2019年1月11日 (金)

新年仕事場近くの病院へ

~ わさくの悪知恵 219 

謹賀新年!

新年早々に風邪を引いてしまい、年始休暇のほぼ半分は寝ていたという我が平成最後のお正月。

自宅近くのかかりつけのクリニックが長期休暇で診てもらうこともできずに、市販薬を飲みひたすら寝ることに。まあよくもこれだけ寝れるものだという位寝ることができた。

そうこうしているうちに休みも明け仕事に出向く。まだ某クリニックは診療再開をしていない。

さすがに体が辛いので(熱はないが咳が止まらない)、仕事場近くにて適当な病院はないかと調べたら、今まで全く気付かなかった職場からも歩いても数分のところにある程度の規模の個人病院を見つけ出したので早速行ってみた。

まず待合室に入ってびっくりした。

待っている患者のほとんどが中国系(大陸系)の方々・・・・・

受付では日本語が聞こえる方が少ないくらいの割合だ。当日3人の女性が応対していたが皆見事に「バイリンガル」だ。

当日かなり混んでいたが、結構回転が良いようで程なく私の名前が呼ばれる。

院長は典型的な日本人名だが、すぐに帰化されている方だとわかる。

初診なので採血とレントゲン撮影をしておきましょうとの事で、こちらもそれ程時間かからずに終了。

処方箋を書いてもらって会計して退出するまでに40分弱だったと思う。

私が滞在している間に待合室におられた中国系の患者の方々も入れ替わり立ち代わりだった。

それにしても驚いた。こんなにも中国系の患者の多い個人病院が我が職場近くにあるとは…

場所が東京下町台東区、台東の昭和通り沿い。JR御徒町駅が最寄り駅で、同じ通りにディスカウントストアの重鎮T屋がランドマークとなるべく界隈。

患者の皆さんどうみても一見の観光客ではなさそうだったし・・・・ 皆さんどういう類の方々なのだろうかと興味を持った。

ちなみに我が職場がある通りを下っていくと、日本語学校が2つもあり、国際色が豊かである事は確かだ。

それにしても早く咳が止まってほしい。

本年も我が拙筆エッセイへのお付き合いのほど、どうぞよろしく!!

| | コメント (0)

2018年12月30日 (日)

一年の計は元旦の前にあり

~ soji の今日もワクワク 246  ~

人気番組「笑点」で、三遊亭小遊三師匠がよくやる時候のあいさつ。最後に笑いながら「さて、今はいつでしょう」。そうです。笑点は特別番組を除きすべて録画。ですからあいさつしている時点では放送日よりずっと前なのです。それを知っていてのボケですから、きっと会場ではじわっと受けているんでしょうね。

実はこの原稿を書いているのは12月30日。だからまだ明けていません。でも私の締切日は毎月30日。無理を言って締切をずらしてもらい、きちんと年明けのごあいさつをした年もありましたが、特に今年(いや来年?)は敢えてネタばらしをさせていただきます。

もう業界のウラ事情はすっかり知られてしまったようで、正月のテレビの特別番組は生中継や再放送以外、すべて年内に録画しています。姿の見えないラジオ番組でも「これは録音です」と言ってしまっている。つい時候の話をしてしまい、矛盾を指摘されるのを恐れてのことだと思いますが、とにかくこのころはどんどん季節感が無くなってきているのが実情でしょう。

最近は「年賀状を止めます」という人が増えました。「元旦に着くためには、年賀状の投かんは12月25日まで」と言ってしまっている段階で、もはや正月の特別感は薄れてしまっています。昔、年賀状は元旦に書くものだとおっしゃった方がいらっしゃいました。でもそうして投かんすると、3が日を過ぎてしまう。逆に、年賀状を書くのをサボったな、などと勘繰られてしまいそうです。それならリアルタイムのメールやラインでのあいさつの方がよっぽどいいと判断するのも仕方ないことなんでしょうね。

私は再来年、いよいよ還暦。会社も定年となります。嘱託雇用の道はありますが、給料がガクッと減ってしまうのが実際のところ。それよりも後進に道を譲れというのが会社の本音かと思います。シニアの熟練よりジュニアの新鮮。時候のあいさつにこだわる世代よりも、時代を先取りする世代を優遇していこうとするのは止むを得ないことかと存じます。

