2012年1月24日 (火)

聖徳太子の地球儀 

~ おさむの鳥の目142 ~

先日、TBSテレビの「世界初公開!夢の古代秘宝史上空前の大発掘SP」を見ていたら、その中に「聖徳太子の地球儀」というものが出てきました。

数年前に、同期生60人ほどで続けているメーリングリストの中で、谷沢永一さん(関西大学名誉教授)の著書「聖徳太子はいなかった」など、聖徳太子不在説が話題になったことがありました。

過去に話題が集中したテーマは何だったかという観点から、たまたま聖徳太子について考えようとインターネットで調べていたところ、中村諭という人が書いた「聖徳太子」というサイトがありました。目次を見ていると、その中に「聖徳太子の地球儀」という章があり、珍しい話だと思ってその章を読みました。

そして、まったく偶然なのですが、その日の夜に、上記のTBSテレビを見て、その地球儀の映像を見ることができたのでした。

そういう訳で、聖徳太子の地球儀というのは有名なのだなと思い、Googleで検索しますと、フリー百科事典ウィキペディアに出ていて、「聖徳太子の地球儀は、兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わるソフトボール大の地球儀のこと」 という説明がありました。そして、材質は石灰や海藻糊、漆喰の技法で造られた可能性が高い、製作年代は、江戸時代に作製された可能性が高いと書かれています。

製作年代が江戸時代であるということは、聖徳太子の時代とは千年の開きがあります。江戸時代に製作されたと判断される理由は、地球儀の表面に「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字が書かれているからです。

「メガラニカ」とは、古代ギリシャで、当時知られていた大陸は北半球に偏っているので、バランス上南半球にも大陸が存在するはずと考えられていた想像上の大陸で、日本では江戸時代にならないと知られていなかったということです。

そして、もう一つ重要なのは、この聖徳太子の地球儀には、ムー大陸があったと考えられている位置に、大陸が描かれていることです。

ヨーロッパでムー大陸の話題が大きく取り上げられたのは、もっと後の時代ですから、江戸地代に造られたとされる聖徳太子の地球儀にムー大陸が描かれているというのは、通常ではあり得ないことです。

そこで想像をたくましくするのですが、何故、江戸時代に造られた地球儀に「聖徳太子の」という言葉が付くのか、それは斑鳩寺にこの地球儀を造る元になる何かが伝えられていて、斑鳩寺側がこれを造らせたと考えるほかないと思うのです。

とすると、「この地球儀を造る元になる何か」の中にムー大陸に関する情報が含まれていたことになります。私は、そういうことがあったと考えてもよいかなと思っています。そして、この「そういうこと」の中には、ムー大陸は存在したという考え方も含んでのことです。

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2012年1月23日 (月)

早朝の電車の乗客たち

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 106

毎朝の通勤時、私は結構早い時間帯の電車を利用しています。ラッシュ時間の前ですので、電車内の乗客はまばら、空席も目立ちます。

いつも同じ時間帯、同じ車両、座席の場所までほぼ固定ですから、いつのまにか乗客同士が顔見知りとなってきます。お互い言葉を交わすことはありませんが、相手も私を認識しているかも知れません。

そんな中、印象に残っている乗客の方々を、この場を借りてちょっと紹介させて下さい。

まずは、いつもいっぱい書類とノートパソコンを抱えた20代後半らしき知的な女性。電車内ではひたすら書類に目を通しながら、パソコンに向かいます。凛としたその姿の美しいこと。

当初、バリバリのキャリアウーマンの方かとも思いましたが、ビジネススーツでもなく結構ラフな格好。それでいて華やかな雰囲気。

某有名女子大学のある駅で電車を降りますので、おそらく大学院生か研究者でしょうか。電車を颯爽と降りる後姿も絵になってます。

次に紹介するのは、がっしりしたガタイを作業服に包んだお兄さん。頭は金髪、耳にはピアス。決して笑顔を見せず小難しい顔で、いつも腕を組み、両足を大きく開いて座ってます。

