2017年8月23日 (水)

京都大文字の「鳥居形」

~ おさむの鳥の目209

8月16日は、京都五山の送り火の日です。

ご承知の通り、大文字は「大」、「妙法」、「船形」、「ひだり大」、「鳥居形」の五つがあります。この内、「鳥居形」は、京都盆地の中心地からは、西へ大きく離れていて、その上、「鳥居形」のある山は低いため、あまりよく見えないという欠点もあるため、上記五つの大文字の中では、最も知名度が低いとされています。

しかし、私にとっては、唯一、自分の家から直接見ることができる大文字であり、大変かかわりの深いものでした。昔のことになりますが、子供の時は、自宅の二階の窓から、直接きれいに見えました。このような次第で、この「鳥居形」は、私にとっては特別の存在で、大文字といえば、「鳥居形」が頭に浮かびます。

そして、この「鳥居形」は、ほかの大文字と違って、あらかじめ定位置に設置された薪に火を付けるのでなく、火の付いた薪を人が担いで所定の場所に置いていくという方法で文字を作っていきます。

したがって、遠くから見ると、山肌を火が走っているように見えます。以前、嵐山の渡月橋の上から、その様子を実際に見たことがありますが、遠くて暗いため担いでいる人の姿は見えません。したがって、どう見ても本当に火が走っているとしか言いようがないと思いました。

これは普通に遠くから見た話ですが、今回は、テレビの映像で、解説付きで見ましたので、実際の姿を手に取るように知ることが出来ました。所定の位置というのが、金属製の固定された設備で、運んでいった火の付いた薪を差し込むような形で固定するようになっていました。

問題は燃えている薪を担いで走る経路が登り坂を含むことです。最大45度の登り坂を駆け上がるのは重労働で、これは若い人の担当です。このように、全体として作業が成り立つよう長年の経験で、うまく組織されているようです。

これは「鳥居形」の運営面からの話ですが、見る側から言うと、冒頭に書きましたように、今は、家の窓から見ることは出来ませんが、2~3分歩いた所にある高台から見えます。

周りの状況が変わるので、年が経つにつれて、見え方が少し変わってきます。今年は鳥居の形が正面からしっかり見えました。実物を直接見ることには、大きい意味があると思っていますので、これは幸運と感じています。間に大きい建造物でも出来ると、全く見えなくなる可能性はあるので、現状は満足すべきものと言えます。歴史に直接触れる数少ない接点ですので、大事に考えたいと思っています。

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2017年8月19日 (土)

オハイオございます

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 173~

仕事柄、米国からの仕事仲間を日本へ迎える機会が多いのですが、その際、日本での生活に最低限必要な2つの簡単な日本語を教えるようにしてます。

それは「おはようございます」と「どうもありがとう」。日本人と交わす頻度の多い、最も基本的な日常の挨拶です。米国人がこの2つの言葉を口にするだけで、ラーメン屋の店員さんや初対面の方の態度や印象がガラリと変わります。まさに言葉のチカラですね。

こんな「おはようございます」と「どうもありがとう」を日本語完全初心者の米国人にどう教えるか? ここが工夫のしどころ。その秘訣は、米国人にとって馴染み易い言葉に置き換えること。

まず、「おはようございます」は、「オハイオございます」と教えます。

「オハイオ」は米国の州の1つで、米国人なら誰でも知っている地名。米国の真ん中あたりの最も北側、カナダとの国境沿いに位置し、気候は良好でとても過ごしやすい土地。オハイオ州の北は広大なエリー湖に面し、森林地帯や野生動物も多い素敵な場所なのです。そんな爽やかなイメージのオハイオから、爽やかな朝の挨拶「オハイオございます」と覚えてもらいます。

この記憶法の問題点は、オハイオ州の隣の州で、同じように爽やかイメージの「イリノイ」と混同し、たまに「イリノイございます」と挨拶する米国人がいることでしょうか。イリノイ州もそれなりに爽やかなのですが、広大な平原地帯しかなく、爽やかな大自然の朝のイメージはオハイオ州ほどではありません。

2つ目の「どうもありがとう」は、「どうもアリゲーター」と教えます。

「アリゲーター」は米国南部に生息するワニで、米国人なら誰でも知ってる動物。アリゲーターはとても温和でおとなしい動物で、以前はワニ革の貴重な供給源として人々から感謝されてました。そんなワニ革に感謝イメージのアリゲーターから、感謝の言葉「どうもアリゲーター」と覚えてもらいます。