ですから私も、座して定年を待つよりも、自分にとって新たな時代の幕開けにすべく、いろいろ準備を始めました。無趣味で無粋な自分を反省して川柳を始め、自分の強みを見つけるべくセミナーや勉強会にも通いました。そして様々な人に会い、多くの貴重なアドバイスを受けて、少しずつではありますが、あらたな人生の目標を見つけるにいたりました。それは、90歳まで働こうというものです。

川柳の句会で発表された一句。

アラ古希もこき使われる高齢化  齋藤和恵

70歳=古希でこき使われるというのが面白い。人生100年の時代を迎えようとしている現代。70歳はまだハナタレ、なんでしょう。こき使われたくないなら自主的に働くべき。それも100まで生きるなら90歳まで働こう。ということで、こんなスローガンを作ってみました。

元気だから働くんじゃない

働くから元気なんだ

よし決めた!90歳まで働こう

まずは90歳まで働く気力、知力、体力を養う、ということで、2019年の目標を3つ立ててみました。

1)毎日新聞万能川柳に月2回。年24回の掲載目指そう

2017年12月から始めた川柳。2018年3月に初掲載され、12月30日現在で合計14回を重ねました。月1回ほどのペースです。2019年は、その倍を狙います。

2)男子厨房に入ろう

結婚後、料理はいっさいしなかった私。だからキッチンはまるで知りません。2019年は食生活の見直しを図るため、キッチン=厨房に入って料理をしようと思います。学生時代はアルバイトでフライパンを振っていたころもあるんです。包丁さばきも思い出せば何とかこなせるはずです。

3)かたづけ、終活を始めよう

定年後の就職活動だけではなく、終末に向けた活動も。人生100年の逆と言えるかもしれませんが、いつ何時何があるか分からない現在。死後に恥ずかしいものは見せられません。一方で、見せたくないものがあるから長生きする、そんな考え方もあるのですけどね。けれども2019年、いよいよスタートいたします。

新年にあたって毎年言って来たこと。それは、

一年の計は元旦にあり

です。一年のやることは、すべて元旦に決めるべきとのありがたいことわざ。でも先ほどからも言っている通り、時代は先行しているのです。新年のことは、元旦の前にやることが賢明かと。いや、決して生き急いでいるわけではありません。ただ普通にしているだけで「ボーっと生きているんじゃないよ!」とチコちゃんに叱られそうですから。90歳までどうやって働くか、これはまた別の機会に。ということで、

明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願いいたします

| | コメント (0)

2018年12月26日 (水)

戦時少年の考え方

~ おさむの鳥の目 225

「神武、綏靖、安寧、懿徳、考昭、考安、考霊、考元、開化、崇神・・・」は歴代天皇の名前で、われわれが小学生の時代は、神武天皇以降の天皇の名前を暗唱している人が大勢いました。そして、それぞれの天皇陵では、参拝者が求めれば御朱印帳に印を押してもらえる仕組になっていました。

私も御朱印帳を買ってもらって、1冊持っていましたが、その御朱印帳には不完全なところが1箇所ありました。その御朱印帳は、各ページの上半分にそれぞれの御陵の写真が印刷されていて、下半分が白紙になっており、そこに印を押すようになっています。

ところが、ひとつのページには御陵の写真が印刷されておらず白紙のままになっていました。これは大変奇異に感じられ、なぜそのような形になっているのか気になります。

実はそのページは「第98代長慶天皇」の御陵で、何故写真がないかと言いますと、簡単明瞭、御陵がなかったからです。皇室崇拝が盛んであった当時のことです。御陵のない天皇が存在するとは、少年の頭で理解できないことでした。

そこで、真面目な軍国少年であった私が考えたことは、天皇陵がないままというのはおかしい。何らかの縁をたどって御陵の場所を特定し、その場所に御陵を建てればよいと考えました。これは、真実を追究しないで安直に形だけを作ってしまう遣り方です。

純粋に真面目なはずの少年が、簡単にこのような考え方をしたことについて、「いい加減な考え方」をしたものだと、当時は大いに気になっていました。

ところが、事実は私が考えた通りになりました。自宅近くの「京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町」に御陵ができたのです。JR嵯峨嵐山駅の南300メートルの所にある京福電鉄「嵐電嵯峨駅」のすぐ近くです。自宅から歩いて行ける場所です。