そんな、ちょっと強面のお兄さんですが、中野駅を過ぎて電車がちょっと込み合ってきた時、杖をついて乗車して来たお年寄りに笑顔で真っ先に席を譲りました。初めて見せた笑顔がとても素敵で、心優しい力持ちのようです。

最後は、新婚さんとおぼしき若い夫婦。夫婦で同じ職場なのでしょうか、いつも2人で仲良く電車に乗り込んできます。2人ともきっちりとビジネススーツ姿。

電車の中では必ず隣合わせに座り、まず手を握り合う。そして、お互いを見つめ合って笑顔で会話。とても微笑ましい風景。たまに私と目が合うと、軽く会釈。

そんな朝の風景が2年くらい続いたある朝、女性のお腹がちょっと大きいことに気付きました。ひょっとして…。

今、その男性は1人きりで乗車し、車内ではひたすら熟睡しています。奥様は産休中か育児休業中でしょうか。そのうち親子3人での出勤風景が見られるかも知れませんね。

早朝の電車はいろんな方の人生を運んでいます。

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2012年1月20日 (金)

新著のご案内

最も大事なことなのに、これまで誰も気づかなかった。
それが具体力。具体力の本がいよいよ1/21発売されます。


夢をかなえる具体力 絶対に身につけたい33のルール」 
                  
     Gutai     さとう秀徳著 総合法令出版刊 

  普通の人は「少々お待ちください」と言い、
  デキル人は「30秒お待ちください」と言う。
  デキル人には、例外なく具体力がある

都内とAmazonは 1/21日(土)発売
1月23日(月)から 全国書店にて発売 。

注目の講演  「売上アップの決め手は具体力」 は こちら

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2012年1月 7日 (土)

クリスマスセール~年始の福袋

~ わさくの悪知恵 140 ~

昨年末の12月25日の夜、私は家族と銀座に出かけていた。

毎年恒例になっているクリスマスイベントに参加した帰路、夜も更け人通りも少なくなった銀座の街を歩いていて、普段余り目にしない光景を眼にした。

クリスマスセール終了からショウウィンドー、店内ディスプレーの変更をしている店がいくつかあった。12月25日の日曜日、人気のない都心の通りと、夜が更けても煌々と明かりがつき忙しそうに店舗ディスプレーの変更をしているその様とのギャップが少し印象に残った。

一週間後、年が明けて出かけた都内のとある量販店。

その店で頼みたい案件があったので、まずお昼前に訪ねる。そこの1階に福袋のワゴンがあり、数人の客が大人しく群がっていた程度であったことをほとんど気にも留めなかった。

頼んでいた案件が出来上がり、引き取りに行ったのがお昼時間もかなり過ぎた約2時間後。

そこでびっくりしたのが先に見てほとんど気にも留めなかった福袋のワゴンである。今度は凄い人が溢れ、福袋の中身があちこちに散らばっている惨状が真っ先に目に入る。

「うぁー凄い迫力!」。見るとワゴンに群がっているのは老若男女様々で表情を見ると少し殺気がかってさえもする。

圧倒されて大人しく頼んでいた案件を引き取って帰路へ。

10数年前に珍しく買った福袋の中身に大失望して以来、全く福袋に興味がなくなった私だが、その光景を帰宅して家族に話したら「最近はどこもそんな風らしいよ。ひと昔前のデパートのバーゲンセールと同じだよ。」と涼しい顔でかわされてしまった。

知らぬは我のみ。年始早々活気のある光景を見させてもらったのは“福”と考えよう。

思えば1週間前のクリスマスセール終了後、銀座で見たあの店たちも福袋を用意していたのだろうなあと振り返るとほのぼのして来る。

2012年、たくさんの“福”を運んできて欲しい。

本年もこの拙筆エッセイへのお付き合いのほどをどうぞよろしく!!

