2018年11月21日 (水)

故郷 津軽のラーメン

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 188~

寒さが増すとともに、ラーメンが恋しい季節になりました。日本各地にご当地ラーメンと呼ばれるものがありますが、我がふるさと青森にも「津軽ラーメン」があります。

博多ラーメンや喜多方ラーメンのように全国レベルで有名なラーメンではありませんが、地元 津軽の人々に愛されしっかりと定着しています。ちなみに、私は青森へ帰省の際、必ず3杯以上食べるのが津軽ラーメン。

津軽ラーメンの最大の特徴は、独特の「焼き干し」ダシを使った醤油ベースのスープ。津軽の「焼き干し」とは、陸奥湾で獲れたカタクチイワシやウルメイワシの小魚を炭火で焼いて天日で乾燥させたものですが、とっても手間ひまがかかります。そのため今では超高級品扱い。「焼き干し」の市場流通価格は、「煮干し」のなんと10倍もするんだとか。こんな昔ながらの「焼き干し」を1杯500円程度の津軽ラーメンに使い続けるのは経済的にかなり厳しいはずですが、これも津軽人の「ジョッパリ」(強情っぱり)精神らしいです。

私を含めて、青森の人々はこんな手間ひまかけた焼き干しダシがたまらなく好き。多くの店では、焼き干しダシの「酸味、苦味、臭み」を独特の風味としてセールスポイントにしているくらいです。津軽人にとっては、この「酸味、苦味、臭み」こそがラーメンなのです。

以上のように、津軽名物 「焼き干しラーメン」は青森県民のソウルフードなのですが、ここに1つ大きな落とし穴があります。

それは、スープが濃厚ドロドロで飲み干すと塩分摂取過多なこと。こんな津軽ラーメンをラーメン好きな津軽の人は、年間に数十杯と食べ、そしてスープも飲み干してしまいます。そんなラーメン好きが「日本一の短命県 青森」の要因の1つとなっているのは想像に難くありません。決してラーメン自体がカラダに悪い訳ではありませんが、食べ過ぎればそこには塩分摂取過多による高血圧や腎疾患、胃がんなどの病気が待ってます。

さて、話は変わりますが、中国では誕生日に麺を食べる習慣があります。これは「長寿麺」と呼ばれ、長~い麺に長寿祈願を重ね合わせたもの。同じような習慣は日本の一部地域にも残っていますが、ここでの麺類は長生きの象徴。

一方、津軽ラーメンも立派な麺類ですが、長寿どころか、食べ過ぎれば塩分過多で短命へ真っ逆さま。同じ麺類なのに長寿と短命の両極端に分かれるのは、何という皮肉でしょう。

厚生労働省が公開している都道府県別生命表によりますと、青森県男性の平均寿命は77.28歳とダントツの短命で、1975年からずっと全国最下位。私も青森生まれの男として「短命日本一」を背負ってます。

でも、私は敢えて言いたい、「今後も私は濃厚ドロドロの津軽ラーメン食べ続けて、太く短く生きる」と。

そして、付け加えたい、「津軽ラーメン食べられないくらいなら、早死にしてもいい」と。

| | コメント (0)

2018年11月 9日 (金)

安物買いの銭失い?

~ わさくの悪知恵 217

標題は故時ことわざで、「価格が安いものは品質があまり良くないとされるものが多いので、"お買い得"な商品だなと思っても、結局はすぐに駄目になったり、壊れたりして修理や買い替えのコストがかかって、お金を多く支払うことになってしまう」という意味らしい。

こんな経験は皆様も多少なりともおありかも・・・・?

かくなる私も最近これに近い経験をした。一つだけ違いがあるとすれば「品質はちゃんとしたもの」であったことだろうか?