戦後何十年経って、変わらず今も御陵はあります。先日、近くまで行く機会がありましたので、久しぶりに御陵に行ってみました。御陵の佇まいはかわらず、事務所建物もありましたが、人は居られません。したがって、当然のことながら、御朱印を押してもらえる形にはなっておりません。

先に、「真実を追求しないで」という言葉を使いましたが、これは、私の考えの中での話であって、国はいろいろと調べた結果、このような結論に達したようで、調査のための組織も作られた経緯が読み取れます。

内容は細かい話で、二つの有力な考えがあったが、それではなく、上記に決まった。私の頭に残っているのは、長慶天皇に関係深いお寺がその場所にあったからというものです。

| | コメント (0)

2018年12月24日 (月)

個人名刺づくり

~ さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 189 ~

最近、勤め先の名刺の他に、プライベート名刺を作ることにしました。いわゆる個人名刺ってやつです。

これまでも、文字通り手作りで私の個人名刺を作ったことはありました。ただ、かなりの独りよがりで作りましたので、自己紹介のためと称して自分の好きなものや趣味をズラズラと羅列しただけのお粗末なもの。「相手の記憶に残る名刺」と言うよりは、「相手の記録に残してもらうための名刺」に過ぎませんでした。

そこで今回は一念発起。知り合いのデザイナーの方から個人名刺のカウンセリングを受けることに。当初は名刺デザインを工夫する程度の軽~い気持ちでしたが、デザイナーさんと一緒に話し合う中で意外な発見と驚きがありました。

それは、このデザイナーさんの名刺カウンセリングの進め方。ただ単に私好みの名刺デザインを話すだけではなく、私が子供の頃に遊んだことや好きだったことから聞き始めたのです。

生まれ故郷への愛着から両親・祖父母や兄弟の思い出などなど、懐かしい想いがどんどん引き出されていきます。それらをせっせとメモするデザイナーさん。

やがて、テーマは仕事の話に移り、その仕事を選んだ理由や想い、仕事に対する姿勢などが次々とメモ欄に。将来、どうしたいか? どうありたいか? 更にその先には…

自分の想いやミッションがだんだんカタチになってくると、自分がやりたいことやビジョンのイメージがどんどん見える化して具体的になってくる不思議。ぼんやりとしたことが明確になり、これからやりたいことがしっかり固まってきます。これは、まさに「人生のデザイン」。

気が付けば、そのデザイナーさんとの打ち合わせは合計5回10時間ほどに達しました。おそらく彼は、私について、私自身と私の家族に次いで最もよく知る他人の1人でしょう。デザイナーさんの仕事は名刺の図案作成や配色だけではありませんでした。もっともっと広い意味での「デザイン」の大切さを学びました。

さて、ようやく出来上がった個人名刺。そこには私の過去・現在・未来に対する想いと希望が詰まっています。これからミッションを形にして、ビジョン達成へ向かっていけそうです。

| | コメント (0)

2018年12月16日 (日)

新しい照明システム

1214()、東京ビッグサイトに「SEMICON Japan(セミコン・ジャパン)」を見に行った。

 

セミコン・ジャパンは、半導体製造装置・材料の国際展示会である。

 

最新技術にふれ、時代の流れを肌で感じ取るため、このような展示会にときどき行く。

 

この展示会では、ドローンを使ってソーラーパネルの熱異常を発見するシステムなど、さまざまな新システム・新技術が展示されていた。

 

そういう中で目にとまったのが、「Flat Lighting System」(フラット・ライト・システム)という新照明システム。㈱スカイテクノロジーが開発した。

 

照明器具としてさまざまな用途が見込まれる。たとえば、広告のバックライト、バス停や鉄道駅の照明、屋内の平面照明、乗り物内の照明などである。

 

広告のバックライトに使うと、広告が自然な感じで照らされる。

Dsc041552_2












防水コネクターを標準装備で設置できるので、水中でも使える。実際、水槽の中を照らすのに使われていたが、水槽の中が輝いて見える。

Dsc041583ちなみに、消費電力は3~6Wと省エネである。駅の照明のように長時間使うのに適している。

 

詳しくはこちら。 

 

| | コメント (0)