この記憶法の問題点は、別のワニの種類「クロコダイル」と混同し、たまに「どうもクロコダイル」と感謝する米国人がいることでしょうか。クロコダイルはアリゲーターに比べてかなり獰猛かつ狂暴で、感謝のイメージにはまったく似合いません。

さて、こんな外国語の記憶法ですが、別に目新しいものではありません。難解な英単語を日本語との語呂合わせで記憶した方も多いのではないでしょうか。私の記憶法を以下に少し紹介します。

amnesia (記憶喪失、健忘症): あ~むなしい、記憶喪失 
asthma (喘息):東(あずま)さんは喘息
atelectasis (無気肺):ムキになってアテレコ
elucidation (説明):居留守でションベンしたと説明
hallucination (幻覚):春、死ねと幻覚
osteoporosis (骨粗鬆症):押す手をポロリ、骨粗鬆症
ubiquitous (どこにでもにある):指切った事故はどこでも起こる
ulcer (潰瘍):あるさぁ、胃に潰瘍が
tremendous (とてつもなく大きい):鳥が目を出すほど大きい

下品な記憶法ばかりでスミマセン。そこで、本エッセイの最後は高尚なお話で締めましょう。

最近、日本では絶滅した野生カワウソと思われる動物が、長崎県の対馬で撮影されました。もし、これが二ホンカワウソであれば大発見となります。

カワウソは英語で otter(オッター)。ちなみにラッコは sea otterと、同じイタチ科らしい名前。日本のラッコは北海道沿岸に細々と生息してますが、ニホンカワウソは残念ながら絶滅してしまいました。「むか~し昔、日本にはカワウソがオッターそうじゃ~」と覚えましょう。

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2017年8月10日 (木)

18年振り訪問の富山

~ わさくの悪知恵 203 

先日、酷暑の中を18年振りに富山市を訪れた。

我が仕事の彼の地の得意先の取締役が亡くなられ、その方を「偲ぶ会」に会社代表として出席のための日帰り出張だ。

現我が社の陣営では一番私が縁が深いと思われる得意先なので、今回は私から立候補で出席を申し出た。

私が営業職を上がったのがちょうど18年前で、富山訪問はそれ以来となる。

北陸新幹線にも初乗車。ちょうど夏の臨時便で往復できたので、東京から富山までの停車駅は上野~大宮~長野~富山のみ。東京から富山まで2時間10分で到着。つくづく便利な時代になったと思う。

当時を振り返ると、まず福井へ米原経由で移動して~金沢~敦賀へ戻り富山入りし、富山で一仕事終えて空路東京に帰還という北陸1週間のルーティングを組んでいたことをしっかり覚えている。

さて、富山駅に到着してみると・・・・ 

さすがに18年振り、まさに浦島太郎状態だ!

Photo_2富山県には先のルートで毎月ベースで15年通い、ほぼ県内全域を廻らせてもらったとの記憶がある。

今振り返ると言葉に言い表せないほど現地の皆さんに良くしていただいた。その感謝の意は現在も時が経つほどにさらに深くなってきているような気がする。当然我が営業成績も富山が飛び抜けていた。

特に今回亡くなられた方にはお世話になった。2つ思い出に残るその方に纏わる話がある。

まず営業の駆け出しとしてデビューしたての我が20代半ば、ちょうど大雪が降っている日に訪問していて、それに備えるべく靴を履いていない私に「早く雪靴を買って来い!」と説教をもらった事。

2つ目はそれから時が経ち、営業職自体も大分慣れてきた頃に、そちらの会社でいつもいただくお番茶がとても美味しいのでどこで買って帰ったら良いか訊ねたら、「これ持ってかれ!」と大きなそのお茶の一束をいただいた。帰京してすぐにお礼の品を送ったらご丁寧にお礼状をいただいた。この流れ実に勉強になった。

それらを除いても、私が富山大好きな理由がある。

それは「食文化の豊かさ」だ!