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2012年1月 4日 (水)

おめでとうと言わない新年を迎えて 

~ sojiの今日もワクワク 162 ~

2012年元旦。その夜、私は夢を見ました。
勤務している会社で、私はエレベーターに乗ろうとしています。8階で降りるはずが最上階の10階まで上がってしまい、そのまま降りたらまた1 階。苦笑しながら箱の中に留まり、8階のボタンを探しました。扉に向かって左側を見ると、7階までしかありません。右側にはなんと21階まであるではありませんか。

「あれ、ビルを間違えたかな」 上昇を始めたエレベーターの壁は窓ガラスとなり、突然視界が開けました。こんな構造だっただろうか。ただ地上の風景、広い敷地を持つ家々や、道路 を走る車の姿がはっきり見えます。 今、何階だろう。表示を見たら58階。エレベーターは、まだまだ昇り続けています。これはエレベーターではない。ひょっとすると自分は・・・

気がついたら目が覚めました。携帯電話で時間を確認すると3時33分。何とも目覚めの悪い夢です。携帯電話に夢のあらすじを書きとめ、また眠ろう としたのですが、結局明るくなるまで寝付くことが出来ませんでした。初夢については、元旦に見るもの、翌2日に見るものと諸説あります。しかし2 日は何も記憶がなく、実質、これが私の初夢となりました。

2011年は、大震災一色の、まさに私にとってはそんな一年でした。親戚や知人が災害に巻き込まれたわけではありませんが、会社の工場が被災し てしまい、半年もの間稼働できない状況に陥ってしまいました。9月にようやく復興したものの、まだ震災前に戻ったとはとても言い切れません。そんな職場での仕事のストレスが、年があらたまって夢に現れたのでしょうか。

さらに2011年を振り返ると、年頭の喉の痛みから始まり、歩くのにも支障が出た左足の痛み、急激な減量が原因と思われる強烈な睡魔、歯の痛み、献血を断られたほどの高血圧と、ほぼ一年中病院通いをした記憶が蘇ってきます。肉体的にはもちろん、些末なことに追われ、精神的にもとても厳しい年でした。

毎年12月12日に日本漢字能力検定協会が京都、清水寺で発表する、その年を表した漢字一文字。2011年は、ご存じのように「絆」が選ばれました。皆さんは、ご自分の一年を振り返って、どのような字を選ばれるでしょうか。私は、上記の理由で2011年は「悶」といたしました。身体の痛 みや仕事のストレスで、悶々とした日々が多かったからです。 そんな気分を引きずったせいかもしれません。

例年、私は年賀状で夫婦そろっての写真を送っているのですが、敢えて今年は止めました。直接の知り合いではなくても、フェイスブックにあるように 知人の知人をたどれる昨今です。この震災で、家族や友人を失った人が、私たちの写真を見るかもしれない。こんなご時世の中で、能天気な姿を見せるのはいかがなものかと自粛をしました。

また今年は「おめでとう」とか「お喜びを申し上げます」という表現を避け、干支である竜の絵に「希望持って未来へ飛びたつ!」と墨文字で書いた、 シンプルなデザインを選びました。 本当に、年末から悶々とした気分に浸っているのは私だけかもしれません。世界一になったなでしこジャパンや、レコード大賞をとったAKB48。 セ・リーグを制覇した落合ドラゴンズ(普通なら日本シリーズを制したソフトバンクホークスでしょうが、あえてここはファンであるドラゴンズとさせ ていただきました)や紅白歌合戦に出場した芦田愛菜ちゃんなど、震災で下を向きがちな日本の中で、多くの方々が勇気をもたらしてくれました。

そして新年恒例の箱根駅伝。今年は圧倒的な強さで、東洋大学が往路復路の完全優勝を果たし、早稲田大学に敗れた去年の雪辱を晴らしました。「僕の苦しさはたったの1時間ちょっと。福島や東北の方に比べたら全然苦しくない。少しでも勇気が出たと言ってもらえたらいい」第5区を走った福島県いわき市出身、柏原竜二君のコメントが心に残ります。

「希望持って未来へ飛びたつ!」
2012年、私が選んだ漢字一文字は「望」。「希望」を持って「勇気」を持って今年一年を力強く歩いていく。 私の初夢は決して不吉ではなく、自分を、仕事を、そして日本を、俯瞰で見られる視点を持つように、という啓示と受け止めることにいたします。本年もよろしくお願いいたします。