2018年12月 9日 (日)

7回目となる東北岩手大船渡の旅

~ わさくの悪知恵 218 

2012年9月から東日本大震災への微力ながらの復興支援活動として、我が地元千葉県市川市にあるライブハウスに集うミュージシャンが毎年岩手県大船渡市を中心に数か所でライブを行い現地との交流を促進するという「North Journey」なるツアー。今年が7回目で去る11月の最週末に開催され参加してきた。

過去の様子はすべてこのエッセイにて紹介させてもらっているので以下を参照してほしい。

第1回 2012年 
第2回 2013年 
第3回 2014年 
第4回 2015年 
第5回 2016年 
第6回 2017年 

Photo毎回のようにチャーターバスにて夜中に地元市川を出発して約8時間後早朝に大船渡着。朝食を災害公営住宅「川原アパート」にて用意してくれている。現地のおかあさんたちの愛情一杯の「つみれ汁」が長旅の疲れを癒してくれ、体が温まり「さあこれから3日間」がんばろうと気合が入ってくる。

昨年それまでの活動の拠点としていた大船渡「屋台村」がなくなり、新たに生まれた商業施設「キャッセン大船渡」にその場を移したことが大きな転機になったような気がする。「新しい街への出発」とでも言ったら良いのだろうか?

関連して、あくまでも個人的にだが、今回がこれまでで一番前年との街の変化が少なく感じたものだった。「復興」の度合いも少し落ち着いたところかな。あれから早8年だ。

新しい建物としては「大船渡市防災観光交流センター」が挙げられるかと思う。BRT大船渡駅のすぐとなり、そして我々が宿泊しているホテルの真前だ。観光案内、物産などの情報を提供する施設だ。こちらに第3回目に紹介させてもらった「津波伝承館」も移転しており、1階の吹き抜けのフロアーにはアップライトピアノが常設されていてそこでのライブも新たにさせてもらった。http://ofunato-bkkc.jp/

隣の陸前高田にも駆け足で行き来したが、各地でかさ上げされた土地に新しい施設ができていたのは見ていてうれしい限りだった。そのうちの一つでも子供たちを対象にしたライブもやらせてもらった。

今年のツアーのテーマが「セッション」。色々な人々が飛び入りでステージに加わり様々なライブを繰り広げようとのもの。第4回から6回まで私は広報スタッフとして主に現地での活動をビデオに収めるという役目のみでの参加だったが、今回は4年ぶりに「セッション」バンドがついてくれて歌うことができた。実に気持ち良かった。

音楽ばかりでなく、お年寄りを対象としたボーリング大会(プラスティックのボールとピンのミニゲーム)、簡単な空手ストレッチ体操なども披露し盛況だったと思える。

若干首都圏からの参加者は減ったが、初参加の面々からは「楽しかった!」の声がたくさん。

確かに楽しい時間を過ごしたのだけれど、帰還する少し前に何度か訪れていた高台にある神社に立ち寄った。市内がそこから一望できるビューポイントだ。

神社までの階段の途中に今まで見たことのなかったサインボードを発見。

Photo_2「津波到達水位5.5メートル」。後ろを振り返ると「ここまでかぁ・・・」とその高さに久しぶりに恐怖を感じた。身が引き締まる思いを胸に旅のフィナーレに参加した。そう、忘れてはいけないんだ。それこそがこのツアーが始まったきっかけなのだから….

何時もにも増してたくさんの笑顔が見れた今回の3日間もあっという間に過ぎ去った。

ツアーが終わり帰還するといつもいわゆる「ジャーニーロス」にしばし陥り、年末に向かっていく寂しさを感じる。

来年の開催も決定!近くスタッフの面々での反省/発展会が開催され、来年度企画が早々とスタートする。

また多くの笑顔に出会うために一年過ごそうと思う。

今年も我が拙筆のエッセイへのお付き合いに感謝!少し早いかもしれないが皆さま「良いお年を!」

| | コメント (0)

2018年11月30日 (金)

「書けない」を考える

~ soji の今日もワクワク 245  ~

先日、ツイッターで面白い記事が話題になっていると聞いて、早速検索してみました。ある人の中学校での卒業文集だそうです。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1811/12/news104.html#l_kutsu_181112sakubun01.jpg

