2018年2月14日 (水)

歴史の謎から

~ 池さんの歴史ナルホド! 03 ~

歴史には、まだ分かっていないことがたくさんある。それらは「歴史の謎」と呼ばれ、いつの日か謎解きの時が待たれている。これもまた歴史のおもしろさである。

(1)邪馬台国はどこにあったのか?

その中でも有名な謎をいくつか挙げると、一つは、「邪馬台国論争」と呼ばれるもの。

邪馬台国がどこにあったのかについては、いわゆる『魏志倭人伝』の記述の読み取り方から、北九州説と近畿説を中心に、出雲説・吉備説・阿波説など多数の説が挙げられているが、どれももっともらしくておもしろい。

私が最近注目したのは『誤読だらけの邪馬台国』。著者は台湾人の張明澄さんで、『魏志倭人伝』の記述を三国時代の中国語で理解しないから謎になる、『魏志倭人伝』が書かれた三国時代の中国語で理解すれば、邪馬台国の場所は自ずからわかると言う。

特に重要なのは「至」と「到」の違いをきちんと理解することだという。つまり「到」は「〇〇へいたる」の意味で、到着地で最終目的地であり、あらたな出発点にならない。「至」は「〇〇まで」の意味で、通過点であり、新たな出発点になるのだそうだ。

そんな簡単なことで邪馬台国の場所がわかるのだそうだ。これにはびっくり。その読み方で読み解くと、邪馬台国は鹿児島県北西部の「阿久根市」になるのだそうだ。
 
(2)本能寺の変はなぜ起こったのか?

「本能寺の変」の原因も諸説があっておもしろい。

明智光秀の<単独説>に、かつて有力だった「光秀の怨恨説」と「光秀の野望説」がある。その他に光秀に影響を与えたなんらかの別の人物または勢力の関与があったとする<黒幕説>に「朝廷関与説」「羽柴秀吉関与説」「黒田官兵衛関与説」「足利義昭関与説」「徳川家康関与説」「四国説」などがある。どれもそれぞれにありそうなのでおもしろい。

この「本能寺の変」の原因に関して、昨年2017年9月に、明智光秀が書いた手紙というのが見つかって新聞報道などで注目をあびた。これは光秀が本能寺の変の直後に、近畿地方の一侍大将である土橋重治宛に書いた手紙だそう。

手紙の主旨は、「明智光秀が織田信長を倒して足利義昭を迎える用意があるので足利義昭に伝えてほしい」というもの。これは信長を倒して、光秀のかつての主人であった足利義昭の将軍復活を実現するねらいという「足利義昭関与説」を裏付けるものになるいう。これでこの説が最有力になったのだろうか?

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2018年2月10日 (土)

3rd Place/サードプレイス/第3の場所

~ わさくの悪知恵 209 

都市生活者の「自宅(ファーストプレイス)」、「職場(セカンドプレイス)」でもない、自分らしさを取り戻せる、または一個人としてくつろぐ事のできるのが「第3の居場所/サードプレイス」と紹介されているのを購読しているメルマガで発見し興味深く思った。

以下讀賣広告者都市生活研究所の「自分の居場所(サードプレイス)に関する調査」(スーモジャーナル住まいと暮らしのニュースに掲載)を参考にさせてもらいながら書き綴ってみたい。

アメリカの社会学者のレイ・オルデンバーグ氏が長年この〝サードプレイス″に関する研究をされており、その特徴として「無料または安価で利用できる」「アクセスがしやすい(徒歩圏内)」「常連客が集まる」「快適で居心地がよい」「古い友人と新しい友人の両方に出会える」などを挙げている。

代表例としてフランスのカフェ、イギリスのパブなどが挙げられているが、これらのビジネスコンセプトも含め日本市場に参入してきたのがアメリカ資本の大手のコーヒーショップチェーン。それが1996年、もう22年前だというからビックリだ。