先日、今年から知り合いになった方に米国某大手アパレルメーカーのバーゲンクーポンをSNS配信でいただいた。期間中店舗またはWeb販売もすべて「半額」で購入できるというものだ。

夏にもいただいていたけれど私は使用しなかった。でも、もう一人の仲間O氏が実際に店舗で購入して大満足だったと聞いていたので、今回は私も覗いてみようかと行動に移した。(彼は袖の仕立て直しを頼んだが半額が効いているので、その別途料金を払ってもお得感ありとの事だった。)

まず店舗を訪問したのだが・・・

残念ながら、我が好みからは目ぼしいものはほとんどない。

続いてWeb販売の方を覗いた。見て気に入ったブレザーを2着すぐに購入してしまった。確かに半額で購入できてO氏と同じ満足感だったのだが・・・・

商品も翌日に届いて「さすがに早いなあ」と感心した。

実際に着てみると… やはり袖が長い。O氏と同じだ。

ここからが問題だった。

このブランド、ジャケット類は店舗でも仕立て直しはしてくれないようで、O氏と同じように自分で探してして袖だけ修正しなければならなかた。

最初に訪問したのが自宅最寄り駅の駅ビル内にあるお店。

お直しの仕方が特別になるためとのことで見積もりは、何と『現物よりも少し高い値段』!!

すぐさま辞退して別店舗を探すことに。

ネットや実際に足で探して、ようやくO氏と同じような価格帯で施してくれるお店を探し当てた。

こんなにも店によって価格が違うのにびっくりした。

この労力、時間、結構バカにならない「対価」だったと思う。それこそ「安物買いの労力、時間無駄遣い」に該当するかと少し落ち込んだ。

ちなみに、この「安物買いの銭失い」を連鎖的に英語でどう表現するかとネット検索で結構出てきたので覗いてみた。

色々な言い方があったが、私はこれがピタリかなと思った。
Buy cheap and waste your money!
(我が直訳:安く購入してお金を浪費する)

さらに今回の私の場合だと、
Buy cheap and waste your time, labor and money!
(我が直訳:安く購入して時間、労力、お金を浪費する)
かなあ?

| | コメント (0)

2018年10月30日 (火)

百人一首の暗記に挑戦してみた 

~ soji の今日もワクワク 244  ~

だいぶ弱くなった記憶力を鍛えるために、百人一首の暗記を始めました。

実は高校時代に挫折した、苦い思い出があります。そこで今回は、自分なりに覚え方をいろいろと工夫してみました。

まずは、1番の天智天皇からではなく、今回は100番の順徳院からスタート。そして有名な歌人をマークして覚えることに。

例えば90番台ですと、97番の権中納言定家と93番の鎌倉右大臣。百人一首を選んだ藤原定家と鎌倉幕府第三代将軍の源実朝ですね。

さらに一工夫。比較的記憶の残っている1番と100番、2番の持統天皇と99番の後鳥羽院、3番の柿本人麻呂と98番の従二位家隆というようにペアで覚えるようにしたのです。

また、私にとって覚えられず苦しんだ歌、というのがあります。例えば34番、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の歌。

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

「高砂の~」以下のフレーズは昔の記憶がおぼろげながら残っていました。問題は「タレヲカモシルヒトニセム」。全然頭に入って来ないのです。仕方ないので「鴨汁のタレを人にあげる」という言葉を充てて頭に叩き込みました。思えば歌人に対して随分失礼なことをしました。

そうして徐々に歌を覚えて行くにつれ、色々なことに気づきました。

まず百人一首は歌人がほぼ時系列で並んでいる、壮大な歴史物語だということ。大化の改新。藤原氏の台頭。やがて他家を振るい落とし、天皇家と血縁関係を結んで栄華を極めます。そして天皇家や武士団を巻き込んだ保元の乱。やがて貴族が没落、武士が勃興して鎌倉幕府が成立。その後承久の乱で終わる約600年間のまさに絵巻物だったのです。

また歌人の中には、天皇家はもちろんのこと、血縁関係が多いのも特徴です。例えば36番清原深養父(きよはらのふかやぶ)の孫が42番の清原元輔であり、またその娘が62番の清少納言といったように。特に、藤原氏は本流傍流と人間関係が実に複雑怪奇。

さらに、歌の背景で繰り広げられるエピソードも興味深いものがありました。例えば歌会で40番の平兼盛に負けた41番の壬生忠見は口惜しさのあまり衰弱死したという言い伝えがあるとか。思えば当時は、優秀な歌を集め、歌集に編纂することは立派な国家事業だったのですね。だからこそ宮廷内で競い合うように詠まれたわけです。