もちろん日本海で採れる美味しい魚系を筆頭に、(何人かの富山の方々にそれは「日本海」ではなく「富山湾」だと指摘されたこともあるが・・・・)たくさんの美味しい食材が年間通して賞味でき、それらを提供するお店がたくさんある。

当時出張をしていても俗に言う「一人飲み」(現在の「ボッチ飲み」?)が得意でなかった私だが、富山には何軒かそれができるお店があった。それらのお店に入っていくと、大体そこの大将やマスターが笑顔で閉口一番「いつから来とられたん?」と問いかけてくれ、それだけで癒されていた感がある。

今回時間がない日帰りの中、どうしても食したいと思っていた「富山ブラックラーメン」の元祖。本店は車で行き来しないと難しい場所なので、ダメ元でよく通った富山駅から市電に乗って少しの支店に足を運んでみた。やはり18年の歳月は重く、その支店は見事になくなっていたというか、その通り自体が区画整理されていた。

次回富山を訪れるのはたぶん仕事の絡みがなく、ゆっくりとした個人旅行でのものになると予測する。

そしてそれはそれほど遠くない日になると期待している。

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2017年8月 1日 (火)

インドの食文化を初体験

~ soji の今日もワクワク 229  ~

「カレーはスプーンより、素手で食べる方が美味い」

人気落語家、春風亭昇太がラジオで話していたコメントです。カレーにも造詣の深い昇太師匠、本場インドの食習慣通りに食べたところ、はまったそうです。毎日が初体験を継続中の私、早速トライすることにいたしました。

食卓に上った我が家のカレーライス。ご飯の上にかかったカレールー。横に福神漬けとラッキョウが乗っている、ごくごく定番のものです。スプーンを使わず手で食べようとしたのですが・・・無理、どうしても出来ませんでした。にぎり寿司は素手でつまめるけれど、ちらし寿司に指を突っ込む気にはなれない。そんなたとえで分かっていただけるでしょうか。

自宅のカレーライスを素手で食べるには抵抗がある。それじゃあ本場のインドカレーでチャレンジするしかありません。ネットで調べたところ、手で食べられる店を発見。早速行ってきました。

八重洲地下街にあるカレー専門店「エリックサウス」。平日の夜7時ごろに訪ねると、こじんまりとした店内はほとんど満席。一人だったので、運よくカウンターの端に通してもらえました。手で食べられるとネットで紹介されていましたが、誰もがスプーンで食べています。不安になり、店員に確認してみると大丈夫です、と。定番メニューを頼んでみました。水と一緒に出てきたのはフィンガーボール。もう後戻りはできません。

やがて出て来たのはお盆くらいの大皿。真ん中にぱさぱさしたタイ米のライス。その上にパパドと呼ばれるせんべい。横には黄色いサフランライス。そして4種の椀に入った4種類のカレールーとヨーグルト。

Imag0191










食べ方を教えてもらえると期待していましたが、店員は皆忙しく、誰も構ってくれません。しかたなく、スマホで映像を検索し、左手でスマホを眺めながら、トライしてみました。(https://www.youtube.com/watch?v=AcQKYxzVqcA)

カレールーは湯気がたっています。それをライスにかけて恐る恐る指を突っ込むと・・・熱いじゃあないですか。ガマンしながらワシワシと指でまぜていくと、いつの間にか熱さは消えました。一つまみして口に入れてみます・・・

実を言うと、味は良く覚えていないのです。なぜならば、3つの罪の意識に苛まれ、とても味わう気になれなかったからです。

まず一つ目は手づかみで食べること。カウンターの隣で食べていた女性二人組。私が手で食べ始めると、息を飲むように会話が止まりました。その後凍ったような空気が。私は恥ずかしくてとても横を見られませんでした。

二つ目。指でつまんだカレーは崩れてしまうため、口まで運ぶことができません。どうしても口から迎えに行くことになります。昔から行儀が悪いと言われた「犬食い」となってしまう。これがどうも良心をとがめるのです。

そして三つ目。インドでは左手は不浄の手。決して使ってはいけません。ですからコップの水を飲むのも右手。どうするかというとその都度フィンガーボールとおしぼりで手を洗ってからコップをつかむ。油までは落ちず、どうしても コップを 汚します。これがなかなか耐えられないのですね。