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2011年12月26日 (月)

明治時代との近さ

~ おさむの鳥の目141 ~

数年前にと言いたいところですが実はそれより少し前、同期生の一人が「70才になると昔が近くなる。200年前のことも年齢の3倍に過ぎない」と言いました。なるほどそうだ、二十歳の人なら200年前は年齢の10倍ということになってしまうのだからと、妙に納得したのを思い出します。

ところで、先日、平成24年の手帳を買い、何の気なしに「年齢早見表」を見て気づいたのですが、私が生まれたのが1932年、明治元年は1868年ですから、その間64年、自分の年齢よりもはるかに短いのです。

と言うことは、日本国の歴史に残る大変革であった明治維新が遠い昔ではなく、自分の生まれた時から遡れば今の自分の年齢よりも短い、それほど遠い出来事ではないという気持になります。

私を育てた母は明治38年生まれ、明治生れとは言っても、明治の世を過ごしたのは、子供の時の7年間に過ぎません。しかし、当時の人は親から教えられたことを守る傾向が強いと、勝手に考えていますので、私としては明治時代の人に育てられた、したがって、明治の人の考えはある程度理解できると思っています。

そして、歳を取ったということから言いますと、ある程度歳を取った人間は、かなり歳の離れた昔の人を直接知っているということがあります。例えば、シャープの創始者である早川徳次(のりつぐ)さん(明治14年・1881年10月生れ)の講演を聴いたことがありますが、私との年齢差は半世紀に及びます。

ある経営者クラスの人たちの会合に、古参の企画スタッフが代理出席するところ、急にその代理として新参の企画スタッフである私が出席して話を聴いたのです。

その講演の冒頭に、早川さんは「ここにお集まりの方々と較べて、年齢だけは私の方が上だ」という趣旨のことを言われましたから、年配の人の中でも早川さんは年長だったのです。

そして、話はズボンのベルトに穴を開けずに使えるバックルの発明や、シャープペンシルの発明など、後に電気製品を製造販売された時よりも遥かに昔のことをたくさん話されました。

私としては、めったに聞けない昔の話を、ご本人から直接聞くことができて、これほど有難いことはないと、細かいところまで印象深く記憶に留めたことを、今もはっきり覚えています。

小さい話を一つだけ挙げますと、早川さんが昔苦労された時、食欲がなく何も食べられずに、コーヒーばかり飲んでいたら、コーヒー色の小便が出たと言われたことです。駆け出しのサラリーマンにとってはただただ驚くばかりで、本当にそう言うことがあるのかと、肝に銘じたのを忘れることができません。

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2011年12月24日 (土)

虹はいくつの色から出来ているのか?

~さかもっちゃんの知ったかぶりぶり 105

仕事柄、海外の方と交渉する機会が多いのですが、単純な言葉1つをとっても、その意味する内容の差異に戸惑うことがあります。

たとえば、日本語の「村」を教科書的に英訳すると「village」。でも、「村」と「village」の意味合いはかなり異なります。日本語の「村」には里山広がる長閑なイメージが伴うのに対し、英語の「village」にはcitytownとの明確な区分はありません。Cityより大きなvillageもあり得ます。

そんな戸惑った時に思い起こされるのは、「虹はいくつの色から出来ているのか?」と言うこと。

「そんなの7色に決まってるだろ!」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、まぁ落ち着いて聞いて下さいな。虹の色って、結構、奥が深いんですよ。

日本人に「虹は何色?」と聞いたら、恐らく幼稚園児でも「7色!」と答えるでしょう。なぜって、それが「日本の常識」ですから。

でも、この「日本の常識」、実は日本以外の外国では、それほど常識ではありません。たとえば、米国やイギリスでは6色ですし、フランスやドイツでは5色、ロシアでは4色が普通(らしい)。また日本の中でさえ、沖縄では2色(!)と言う方もいらっしゃるとか。

あらかじめお断りしておきますが、これらの国々や地域において、決して虹の定義が異なるのではありません。たとえ1つの虹を同時に見ながらでも、生まれた国・地域によって、または育った文化によって、虹の色の数が異なるのです。