高校時代、百人一首は主に古典文法の教材として教えられました。やれ「けり」の品詞はどうだとか「ちはやぶる」とは「神」にかかる枕詞とか、「こそ」が付いたら係り結びになるとか・・・どうしてあんなにつまらない教え方になってしまったんでしょう。

確かにこれでもかと技巧を凝らした歌もあります。その素晴らしさは、古典文法を理解しないと分からないかもしれません。しかしこうして自分の心情を吐露し、花鳥風月や各地の名所旧跡などを織り込んで僅か三十一文字にまとめきって詠まれた和歌たちをもっと素直に、読み解くが大事だったのではないでしょうか。

中には自分の心情だけでない。例えば天皇が農民になってみたり、法師が愛しい男性を待つ若い女性になるなど、第三者の気持ちを想定して詠んだ歌も散見されます。また、自分では行ったことの無い土地を詠んでみたりと、歌人たちの想像力は、意外なほどの広がりを見せています。

先ほど紹介した34番の藤原興風の歌。老いて友がどんどん亡くなる孤独を詠んだとあります。そんなヒネくれた歌を詠む前に、自分の重ねた経験を後年に伝えるよう頑張れば、若い友人もどんどん出来て寂しくならないよと突っ込みたくなります。

いや、ひょっとすると興風は若者に人気があり「オキちゃん」などと慕われていたかもしれません。そして故郷の高砂(現在の兵庫県高砂市)にふと立ち寄った時に旧友の訃報を伝え聞き、日ごろ抑えていた心情を敢えて歌にして「へーあのオキちゃんがねえ」と言われたかもしれないのです。こうして自由に詠み手への想像を膨らますことはとても大事だと、今さらながら気づかされました。高校時代は、こんな授業はありませんでしたねえ。

文学的な位置付けに留まらず、美術的、歴史的、そして心理的な研究素材として素晴らしい百人一首。それを遊具として幼少から学べるようにした先人の知恵に感心せざるを得ません。やれ春は花見だ、秋は紅葉だと誰もがはしゃぐ。そして満月ならお月見、冬の露天風呂には雪見酒など、日本人のDNAの中には、古来からある美意識が脈々と引き継がれている。百人一首の貢献はとても大きなものだったのではないでしょうか。

学生時代、いやいや机に向かわされた辛い思い出ばかりの勉強も、大人になって見返してみて、全然違う魅力を再確認した次第です。百人一首を全部覚えろとは言いませんが、皆さんもお気に入りの歌を見付けてみてはいかがでしょうか。

| | コメント (0)

2018年10月24日 (水)

「右京区嵯峨野」という所

~ おさむの鳥の目 223

何故このような表題の文章を書く気になったのか。まず、そのところから申し上げる必要があると思います。「どちらにお住みですか」、「京都の嵯峨野です」、これに対して「よいところにお住みですね」という返事が返ってきて、それで話が終われば、何の問題もないのですが、実はそうはいかないのです。

この時の「よい所」という言葉の内容に違いがあるのです。そう言った人は、多分、雑誌の「嵯峨野特集」などに出てくる場所を頭に置いておられると思うのですが、上記「右京区嵯峨野」はそういう場所ではないのです。

京都市の西の地域の地名を挙げますと、東から「右京区太秦」、「右京区嵯峨野」、「右京区嵯峨」と並びます。そして、主題の「右京区嵯峨野」は「右京区嵯峨」と並んでいるのであって、「嵯峨」には含まれていません。観光地として有名な「嵐山」は「右京区嵯峨」の一部であり、皆さんが「よいところ」と考えられる風光明媚な場所はそちらなのです。

ということは、端的に言えば、「右京区嵯峨野」は「よいところ」ではないのです。そこで、この事実を指摘しないで、冒頭の会話を終わっては、私としては意図的に他人に嘘を言っていることになり、良心の呵責に耐えられない。これがこのような文章を書く理由です。