原稿用紙一枚を必死に埋めた結果、まさかの名(迷?)文。うん、読んでいて確かに面白い。だけど、内容がいっさい無い文章。本当にこれが卒業文集に掲載されたのでしょうか。ちょっと心配になるくらい。

しかし、筆者の苦悩の様、他人事ではありません。私も月一回とは言いながら、拙いエッセイを続けるにあたり、どうしても書くことが見つからない時が何度もありました。掲載仲間、わさくさんや、さかもっちゃん、おさむさんの名文(こちらは紛れもなく)を読みながら、どうしたものかと悶々としたことも。

今月は忙しかった。ヤバい!気がつけば締切間近。この時ばかりは「マジか」とシャレなんか言ってみたりして。自分の拙文を読んでくれる方が一人でもいらっしゃるならば、トバしてはいけない。そんな義務感にかられてひねり出しているのです。

もし自分が中学生に戻って文章を書くネタを探すとしたら、どうするでしょう。私だったらまず一日を縦軸に置きます。朝起きて学校へ行く準備。朝ごはん。通学の道すがら。学校について授業を受ける準備。午前の授業。給食。午後の授業。クラブ活動。友だちと遊びに行く。そして家に帰ってお風呂、夕食。テレビを観て、時には勉強をして寝る。

次は横軸。自分以外の友だちの一日はどうでしょう。先生やちょっと気になる女の子は。また違うバリエーション。日常ではなく、運動会、文化祭、修学旅行の日だったらどうだったか。さらにバリエーションを変えて、当時のニュースは。流行っていたヒット曲は。また野球、サッカー、アイドルなどなど。そうやって中学の3年間を振り返れば、何かしらネタは見つかるのではないでしょうか。

では現在の自分の場合はどうでしょう。書けない時を振り返ってその理由を考えてみました。

まず考えられるのは、忙しさで自分が流されている時。すべてが受け身で、自主的に活動できていないと、書くテーマが見つかりません。この筆者も、中学時代はおそらく受け身の毎日を過ごしていたのではないでしょうか。

次に、自分を第三者的に見られない時。世の中の関わりもまた見えて来ない。先ほどの縦軸横軸はまさに自分を第三者的に見るためのテクニックです。こうした考え方が出来ない時は、苦しみますね。

しかし書けなくなる最大のポイントは、読者を意識しなくなった時かもしれません。このエッセイは少なくともサイト運営者のさとうさんと掲載仲間は読んでくれています。だから最後は何としてもひねり出そうとする。読者を意識しなくなったら、ペン、もといマウスを置くこととなるでしょう。書くことの最大の目標は、自分のエッセイを読んでくれる人を喜ばせたい、その一心ですから。

ブログやツイッターなどのSNSで、毎日のように文章をアップしている人がいます。忙しいとか全然関係なく。きっとそういう人は、自主的に行動をし、自分を第三者的に見て社会との関わりを常に意識し、さらに読者やフォロアーを大切に考えられる人なのでしょう。ひと月に一度のエッセイで、ヒイコラ苦しんでいる私にはとても真似出来ません。

2018年ももうすぐ終わります。思えば今年はエッセイのネタをひねり出すために、自主的にいろいろと工夫をした年でした。少なくても、ネタがなくて困った月はなかったと思います。

無理やり原稿用紙を埋めた、かの筆者。中学時代の自分の文集を見て、何を思ったことでしょう。まあ何も考えなかったかもしれません。若いうちはそんなもの。時間が有限だと気づいて初めて分かるものですから。ただ少なくても、振り返って何も思い浮かばない人生は送りたくないものです。

今年一年、お読みいただきありがとうございました。来年も頑張ってエッセイをお贈りいたします。皆さま、良いお年をお迎えください。

| | コメント (0)

2018年11月25日 (日)

京都市内から京都市内への学童疎開

~ おさむの鳥の目 224

平成も今年で終わることが決まっています。昭和はますます昔になりますから、今の内に昭和の時代の出来事を書き残したいと思います。

太平洋戦争当時には、いろいろと珍しい出来事がありました。学童疎開もその一つだと思っています。私は疎開には行かなかったのですが、1年年下の妹が学童疎開に行きました。学童疎開は、次世代を担う子供たちを空襲の心配のない、過疎地に移住させて将来に備えるという政策です。