「虹の色の数が国や文化によって違う」、私がこの事実を初めて知ったとき、かなり大きな衝撃を受けました。まったく同じものを見ても、国や文化によって見え方が違うのですから。「これって自然科学の摂理に反するんだろうか?」と。

虹はたった1つのはずなのに、見る人の国・地域によって何故こんなにもバラツクのでしょうか。

これは、国や地方ごとに、色に対する考え方や細かな定義の違いによるものと思われます。たとえば、日本では赤、紅、朱、丹とそれぞれ微妙に異なりますが、英語ではすべてred。青、黄、緑などもまた然り。

良く知られるように、虹は、太陽光が水滴によっていくつかの色に分解されることによって発生します。ここまでは万国共通、世界の常識、自然科学の摂理、普遍の原理。ここから先の見え方が、国や文化によって異なるのです。

比較的単純な「色」ですらこうも違うのですから、いわんや、もっと複雑な歴史認識・外交文書など、をや。

言葉って奥が深いですね。

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2011年12月12日 (月)

久しぶりに「映画館」へ

~ わさくの悪知恵 139 ~

本当に久しぶりに「映画館」へ「映画」を観に出かけた。

前回映画館に行ったのはいつだったか記憶がないのだが、10数年は経つかと思う。

意識的ではないのだが「映画館」が遠い存在になった理由のひとつに、家のそばのシネマコンプレックス、通称「シネコン」が外資の経営から日本の大手企業へと変換されたのが挙げられる。それを境にそこで観たいと思う映画がめっきり減った。

そして気がつけば私も家人と連れ添って映画に行けば1人¥1,000で入場できる「高齢者」になってしまったのだが、この特典も今のところ利用したことがない。映画館に映画を観にでかけること自体が過去の事柄になってしまったようだ。

そんな中これだけは観ておきたいと思う映画が久々に登場した。

我が敬愛するミュージシャン、元ビートルズのジョージ・ハリソンのドキュメンタリー映画「Living in the Material World」がそれだ。3時間半越えの超大作、試写会のレビューはどれも良い作品と褒め称えている。

ちょうど1129日がジョージの命日で早いもので今年が10周忌にあたることからか、元々DVDでの販売がメインに製作されたようで、全世界で映画館公開は日本だけらしく、しかも上映期間が2週間の限定だ。これは行くしかないと決め込み一人で休日に出かけた。

有楽町のシネマコンプレックスで鑑賞したが、やはり大きなスクリーンと大音量、ゆったりした座席のシネコンで観る音楽映画は迫力があると久しぶりの鑑賞に自己陶酔したが、映画自体は評判よりも私自身の中ではもう一つだったような気がする。

ただ休憩を挟んだ後半の映画の流れが一気に早く感じられた。これは一人のキャラクターの登場によるものだと私個人的には強く思えた。

それはジョージの奥さん、未亡人のア・ハリソンさん(日本語のリンクが見つからず、悪しからず)だ。彼女の事をよく知らないでこの映画を観たのだが、とても知的な女性であり、彼女のインタビューから晩年までの様子がよくわかった。

やはり各レビュー通りに3時間半という時間を感じない映画ではあった。

しかしながらこの映画、特別鑑賞料金で老若男女一律\2,5000だった。

またしても高齢者割引の恩恵には遭遇しない。

こんな具合であるから次回映画館に映画を観に行くのはいつになることやら?