そこで、「右京区嵯峨野」はどういう所かと言いますと、「右京区嵯峨野○○町」と標記する地域というのが正しい説明です。京都市右京区の中にこのように標記される町が数個あるのです。そしてこれらの町は南北に長く、くっついて存在します。多分、その地域には特定の情報が多いと考えられている事情があるのだと推定できます。

何に関する情報かと言いますと、それは平安時代から続く嵯峨という地域の人の動きに関する情報です。嵐山を含む右京区嵯峨は、政治の面で重要な所であったからです。嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住されて以後、天皇や大宮人たちの好む行楽の地となった。それが後に大覚寺を新たな御所とする(「嵯峨御所」)など政治の面で意味を持つようになったのです。

「右京区嵯峨野○○町」の中の一つに「嵯峨野高田町」というのがあります。この「高田」という名前は、昔、嵐山の川の堤防を作る作業をした時の首領の名前で、後にそれが地名に変わったというのです。この高田町は、以前は高田村であった時もあり、纏まりがよく、有力な地域でした。その存在が後の世にも影響していて、それが後に「嵯峨野○○町」という少し纏まりのある名前が付くようになった理由ではないかと推定できます。

何百年にも及ぶ昔のことを、実際には80年余りしか見ていない私が自分の考えで推定するというのは乱暴な話ですが、村という形が続いてきた姿を見聞してきた者として、少々の乱暴を許していただきたいような気がしています。

ところで、このように高田村などをよく見てきたように書いていますが、私は土着の者でなく、昭和の始めに京都の街の中から移住して来た者の子供ですから偉そうなことは言えません。しかし、大覚寺や天竜寺という有力寺院を眺めながら育った者として、少し背伸びして昔の様子を振り返って語ることをお許しいただきたいと願っています。

| | コメント (0)

2018年10月21日 (日)

運動は素敵だ

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 187~

私、最近、トレーニングジムにはまっています。実は、高校時代を最後に運動から遠く離れていた私ですが、本格的な運動を再開したのは、なんと、ほぼ40年ぶり。

その動機はこの夏のこと、ある、やむなき事情から。定期健康診断の後に、医師から告げられた言葉を忘れることが出来ません。

「あなたの内臓脂肪は明らかに増え過ぎです。このままだと膝や腰に負担がかかるだけでなく、食道や他の内臓をも圧迫しています。内臓脂肪を何とかしなければ早死にしますよ!」。

まだまだ死ぬ訳にはいかない私は、これまでの堕落し切った生活を心から悔い改めることにしました。そんな私が向かったのは自宅近くのトレーニングジム。以前からジム通いを続けていた妻が、強く勧めてくれたジムです。

そこから、私のジム通いが始まりました。最高気温が35度を超えた猛暑日も、台風が襲来した暴風雨の日も、1週間に平均3回のペースを守り続けました。1回当たりほぼ2時間。典型的な2時間の過ごし方は以下のような感じ。

まずは、ストレッチしながら雑談
→ 筋トレを40分ほどかけて、ひと通り
→ 休憩
→ 有酸素運動たっぷりと連続40分間
→ 休憩
→ 雑談しながらストレッチ
→ 露天風呂でマッタリ
→ 休憩室で寛ぎながら雑談

こんなジム通い開始から、はや3カ月。当初は内臓脂肪を減らすため医師からの脅迫からイヤイヤ始めた運動ですが、このところ劇的な変化が見られ始めました。体脂肪がかなり減り、筋肉量が劇的に増えたのです。

期待通りに身体は変化し続けていますが、想定外だったのは、他にも思わぬ変化と予想外の新たな発見があったこと。

1 .さんざん悩まされた肩こりがほぼ無くなりました

2. 運動後の爽快感がたまらなく好きになり、こんな状況を与えてくれた医師と妻に「ありがとう」との感謝の気持ちが自然に湧き上がってきました

3. 運動中は集中して身体のことだけを考えるため、仕事などのストレスが減り、「人生なんとかなる」との気持ちが強くなりました

4. その結果、行動や考え方が前向きになり、「何でもやってみよう」との強い意欲が湧き出てきました

5. 以上のような身体と心の変化を感じる中で、「ありのままの自分」を肯定的に捉えられるようになりました

身体だけでなく心にも効く運動。老後の楽しみがまた1つ増えました。

| | コメント (0)