こうしたことは、実際に体験してみないと、決してわかりません。毎日は初体験活動は、実は大きなチャレンジ活動でもあるのです。

しかし、日本国内でインドと同じような食べ方が出来るとは思いませんでした。経済成長の著しいインド。これまで以上に多くのインド人がやってくる日も近いでしょう。その際、同席した食事で同じように手で食べられたら、きっと喜んでくれるに違いありません。

今度は仲間を募り、同じ店に行くことを予定しています。たった一人での私のチャレンジを、称えてくれた人たちです。皆でカレーを素手で食べるところを、他のお客に見せつけてやるつもり。あらためてインドの食文化を堪能してきます。

あ、スプーンと素手と、どちらが美味いか。これはまた別のところで実験してみます。大皿の中央にしゃもじでよく切ったライスを乗せ、同じルーをかけて食べ比べる。結果についてはしばらくお待ちを。

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2017年7月24日 (月)

「大きい嵯峨野」と「小さい嵯峨野」

~ おさむの鳥の目208

数年前に国内旅行で旅館に泊まった時、帳場で宿泊者住所氏名を書きました。そのとき、「京都市右京区嵯峨野」と書いたところで、「嵯峨野に住んでおられるのですか。よい所に・・・」と言う声が返ってきて、「嵯峨野」の知名度は殊のほか高いのだと思いました。

雑誌などで企画に困ったとき、「嵯峨野特集」にすればよいというのが定番になっているとも聞きますから、嵯峨野はそれだけのビッグネームなのかも知れません。

しかし、上記の会話は、ほとんど立ち話程度の話しですから、ここから先に会話が進むことはなく、ここまでなら、何の問題もないのですが、実は私の頭の中では「実際は違うのだがな。」という思いが消えることはありません。

同じく「嵯峨野」という言葉を使っていますが、その内容が違っているのです。もちろん、先方は雑誌の「嵯峨野特集」に出てくるような「嵯峨野」を頭に置いているに違いないのですが、私は、「それは違う」という思いを消すことができないのです。

「住んでおられる」という言葉が出ていますので、「自分が住んでいる所=右京区嵯峨野」はどういう所か」という考えが、どうしても頭の中にわっと出てきてしまいます。「右京区嵯峨野」は行政上の正式な名称で、実際には、小学校の学区一つ分くらいの面積です。

雑誌の「嵯峨野特集」に出てくる地域は、嵯峨野学区よりは遥かに広い面積です。西隣の「右京区嵯峨(旧葛野郡嵯峨町)」の全体を含む広い地域です。そして、その中には、「京都・嵯峨野」として描かれている所謂「よい所」がすべて含まれているのです。これが「大きい嵯峨野」です。

これに対して、私が住んでいる「右京区嵯峨野」(小さい嵯峨野)は、単なる住宅地であって、「よい所に住んでおられますね」などと言ってもらえる地域ではありません。そういう事情がありますので、ほかの人から掛けられた言葉に対して、私の頭の中では「それは違う」という思いが強く出てしまうようです。

ここで、少し嵯峨野について、客観的な説明を書きますと、ウィキペディアによれば、「嵯峨野は、京都府京都市の地名、太秦・宇多野の西、桂川の北、小倉山の東、愛宕山麓の南に囲まれた付近に広がる広い地域の名称である。」となります。

細かいことは別にして、雑誌の「嵯峨野特集」に出てくる広範な「嵯峨野」と、嵯峨野小学校の学区という狭い地域を指す場所とが、同じ「嵯峨野」という言葉で表されるという不都合な実態が存在するのです。

私の家の最寄り駅は、京福電鉄嵐山線の「有栖川」です。以前はこの駅の名称が「嵯峨野」でした。その当時は、観光客が間違ってこの駅で降りて、「さて。どちらに向かって歩けばよいのか」と戸惑うことがありました。

京福電鉄の「有栖川」(旧「嵯峨野」)駅は、嵯峨野観光の基点としては全く適していないのです。そこで駅名が変更されて、現在の「有栖川」駅になり、この問題は解消されました。

しかし、問題解決とならないのは、依然として「大きい嵯峨野」と「小さい嵯峨野」が並存していることです。駅名の方は観光客が困ると言う大儀名分があるので改善されましたが、「大きい嵯峨野」と「小さい嵯峨野」の並存は困る人がいないので、改善される見通しはないようです。