この調査によると、この〝サードプレイス″を持っているのは25.6%。4人に1人が所有者であるという。その場所については「カフェ喫茶店」「公園や河原、海などの屋外」「スポーツクラブ/ジム/ヨガ」がトップスリー。

年代別にみると20-30代では男女とも「カフェ/喫茶店」がトップであるのに対して、60代男性では「居酒屋/飲み屋」であり、60代女性では「スポーツクラブ/ジム/ヨガ」であるなど年齢や性別によって違いが見られる。

しかしながら60代男性の多くのそれが『居酒屋/赤提灯』であるのに対し、近い将来、若い世代が「バーチャルサードプレイス」として『スマホ』を挙げるようになってくるかもしれないと予測する方もいる。

さらに細分化すると、仕事を持っている人に絞ってみると「通勤時間」との関係が係ってくるという。つまり通勤時間の長い人ほど「第3の場所は持っていないが、その場所は重要だと」答える傾向が強いという結果が出ているという。

わがケースに当てはめてみると・・・・

サードプレイスといわれる場所は〝ある″。

私の場合も同世代に同じ「居酒屋/飲み屋」が該当するだろう。しかも自宅近辺に3軒ほどのお気に入りがあるが、隠れ家的にしているからあまり新しく知り合った人々には紹介したくない「第3の場所」だ。

相方をみればやはり同世代が挙げる「スポーツクラブ・ジム」である。かくなる私も20代半ばに転勤していた地でジムに2年ほど熱心に通ったことがある。

昨年より我が仕事の雇用形態が「嘱託」に変わったこともあり、時間的に少し余裕ができつつあるのでジムの再デビューを狙ってみようかとも思っている。

ただ最新の我が雇用形態から「職場(セカンドプレイス)」があと数年でなくなってしまう可能性が高い。

その場合も「サードプレイス」は「サードプレイス」か?

さて皆様は「サードプレイス」をお持ち? その場合はどちら?

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2018年1月31日 (水)

得をするクセ、損をするクセ  

~ soji の今日もワクワク 235  ~

1月22日月曜日。都心でも20センチを超える大雪が降りました。雪で思いだすのは、ツアーで行った冬の北海道。もう20年以上前のことです。

千歳空港から札幌まで。バスの中でツアコンのお姉さんが言います。

「雪道は気をつけてくださいね。転ばないコツは、歩幅を短くして足を高めに上げ、真上から雪を踏みしめるように歩くことですよ」

市街が見えてくると、ツアー客たちは興奮。せっかくのアドバイスも真剣に聴いていません。目的地に着き、すぐに降り立った3人組のおばさんたち。そして5メートルも行かないうちに、一人が派手にスッテンコロリンと、したたかに尻もちをついたのです。さぞかし尾てい骨が痛かっただろうに。ところがにこやかに立ち上がり「やだー、転んじゃった~」と一言。どれだけたくましいお尻なのでしょうか。

今年、久しぶりの雪。お姉さんのアドバイスどおりに歩く自分。当時の衝撃でびしっと覚えてからもうクセになっているのですね。おかげで雪道で転んだことはほとんどありません。

自慢のクセをもう一つ。それは、本や雑誌を読むとき、目から30センチ離すことです。一般的にはよく見えるように、近眼なら近くに、老眼なら遠くに対象物を離します。しかし私は違います。30センチで一番見えるように目の方を調節するのです。思えばこのクセは、小学校のころから。

具体的には、まず最初、一番見える位置を見つけます。その後、その位置が30センチになるように少しずつずらして行く。時間をかけてゆっくりと行います。

ただ私も半世紀以上生きて来て、さすがにかすみ目が始まりました。しかし昨年の秋、会社で行われる健康診断。出社する電車の中で、30分ほど30センチの焦点合わせをやったところ、視力検査ではなんと両目とも1.2以上。一昨年よりもよくなって、検査員がびっくりしていました。おかげ様で、今でもメガネ要らずです。