2018年10月10日 (水)

エスカレーターの乗り方云々

~ わさくの悪知恵 216

去る10月の1週目、台風の影響から「塩害」が発生し、首都圏の各所で停電が発生した際、私も普段使っているJRが運転見合わせとなり、帰宅難民になりかけたが、何とか都営地下鉄を使って最寄り駅に到着してホッとした際にちょっとした「修羅場」に遭遇してしまった。

それは最寄りのJRの駅から乗り換えの都営地下鉄駅に向かう比較的長距離のエスカレーター。普段はJR駅利用なのでそちら方面の退出側の上りのエスカレーターに乗ってすぐの事。反対側の都営地下鉄駅に下るエスカレーターの最前列にいた年配の杖を持った男性が突然何かの発作で倒れた。

そこで周りにいた方々が次々と将棋倒しとなった。その男性を救出しようと何人かが手を貸してエスカレーターから出そうとするがなかなかうまくいかない。

そのまま少しエスカレーター自体は作動していて混乱は増すばかりで、私がその上りのエスカレーターの中間点に来たあたりでようやく停止して落ち着いた様子だった。もし私がすぐ反対側の同位置にいて巻き込まれていたらと思うと少し怖くなった。

日頃個人的には、街中でコロコロキャリーバッグを引きずって歩いている人々がエスカレーターに乗る際に、何が起こるかわからなくて怖いのでなるべく後ろに近付かないようにそれなりに気は使っているつもりなのだけれど…

数日後にあるNHKの番組でこの「エスカレーターの乗り方」について特集をしているものがあったので興味深く視聴した。

そもそも「エスカレーターは立って止まって乗ることを前提に設計されている」という。

「片側空け」が全国に普及するのは1980~90年代以降のことで、首都圏では深い地下鉄駅が相次いで建設されて長距離のエスカレーターが増えたため、「片側空け」が徐々に普及するようになったとの事だ。

首都圏の場合だと左側に立ち右を空ける習慣だが、その番組では体に障害を持った方がどうしても右側に立たなければいけないケースもあり、以下のようなポスターを各交通機関駅に配布して利用者に呼び掛けていると紹介していた。

Photo

しかしながら「あくまでもマナーの問題」「法的な乗り方について明確に定めていない」など、現場や個人の判断に任されているのが実情だ。

首都圏では「左立ち」、近畿圏(関ケ原以西で明石以東)では「右立ち」が一般的だが、その理由は諸説あり過ぎてよくわからないが、世界の主要都市ではどうやら「右立ち」が多いようだ。右利きの人が多いので右手で手すりを持ちやすくするので「右立ち」が多いとか・・・・? (名古屋、札幌、福岡は左立ち…)

さらに探っていくとエスカレーターにも「上座」「下座」があるという。

上りの時は客に先に乗ってもらい、自分の目線が相手の目線よりも低くなるようにする。逆に下りの時は「お先に失礼します」と先に乗り、客を上から見下ろさないようにするのがマナーの「上座」「下座」だそうだ。

いづれにしてもエスカレーターは障害のある方への思いやりも含め、「マナー」向上を心掛け利用しようと思う。

<参考資料>Nikkei Style「エンタメ」「くらし&ハウス」

| | コメント (1)

2018年10月 4日 (木)

同じやるなら「もう2杯」

この「発想多彩ひろば」には、主に4名の人がエッセイを書いています。

そのうちの一人がおさむさんです。

わたし(さとう秀徳)は以前、「発想多彩クラブ」という交流会を開催していました。今は、「遊子会」に変わっています。

最近、発想多彩クラブの会報を見る機会がありました。

その第1号が発行されたのが1992年9月です。26年前のことです。

その第2号(10月号)に、おさむさんのエッセイが投稿されています。

タイトルは、『「もう2杯」の努力』です。「もう2杯」とは「熱心に」という意味です。

たとえば交流会に参加するとき、ただ参加するのではなく、熱心に参加すると得ることが多いというわけです。

交流会の会報にエッセイを投稿することは、「もう2杯」ということになるわけです。

確かに、同じやるなら「もう2杯」の精神が重要です。

わたしはアイデア発想法の実践研修をしていますが、ただ実習をするのではなく、実習したワークシートを提出してもらい、それに添削・講評を加えています。このことにより、リピートにつながっています。