ところで、現在の嵯峨野小学校の学区という狭い地域を、なぜ「嵯峨野」と言うようになったかについて、一つの仮説を唱えた人がいます。それは、昔。平安京に住んでいた人が、京都盆地の西の方(=嵯峨野)に向かって小旅行に出た時、「もうこの辺りまで来れば嵯峨野だよ」と言ったのが始まりではないかというものです。

安直な考え方ですが、意外にも、これが正解に近いのではないか、とも思います。

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2017年7月19日 (水)

童謡に歌われた「獲得形質」と「遺伝形質」

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 172~

トンボは青く澄み渡った秋の空を飛んでるイメージがありますが、実は、今頃の季節、夏の方が種類・個体数ともに多いとか。夏の間、薄暗い林の中や高い山の上で目立たないように生活していたトンボが、秋になって産卵のため里の水辺や田んぼに集まってきます。

そんな身近なトンボですが古くは秋津(あきづ、あきつ)や蜻蛉(かげろう)と呼ばれ、多くの詩歌に詠まれてきました。万葉の時代、稲の収穫前に群れ飛ぶトンボは豊作・豊穣の象徴。童謡「赤とんぼ」の歌詞とメロディが、多くの日本人に郷愁と安堵の気持ちを誘うのは、そんな古代人の記憶が現代人の遺伝子にも深く刻みこまれているからでしょうか。

現代に生きる日本人の遺伝子を刺激する「赤とんぼ」の歌ですが、トンボを歌った童謡にもう1つ有名なのがあります。それは「とんぼのめがね」。

♪ とんぼのめがねは水いろめがね
♪ 青いお空をとんだから とんだから

♪ とんぼのめがねはピカピカめがね
♪ おてんとさまを見てたから 見てたから

♪ とんぼのめがねは赤いろめがね
♪ ゆうやけぐもをとんだから とんだから
(作詞 額賀誠志、作曲 平井康三郎)

「とんぼのめがね」は、保育園や幼稚園で多くの方が口ずさんだことがあるような定番中の定番童謡。実はこの歌、幼い園児たちには到底理解出来ないような深~い意味を持ってます。「トンボの目の色が、空の色によって変化する」という、生物に及ぼす環境の影響を歌った童謡だったのです。

通常、生物の形や色といった特徴や性質(形質)は親から子へと受け継がれます。それが「遺伝形質」。ところが、この童謡で「トンボの目の色」を決定するのは「空の色」という外部環境。親から子へ、子から孫へ代々引き継がれる「遺伝形質」に対し、「空の色」のような環境の影響によって後天的に獲得した形質を「獲得形質」と呼びます。

生物学の常識は「獲得形質は遺伝しない」こと。つまり、生まれた後、「空の色によって変化したトンボの目の色」は、次の世代に受け継がれることはありません。親から子へ性質や能力が遺伝するのは親から子へ遺伝子が受け継がれるからですが、後天的に獲得した「獲得形質」の情報が遺伝子に書き込まれることはありません。(最新の研究では「獲得形質」の一部で次世代へ引き継がれるものがあることが分かってきましたが、それはまた別の機会にでも)

環境の影響による「獲得形質」を歌った童謡は「とんぼのめがね」だけではありません。なんと、他にもありました。しかも、あの北原白秋の作詞によるもの。

♪ 赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い
♪ 赤い実を食べた

♪ 白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い
♪ 白い実を食べた

♪ 青い鳥 小鳥 なぜなぜ青い
♪ 青い実を食べた
(作詞 北原白秋、作曲 成田為三)

北原白秋は、童謡「赤い鳥 小鳥」で環境の影響による「獲得形質」を語りました。「とんぼのめがね」より30年も前のこと。

「獲得形質」を歌った童謡が続きましたが、次に、親から子へと受け継がれる「遺伝形質」を歌った童謡も紹介しましょう。

♪ ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね
♪ そうよ かあさんもながいのよ
(作詞 まどみちお、作曲 團伊玖磨)