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2011年12月 1日 (木)

さらば 落合ドラゴンズ

~ sojiの今日もワクワク 161 ~

前略 わさく様

メールをありがとうございました。

「遅くなりましたがドラゴンズ優勝おめでとうございます。
日本シリーズ何となく展開が去年と似たような中日ペースの展開になっていると思います。
我がM軍は去年と一転リーグ最下位と低迷ですが、今年のシリーズはとても気楽にテレビ観戦してますよー」

わさくさんにメールをいただいたのは11月17日。ちょうどこの日は、ホークスをナゴヤドームに迎えて、一気に優勝、悪くても王手、と行くはずが、よもやの3連敗。ヤフードームでの連勝気分を全部吐き出してしまった、実に後味の悪い日でした。
予定では、第1戦で好投したチェンで3勝2敗。意気揚々と博多に向かうつもりだったのですが・・・

だから、つい返事を書きそびれてしまいました。ごめんなさい。
第6戦は吉見で拾い、7戦までもちこんだものの、ドラゴンズはもはやピッチャーは尽き、ホークス打線を3点に抑えるのがやっとの完封負け。山井のパーフェクト、夢をもう一度、とはいかず、落合監督、有終の美は飾れませんでした。昨年に続き日本一にわずかながら届かない悔しさ。

ええ、それが返事を出さない言い訳にもならないのは分かっています。本音を言うとですね、リーグ最下位に低迷したロッテマリーンズを応援しているわさくさんのサバサバしたメールに、ちょっとジェラシーを感じていたのですよ。

落合監督の退任が発表されたのが9月22日ですか。ちょうど宿敵ヤクルトスワローズと激戦を繰り広げ、ゲーム差を一気に縮めている真っ最中でしたね。今シーズン、一方的にやられているスワローズ。正直、逆転優勝は諦めていたのです。一時はセ・リーグ全球団に勝ち越して、ひとり優勝にまっしぐら、でしたから。

ところが、退任が発表されてからのドラゴンズはまるで神がかり。いわゆる「竜神」のごとき勢いで、10月10日からのナゴヤドームにスワローズを迎えての4連戦で4連勝。このときに、誰もがドラゴンズ、リーグ制覇を確信したと思います。とにかくシーズン序盤の低迷さや、落合退任の憂さをぱぁっと払ってくれました。

でも、でもですよ。このファン心理って、健全じゃあないですよね。任期満了とはいえ、辞めさせられる(決して本人の希望で辞めるんじゃあない)監督を胴上げさせたい。そんな悲壮感って、いかがなもんでしょうか。

私がドラゴンズファンになったのは、2002年の秋、名古屋に単身赴任したのがきっかけ。当時は阪急ブレーブスの元エース、サブマリン投手だった山田久志監督でした。名選手は名監督にあらず、というのでしょうか。人気が低迷し、翌2003年の秋には休養、事実上の解任だったと記憶しています。

そして白羽の矢が立ったのが、当時監督はもちろんコーチの経験すらない落合博満氏。これには私も驚きました。解説者としてテレビで話しているのを聞いたことがあります。あの覚めたような話しぶり。こりゃあ、ドラゴンズもどうなるだろうか。正直、心配でした。ただ私も、名古屋に来て一年。地元に馴染むために一生懸命だったこともあり、腰を据えて応援したのですよ。

その後はご存じのとおりです。8年間、ずっとAクラス。リーグ優勝4回、日本一1回。本当に素晴らしい実績ですよね。でも、なぜか落合野球は、人気に結びつかなかった。それどころか、中日ドラゴンズという球団に、最終的に否定されてしまった。ちょうど昨年11月「落合ドラゴンズの不人気を考える」と題して私がこのエッセイに書かせていただきましたが、一年前からこんな退任劇が来るような予感がありました。いや、今から思えば、ですけどね。

わさくさん。今年の6月ですか。マリーンズスタジアムにロッテ戦を観に行ったことを覚えていますよ。ロッテファンの応援ぶり。実に楽しそうだった。結局試合は引き分けで、もやもや感は残ったけれど、選手一人ひとりに対するよりも、ロッテ球団が好きだ、と言わんばかりの応援でした。ファンを26人目の選手と呼んでいるなんて(ベンチに入れるのは25人だから)。そして、26番は準永久欠番なんて。球団が、とてもファンを大事にしてるのがよくわかりましたよ。

ドラゴンズは次期監督を高木守道氏に決め、コーチ陣も解任し、そのほとんどを中日OBで固めて落合色を一掃するんだとか。

高木守道(70)、権藤博(72)、近藤真市(43)、宇野勝(53)、井上一樹(40)、渡辺博幸(41)、平野謙(56)鈴木孝政(57)、稲葉光雄(63)、今中慎二(40)、中村武志(44)、川又米利(51)、彦野利勝(47)、上田佳範(38) などなど。