何事であれ、同じやるなら「もう2杯」です。ただし、お酒の弱いわたしは、お酒については「もう一杯」です。

| | コメント (1)

2018年9月29日 (土)

「ディスる」をちょっと考えた  

~ soji の今日もワクワク 243  ~

「大坂なおみ 全米オープンテニス優勝!!」

男女合わせて日本では、4大大会シングルでタイトルを獲得した初の快挙だそうです。にわかに盛り上がる中、私が着目したのは、彼女の名字「大坂」でした。

エッセイ仲間、さかもっちゃんと、とあるセミナーに出席した時のこと。30人ほどいる参加者が一人一人自己紹介することになりました。

「サカモト」と名乗る若い男性。まだ大学生だそうです。

「えーっと、サカモトのサカは、こざとへんのサカです。つちへんのサカは、土に反(かえ)るといって縁起が悪いので、こざとへんにしたそうです」

その後に回ってきたのが、我らがさかもっちゃん。

「えー、縁起の悪い方のサカモトです」

阪本君の言う理由で、明治維新後に大阪府が出来る際、「大坂」は「大阪」に変更されたとか。おそらく彼が得意にしていた自己紹介の決まり文句だったのでしょう。

さかもっちゃんの自己紹介で場内大爆笑。バツの悪そうな阪本君。まさか縁起の悪い坂本さんがいるとは思わなかったに違いありません。まだ大学生だからよかったものの、社会人だったら、大変なひんしゅくものです。

同じような失敗は私にもあります。

「sojiさんは、あまり白髪が目立たないですね」と言われ、

「おかげさまで。でもだいぶ薄くなっちゃって」

答えた瞬間、同席者の中に若ハゲの姿が。その方が私の言葉にカチンと来たかは定かではありません。しかしその後私は、実に居心地の悪い時間を過ごすこととなりました。

「ディスる」という言葉をよく耳にします。否定する、反対する、の意味ですが、最近は小ばかにする意味で使われることが多いようです。

漫才でボケに対するツッコミが、小ばかにしているように聞こえるせいか、普通の人でもディスっているような会話をよく聞くようになりました。

中には過剰反応をする人がいます。こちらに悪意がないにも関わらず、その言葉尻をとらえて怒る人。ディスられていると被害妄想的に考え、敵意をむき出しにする人です。

「今日は雨か。いやだなあ」⇒「雨の中で仕事をする俺をバカにしているのか」

「一時間に二本しか電車が無いのか」⇒「こんな田舎で悪かったね」

「もうこんな時間になっちゃった」⇒「すいませんね、仕事が遅くて」

ひどいのは、コンビニでの話。

「お箸をお付けしますか」⇒「俺に手で食えっていうのかよ」

ここまで来ると病んでいるようにしか思えません。まあ本当に心が弱っている時は、知らぬうちに世の中のみんなが自分をディスっている気になるものですが。

最近は特に、言葉には気を付けなければいけないと感じます。言葉には霊が宿る「言霊」があると、昔から言われてきました。ですからネガティブな言葉は出来るだけ使わない。無理をしてでもこじつけでもポジティブな言葉に置き換えるべきでしょう。

かの阪本君も、まず自己紹介の前に「坂本」さんがその場にいないか確認するべきでした。「坂」に対するディスりネタですから、もしいたとしたら、速やかに内容を変える。それが社会人のマナーです。大学生のうちに補正しないとトラブルのもとになりかねません。

私の場合も、身体的なことは、極力触れないようにすればよかったのです。「ハゲ」はもちろん、「デブ」「チビ」「ブス」などなど、ディスる言葉はまさに豊富。これらは封印すべきでしょう。