これが理屈に合っているのがどうか、分かりませんが、単純に言えば、間違った考えとは言えないでしょう。そして、具体的には、都会の小学校から集団で田舎に移住したのです。

ここで珍しいのは、標記した私の妹の学童疎開です。私たちの小学校の所在地は、京都市右京区です。そして、疎開先は京都市左京区鞍馬貴船町でした。貴船は京都の観光地として知られた所ですが、戦争中のことですから、観光は関係ありません。

そして、貴船町は鞍馬山の麓の山間の場所ですから、空襲の心配はなかったでしょう。と言っても、京都市から京都市への疎開とは誠に考え難いところです。だが、実際にこういう形が出現し、一定期間継続したのです。

私はと言いますと、この形は一つの勉強になりました。1年しか違わないと言いながら、父兄ですから、疎開先に面会に行きました。同級生の弟さんが同じ形で疎開していましたので、二人一緒に何回も行きました。

学校との付き合いは、中学生とは言いながら、父兄であるのでそういう立場で学校からの頼まれごとを処理することもありました。中にはその立場の違いを認識しない先生がいるようなケースもあり、ものごとを正確に考える機会にもなりました。

8月15日の終戦で事態は変化したはずなのに、実際には終戦後も、しばらく同じ形が続きました。したがって、疎開先への面会も同じように続け、「京都へも進駐軍が入ってきて、街で米兵を見かけるようになった」などとも話したことを覚えています。

何十年も経って、このようなことを正確に覚えているのも、学童疎開が終戦後も続いていたという特殊事情の結果です。全国的な規模で考えると、戦災に遭った地域からの疎開者の扱いは大変だっただろうと考えると、嵯峨野小学校(当時は国民学校)から疎開していた人達が、直ぐに帰還しなかったのも頷けます。当時は、何故すぐに帰って来ないのかと疑問に思っていました。

妹の学童疎開という現実を実際に経験したのは、終戦(正しくは敗戦)当時の実際を理解するのに、私には大いに役立ったと考えています。

「疎開」という言葉も、テレビドラマの中に、「大阪に住でいた人が兵庫県の田舎に疎開した」という話が出てくるなど、珍しいことではなく、「集団疎開」、「学童疎開」という言葉も一般に使われていますので、それほど気にしなくてよいのですが、本来はたいへん珍しい言葉です。

「疎開」は軍隊用語で、「兵員をまばらに配置することにより、敵からの攻撃による被害を少なくする」というものだそうです。戦場での用語が一般社会の中に取り入れられた特異な状態です。今から考えると、当時は、国全体が特異な状態だったことを物語っていると思います。

| | コメント (0)

2018年11月21日 (水)

故郷 津軽のラーメン

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 188~

寒さが増すとともに、ラーメンが恋しい季節になりました。日本各地にご当地ラーメンと呼ばれるものがありますが、我がふるさと青森にも「津軽ラーメン」があります。

博多ラーメンや喜多方ラーメンのように全国レベルで有名なラーメンではありませんが、地元 津軽の人々に愛されしっかりと定着しています。ちなみに、私は青森へ帰省の際、必ず3杯以上食べるのが津軽ラーメン。

津軽ラーメンの最大の特徴は、独特の「焼き干し」ダシを使った醤油ベースのスープ。津軽の「焼き干し」とは、陸奥湾で獲れたカタクチイワシやウルメイワシの小魚を炭火で焼いて天日で乾燥させたものですが、とっても手間ひまがかかります。そのため今では超高級品扱い。「焼き干し」の市場流通価格は、「煮干し」のなんと10倍もするんだとか。こんな昔ながらの「焼き干し」を1杯500円程度の津軽ラーメンに使い続けるのは経済的にかなり厳しいはずですが、これも津軽人の「ジョッパリ」(強情っぱり)精神らしいです。

私を含めて、青森の人々はこんな手間ひまかけた焼き干しダシがたまらなく好き。多くの店では、焼き干しダシの「酸味、苦味、臭み」を独特の風味としてセールスポイントにしているくらいです。津軽人にとっては、この「酸味、苦味、臭み」こそがラーメンなのです。