2014年、104歳で亡くなったまどみちおさんは、童謡で遺伝を語りました。ゾウの鼻が長いのは親から引き継いだ「遺伝形質」。ゾウがゾウである所以です。

童謡に歌われた「獲得形質」と「遺伝形質」。童謡って結構奥が深いんですね。

最後に、童謡ではありませんが、北原白秋の詩「薔薇二曲」を紹介しましょう。

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

バラの木にはバラの花が咲きます。当たり前過ぎて何の不思議もありません。つい見過ごしてしまいそうな「遺伝形質」を前に、白秋は生命の神秘を感じたのでしょうか。

白秋は、童謡「赤い鳥 小鳥」で「獲得形質」を語り、詩「薔薇二曲」で「遺伝形質」を語りました。なんと今から100年ほど前、大正時代始め頃のこと。恐るべし、白秋。

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2017年7月11日 (火)

1995年1月17日

~ わさくの悪知恵 202

先日の7月第2週末に2年振りに神戸を訪れた。

神戸を訪れると大体立ち寄るスポットがある。

神戸港中突堤横のメリケンパークに隣接する「震災メモリアルパーク」だ。

Photo_2立ち寄る度にもう22年前のあの「1月17日」を思い出す。

当時の私の仕事は営業職で旅芸人的な生活を送っていて、割と脂が乗ってきた時期かと記憶している。

1月17日も、午前中は都内の得意先を訪問~帰社~夕方に大阪移動で、1週間の三都物語のルートを予定していた。

前日が成人の日の振替で3連休の後の火曜日の朝、都内の得意先に直行すべく自宅最寄りのJRの駅に行くと、関西地区で地震があったとのアナウンスがあった。当時はまだインターネットもそれほど普及しておらず、ましてやSNSなど全くない時代だ。

状況もそれほど詳しく把握できず、午前中の仕事を終え、事務所へ戻り段々と様子がわかって来たが、予定通りに夕方大阪まで移動できるだろうと安易に考えていた。

その状況がしっかりとわかったのが、遅い昼食を取りに行った職場近くの定食屋のテレビニュースで映っていた崩壊した阪急伊丹駅を見てからだ。半端でないダメージに愕然とし、近くに前年から取引をはじめた得意先があったので急に心配になってくる。

急いで事務所に戻り関西方面に電話をかけるが繋がらない(この状態はしばらく続き、何故か公衆電話からは繋がったので頻繁に利用した記憶がある)。

しばしテレビのニュースからの情報を収集するが、現在と比べるとオンタイムで入って来る情報はかなり限られていたのではないかと思う。何しろネットニュースやSNSがない時代なのだから。

神戸、淡路地区が震源となった大地震の発生を認知し、その週の出張をキャンセルとして夕刻予定外で帰宅する。

母が神戸出身で一番上の年老いた姉が一人で住んでいたために、帰宅してすぐに実家へ立ち寄る。

じっと食い入るようにテレビニュースを見ていた母。相当なショックの様がすぐわかった。

2日後に奈良に住んでいる従兄が避難所にいた伯母を発見し、彼の自宅に連れて帰ったと連絡が入り一安心したのを思い出す。伯母の家は全壊だった。

それからしばらくは京都、大阪まで行けてもそれ以西はわが行動範囲からすると阪急西ノ宮北口までしか行くことができず、やっと神戸まで行けた際に実際に自分の目で見た「壊れた」三ノ宮駅周辺の風景は鳥肌が立つほど怖かった。

現在神戸に行ってみればその風景は震災前に戻っているかのように思えるのだが・・・・

あれから22年の間に東日本大震災を筆頭に、つい最近も九州の豪雨などいくつかの災害が発生している。

それらを風化させてはいけないとの思いがあり、神戸を訪れたらできる限り「震災メモリアルパーク」に立ち寄るようにしている。

1月17日5:46AM。これからも忘れない!

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2017年6月30日 (金)

嫌いなモノの魅力

~ soji の今日もワクワク 228 ~

私はピーマンが嫌いです。あの苦み、なぜ食卓に上るのか理解できません。出されれば食べますが、特別美味しいと思ったことはありません。

前回ご紹介した「毎日が初体験」活動。まずは今まで決して頼まないメニューを探すことです。よく行く立ち食いそば屋で見つけたピーマン天。今回は勇気を出して頼んでみました。

出されてびっくり。ピーマンが丸ごと、それも2個も乗っているではありませんか。私が知っているのは、タテに2つに切り、中のタネを取り出してからコロモをつけて揚げるもの。しかしこの店のは違ってました。

丸ごとですからおそらく揚げる前に湯がくのでしょう。タネの詰まった茎の付いた側からかぶりつくと、思ったよりも軟らかい。もちろんタネもそのままいただけました。味はというと、あの特有の苦みがありません。ほのかに感じるだけ。それほど不味くはないな、というのが第一印象でした。