しかし、いいクセばかりではありません。私の悪いクセは人の名前や顔を覚えないこと。縁ある人はイヤでも覚えるのだからとついなめ切ってしまう。だからどこかで見たことがあるな、程度の人がとても多い。向こうから挨拶されても、どこで会ったのだろうと首をかしげるばかり。随分失礼をしてきました。

また、ポケットについ手を突っ込んでしまうのもいけないクセ。特に寒い冬はなおさらです。ズボンのポケットに手を突っ込んで歩くと、背筋が丸くなり姿勢が悪くなる。これはいけません。

初詣。皆さんはいろいろと願をかけたかと思います。でも幸せへの一番の近道は、自分のクセを棚卸しすることではないでしょうか。いいクセは定着させ、悪いクセは矯正する。小さなことでもコツコツ続けられれば、やがて生き方が変わり人生全体も変わります。

最初は頭もカラダも抵抗を示すでしょう。でも続ける。辛くても続ける。やがてそれをしていないと気分が悪くなるまで。自分の都合のいいようにクセをコントロール出来れば、これは大きな財産になるはずです。得するクセづくり。私も頑張ります。

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2018年1月23日 (火)

南方熊楠の知識に思う

~ おさむの鳥の目214

一年前に引き続き、昨年末に、那智勝浦町図書館へ行きました。この図書館には南方熊楠に関する書籍が多数集められていて、それをもう一度読みたいと考えたからです。

前回、この図書館で読んで、特に気になったのは、熊楠が中国の百科事典を読み、そこに自分の考えを書き入れていたという話です。

熊楠は英国に留学をしていたので、英語は堪能であっただろうと考えていました。ところが中国語の百科事典を読んで勉強していたとは考え難かったので、その点を詳しく知りたいと考えたのでした。

そして、その答えは図書館の書籍の中にありました。中国の書物を日本人が読むについて二つの方法がある。一つは、私が旧制中学で習った漢文の読み方で、中国の文章に付けられた返り点に頼って読む方法と、それに頼らないで、中国人が読むように、上から読んでいく方法です。

勿論、熊楠はその両方が出来たようで、これは日本人が江戸時代に中国の書籍を読んで勉強することを普通にしていたことを意味します。日本は明治以後、外国の知識を導入して大いに発展したのですが、その前に江戸時代に中国を通して西欧の知識を取り入れていたことを熊楠の例を通じて初めて知りました。

図書館にある関係書籍は多く、時間は限られていますので、大急ぎで読んだため、書籍についての説明は出来ないのですが、1冊だけ書名を挙げますと、「南方熊楠百話」と言う本がありました。分厚い本で、多くの人が文章を寄せておられます。

この本の中で、最も注目すべきは、熊楠の自筆の書き込みを写真に撮った数ページです。これは全部、手書きの横文字で、説明によると、全部、英語以外のヨーロッパの言葉だそうです。

残念ながら、私の力では何と書いてあるのか分からないだけでなく、どこの国の言葉であるのかさえ、定かではないという有様でした。

これを見て感じたことは、熊楠が日本人が世界で活躍するようになって、非常に早い時期に、世界の最高水準の研究をするすることが出来た理由が分かったと思いました。

有名な粘菌の研究でも、熊楠が発見したものが新種であることを、世界最高水準の学者が証明したことが書かれている例もありました。このように、世界的に非常に早い時期に、熊楠は高い段階に達していたことを文献によって知ることが出来ました。

日本は明治以後に列強の仲間入りをしたのですが、すでに江戸時代に政治経済面で、世界的に高いレベルに達していたことが大きい要因であったと思ってきましたが、それだけでなく、学問の面でも、中国を通して、高水準に達していたことを過小評価してはならないと考えるようになりました。

南方熊楠は世に知られた偉人でしたが、彼だけでなく、江戸時代の日本の学問が非常に
高いレベルにあったということを、私自身十分理解していなかったと再認識した次第です。

