にそれは「日本海」ではなく「富山湾」だと指摘されたこともあるが・・・・)たくさんの美味しい食材が年間通して賞味でき、それらを提供するお店がたくさんある。

当時出張をしていても俗に言う「一人飲み」(現在の「ボッチ飲み」?)が得意でなかった私だが、富山には何軒かそれができるお店があった。それらのお店に入っていくと、大体そこの大将やマスターが笑顔で閉口一番「いつから来とられたん?」と問いかけてくれ、それだけで癒されていた感がある。

今回時間がない日帰りの中、どうしても食したいと思っていた「富山ブラックラーメン」の元祖。本店は車で行き来しないと難しい場所なので、ダメ元でよく通った富山駅から市電に乗って少しの支店に足を運んでみた。やはり18年の歳月は重く、その支店は見事になくなっていたというか、その通り自体が区画整理されていた。

次回富山を訪れるのはたぶん仕事の絡みがなく、ゆっくりとした個人旅行でのものになると予測する。

そしてそれはそれほど遠くない日になると期待している。

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