でももし言ってしまった場合は、このことは一切触れずに、別の話題で盛り上げるなど、フォローを心がけるべきでした。

「今日は雨か」⇒「のどに優しいんだよね」

「一時間に電車が二本か」⇒「待っている間ゆっくり考え事が出来るな」

「もうこんな時間」⇒「まずはここまではかどったことに感謝しよう」

コミュニケーションの中にネットの比重がますます増加している現在、しゃべり言葉はおろそかになりがち。それだけに、言葉選びは慎重にしないといけません。たとえ独り言でもネガティブなのは極力控え、ポジティブな言葉で置き換えるのを習慣にするべきです。

優勝した大坂なおみ(敬称略)のスピーチ。ネガティブな言葉は発しないよう、相当気を使っているのがこちらにも伝わって来ます。だからこその優勝でしょうか。

まだ二十歳でも、すごいことをやり遂げる人の言葉は味がありますね。若いからと言って失言は許されませんよ、阪本君!

| | コメント (2)

2018年9月25日 (火)

戦時中の教育と戦後の学校

~ おさむの鳥の目 222

先日、テレビから、「われわれは中学校の時、1学期と全然違うことを、2学期には学校から言われた」という言葉が聞こえてきました。誰かの意見なのか、ドラマのセリフなのか分かりません。終戦の時のことだなと思いました。私も全くその通りだったからです。

中学1年生の時に終戦を迎えた人は全員そうだったのです。小学校では完全に戦時教育で、私も中学校に入れば、陸軍幼年学校に行こうと決めており、中学校では「幼年学校受験クラス」に所属していました。夏休みも普段と変わらず、そのクラスに登校していました。

幼年学校を受験できるのは、中学1年生と2年生でしたから、そのクラスでは選抜された二つの学年の者が一緒に勉強していました。学校の一部が軍需工場になり、3年生以上は、動員されて、その工場で働き、2年生以下は、農業動員と称して農家の手伝いに行きました。

幼年学校受験組は農業動員にも行かず、教室で勉強していたのですが、ある時、空襲警報が発令され、先生の指示で、全員が防空壕に入ったのですが、この時、一つの事件がありました。学校の校旗を防空壕の一番奥に置くか、入り口近くに置くかという議論です。生徒たちの総意は、人が奥で旗は入り口近くという考えで、実際にもそうしました。

この判断に対し、後刻、校長先生から注意がありました。「校旗を奥に」でなければならないと言うのです。私は、訓練でなく本当の空襲警報だから、「人が奥」という生徒の判断の方が正しいと考え、戦時下の小学校教育を受けているにも関らず、子供の判断は歪んでいないと安心したことを思い出します。

これは8月夏休みに入った頃のことですが、その直後に8月15日の終戦の日がやってきます。この時はすでに幼年学校の受験番号も届いていて、8月23日に身体検査という日程も決まっていました。が、すべて何もかも無くなっていまいました。

そして、夏休みは終わり、普通に学校に行くのですが、冒頭に書きましたように、「1学期と全然違うことを、2学期には学校から言われた」のです。

呆然としたという言葉は全くその通りで、クラスの者と一緒に道を歩いている時、ふと「自分は今、何をしているのかと」思い、「待てよ」と考えてから、現在の状況を把握し直したことがあるのを鮮明に思い出します。

その後の学校の状態を書きますと次のようです。時の流れと共に、2学期、3学期は終わり。何事も無かったように2年生になり、3年生も終わって、旧制中学は全部の学校が新制高校に変わり、京都では半年後に、高校再編成というのがあって、旧制中学は多くが男女共学の新制高校になりました。

私は、通っていた旧制中学が新制高校にならなかったので、学区制で、住所によって決められた新制高校に編入されました。小学校6年、中学3年、高校3年(6、3、3制)の大きい変革に遭遇したのでした。

そして、戦時中の教育との関係という点からすると、ちょっとした出来事が一つありました。それは、「きけわだつみのこえ」という映画が作られたことです。

「きけわだつみのこえ」は第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集で、類似した名前の映画が何本か製作されているそうです。街で上映されていたそれらの映画の中の一つを、学校から生徒がまとまって見に行くという行事がありました。