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2018年1月20日 (土)

平成の世 30年目に想うこと

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 178~

親子関係で続く一世代の平均間隔はおよそ30年。元号が昭和から平成に変わってすぐに第一子が産まれ、新米父親となった私ですが、その第一子が先日結婚。ちょうど一世代30年の流れについて、我が身を持ってシミジミと感じている今日この頃。

この30年間、私が父になったように、我が国でもとても大きな変化がありました。それは、65歳以上の高齢者人口が激増したこと。

平成元年には日本人の10人に1人ほどだった65歳以上の高齢者が、30年を経た現在では4人に1人まで比率が高まり、さらに3人に1人をうかがう勢い。この30年間の日本の高齢化は、人類史上、前例の無い猛スピードで進んだことになります。これはもう、30年前とは違う人々が住む国と言っても良いでしょう。

その結果、日本の国家予算に占める年金・医療・介護などの社会保障費が、平成の30年間で10兆円から30兆円へなんと3倍も激増。歳出に占める割合は18%から33%に膨らみました。これはもう、歴史に残る30年と言って良いでしょう。

ことほど左様に、平成の30年という歳月はヒトと国が変わるのに十分な時間だったのです。

冒頭で述べたように、ヒトの一世代は約30年。これはあらゆる生物種の中で最も長い部類に入ります。動物が母親から産まれて次世代の子どもを産めるようになるまでの平均的な時間は、ネズミが約1か月、ネコ・イヌ 約半年、ウシ 約2年、ゾウ 約12年。

ヒト以外の多くの動物はヒトより世代交代が速いため環境の変化に対応しやすくなり、その分、進化の可能性も高くなると考えられます。平成の30年間でこれらの動物に起きた大きな変化と言えば、ペット飼育実態調査でネコの数がイヌを初めて上回ったこと、そして、日本でペットとして飼育されるイヌとネコの平均寿命が過去最高になったことの2つでしょうか。

平成の世、イヌの寿命は8.8歳から13.2歳へ1.5倍延び、ネコは更にすごく、5.1歳から11.9歳まで2.3倍も延びました。このようにイヌとネコの平均寿命が劇的に延びたのは、ワクチン接種の普及などで感染症対策が進んだことが大きな理由なんだとか。

ことほど左様に、平成の30年という歳月は動物が変わるのに十分な時間だったのです。

もし、私が今から100年後に生きる歴史家だったら、こんな平成の30年を振り返り、「猫も杓子も大延命の時代」と名付けることでしょう。「杓子」が何を意味するかは、人それぞれ。それは、さらに後世の歴史家に評価してもらうことにしましょう。

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2018年1月13日 (土)

今に続く歴史

~ 池さんの歴史ナルホド! 02 ~

前回、私はかなりの歴史好きであることは述べた。

今でも地元の3つの歴史勉強会に参加し、その他にも歴史に関わる講座を受講したり、テレビ番組も結構歴史にかかわる番組を見る機会が多い。そのため歴史に関するいろんなことを学ぶことも多い。

それらの楽しさを伝えたいと思い、前回は「歴史も変わる」というテーマで「縄文時代」の変化や今は使わない「大和朝廷」という言葉や「聖徳太子」の変化を紹介した。

今回は歴史の面白さの一つとして、過去の歴史が今に続くことを見つけた時の嬉しさを述べてみたい。歴史はけっして終わってしまったことではないのである。

今回紹介するのは、日本の地名と苗字になぜ漢字2文字が多いのか、ということ。

例えば、地名を見てみよう。都道府県名もそのほとんどが漢字2文字で、3文字が少数。1文字や4文字はない。その他の身近な地名を見ても同じ。自分の市町村やその付近の地名にも恐らく漢字2文字の地名が多いだろう。

苗字にしても、私の池田やその他にもやはり漢字2文字の苗字が圧倒的に多い。

これはなぜだろう?実はこのことと、奈良時代に出された法令とが深い関係があるのだ。

1 日本の地名に漢字2文字が多いのはなぜか?