名前を見るとまるでOB会。いや、まるでドラゴンズの選手名鑑のようです。そこまで純潔路線にする意味って、いったい何でしょうか。

私は、球団とかチームとは何なのか、すっかりわからなくなってしまいました。たとえ中身が入れ替わっても、ロッテという名前があれば、マリーンズとついていれば、無条件で応援できるものなのでしょうか、わさくさん。

思えば、私が応援していたのは、球団ではなく、それを引っ張る監督。イズムを感じさせてくれるチームを応援してきました。森監督時代の西武ライオンズしかり。野村監督時代のヤクルトスワローズしかり。好きな監督がいなくなったチームには、ほとんど愛着を持てず、知らず知らずのうちに離れていったのを思い出しました。

この8年、私が好きだったのは中日ドラゴンズではなく落合ドラゴンズだった気がします。来シーズン、もし落合氏が横浜あたりで指揮をとるとしたら・・・いや、来年のことを言うのは止めましょう。鬼が笑うだけですから。

私は千葉ロッテマリーンズを応援しているわさくさんがうらやましい。チームがどう変わろうと、応援し続けるんだという信念を感じます。

さらば、落合ドラゴンズ。こってこての、名古屋で固めた新生中日ドラゴンズが、来シーズンどうなっていくのか、静かに見守ることにいたします。もしセパ交流戦、QVCマリンフィールドでドラゴンズと戦うことがあれば、ぜひ観に行きましょうね。

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2011年11月25日 (金)

碁の再開

~ おさむの鳥の目140

ある年齢になって周りを見ますと、碁を打っている人は多いのですが、若い時に始めてずっと続けている人がほとんどです。なかには年を取ってから碁を始めた人もありますが、どちらかと言うとそれは珍しいと思います。

私は碁を打ちますが、そのどちらでもありません。若い時には碁を打っていましたが、30歳なかばで碁を止め、その後、30年間ほぼ完全に碁から離れていました。

ところが、10年ほど前に、周りの人から勧められて碁を再開し、それ以来ずっと続けて現在に至っています。

珍しいというと、年を取ってから碁を始めた人より、長く離れていて再開した人の方が数は少ないようです。そして、上達について言えば、過去、若い時に経験しているだけ、年を取ってから始めた人より有利であるはずです。

一方、中断せずに続けていた人と較べますと、碁の実力の面では不利であることは否定できませんが、頭を働かせるという点では、良い方に評価できるかも知れません。長い中断の後、また新たに頭を碁というゲームに振り向けるのは、普通の人がしない経験だからです。

私は若い時に碁を打っていたと言っても、少年時代に始めたわけではありません。大学生になってから、親しい友人が碁の初心者から話を聞いて知った乏しい知識を頼りに、初めて打つ者同士が碁盤に向かったというのが始まりです。

ですから、始めはルールも正確ではなく、面白半分にゲームをしたという有様でしたが、やがて本を読んで勉強し、勝った負けたと熱戦を繰り返すようになりました。当時、それなりに真剣であったと思えるのは、碁盤を離れても、校舎の壁や空中に黒石と白石がわっと並んで、戦いの様子が頭から離れない状態でした。

このように、碁の戦いの模様が頭から離れず、宙に浮かんで見えるというようなことは、その当時に限って経験したことで、その後、碁に熱心に取り組んでいた時にも、二度とそういうことはありません。

このように見てきますと、ある程度若い年齢のときに碁を経験したということは、無意味ではなかったと思います。再開後の碁に較べて以前の碁はレベルが低く、碁の実力という点では価値は小さいのですが、頭を鍛錬する点では役に立っているのかも知れません。

残念ながら、人間の場合、実験が出来ません。したがって、そうだとは言いきれないのですが、心情的には、30年間碁を中断していてその後に再開した方が、碁の実力は別にして、アイデアを出す能力にはプラスになっているという思いは消えません。

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