話の内容からして、国の戦時中の教育に関し、何かの考え方を示唆する部分があったようです。その映画鑑賞から帰った後、われわれのクラスでは教室で担任の先生から話がありました。話の詳細は記憶していませんが、戦前の教育に関係する、何らかの重要な意味を含むものでした。

終戦後、日が経っていましたが、学校や公的機関からは、戦時中と戦後の考え方の変化について、特に説明はなかったと記憶しています。この時の映画鑑賞後の担任の先生の話は、そういう意味でたいへん珍しいものでした。「指導者として謝るべきところがある」という意味を含んでいると思いました。敢えて、自分からそういう場を作って、そのような話をされたことに対し、その先生は勇気があると思いました。

| | コメント (1)

2018年9月24日 (月)

JR一筆書きの旅

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 186~

JR有楽町駅から東京駅までの運賃140円だけで、1都3県(東京、神奈川、埼玉、千葉)を制覇しちゃいました。非合法なキセル乗車なんかじゃありませんよ。JRの駅員さんにも堂々と申告出来る合法的な方法で、です。

有楽町駅から東京駅は山手線でわずか2分、運賃140円ですが、「大回り」という乗り方があります。経路が重複せず、一筆書きの経路であれば、同じ値段(140円)で「大回り」して何時間でも電車に乗れるのです。こんな乗り方をモノ好きな人たちは「JR一筆書きの旅」と呼びます。

「JR一筆書きの旅」は、実際に乗る経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車できるという、ルールを逆手にとった遊び方。まぁ、たった1駅を移動するために遠回りに挑む、究極のヒマ潰し(← 我が妻の言葉)とも言いますが…。

さて、今回の「JR一筆書きの旅」ですが、モノ好きな仲間2人とともに、有楽町発14時30分から東京着18時30分までの約4時間の長旅にチャレンジしました。経路は以下の通り。

有楽町 → (山手線) → 新橋 → (東海道線) → 川崎 → (南武線) → 府中本町 → (武蔵野線) → 南船橋 → (京葉線) → 東京

最も大変だったのは、府中本町から南船橋までの武蔵野線区間。この区間の乗車時間は1時間30分と最長。そのため、座り続けて腰が痛くなってしまいました。幸い、仲間3人の旅でしたので、次回の旅企画などを語り合いながら気分を紛らわすことが出来たのが救いでしたが。言い換えれば、腰痛との闘いこそが「JR一筆書きの旅」の一番の醍醐味でもありました。

一方で、この武蔵野線での1時間30分の間、とても興味深い発見がありました。それは、乗車客で混みあう区間が見事にバラついていたこと。通常、都心から郊外へ向かう電車では、郊外になるに連れて段々電車は空いてきます。ところが武蔵野線ではそれがありません。

始発の府中本町ではガラガラだった電車が西国分寺でほぼ満員状態となり、新秋津や北朝霞にかけて段々ガラガラに。そして、武蔵浦和や南浦和で再び満員状態となり、南流山や新松戸にかけてガラガラに。最後は西船橋で3度目の満員状態。まるで呼吸しているかようにリズム感あふれる武蔵野線でした。

そして、もう1つの楽しみ。それは乗り換え駅でのエキナカ巡り。私は駅構内のエキナカ巡りが大好きで、今回も大いに期待していました。ところが、実際は失望の繰り返し。

東海道線から南武線に乗り換えた川崎駅構内だけは期待通りの立派なエキナカに驚きましたが、その後の府中本町や南船橋ではガッカリの連続。人は立ち食い蕎麦だけでは生きられません。甘いスイーツ系も必要です。エキナカが有名な立川や西国分寺でも降車するような工夫が必要だったかも知れません。

最後に、次回の目標で締めます。次は、同じ140円で、もっと大回りして関東1都6県の完全制覇を目指します。今回の1都3県(東京、神奈川、埼玉、千葉)に加えて、北関東の3県、群馬、栃木、茨城を回ってみようかと計画中。当然、もっともっとローカル色が強くなりますから、乗り換え時間が長くなるなどして、おそらく3倍以上の時間を要するはずです。

究極のヒマ潰し(← 我が妻の言葉)への挑戦、まだまだ続けます。

| | コメント (1)

«お知らせ