(1)漢字が伝わる前の日本の地名はヤマト言葉であり、音だけがあった。

(2)その音に漢字が当てはめられた時には、漢字で1文字や3・4文字などのいろいろな文字数の地名があった。

(3)ところが奈良時代の元明天皇の治世の713年に「諸国郡郷名著好字令(略称は好字令・好字二字令)」という勅令が発布された。これよって地名は漢字2字、しかも好字に変更されたのである。

◎内容
国・郡・郷などの地名を好字(良い意味の字)の漢字2文字にすること(国名については好字令以前にも2字にしようとする動きもあったようである)

◎狙い
①律令制度の行政事務(戸籍作成など)に全地名が漢字2文字にそろうと便利。

②中国(唐)の地名は2文字が多いので、それにならう(当時の日本では中国のまねはいいことだった)。

③変更の実際
[1文字から] 倭→大倭→大和、泉→和泉、津→摂津、沖→隠岐、木→紀伊、火→肥前・肥後、粟→阿波、車→群馬、中→那珂・那賀、北→喜多、など

[3文字から] 上毛野→上野、下毛野→下野、近淡海→近江、遠淡海→遠江、多遅麻→但馬、明日香→飛鳥、など

[2文字から] 胸刺など→武蔵、針間→播磨、三野→美野、など

2 日本人の苗字に2文字が多いのはなぜか?

 苗字は地名が由来するものが多かったためと考えられる。

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2018年1月10日 (水)

年末の断捨離

~ わさくの悪知恵 208 

謹賀新年!!

今年も我が拙筆エッセイへのお付き合いの程をよろしく!

とはいえ今年私は喪中にあたる点を先にご了承いただきたい。

昨年5月に父が亡くなり、この年末年始は割と静かに過ごしたつもりだ。

ただ年末が近づく前にかなりヘビーな「大掃除/断捨離」を行なった。

父の遺品?整理を兼ね、実家の不用品の処分、ついでに我が家の不用品も一緒に処分しようと11月下旬からその準備に入った。

その間時間があれば「ゴミ出し」準備に励んだ。幸い我が家から実家までは徒歩5分以内なので実家で一括して業者に引き取りの段取りで作業を始めたのだが・・・・

この際だからと出てくる、出てくる不用品の数々。両家ともここ25年程溜め込んでいた不要物のオンパレード。

ここで少し厄介な事に改めて気付く。

我が家は今年築51年目の集合住宅の4階。当然エレベーターなどなくこの搬出作業には手を焼いた。階下に車を廻し実家まで何往復したことか。

実家の方も現在は母の一人住まいなので、不用品の搬出準備を手伝っていたため結構肉体的にもかなり効いた。我が家人も然りで、体調を崩し風を引いてしまい2日程寝込んだ。

業者が引き取りに来る前日の土曜日には実家はまさに「ゴミ屋敷」化。

翌日無事に業者にすべて引き取ってもらったが、かなりな予算オーバー。結構な悪徳〝ボッタクリ″業者に当たってしまったようだ。基本料金からの見積もりを聞いてビックリしたが、すでに収集場所の実家はゴミ屋敷状態。仕方なく提示の見積もり通りですべてを引き取ってもらう。

改めて日頃小まめにゴミ出しをしておくべきかを痛感する。まさに「断捨離」の意味そのままだ。

この教訓を元に年明けからまた実家の整理を敢行。私の担当は主に父が書斎として使っていた部屋の整理。

父とは足掛け20年ほど一緒に仕事をしていた。

物を書くのが好きな人だっただけに出てくる、出てくる書類の山。それらを何年も放置状態だったようで少し手間取っている。

この作業、母からは〝時間のある時にゆっくりやってくれれば良い”と言われてはいるのだが…

嬉しい驚き発見もあった。父が企画したイベントの祝儀袋の束を整理していたら中味が額面通りの¥30,000の現金がそのまま入ったものを見つけた。有難く年末の突出予算に充当させてもらった。