以上のように、津軽名物 「焼き干しラーメン」は青森県民のソウルフードなのですが、ここに1つ大きな落とし穴があります。

それは、スープが濃厚ドロドロで飲み干すと塩分摂取過多なこと。こんな津軽ラーメンをラーメン好きな津軽の人は、年間に数十杯と食べ、そしてスープも飲み干してしまいます。そんなラーメン好きが「日本一の短命県 青森」の要因の1つとなっているのは想像に難くありません。決してラーメン自体がカラダに悪い訳ではありませんが、食べ過ぎればそこには塩分摂取過多による高血圧や腎疾患、胃がんなどの病気が待ってます。

さて、話は変わりますが、中国では誕生日に麺を食べる習慣があります。これは「長寿麺」と呼ばれ、長~い麺に長寿祈願を重ね合わせたもの。同じような習慣は日本の一部地域にも残っていますが、ここでの麺類は長生きの象徴。

一方、津軽ラーメンも立派な麺類ですが、長寿どころか、食べ過ぎれば塩分過多で短命へ真っ逆さま。同じ麺類なのに長寿と短命の両極端に分かれるのは、何という皮肉でしょう。

厚生労働省が公開している都道府県別生命表によりますと、青森県男性の平均寿命は77.28歳とダントツの短命で、1975年からずっと全国最下位。私も青森生まれの男として「短命日本一」を背負ってます。

でも、私は敢えて言いたい、「今後も私は濃厚ドロドロの津軽ラーメン食べ続けて、太く短く生きる」と。

そして、付け加えたい、「津軽ラーメン食べられないくらいなら、早死にしてもいい」と。

| | コメント (0)

2018年11月 9日 (金)

安物買いの銭失い?

~ わさくの悪知恵 217

標題は故時ことわざで、「価格が安いものは品質があまり良くないとされるものが多いので、"お買い得"な商品だなと思っても、結局はすぐに駄目になったり、壊れたりして修理や買い替えのコストがかかって、お金を多く支払うことになってしまう」という意味らしい。

こんな経験は皆様も多少なりともおありかも・・・・?

かくなる私も最近これに近い経験をした。一つだけ違いがあるとすれば「品質はちゃんとしたもの」であったことだろうか?

先日、今年から知り合いになった方に米国某大手アパレルメーカーのバーゲンクーポンをSNS配信でいただいた。期間中店舗またはWeb販売もすべて「半額」で購入できるというものだ。

夏にもいただいていたけれど私は使用しなかった。でも、もう一人の仲間O氏が実際に店舗で購入して大満足だったと聞いていたので、今回は私も覗いてみようかと行動に移した。(彼は袖の仕立て直しを頼んだが半額が効いているので、その別途料金を払ってもお得感ありとの事だった。)

まず店舗を訪問したのだが・・・

残念ながら、我が好みからは目ぼしいものはほとんどない。

続いてWeb販売の方を覗いた。見て気に入ったブレザーを2着すぐに購入してしまった。確かに半額で購入できてO氏と同じ満足感だったのだが・・・・

商品も翌日に届いて「さすがに早いなあ」と感心した。

実際に着てみると… やはり袖が長い。O氏と同じだ。

ここからが問題だった。

このブランド、ジャケット類は店舗でも仕立て直しはしてくれないようで、O氏と同じように自分で探してして袖だけ修正しなければならなかた。

最初に訪問したのが自宅最寄り駅の駅ビル内にあるお店。

お直しの仕方が特別になるためとのことで見積もりは、何と『現物よりも少し高い値段』!!

すぐさま辞退して別店舗を探すことに。

ネットや実際に足で探して、ようやくO氏と同じような価格帯で施してくれるお店を探し当てた。

こんなにも店によって価格が違うのにびっくりした。

この労力、時間、結構バカにならない「対価」だったと思う。それこそ「安物買いの労力、時間無駄遣い」に該当するかと少し落ち込んだ。

ちなみに、この「安物買いの銭失い」を連鎖的に英語でどう表現するかとネット検索で結構出てきたので覗いてみた。

色々な言い方があったが、私はこれがピタリかなと思った。
Buy cheap and waste your money!
(我が直訳:安く購入してお金を浪費する)

さらに今回の私の場合だと、
Buy cheap and waste your time, labor and money!
(我が直訳:安く購入して時間、労力、お金を浪費する)
かなあ?

| | コメント (0)

«百人一首の暗記に挑戦してみた