毎日が初体験。他人に話すと関心を持って聞いてくれます。ピーマン天を初体験、と聞いて、何人もの人にイヤな顔をされました。どこでもピーマンは嫌われモノのようです。

丸ごと出て来た。タネまで食べられた。2個乗っていて380円で満腹感。そんな話をしていつも質問されるのは、

「それって美味しかったですか?」

さて、どうだっただろう。さほど苦みがない。意外と不味くは無かった。その程度の感想しか持たないことに気づきました。うーん、他人に伝えるには今一つインパクトにかけるな。で、再度食べに行ったのです。

今度は前回と違い、タネのある方とは逆の、先の方から食べてみました。するとどうでしょう。あの特有の苦さがきちんと広がるではありませんか。

「ん?」

気が付いたのは、苦みの奥にほのかな甘みを感じたこと。新鮮な野菜に共通する、あの甘さです。ピーマンの先から食べ進んで、最後はタネのある茎のまわり。前に食べたとおりほとんど味はありません。そのため特有の苦みをいい感じで緩和してくれて実にウマい。これが正しい食べ方か。ピーマンは、正しく食べるとこんなに美味しいモノなのか!!!

どんな野菜でも採れたては美味しいと聞きます。食べたピーマンは採れたてだったか分かりませんが、一番味の詰まったところから食べ進めると、実に美味しくいただけることを発見しました。

誰でも嫌いなモノはあります。嫌いだから食べない。美味しいからと言われても、かたくなに食べない。でも皆が皆、嫌いというわけではありません。好きな人がいるから世の中で生き残っているのです。そこには評価されるだけの魅力が必ずある。自分では理解できない。いや、しない。それだけです。

歳をとると考え方が固定化し、視野が狭くなります。だから頭もカタくなる。新しい発想が出なくなる。今まではそれで済んだかもしれませんが、これからはダイバーシティ(多様性)が求められる時代です。意固地では生きづらくなる。火を見るよりも明らかです。

自分が嫌いだからと言って、魅力がないとは言い切れません。むしろ自分の嫌いなモノの魅力を評価し、積極的に取り込もうとすることが重要ではないでしょうか。手垢の付いたたとえで恐縮ですが、幕末、日本の夜明けを目指すために、自分を捨てた土佐藩まで取り込もうとした坂本龍馬を思い出します。

閉塞感に満ちた現代。ひょっとすると、幕末のころに似ているかもしれません。

「小さなことに、こだわってたらいかんぜよ!」

毎日が初体験。これからも続けて行きます。

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2017年6月23日 (金)

同期会

~ おさむの鳥の目207

先日、大阪で、昔の勤務先の同期入社の人達の、集まりがありました。同期というと、多くは学校関係の同じ学年でともに学んだ人を指します。しかし、大きい会社に就職した場合、同期入社の人も多く、同期会が作られることも珍しくありません。

先日行われた会は、その同期入社の人達の集まりです。私の場合は、小学校、中学(旧制)、高校(新制)、大学(新制)のそれぞれに同期会があり、それらが現在も存続しています。卒業後年月が経っていますので、集まる人数は減っていますが、幸い上記が現在まで続いています。

先日集まった友人の話では、以前は定期的に行われていた同期会も、だんだん減少してきて、現在も続いているものは少数になっているようです。

ついでながら、幼稚園の同窓会というのはあまり聞いたことがありません。しかし、私の場合は、全く存在しないとは言い切れないと思っています。と申しますのは、私は電車を利用して、隣町の「嵯峨幼稚園」に通っていました。

嵯峨幼稚園を出た人は全員が嵯峨小学校に入りましたが、私は一人、居住地の嵯峨野小学校に行ったので、幼稚園の友人とは、その時点で一度分かれました。ところが、中学で合流し、「○○チャン」という関係を取り戻したので、私にとっては、やや変則ながら、幼稚園の同窓会があるかの如き形になっています。

ところで、話は変わりますが、昨年、「京都ぎらい」という本がよく売れて、「2016新書大賞第一位」に選ばれました。「ええか君,嵯峨は京都とちがうんやで・・・・」と裏表紙に印刷してあります。