そんなことがあり今年の生活目標として「断捨離」を意識して過ごしていこうと思う。

流行り?の「ミニマ二スト」までには到底成り切れないだろうけれど・・・

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2018年1月 4日 (木)

明けましておめでとうございます

2018年、明けましておめでとうございます。
本年も、「発想多彩ひろば」のカラフルエッセイをお楽しみください。
個性豊かな5人が書くエッセイは、「なるほど、面白い!」です。
ほかでは味わえないエッセイです。

なお、わたし(さとう秀徳)もブログとメルマガで面白い話を書いて
います。よろしかったらどうぞ。
ブログ http://ideaway.blog93.fc2.com/ 
メルマガ http://sozosystem.c.ooco.jp/merumaga.html

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2018年1月 1日 (月)

心のゆとりをプレゼントされた

~ soji の今日もワクワク 234  ~

新年、明けましておめでとうございます。

クリスマスイブのことです。

ロマンチストな私は、毎年寝る前にサンタさんにプレゼントをお願いしています。

最近、つとモノに対する執着が無くなった私。最後にはゴミになる。それならば、モノではなくコトがいい。ふと思いつきました。

「心のゆとりをプレゼントしてください」

翌朝、当然枕元には何もありませんでしたが、すっきりと目覚めることが出来ました。

年も押し詰まった、ある日の朝のことです。職場に行くため家の近くを歩いていた私。歩道は3mほどの幅があり、人通りもさほどありません。

それで私はイヤホンでラジオを聴きながら、 スマホを見て歩いていました。

すると、私の横を自転車がゆっくりと走り抜けて行くではありませんか。運転していたのは作業着を着た小太りのおじいさんです。

追い抜きざま、私に訛りのある怒声を投げかけてきました。

「まっすぐ歩けよ!」

どうも私は無意識に歩道を斜めに歩いていたようです。

「なに!」

一瞬、カッとなった私。相手の自転車、注意喚起のベルも鳴らさない。ましてここは歩道じゃないか。

しかしその一方で、「待てよ」と自分を諭す声。熱した気持ちがゆっくりと冷めて行きました。

イヤホンでラジオを聴きながら歩きスマホをしていた私。 考えてみれば非常に危険でした。

これがゆっくり走るおじいさんでなかったらどうだっただろう。あの怒声は、危険を知らせるメッセージではなかっただろうか。

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」

幸せと不幸は交互にやってくる。そんな意味です。

しかし私は思うのです。縄は縄。幸せか不幸かは人間の決めること。 たとえ不幸が訪れたとしても、それは幸せを呼ぶための必然、 と考えられれば不幸はもはや不幸でなくなるのではないか、と。

今の世の中、いいことを願ってもなかなかありません。逆に不愉快で、 腹立たしいことは日常生活に満ちています。

寒くて起きるのがツライ。満員電車はキツイ。仕事がツライ。 仕事が無いのはもっとツライ。食べた昼食がマズイ・・・

ひとつひとつは小さなことかもしれないけれど、積み重なればまさに不幸です。

朝の寒さは気持ちを引き締めてくれる。満員電車、乗客の服装を見て流行を占おうか。仕事のツラさは課題の宝庫、一度整理してみよう・・・

こんな風に考えられるゆとりを持ちたいものです。

私はサンタさんをはじめ、神様、仏様の存在を信じています。彼らは、私の心の中にあって、その都度私にメッセージを発してくれます。

しかし心にゆとりが無い時や、やましい気持ちでいる時は、そのメッセージは私に届きません。

自転車のおじいさんに怒鳴られたことはとても不愉快なことでした。しかし、おかげで危険を冒していた自分を反省することが出来た。

たくさんある嫌なことは、すべて幸せを呼ぶための種。それを理解するのに必要なのが心のゆとり。

あらためて思います。

「まっすぐ歩けよ!」は、ポリシーを持って突き進めという、サンタさんからのメッセージではなかろうかと。

こんなお目出度い話、1月ですからご容赦ください。今年一年も引き続きお付き合いをよろしくお願いします。

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2017年12月24日 (日)

ロープウェイ比叡駅

~ おさむの鳥の目213

「駅名ものがたり」には続編がありす。本編は、京福電鉄嵐山線の本線と北野白梅町へ行く支線の各駅について書かれています。これに対し、続編は京都の東北部分を走る叡山電鉄の各駅が取り上げられています。

嵐山線も京都の古い文化に関係深い地名や駅名がたくさん出てきて興味深いのですが、続編の叡山電鉄の各駅も、これに負けていません。取り上げている各駅は、玉依姫(たまよりひめ)の昔から伝えられる「貴船口」など、話題豊富なものばかりです。

これらの中の幾つかを取り上げたいとは思うのですが、丁寧に書いていくと先に進めないので、思い切って一気に最終まで行ってしまいます。叡山電鉄の目的の一つは比叡山へ行くことですから、少なくともこの線の終点である「八瀬遊園駅」くらいにはページを割くべきところですが、先を急ぎます。

叡山本線の終着駅である「八瀬遊園駅」の近くには「ケーブル八瀬遊園駅」があり、ケーブルカーで山に登るようになっています。この鋼索道線は、大正十四年(1925)に敷設されたもので、延長1458メートル、所要時間約9分。平均勾配23.8度。急勾配度東洋一といわれているそうです。

終着駅の名前は「ケーブル比叡駅」で、そこから先はロープウェイで山頂へ行きます。駅名でいうと「ロープウェイ比叡駅」から「ロープウェイ比叡山頂駅」です。このロープウェイは昭和三十一年(1956)開通、距離は0.5キロメートル、正式には架空索道というのだそうです。

駅名は、言うまでもなく駅舎が所在する山の名前で、古くは日枝山と書き、大山咋神を祀る霊山として神聖視されてきたが、伝教大師最澄が王城鎮護のため山頂に延暦寺を建立して以来、比叡山と改められたとあります。

比叡山は、都の東北にそびえ、北は比良山系に連なり、京都と滋賀県にまたがっています。私のように、京都市に生まれ、そのまま80年を越えて住み続けている者にとっては、比叡山を京都のものと考えてしまいやすいのですが、それは間違いで、滋賀県側とのつながりが強いことを付け加えねばなりません。

ケーブルカーも、上記京都側からだけでなく、滋賀県の坂本から登るルートも有力であることを強調しなければなりません。歴史的、文化的にも重要な要素が多くあります。

さきほど、「比叡山は、都の東北にそびえ」と書きました。これに対し、京都には西北にそびえる山があります。愛宕山です。私は京都盆地の西の方に住んでいますので、この愛宕山に近く、思い出もたくさん残っています。

そこで、この「ロープウェイ比叡山頂駅」に関連して、愛宕山のことが出てくるのが印象に残りました。比叡山と愛宕山とどちらが高いかという“京ばなし”です。

「おれのほうがお前より高いぞ」、「いいや、おれのほうが高いんや」と両者が背の高さのことで言い争いになったという話で、気の短い比叡山が、「俺のほうが高いというのに判らんか」と言うが早いか愛宕山の頭をポカリ。たたかれた愛宕山の頭にこぶができた。

このこぶの分だけ愛宕山が高くなり、洛中第一の高い山(924メートル)になったという話です。たしかに、愛宕山の山頂にはこぶのような小山があって、これが愛宕山の形を特徴づけています。

この話は、「短気は損気」の教訓をものがたる“京ばなし”ということです。歴史が古いだけに比叡山には数多くの伝承がありますが、今回ご紹介するのはこの程度にしておきます。

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