また、表紙には「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」とも書いてあるように、京都では、洛中の人が、洛外の人を、さげすんで言う風潮があるということを、主題のひとつにしているのです。

偶然ですが、来週、上記旧制中学の同期会が開かれます。戦時中のことですから、学区制は画一的に実施されていて、生徒の住んでいる場所と入学する学校は明確に決められていました。

そして、その学区制からすると、卒業生には、上記「京都ぎらい」に言う「洛中の人」と「洛外の人」の両方が含まれています。私は、住んでいる場所からすると、「洛外の人」なのですが、母親が生まれも育ちも生粋の「洛中の人」だったので、感じ方からすると、自分が洛外の人間であるとは思っていませんでした。

このように、私自身は、「洛中の人」「洛外の人」の区別にはあまり関心がないままに時を過ごしてきました。そこで、今、洛中、洛外ということが言われているのを耳にしますと、あまり意味がないと感じます。

「鳴くよ鶯平安京」という言葉があります。受験生が「平安京が出来たのは、794年」と覚えるための決まり文句です。洛中と言うのも平安京以後のこと、それまでは、どうだったかと言えば、「ええか君,嵯峨は京都とちがう・・」の嵯峨の方がはるかに進んでいた。聖徳太子時代の秦氏の業績を見れば明らかです。

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2017年6月18日 (日)

海外出張に持参すると意外に活躍する小物類たち

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 171~

海外出張の際、必ず持参する小物類があります。パスポートやクレジットカードなどのように絶対必須というモノではありません。無ければ無いでどうにかなりますが、あると「こりゃ便利」というシロモノです。

まずは室内用スリッパ。どんなホテルでも歯ブラシとスリッパが備わっているのが日本の常識ですが、海外では違います。特に米国のホテルには、どちらもありません。宿泊客のマイ歯ブラシ持参は常識ですし、ベッドやシャワーに入る直前まで靴を履いてる文化ですから、スリッパは不要なのです。でも、私を含め大方の日本人は、ホテル室内でスリッパがないとなんかソワソワ。

そんな時は薄っぺらな安物スリッパの出番。クルクルっと丸めればおにぎりより小さくなりますし、なにより軽い。ホテルのベッド横にスリッパがあるだけで心が落ち着きひと安心。

2つ目の小物は「耳かき棒」と「足裏マッサージ棒」。これらも生活必需品ではありませんが、仕事が終わった後、疲れた身体を癒やしてくれます。乾燥し過ぎるホテルの部屋での耳かき、そして、シャワー後の足裏マッサージは至福のひととき。明日への活力が沸いてきます。

3つ目は食事のお供。腹が減っては戦と仕事が出来ません。でも、海外での毎日の朝食はとっても単調かつ大味で、すぐに飽きてしまいます。仕事の都合などでランチを食べられないこともありますから、いくら不味い朝食でもお腹に入れておきたいもの。そんな時は醤油とふりかけ。

私がいつも持参するのは、スティック状に小分けされたキッコーマン「丸大豆醤油」と、丸美屋「おとなのふりかけ」。スクランブルエッグやソーセージには丸大豆醤油をかけて。そして、オートミールにはふりかけ。これで和風テイストに早変わり。香りと味がみるみる激変します。

さて、食事とともに極めて大事なのは睡眠。時差ボケの中、夜の睡眠の深さは出張の成功を決めると言っても過言ではありません。

熟睡のために私が持参するのは、「青森ヒバの香りエキス 小瓶スプレータイプ」。枕元にサッとひと吹きすれば、周囲は森林の香りに包まれ心からリラックス。森林浴の気分に満たされながら、深い眠りに落ちていきます。

最後は洗濯用洗剤。2週間以上の出張では洗濯が必要です。そんな時に大活躍するのは、小袋に小分けされた花王の「部屋干し用アタック」。さっと溶けて、泡立ち抜群。しかも部屋干ししても匂いません。こんなスグレモノが日本では100均で買えます。

ほんのちょっとの工夫で楽しい出張。そして仕事の成功へ。大事なことはルーチン小物類を常に持参し、アウェイ戦をホームゲームの気分にすること。私なりの勝利の方程式です。

ところで、今回のエッセイ、米国出張からの帰国便の機内で書いてます。足裏マッサージ棒で足裏をマッサージしながら。

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